曖昧トルマリン

graytourmaline

■ 時間軸:vs. ハグリッド戦後~お爺ちゃんが目覚める前

■ 62話『コールドビーフ』後~63話『生姜ミルク』の合間の話

■ 岡目八目なユーリアン

■ ユーリアン視点

風動と根

 が倒れて3日が経った。目覚める気配は未だない。
 怪しげな手紙の送り主から杖を手に入れる為に出掛けた日の晩、予定していた時刻を大幅に過ぎて帰って来たのは返り血に染まったエイゼルだけだった。苛立ちを含んだ感情を隠しもせずに態々出迎えてやった僕を睨み付け、出先で起こった出来事を語る事もなく、あれだけ意地を張り続けていた食事すら摂らず就寝した。
 翌日の昼、今度はメルヴィッドが憔悴しきった顔で帰宅したので、事件の概要を掻い摘んで説明させた。平和ボケした脳には良い薬になっただろうと心のまま正直に告げた言葉が気に入らなかったみたいで、簡単なサインをするだけの嵩張る書類整理や爺が所持しているらしい紙切れ探しに付き合わされそうになり、今夜もこうして逃げて来た。
「どいつもこいつも情を持ち過ぎだろう。こんな狂人に」
 訴訟だ何だと慌ただしく動く関係者達の背中を見ても哀れみという感情は浮かんで来ず、精々溜息しか出て来ない。意識が戻らないだけで、この若作りの老害は自力で呼吸出来る程度には生きているじゃないか、力を供給される側の僕はこうして存在している、そう青い顔をしてまで心配する事もない。狂人思考の馬鹿げた言動に振り回される事もないのだから、寧ろ清々する。
 顔には相変わらず包帯が巻かれたまま。身体の方は少し窶れたように見えるが、ここは病院だ、栄養失調に陥ったり餓死する事はないだろう。ブラック家の援助で最上級の治療が施されているのだから、どこからどう見ても心配の必要が感じられない。
 今やるべき事は、もっと他にある筈だろう。全く、2人共が無様に過ぎる、何だあの体たらくは。
 眠れないからと酒や仕事に逃げる姿は滑稽で、哀れで、不格好極まりない。薬に頼って無理矢理眠ったかと思えば、翌朝隈を作った覇気のない顔で酷い夢を見たと声に出す。口元は何かある度に音のないままの名前を形作り、時折漂う視線の高さから誰を探しているのか判ってしまう。
 上半身が消失しても不気味さを保ち続ける人形に向かって悪態を吐き、ブラック家への呪いの言葉をスノーノイズ相手に延々と喋り続け、嫉妬と怒りを混ぜ込んだ嘲笑をメルヴィッドへ投げるエイゼル。
 誰に向かってかは知らないが、生きたまま殺すやら壊すやらひたすら呟きながら書類へ向かい、レギュラスから送られる謝罪の手紙をダンボールの中に叩き付け、濁った目で全く同じ種の笑みをエイゼルへ返すメルヴィッド。
 何故そこまで心を砕く必要があるのかが判らない。まるで依存者じゃないか。
 ただの協力者という名前を割り振っただけの男だ、利用価値が無くなれば即廃棄される側の癖に、それを諸手を上げて全肯定してみせる駒である事を思い出せないのか。
 特に、メルヴィッドの動揺が不可解に過ぎる。考え方や価値観が明らかに変質したエイゼルよりは僕に寄っていた筈なのに、こんな正直者の馬鹿が倒れただけで狼狽えるなんて、思考を一体何段飛ばししたんだ。
 こいつは馬鹿みたいにへらへら笑いながら言ったじゃないか、僕達の為なら命だって惜しくないと。それを反故しなかった精神は賞賛に値するけれど、対価としてはそれで十分だろう。沈黙は肯定だ。あの時、この狂人の言葉を誰も否定しなかったからこそ有言実行に移しただけだ、なのに何故、あそこまで必死になるのか本気で理解出来ない。
 対ダンブルドアの駒だから必要なんてものも詭弁だろう。そんなものはエイゼルで間に合う、メルヴィッドとは逆にエイゼルの思考はこの狂人に寄っているのだから、それを利用しない手はない。片目が潰れたままベッドの上で呑気に眠っているこの男は、決して尊ぶような存在ではないだろう。
「爺、お前の言う愛が、何となく判ったような気がするよ」
 メルヴィッドもエイゼルもこの負の方向の変態を心から愛しているとは思えないが、この変態はその2人を自分なりに心底愛しているのだ。
 長期間、しかも恒常的にそんなものに中てられれば多少は脳に異常を来たしてもおかしくはない。完全に心を開いている訳ではないが、幾分かの本心をそのまま舌に乗せても瓦解しない仲だから、警戒心も緩んでいたのだろう。
 愛はそれを発する者だけを狂わせるものだと何時だったか爺が言っていたが、実際は周囲を巻き込むもののようだ。話半分で聞くべきものだと警戒したその心構えは限りなく正解に近かったのだろう。だからと言って、他の2名がああなっては迷惑な事には変わりない。
 まあ、数年前は僕でもあったメルヴィッドとエイゼルがあそこまで狂った力だ。愛が強いものである事は素直に認めよう。そこまで価値観が固まっている訳じゃない。
「ただ、この力は持て余すよ。使い勝手が悪過ぎる」
 どの方向へ狂うかも判らなければ、何時狂うかも判らない。自分勝手に爆発する爆弾なんてものを作って一体どうするつもりなんだ。
 復讐が達成されれば周囲がどうなろうが関係ないスタンスでいるこの男とは違い、僕達には目的も対象も明確に存在している。この耄碌した男は制御不能の車に時限爆弾を仕掛ける思想犯は存在しない事を理解し、そのような物騒な車の量産を中止する決定を今すぐにでも下すべきだ。
 しかし本当に、車も車だ。あの程度の狂気も撥ね退けられない程、思考が弱体化しているとは思いたくなかった。
 身の安全確保の為とはいえ、破れぬ誓いなどするものではなかったと今更後悔する。爺は昏睡状態で残りは弱体化中、この瞬間ならば全てを逆転出来るのに。本体の場所が判らなくても現在所持しているあいつらの肉体を殺し、生気の供給者である爺へ生ける屍の薬を投与し続ければ。
 いや、そんな手間をかけるよりも、こいつが心底嫌い、憎んでいる忘却術の方が適当だろう。何なら、今の内にそうしてやろうか。
「あの馬鹿の反応を見ると、出来ないけどね」
 意識を取り戻したこの男がまっさらなただの10歳児になり、全ての記憶を忘れていると宣言したら、恐らくメルヴィッドはハグリッドを拷問の末に殺し、どのような手段を使っても日記を手に入れ条件解除をした後で僕も殺すだろう。あの依存具合を考えると、犯人である確率は半分だがどちらかしか選ばないとは言っていない、くらいは普通に言いそうだ。少なくとも僕ならば、疑わしきは罰せよと言う。
 もしくは、これ幸いと爺を監禁するか、それとも脳味噌を弄り記憶を思い出させるか。いや、メルヴィッドは僕と同様に欲の皮が突っ張っているから、殺人と監禁と強制想起を全部やるという可能性もある。
「……そうか、それか」
 ああ、なんて事だ。自分の手を汚してまで欲しいのか、こんな男が。
 メルヴィッドが呟いていた物騒な言葉の目的が判ったが、思考が完全に犯罪者のそれだ。必要な場所が刑務所ではなく精神病院の方だけど。
「少し、認識を改める必要がありそうだ」
 単純にメルヴィッドがこちら側でエイゼルがあちら側に振れていると考えていたけれど、どうも勝手が違う。作用度と依存度は、単純に比例するものではない。
 思考パターンや言動、価値観はエイゼルの方が影響を受けている、しかし、本人に対しての依存はメルヴィッドの方が確実に高い。
 メルヴィッドへの感化が低いのは、多分が同属となる事を意図的に拒絶しているからだ。高スペックであろうと同タイプの人間しかいない組織の未来は緩やかな衰退だと、こいつとエイゼルが気に入っている映画の主人公が言っていた。文学が現実を模倣するならば逆も、と言った登場人物も同シリーズに確かいただろうか。この爺が模倣したのは文学ではなく映画であっただけで、虚構の模倣という点で見れば大した違いはないのだろう。
 逆に、エイゼルの依存度の低さは共同生活期間の日数と密度の結果だと考えられる。魔法界の中で4ヶ月間4人暮らしでは幾ら胃袋を掴まれていようが大した依存心は芽生えない、片やメルヴィッドはマグル界の中で4年間2人きりだ。ただし、今後ホグワーツへ行く事を考慮すると逆転する可能性もあるからエイゼルは大丈夫だと楽観するのは危険だろう。また、離れたからといってメルヴィッドが元に戻るとは限らない。
「……馬鹿馬鹿しい。全部、僕には関係なくなる事だ」
 この男が昏睡状態から快復しようがしまいが、早ければ今年、遅くとも再来年、日記を手に入れ破れぬ誓いが果たされれば、僕はこの勢力から離脱する。その間、誰が誰に影響を与えようが依存しようが、僕の障害にさえならなければどうでもいい。あんなママゴト遊びに付き合う程、あいつ等に気を許している訳でも暇でもない。
 遠くから靴音が聞こえる。3時の見回りだ。この時間なら流石にあの馬鹿共も寝て家の空気も落ち着いている頃だろう。
「じゃあ、僕は帰るよ」
 眠っている者特有の浅く緩い呼吸に合わせて上下する左胸に手を潜り込ませ、内臓を握り潰す真似をしても何も起こらない。決して死なないこの男の内に存在する愛を殺すには、僕では力不足のようだ。