曖昧トルマリン

graytourmaline

■ 時間軸:お爺ちゃんが意識を取り戻した後

■ 70話『金柑のクレープシュゼット』直前の話

■ 後で代金請求するつもりの素直で良い子なエイゼルの話

■ 頑張っているエイゼル視点

磨いた林檎が熟れるまで

「いい加減、あの爺を調教すべきだ。お前達がやらないのなら、僕がやる」
 リビングで寛ぎながら夜食を待っていた私達は、突如現れて宣言したユーリアンを視界に入れる為にそれぞれB&Qのカタログと映画雑誌から顔を上げ、遂にその方向性の趣味に目覚めたのかと全く同じ言葉を同じタイミングで口にした。勿論からかう為だ。
 煽られている事を理解しているのだろう。青筋を浮かべながらも怒鳴り散らさず、地を這うような声でそうじゃないからなと続けるユーリアンを無視して手にしていたカタログを差し出し、何を何処までするのかと問いかけた。半透明の口の端が引き攣ったけれど、それだけだ。今日は意外と耐えてくる。
「あの馬鹿は本当に馬鹿だけど、地頭はそれなりに優秀だ。真っ当な知識と常識と思考を叩き込めば使える部類になる」
「確かに、あれは頭は良いが馬鹿な男だな」
 重く分厚いカタログを膝に戻した私とは反対に、手にしていた雑誌をソファの上に放り投げてメルヴィッドが話に乗る。ハムかベーコンが焼かれる匂いがキッチンから漂って来たから、間もなく出来上がる夜食までの暇潰しにするつもりなのだろう。
 大して面白くもない話になりそうだ。の元へ行ってつまみ食いでもしようかと一瞬考えたけれど、それも止めた。出来上がりかけの今顔を出すととダイニングの準備を手伝わされる可能性がある。用意が嫌な訳ではない、けれど、それが自分以外の誰かの為、特にメルヴィッドの為になるのならば手を貸したくない。
 腕の筋肉が鍛えられそうな冊子を膝の上で再び開いて付箋を手に取り、会話に入る気はないと意思表示をしながら一応耳も傾けておく。元々好き勝手している私など最初から数に入れていないだろうユーリアンは気にした様子もなくメルヴィッドと向き合った。
「けれど、教育を施して、それで何になる。あれは自分が使えない男だと自覚しているからこそ能力の高い相手を全面的に頼り補助を申し出る、裏返せば、自分よりも低能と判断した相手には冷淡だ」
「幾ら教育しても爺の能力が僕達を上回るなんて考えられないんだけど?」
「私達がどう捉えるかではなく、あの男自身がどう思うかだ。お前だって理解しているだろう。は我見偏向で客観的な判断を苦手とする部類の人間だ、しかも性質が悪い事に自覚しつつ矯正を放棄している。下手に知識だけを与えてみろ、力が強いだけの使えない頭は不要だと殺しに来るぞ」
 代わりのきかない才能があるから私達に尽くし、豊富な財力とコネクションがあるからブラック家を命懸けで慕う。自分よりも価値のある人間が命を張るくらいならば殴ってでも止めて、代わりに死んでやる。バンスを殺しに行った日、そして去年の年末、私に向かって馬鹿正直に告げた言葉を思い出しながらページを捲り、自分達が無価値と見下されないよう洗脳教育すればいいと楽観的に過ぎるユーリアンの言葉を内心で嘲笑した。
 ストーリー性の強い劇場型犯罪を好み、且つ、自分が楽しい時間を過ごしたいからという理由だけで無関係な人間を惨殺して来たの精神構造は全くマインド・コントロール向きでない。肉体的に痛め付けて洗脳しようにも彼の身体はただの借り物で、肉が抉れようが目が潰されようが平然としている。
 従属させたいのならば情に訴えるのが得策だが、それを可能とする程度に慕われている人間はこの世界ではメルヴィッドだけだろう。けれど、世界で誰よりも尽くされている肝心のメルヴィッドは、に依存している。
 気持ちは理解出来る。彼の傍は安心出来る場所ではないけれど、居心地は悪くない。どれだけ愚痴を言っても、暴言を吐いても、手を上げても、は両腕を広げ必ず笑顔で受け入れ距離を置こうとしない。趣味だと言いながら喜々として家事をこなし、帰宅すれば常に玄関や暖炉に足を向けて出迎える。
 理屈ではなく本能なのだろう、もしくは、自分がそうしたいだけの単純な欲求。母性による無償の愛情に似た何か。勿論、実の母親からそんなものを受け取った覚えはないけれど、他人が受け取っている様子は幾度も見て来たから知識として存在はしている。
 例えば孤児院から見た他所の家のクリスマス、同室者の誕生日の差出人達、ホグワーツ特急の傍らで繰り広げられる別れと再会、当時はどうでもいいと強がっていたけれど、今考えると欲しがっていたし嫉妬もしていたそれが、まるで冗談のような理由で手に入った。
 性は男で、老爺で、思考と価値観が狂っていたとしても、4年間も2人きりでそんなものを与え続けられれば、まあ、依存くらいするだろう。寧ろ老いた男性の狂人だからと油断すらしていたかもしれない。
 最も遅くこの中に招かれた私でも気付いているのだから、先客のユーリアンが気付いていない訳がない。運良く今回のホグズミードで完全に露呈したので、依存するな逆に引きずり込めと警告したのが現在の状況だ。
 それに対してメルヴィッドは、先程から尤もらしい言い訳を並べて拒絶の姿勢を明確に表している。仕方がない、の傍は私が自由に振る舞える程に心地良いのだ。生まれに育ち、血縁どころか世界と時間までも超越して協力者の隠れ蓑として作り上げられた紛い物であっても、これは私達が過去ふとした瞬間に望んだ夢の欠片だ。
「エイゼル、お前からもこの馬鹿に何か言え!」
「夜食のデザートがベイクドアップルかアップルパイかって話なら、私はアップルパイに賭けるよ。それにしてもユーリアン、食べられないのに賭けに興じるなんて酔狂だね」
「誰が何時、そんな事を言った!?」
 黙ってカタログを読んでいるのはポーズだと思っていたのだろう。実際にポーズだったけれど、だからといってユーリアンの主張を援護する必要性が見当たらない。キッチンからリビングへやって来た林檎の焼ける甘い香りについて話題にすると、目の前の半透明な顔も怒りで林檎のように赤くなった。
 ああ、けれど、が時々使っている加熱調理用の、所謂クッキング・アップルは熟れても実が青いから不正確かもしれない。しかし、大きく切り分けられた甘い実が隙間なく詰まったアップルパイや、食べ応えのあるジャムが好きなは、煮崩れしやすいから積極的に使いたくないと言っていた事まで思い出す。となると、林檎のようにという比喩は矢張り正解なのだろう。
「なら私はベイクドアップルにしよう」
「バニラアイスは添えておく?」
「何故不必要だと思うのか逆に訊きたいんだが」
「季節を問わず林檎のデザートには絶対に必要だよね、アイスは。ホイップクリームも美味しいけど。の作る林檎のデザートってシナモンも効いてるし」
「林檎を喉に詰まらせて死ねこの馬鹿2匹!」
「スノー・ホワイトごっこに興じるには大分痛い年齢なんだけど。因みに誰にキスされれば息を吹き返すのか是非知りたいな、野郎だったら先回りして殺しておくから」
 そもそも私に話を振る方が間違っているのに、その事を全く理解出来ていないユーリアンは自分の非を一切認めず怒鳴り散らす。その声に釣られた訳ではないと思うけれど、キッチンへ続くドアから半透明な体をした渦中の男が現れ、仲良くするのは結構な事だと誰の内心も察知していない台詞を吐きつつ夜食の用意が出来たと続けた。
「ねえ、。今日のデザートって何?」
『苺のピロシキと、林檎とヨーグルトのグラタンですが』
 残念、2人共外れだ。口先だけの賭け事で互いに物品を出していた訳ではないから、痛くも痒くもない結果だけが残された。
 上機嫌になる感情を押し殺しつつ席を立つメルヴィッドの背を殺気塗れのユーリアンの視線が追って行く。その背中がリビングから完全に見えなくなった後で、黒い冷ややかな瞳が一体何を考えていると尋ねて来た。
「あの馬鹿をあのまま放置するつもりか」
「つもりだよ。何故私が介入しなけらばならないのかな」
「お前も、あの男も、この家に住む奴等は僕以外全員狂ってる」
「狂っていようが依存していようが、最後に勝って笑えればいい。そうは思えないんだ?」
「お前の言う最後とは何だ」
「以前にも言ったけど、君やメルヴィッドと同じだよ」
「目的を達成したらどうするつもりだ?」
「治世なんて根気のいる面倒な作業はメルヴィッドに丸投げして、好きなように生きるよ。こんな狭い魔法界に統治者は2人も要らない」
 自分探しの旅にでも出て食道楽しながら世界の国々を巡ると続ければ、胡散臭い目で見下される。生憎だけれど、今の所は全て真実だ。が嘘を吐く時のように、全てを晒していないだけで。
 納得していないが、馬鹿な事ばかり言う私を追求する気もないらしいユーリアンもダイニングへ向かい、リビングには私1人が残される。そこで突っ込まないから、過去の私の亡霊はある種の無能なのだ。
 メルヴィッドはに依存している。けれど、はメルヴィッドに依存していない。家族の皮を被って共にいるのは相手がこの世界で最も優先順位の高い協力者だからに過ぎない。では何の協力か、ダンブルドアへの復讐だ。彼とメルヴィッドは方向性こそ同じだが目的が明確に違う。
 は頭がおかしいけれど律儀な面が強いから、復讐が完了した後もある程度までは此処に留まり手を貸すだろう。けれど、永遠に共にいる訳ではない。彼はメルヴィッドに情を持っているが、神に傅く信徒の如くその身の全てを捧げている訳ではない。経過を遊び尽くし、目的を達成すれば、何時かはもメルヴィッドと縁を切る。
 そうしたら、今度は私の人生に付き合って貰う。幸い互いに殺されなければ死なない不老の身だ、拒否権を与えるつもりは毛頭ない。
 私を変えたのは彼だ。闇の帝王と恐れられるヴォルデモートでもなければ、ただの優秀な魔法使いであるトム・リドルでもなくしたのはなのだ。私をエイゼルという男にしたその責任を、取って貰う。
 別に、難しい事じゃない。ユーリアンへ言った通り、数年がかりのちょっとした旅行に付き合って貰うだけだ。メルヴィッドがブラック家と手を組んで統治する魔法界はきっと、安全ではあるけれど楽しくも面白くもない。慌ただしいかもしれないけれど、型に嵌まった慌ただしさで混沌とはしていない。私は、自分自身がエイゼル・アルスタリー・ニッシュである事を楽しめ、肯定出来る場所を作りたい。
 同じくトム・リドルから変化を選んだメルヴィッドの望み、1つの世界を統治する野望よりも、ずっと小さくて単純な願いだ。ユーリアンのように魔法界の支配を夢見ていた頃に比べれば、笑ってしまうくらいに、ささやかな要求だろう。
 だから、それくらいなら、叶えてくれたっていいじゃないか。