通り雨の後に
衰退の原因は、幾つか挙げられる。
半世紀前の女当主が程度を弁えない蒐集家で家財を蕩尽した事、次代を継いだ当主が下らない平等主義を振り翳し伝統的に行われていた限嗣相続を廃して一握の金貨を分散させてしまった事、その端金を増やそうと頭を悩ます子孫がほとんど存在しなかった事。
ホグワーツにさえ入学すればどのような生徒でも受け入れると標榜する寮の子孫、スミスの名を持つ者達へ別け隔てなく財産を与え没落するのならば、それはある意味、非常にハッフルパフ的な滅び方だろうとジョンは静かに納得した。
薄曇りの下で普段着とは程遠い男物のドレスローブに違和感を感じながら軽い笑い話を提供し周囲に笑顔を振りまけば、噂話と賭け事が好きな女性が好意的な反応をしてくれる。庭園に咲く花のように多彩な彼女達の化粧やローブが羨ましいと湧き上がる嫉妬を端正な顔立ちと纏ったベージュの生地の下に隠し、イタリアの職人がオーダーメイドで作り上げた衣服の肌触りに慰められながら相槌を打った。
今回のパーティの主役、今年の9月からホグワーツへ通う事が決定付けられている兄の子を横目で見ながら小さな泡が立ち上るフルートグラスを軽く回す。入学許可証は届いていないが、数年前から魔法使いの片鱗を見せていた甥は堂々とした仕草で周囲の大人達に対し挨拶をしていた。しかし、近親者であるにも関わらずジョンに対しては挨拶どころか視線すら合わせようとしていない、恐らく兄夫婦に色々と言い含められているのだろうと予想し、穏やかな表情の裏でなんとも下らないと笑い飛ばす。
感謝をされたい訳ではないが、知らないなら知らないで不愉快になる。今回の費用を誰が出したのかも知らないのだろう。兄の家は借金に塗れている訳ではないが、このようなパーティを主催出来る程に裕福でもない。
放蕩気味なお前は一族全体から蔑まれているのだから金を出す栄誉をくれてやろう、不愉快を通り越して脳の不在を疑いたくなるような台詞を何の疑問も持たずに言い放った兄は、間違いなく魔法使いの感性で生きている存在だろう。そういえば、友人であるルシウスもブラック家の当主である若造から、今迄マルフォイ家へ売ってやった恩を返す機会を与えてやると言われ渋々弁護に回ったと愚痴を溢していたと思い出した。
しかし、恩を返してプラスマイナスゼロになるのならば良い方だろう、自分は兄どころか一族に対して恩など欠片も持ち合わせてはいないと、此処にはいない友人を不幸自慢で慰める。尤も、ただ黙って集られるつもりもないので、後々清算させて貰うつもりだけれど、とも考えていたが。ジョンは金の匂いに敏感で、借金取りの真似事は職業柄、慣れていた。
ホグワーツ在学中からスミス家の一員である自らの権利を主張し、生前贈与として幾らかのガリオン金貨を毟り取ったジョンは、数字こそ出ていないが明らかに経済成長が停滞している魔法界を早々に見限りマグルへの投資で資産を増やして行った。
素人である学生が資産運用に失敗しなかったのははっきり言ってツキに恵まれていただけであったし、ジョン自身もそれは大いに認めている。同じように増やせと言われてもあれはビギナーズラックであり2度は無理だと答えるだろう。
ただ、極西の島国に寄生する魔法界の店舗数に比べ、欧州連合加盟国の企業数と経済力は話しにならない程、圧倒的だったのだ。知識としては理解していたが、それでも目移りする選択肢の多彩さは、閉塞感で満たされた世界で生きて来たジョンにとって刺激的なものだった。当時は若かったのだ、未経験を補える程に体力と野心が満ち溢れていた。
無論、社会保障が確立しているとは言い難い魔法界で生きて行く為に、一応の安全策としてブックメーカーも経営していたが、当時はどちらかというと賭博好きな魔法使いとの人脈を築く為にやっていただけであって利益自体は子供の小遣い稼ぎ程度、本格稼働をしたのはマグル界で資本を稼いだ後の事である。
そして、何の為にそこまでするのかと問われれば、当時混乱していたイギリス魔法界から遠ざかる為と欲を満たす為としか言い様がない。生き残る為、欲しい物を手に入れる為、やりたい事を実現させる為、豊かな生活の為、それには金貨が必要で、だから遠くへ足を向け稼いだ。とても単純な考え方だ。ただ、傷付いた心を癒やすべくほんの僅かな逃避の為、という理由もあった。
「ミスター・V、貴方はどうお考え?」
「私の考えは全てオッズに反映されているのですが、仕方がありません。今日は甥のハレの日ですから、特別ですよ?」
周囲に侍らせた婦人の1人から芸名であるエリザベス・バイオーラを更に短縮させたVの1文字で呼ばれ、脳が現実へと引き戻される。ジョンは慌てる事なくゆっくりと笑みを浮かべた。見惚れたように口を開く何人かの女性達も、女装をしている時には積極的には群がらないのだから全く勝手なものだと、内心で見下す。
「手堅いのはダームストラングですが、ドラコ君は母親思いでマルフォイ氏も愛妻家ですから。ナルシッサ様が頑なにそう決めているのであれば、ホグワーツの線も捨て切れません」
「ほら、彼もそう言っているわ。ドラコ・マルフォイはホグワーツよ」
「でも家庭教師まで招いていたのよ。マルフォイ家の次期当主様はロシア語が堪能だと伺ったし、前々からの噂通りダームストラングではないかしら」
「フランス語の家庭教師も雇っていらっしゃっただから、その理屈ならボーバトンでも不思議ではなくて?」
「ボーバトンはイギリス人を迎え入れる気風が乏しいと伝え聞いておりますから、入学は如何でしょう。ホグワーツ創設後にフランスからおいでになられたお家なので、本流はフランスでしょうけれど」
「イルヴァーモー二ーは選択肢から消えそうね」
「国としては裕福なのは結構ですけれど、若い文化を学ぶよりも自国の成熟した歴史に精通する方が先ではありませんこと?」
果実、花、宝石の名前を冠した色とりどりの唇から甘く腐った声が溢れ出すのを聞きながら、ジョンはグラスに口を付ける。腐れ縁の友人、ルシウス・マルフォイからは愚痴という形で既に息子がホグワーツへ行かざるを得なくなった事は聞いたが、その情報を提供する気はない。信用云々以前に、彼の会社ベット・ヴィオラもマルフォイ家次期当主の進学先をこうして賭けの対象にしていたからだった。
しかしホグワーツか、と女性達の声に耳を傾けながらジョンは考える。
より正確には、ホグワーツではなく校長であるアルバス・ダンブルドアの動きと、イギリス魔法界に関して。
ここ数年で急速に、魔法界はきな臭くなって来ている。全容が解明されていない大きな物を挙げると、3点。聖マンゴの大量不審死事件、レギュラス・ブラックの奇跡、そしてエメリーン・バンス殺人事件。
ジョンが把握している限り、全ての事件の当事者と関わりを持っているのがハリー・ポッター、今は・と改名した1人の少年だった。痛々しい包帯を外し、義眼を隠す為にサングラス姿へと変貌した子供が、何故か舞台の中央に居座っていた。
聖マンゴとバンスの2件だけならば、考え過ぎだと否定出来ただろう。特に聖マンゴで殺された被害者は両手の数よりも多く、その遺族や友人ともなれば数は膨れ上がった。彼はその1人に過ぎない。けれど、レギュラス・ブラックの奇跡、年を取らないまま再び魔法界に現れたブラック家の現当主と関わっているのであれば、その危険度は跳ね上がる。
適当な偶然を装ってもっと早くに接触するべきだっただろうかと自問し、けれど全ては後の祭りだと自答する。
ジョンはハリー・ポッターを知っていた。というよりも、目を付けていた。
グリンゴッツに勤務するギャンブル依存症のゴブリンが底を尽きた賭金の代わりに差し出した情報、レストレンジ家の金庫にはヘルガ・ハッフルパフのカップが存在するという事実を確認する為に必要な駒だったのだ。ハリー・ポッター以外の被害者達は皆、死か沈黙を選んだ、何故ならレストレンジ達はアズカバンで未だ生きているのだ、万が一ヴォルデモートが復活し脱獄させようものなら財産を奪ったとの理由で真っ先に殺されるかもしれない、そんな不安が魔法界では蔓延していた。
情報を得てから遡って調べ、両親が廃人にされた後、魔法使いの為の孤児院へ入れられず行方不明になったと知った時は愕然としたものだ。その数年後、身内による殺人未遂から保護されたとマグルのニュースで名前を見た時の驚きはそれ以上だったが。
焦る気持ちを抑え、ダンブルドアの暗躍に目を瞑り、誰もレストレンジ家の金庫に手を付けられないのだからとホグワーツ入学まで気長に待ち、ダイアゴン横丁で偶然を装いそれとなく接触しようと計画を立てていた所に、予想外の事が起きた。
マグル出身で全てを独学で成した魔法使いの里親が出現し、ブラック家が関わり始め、魔法界の隅にある薄暗い日陰で暴力を浴びせられ息を潜めていた筈の子供は血を流しながら急速に中央に食い込み、その生々しい傷跡と加害者達を光の下に晒した。
これ以上遅れを取るとその他大勢として処理される事を危惧し、ブラック家に対してコネを持つスラグホーンへ世間話程度の情報を流しながら接触を試みたのが去年の冬、あのパブで擦れ違った時の事である。本来ならば裁判終了後に接触する予定だったが、エレベーターの不調と階段の清掃が重なりダンブルドアに先を越された。無論、これを偶然と済ませる程ジョンの頭はお目出度くない。証拠はないが、ダンブルドア側からの邪魔が入ったのだ。あのパブにも複数人の部下が配置されていたのだから、魔法省にだって潜ませていたに違いないと決め付けている。
幸いと言うべきか、当然と呼ぶべきかは判らない。情報が集中する魔法省の近辺に店を構えている魔法使い達とは仕事や個人間で何かしら繋がりを作っていたジョンは、店の奥に飾られていた一見ただの風景画にしか見えない魔法界製の絵画を購入する事で情報を得る事が出来たが、面倒な事態になっているのが理解出来ただけだった。
現在の騒動の根底に・を名乗る複数人の存在がある事は判ったが、調べあげてもそれらしい人物が魔法界内に見当たらない。異国人の名前だから又聞きに近い情報は多少の誤差が生じるのだが、本当に、それらしい人物が彼の手の届く範囲に居ないのだ。ジョンが過去に主だった活動をしていたのは欧州圏であり、そこから外れた地域を調べる手立てや知識を持っていないとしても、欠片も引っ掛からないのは不気味に過ぎる。
ダンブルドア、或いはブラック家ならば知っているかもしれないが、どちらも探りを入れるのは相応の覚悟が必要で、今はその時期ではないと判断している。名を継いだ本人に尋ねるのが最も簡単な方法なのだが、1つ間違えれば前者達よりも酷い目に遭う可能性が高く、動けない。
いや、本人だけであれば良いのだ。は損益を計算し終えた後に、情と言う名の汚れたフィルターで漉す行為を躊躇わない。あの子供は穏やかな見かけに反し、情さえ持たせる事が出来れば命すら投げ打つような激しさを持っている。
しかしがジョンに対してそれを持っているかと問われれば、僅かにとしか答えられないのが現状だった。嫌われてはいない。杖を売り付ける際に、にはバンスの事件で知ったと言ったが、前述の通り嘘であるし内容の胡散臭さから相手も嘘だと薄々勘付いているだろう。嘘と見た目を無視出来る程度には、あの子供は懐いている。そう思って弟の話を持ちだしたのだが。
「まずかった」
「ミスター・V。どうかいたしまして?」
「父の堪忍袋の緒が既に千切れているようだ。愛らしい方々と一緒に過ごせる楽しい時間はお開きかな、ついでに甥にも挨拶をして来るよ」
漏れてしまった言葉を繕い全ての責任を実の父に被せたが、実際彼の父親は不愉快そうな顔を隠しもせず自慢の優秀なお孫様へ何事か吹き込んでいたので事実でもあった。大方、あんな男になってはいけないと言っているのだろう。
「残念ね、ミスター」
「また今度。別のパーティでお会い出来る事を楽しみにしております」
「マルフォイ家のご子息の結果、楽しみに待っているわ」
各々に軽いキスをして別れを告げれば、彼女達は本来のパートナーの元へ戻って行った。そこからまた始まるひっそりとしたお喋り、きっとジョンから得た情報を元に何処にどれだけの金額を賭ければ確実に儲かるか相談しているのだろう。
でなければ、顔立ちこそ美しいが女装癖が広まっている男の元へ笑顔を貼り付けた女性がやって来る筈もない。彼女達が欲しいのは自分の利益となる情報、ジョンが毎日のように求めている物と同じであった。
「ああ、あれは失敗だったわ」
人混みを通り抜けながら、思わず吐いてしまった先程の言葉を反芻する。
は弟の事を知っていた。病院を抜け出した日と肖像画が情報を報告して来た日が重なっているので、恐らく病院関係者から偶然聞いてしまったのだろうが、それは別に構わない。ジョンはその情報を売りたい訳ではなかったのだから。
リリー・ポッターの2人目の息子の情報はルシウス・マルフォイからも同様に齎された。それも別にいい。マルフォイ家は昔から魔法界の医療関係、つまり聖マンゴとズブズブの関係を保っているので確度が高められたのは良い事だ。
宜しくないのは、弟を取引材料に使った会話をアークタルスに速攻で補足された事だ。表面上は嫌味の一言で終わったが、評価はとんでもなく下がったに違いない。未だ命はあるので許されてはいるのだろうが、多分、次はない。
更に追加で、の保護者達が黙っているのが不気味で仕方がない。彼等の絆は血の繋がった家族よりも余程強固だ。ジョンはその中で、特にメルヴィッドと名乗ったあの美しい男が恐ろしかった。何故か。
杖を売りに行ったあの日、彼はスネークウッドの杖に平然と触れていたのだ。
ジョンは杖そのものよりも、杖に付随した逸話を愛していた。杖達に真の持ち主と認められず、付随した話がどれだけ荒唐無稽であっても、オリバンダーのように真っさらな杖よりも固有の名前を持つ彼等、或いは彼女達を余程愛おしく思っていた。
子孫に墓を暴かれた事で作り出された蠢く墓標。追放された魔法使いが創造した、善行者の祝福。一家を皆殺しにする為に作成された葬頭杖。それと作者と芯材のドラゴンを同一とする杖。逸話さえ手に入れば、葡萄の木から作られた自身の杖以外は宝の持ち腐れ、トランクで眠らせるくらいならば相応しい持ち主に譲渡しても良いと思える程に。
けれど、その中で1本だけ例外があった。それが、スネークウッドの杖だった。
あの杖には芯材が存在しておらず、逸話もない。いや、逸話ではなく来歴、伝説と表現した方が適当と呼べるものはあった。あの杖は、サラザール・スリザリンが使用していた杖と同一の木材で作られたとの噂だ。
南米でしか採取不可能な木材を10世紀の魔法使いであるスリザリンが所持していた理由は今でも杖愛好家の間で論争の的となっているが、ジョンの入手した杖の持つ伝説は一応それに対しての説明がされている。
千年前にイギリス沿岸で生活していたマーピープルの長が病気に罹り、偶然通りかかったスリザリンが魔法薬で治療した時の礼の品。膨大な力に耐えられず杖を破壊してしまうスリザリンへ、彼等は南からの海流に乗ってやって来た珍しい木材を贈り感謝の印とした、その木材で作られた杖は以降スリザリンの血とそれに耐えられる強力な芯材しか認めず、他の魔法使いを拒絶するようになった。伝説らしく出来過ぎた話だったが、それで笑い飛ばすには杖が奇妙に過ぎた。
杖は自らの力を最大限に発揮出来る持ち主に可能な限り仕えようとする。それは魔法界では当たり前の事だった。しかし、拒絶反応を起こしても精々物が落ちたり、壊れたり、破裂音がしたりと外に向けられ、また合わない者が使う所為で被害も魔法で修復出来る程度には大人しい。あの中が空洞なスネークウッドのように、近付いた者の利き腕に刺すような痛みを与え、直に触れた者の腕に激痛を走らせるような杖は他にない。
伝説が本当であれば、メルヴィッドはサラザール・スリザリン、つまりゴーント家の血を引いている事になる。そしておあつらえ向きに彼は記憶を失っている上、スリザリンと同じくマグル廃絶を標榜するヴォルデモートの若かりし頃、トム・リドルの姿と瓜二つだった。そのトム・リドルは半世紀前のスミス家当主であるヘプジバと関り合いがある事が判った。未だ報告は上げていないが、アークタルスからの指示である為、そろそろ纏めておかなければならない。それによって自分の身に何かが起こるとは考えていなかったが、嫌な予感が日に日に増していく。
スリザリンの子孫、・、ブラック家、ダンブルドア、ヴォルデモート。未だ全貌は掴めないが、ダンブルドアが告げていたヴォルデモートの復活よりも怖ろしい事が起ころうとしていると本能が告げていた。あの場所はいずれ爆心地となる。右も左も捕食者ばかりが控えている、逃げろと。
しかし、既にジョン・スミス個人として捕捉されてしまった状態であのブラック家相手に個人の逃避行が通用するのか。レギュラスなら未だ救いはある、けれどアークタルスは経歴からしてジョンよりもマグル事情に詳しい。飛行機や長距離列車のチケットを取った瞬間に目的地で待ち構えるくらいは指先一つでやってのけるだろう。ある意味、欧州魔法界から完全に縁を切れば希望を見出だせる闇の陣営を相手にした方が楽だと思えて仕方がなかった。
彼は既に関わるという選択をしてしまった、最早戻れないのならば、進むしかない。
「随分浮ついた格好をしているな、ジョン」
それは兎も角として、今は目の前の不愉快な案件を片付けようと思考を対一族用のものへ入れ替える。ケルト系の血が強いのか、さして背の高くない父親を前にしたジョンは下らなそうに肩を竦め黴の生えた服に腕を通す趣味はないと素直に返し、ブロンドの髪をした生意気そうな顔立ちの甥を見下ろした。こちらは背が高くなりそうな雰囲気なので、彼の母親の血が出たのだろう。
「やあ、ザック。今年からホグワーツだって? おめでとう」
「ええ叔父上、おかげ様で。相変わらず品のない髪の色ですね」
スミス家は、下らない情報に惑わされた結果、好んでこの色の人間を迎え入れた所為で赤毛が強く出る家系だと真実を言ってやるべきかジョンは一瞬だけ考え、同じく赤毛であるが色が抜けて金髪にも見え始めている父が黙っている事から、言った所で何も変わりはしないだろうと諦め軽い溜息を吐いた。
情操教育の為か、和やかさの欠片もない挨拶が終わるとすぐに兄嫁が甥を呼び、空いた場所には父の血が濃く出た背の低い兄が収まる。最早、クリスマスにすらカードを交換しない仲の、ただ血と書類で繋がっているだけの兄だった。
「嫌だわ、もう帰りたくなっちゃった」
「ジョン、その巫山戯た口調を止めろ。それに何だ、その女みたいな匂いは」
「ゲランのアプレロンデよ。1906年の名香、雨上がりの庭に咲くスミレの香り」
「黙れ。そんな事を知りたい訳じゃない」
ジンジャーから色素を抜き、ブロンドで上塗された頭髪がジョンの青い目の下で揺れる。後方に撫で付けられた髪は薬品から受けた痛みが激しく残り、その内禿に悩まされるだろうと心の中で兄の将来を予言した。
母親の血が髪と目の色以外の外見に強く出たジョンはグラスの中の液体を飲み干すと茶化すような表情を浮かべ、これ以上何を要求するのかと大きな身振りで父兄へアピールする。道化のようにも見えるが、女装さえ取り除いてしまえば並外れた美丈夫であると自覚しているジョンはそれを最大限に活用し、年上の男達に向かって穏やかに威嚇した。
「……ブラック家の事だ、上手く取り入っているそうじゃないか」
「ええ、ええ。父上ならきっと、そんな恥知らずな事を頼んでくると思っていたわ」
魔法界で没落しながらも名の知れた一族の多くは、今頃になって必死にブラック家へ媚を売り始めている。相手はあの人嫌いで有名なアークタルスと、陰りを見せないマルフォイ家にすら恩を返させてやろうと言い放つレギュラスだというのに。
没落し切って消滅してしまえばいいのだと、ジョンは再び小さく呟く。ハッフルパフ的な言動で滅びるのであれば、先祖だって多少は許してくれるだろうと。
「スミス家の代表と話す機会をだな」
「無理よ。私と仲が良いのはブラック家のお気に入りの」
素直に吐き出そうとした言葉を一度脳内に戻し、この程度の時間の前後ならば問題ないかとジョンは敢えて違う単語を選択した。
「可愛い眼鏡の男の子だもの」
それだけ言うと空になったグラスをテーブルへ置き、そろそろ失礼させて貰うと会場を後にする。彼等は早々にジョンをターゲットから外したのだろう、ジョンが背を向けて歩き出しても誰も引き留めようとはしなかった。
家が傾いている現在、ブラック家の後ろ盾が欲しい彼の父、兄、そして会場に居た幾人かは、少ない不確かな情報に踊らされたまま・への接触を図るだろう事は容易に想像が付いた。そして、そんな下衆の結末もまた、容易に想像が出来る。
あの子供の周囲には、多種多様な価値観を持つ猛獣達が首輪を付け合い、太さの異なる鎖を複雑に絡ませながら横たわっている。メルヴィッド・ラトロム=ガードナー、エイゼル・ニッシュ、アークタルス・ブラック、レギュラス・ブラック、最後に恐らく、・自身。
ジョンの一言で、薄汚いハイエナ達は気難しい老獣への面会を取り付ける為に、一見呑気に遊んでいるだけの幼獣へ突撃するだろう。そうして出処が不確かな情報を精査せず鵜呑みにして、間違いに気付く事が出来なかった輩は、若い獣達に内臓を引き摺り出されるか、間違った情報を喉に詰まらせて死ぬしかないのだ。