曖昧トルマリン

graytourmaline

金柑のクレープシュゼット

『という怒涛の展開が昼間にあったんですが、何から手を付けてどうしましょうか』
 お前は馬鹿か面倒事を解決して来いと言ったのに何で更に修復不可能なレベルまで破壊された面倒な事を持ち帰って来るんだと、非常に具体的な3人の視線が私を責めているような気がしたが、内2人は料理を咀嚼しながらの陣取り合戦の最中なので口に出して言われるのはもう少しだけ後だろう。
 今迄は私が間に入り率先して取り分けていたのだが、現在肉体が入院中であるので最近はずっとこんな調子であった。食欲旺盛で大変結構な事である。
 黒砂糖を溶かし入れた温かい麦茶の前に整然と並ぶのは、ドライトマトのオイル漬けを添えたハムとチーズのフレンチトーストにオニオンソテー、春野菜の焼き春巻き、グリンピースとビーツのサラダ、空豆とショートパスタのクリーム煮、デザートには苺のピロシキ、林檎とヨーグルトのグラタン。因みに夕食ではなく夜食であるが、飲み物がアルコール類ではないのでそれなりに私の話を聞いてくれる気ではあるらしい。
 テーブルの状況を見るに戦況はメルヴィッドの方がやや優勢だろうか、カトラリーから火花を散らさん勢いで春巻き争奪戦を繰り広げている2人から視線を逸らしたユーリアンが死んだ魚のような目で、輪を掛けた阿呆は無視して進めようと口を開いた。この子が進行役を務めるのは珍しいが、顔面には何故自分がこんな役割をしなければならないのか心底不満だと大きく書いてあった。
「取り敢えず、爺はどうする気なんだい。幾ら間抜けでも考えくらいはあるだろう?」
『そうですね。レギュラス・ブラックのアレは距離を置いて様子見のつもりでいますから、真っ先に、出来る事ならば今夜中にでも行いたいのはレストレンジ家の金庫にカップの有無を確認して、存在していた場合は強奪、でしょうか。この時期に分霊箱ホークラックスがスミス家に渡って生気を得ると厄介ですから』
 別にヘルガ・ハッフルパフのカップが金庫から発見されようが、レギュラス・ブラックに開心術をかけて分霊箱ホークラックスの存在を認知しているダンブルドアに破壊されようが、逆にまさかの展開に焦ったヴォルデモートに保護されようが、その辺りは構いはしない。ただ、分霊箱ホークラックスであるそれがスミス家の手に渡り、生気を得て実体化し、肉体と自由を得るシナリオだけは非常に拙い。
 カップの子はエイゼルとほぼ同時期、エイゼルの方が若干遅い程度の時間差で制作されたそれである。もうそれだけで駄目だ。自由人と成る前の、要は初期のエイゼルが私達の目の届かない場所で復活、流石に勘弁願いたい。
 思考の強制変化を行っていないのでユーリアンの力を借りればカップの子の行動も阻止出来るだろうが、それを潰す労力が馬鹿にならないのだ。
 ブラック家の後ろ盾があるとはいえ、主に私の所為で処理しなければならない事案が次から次へと発生しており、しかも動かす事の出来る人員が圧倒的に少ない現在、芽を出したら殲滅しようなんて悠長な事は言っていられない。アークタルス・ブラックが宣言してくれたように、騒動は萌芽する前、火種となる以前に対処するべきだろう。
 そう、対処だ。使い方次第では面白い事になるかもしれない。
 ハッフルパフのカップは両勢力を釣る絶好の餌に成り得る、こっそり潰して存在しない物を探し慌てふためく馬鹿の姿を見てみたい気もするが、個人的にはカップの子が自由の身にならなければ他はどうでもいい。ならば、少しだけ遊び心を込めた仕掛けを施すのも一興ではないか。
 否、正直に言おう、最近大きな事案ばかり処理しているのでこうして何処かでガス抜きをしなければ私の脳が生真面目な退屈さで破裂する。
『ユーリアン、そんな心底嫌そうな顔しなくても大丈夫ですよ。今はこれ以上、同居人を増やす気は私にはありません』
「爺はね、そこの食い意地張ってる豚共はどうか知らないけど」
「肉体を持たないお前には判らないだろうが、この体は異常に燃費が悪い。食べなければ消滅するしかないのなら、食べるしかないだろう」
「言っておくけど、お前達の建前なんてとっくに崩壊しているからな。爺が昏睡してた間、ほとんど何も食べてなかっただろ。5日間持つのは証明されているから前脚で掴んでるカトラリーを置け、料理は逃げない」
「メルヴィッドと同列に括って欲しくないな、私はの料理を食べたいだけなのに。大体放置して話し込んだら食べ頃を逃すじゃないか、冷めたクリーム煮や生温いグラタンで満足しろと言うのかい」
「ああそうしろ。いや、死ね。胃袋が肉体から乖離して死ね」
「君がエキノコックス症で死ねばいいのに」
「お前達2人でフォックストロットでも踊っていろ」
『それで行くと踊らない私達は躍らされている事になりますが』
 個人的にお薦めのSFとして英訳した小説を3人共が読んでくれていたらしく、話は繋がったが脱線し始めた。さて、何処まで行き誰が気付いて止めるのだろうか。
「いや、それよりもユーリアンが肉体を手に入れたら缶詰を贈って上げるよ、ボツリヌス菌入りの。大丈夫、乳幼児でもなければ死にはしないから」
 大嘘である。偏性嫌気性菌のボツリヌス菌は缶詰に密封した時点で全く大丈夫ではない醸して殺す系のプレゼントに変貌する上、そもそも密閉していない状態でもとても贈答品として扱えるような代物ではない。寧ろテロ用の兵器と評した方が的確だ。
 無論エイゼルなりの冗談だとは思うが、さてユーリアンにはその手の知識があっただろうかと横目で確認すると、知識は持ち合わせていなかったようだが私の表情から色々察したらしく、全身の内臓が胃袋になる奇病で死ねと悪態を吐く。
「何故そう嫌がるかな、このヨーグルトの中にいるビフィズス菌だってボツリヌス菌と同じ偏性嫌気性菌なのに」
「そうだな、その2つの菌の違いが些細なように、ジョン・スミスもお前と同じ人類だ、嫌がる必要はどこにもない。だからあの男に関わる案件は全てエイゼル、お前が処理しろ」
「メルヴィッドがそう言うのなら、私の方で勝手にさせて貰うよ」
 エリザベス・バイオーラことジョン・スミス絡みの事案はてっきり全力で嫌がるかと思ったが、エイゼルは二つ返事でそれを引き受け、次いで伊達眼鏡越しに私を見た。
、カップの件は君の好きにしていいよ。足が付かないようにだけ気を付けてね」
『メルヴィッド、丸投げされたんですが、本当に宜しいんですか?』
 敵ではないが味方でもない人間が関わる懸念事項の処理をノータッチで丸投げして来たエイゼルのそれを受け取り、即座にメルヴィッドへ問いかけるが、2人共が彼に深く関わり合いたくないようで、何をするかだけ逐一報告すれば後は好きにしていいと返事が来る。本当に好きにしてしまうが、いいのだろうか。
 息抜きに自分だけが楽しい仕掛けをやろうとしている気配を察したのか、ユーリアンが一体何をやらかす気だと律儀に尋ねて来てくれた。顔面には、全く知りたくない事だけど訊かずにはいられないと正直過ぎる心情が浮かんでいる。全く、好奇心を抑え切れないなんて微笑ましい限りではないか。
『具体案は今から考えますが、ちょっとしたギミックを施して、必要の部屋に隠そうかと』
「そのちょっとしたギミックが、全くちょっとしていない気がしてならないんだけど?」
『ゲームや小説にありがちな、単なるファンタジー系アトラクションですよ。立ちはだかるモンスターを倒して宝物を手に入れるような仕様にしたいなと考えています』
 但し今回の場合ユニットが全て魔法使いか魔女で構成される為、敵対モンスターの性能に依っては即行で人生のゲームオーバーを迎えるが、まあ、魔法界の時代錯誤な戦闘行為で前衛不在の状態がどれ程辛いのか命を削って体験して貰う事にしよう。
 しかし、それには1つ、メルヴィッドの協力が必要だ。出会った当時、未だ彼が私に全く懐いてくれていなかった頃に開発したであろう、あの特異な魔法が。
『そこでメルヴィッド、是非ともご教授願いたい魔法があるのですが』
「受けた以上は最初から最後まで責任を持て、私を巻き込むな面倒臭い」
『明日の3食にデザート、間食、夜食はメルヴィッドの好きな物作りますから、ね』
「デザートはタルトにしろ。カスタードクリームと苺のタルトがいい」
『苺ですか、今実験的にプランターで色々育てている最中なので収穫は可能ですが、そこのピロシキの中身と被りますよ?』
「食べたから知っている。それで、一体何が知りたいんだ」
「お前……こんな事で買収されるなよ、嘆かわしい」
 私とメルヴィッドのこれはユーリアンが復活する前から割と行っていた遣り取りで、明日のメニュー決定権を譲る程度で済む軽い取引という明確なメッセージなのだが、付き合いの短いこの子にはそれが判らなかったらしい。
 注文されたタルトはきっとコンポートが彼の舌に合ったからなのだろうが、同じ味覚をしているはずのエイゼルは少し、面白くなさそうな顔をしていた。気にはなるが、それを無視して話を進めよう。
『4年前に貴方が開発すると豪語していた、私をハリーの体に閉じ込める魔法を』
 死なない化物ならば、意識を体に封じ込めて発狂するまで拷問すればいい。
 私が含有する狂気の存在を知覚したばかりの頃、丁度、ジェームズ・ポッターとリリー・ポッターを殺害する直前、聖マンゴのロビーで軽快に言い放ったあの台詞だと無言で伝えると、何故かあからさまに嫌そうな表情をされた。
「あれは、開発していない」
『おや、嘘はいけませんよ』
 言動からではない、もっと明確な事柄から私はそれを嘘だと断定する。だって、あんなに判りやすい解答が明示されていたではないか。
『去年の夏、ギモーヴさんが家に来た時のあれは、その魔法でしょう』
 電子レンジで生卵を大量に爆破させ、レンジそのものまで破壊したお仕置きとしてユーリアンはギモーヴさんの中に入れられたが、あの魂を別の物質に定着させる魔法、本来は私の心を壊す為に使用されるべき魔法であったのだろう。
 口に出した言葉が少し遠回しで、代名詞ばかりなのはユーリアンの身に起こったあの出来事をエイゼルに知られないようにする為だ。別に隠す必要はないのだが、未だ右も左も判らなかった昔の事で揶揄われるのも少々可哀想である。
 実際、今現在ユーリアンは思い出したくない過去の出来事を思い出してしまった所為で顔色が宜しくない。1人蚊帳の外であるエイゼルには悪いが、これはあの時あの現場にいた私達の秘密にしておいた方がいいだろう、今の所は。
「何も言わないのか」
『何がですか?』
「本気だった事にだ。お前の意識を肉体に封じ込め、定着させて、人格が崩壊するまで拷問にかけようとしていたんだぞ」
『貴方という人は、何故そこまで情に厚いんですか。私は愚鈍な脳筋で何も彼もが全く使えない、齢ばかりを取った碌でなしの爺だと言っているじゃありませんか。要らなくなったら崩壊させて処分するなんて、頼もしい以外に言い様がありません』
 今更何をと言いながら緩く手を振り、肉体を抜け出しているこの状態でならきちんと機能する両目で、どことなく申し訳なさそうな顔をする可愛い男の子を眺める。
 別に気に留めるような事でもないだろうに、懐いてくれるのが嬉しくて甘やかし過ぎてしまったのだろうか。本当に、私の周囲に集まる子は皆が純粋で、綺麗で、真っすぐで、どうしようもなく愛しい。
「……判った、後で教えてやる」
『ありがとうございます』
 笑顔のまま軽く首を傾げ、ついでにそれまでに明日のメニューを考えて貰えると嬉しいと付け加え、次の議題へと移る。
『さて、後はレストレンジ家に対する裁判ですが、あれはアークタルス・ブラックが遺体を回収し終わってからにしようと考えています。今、気の立っているあの人の逆鱗に触れるのは流石に私も勘弁願いたいですから』
「裁判自体はやるんだ?」
 相変わらず少しばかり不機嫌そうなエイゼルがフレンチトーストにナイフを入れながら尋ねて来たので、残りが少なくなった麦茶を継ぎ足しながら首肯した。
『世の中には、弁当も持たず野遊びに参加しようという輩が多過ぎる、と昔から言われているくらいですからね。お弁当係のブラック家とレストレンジ家とマルフォイ家の内、1つは脱退、もう1つは潰れていただいて、最後に残った家を兵糧攻めしてみましょう』
 組織がその巨大な形態を保つのに必要な物は、何といっても軍資金である。
 魔法には弾薬や潤滑油のような消耗品、ガソリンのような燃料こそ必要ないが、それでも生物という食べて寝て性交し排泄する存在が運営する以上、それらを養う物資、撹乱の為に流す偽装情報や相手のそれを出来る限り安全で確実に盗む方法、中立する人間の買収やマスメディアの操作、逃走や機動、設備等の維持、兵站の運営、その他諸々の費用が当たり前のようにかかる。
 タイミングとしてはかなり早いので先を読んだマルフォイ家に手を打たれる可能性もあるが仕方がない、ジョン・スミスは何時でもいいと言ったが、今から数年越しの裁判は良い顔をされないだろう。天秤の上には様々な物が其々の思惑を持って乗っているのだから、動かせる物は心変わりされる前に動かしておくしかない。
 幸い、彼の持つ薄汚さを私が察知しているように、私の持つ不条理さの一端を彼は感知している。理解はし合えないが、共通の目的を持ち、共に利益が上げられる場合は手を組み歩調を合わせられる程度には、今現在の私達は仲良しだ。
「相変わらず酷い男だな。ダンブルドアと噛み合わせるのなら消滅は困るだろう、ジョン・スミスに馬鹿者扱いされている男が当主のマルフォイ家だけで連中を養えるのか?」
『どうでしょう。私の世界ではそれなりにやっていましたが、長期戦に縺れ込むとかなり苦しいですし、最悪自滅するでしょうね。けれど、彼等が有限の物を無限に湧いて出ると勘違いして軍資金を湯水のように使って内側から食い潰して餓死したら大層間抜けなので、それはそれで見てみたい気もします』
 その場合はメルヴィッドの指摘通り、対ダンブルドアは仕方がないが正面方向から遣り合うしかないだろう。あれを削る材料は大分揃って来たので、後は私の大変雑で勝率はそこそこある賭けが成功してあの男が爆弾を抱え込めばほぼ詰み手なのだが。
『そうですね、では、消滅してもこちらに莫大な損害が出ないよう、ジョン・スミスが盾になるよう誘導しましょうか。私が旗頭になるのは嫌なんですが、文句ばかり言っていても始まりませんし、もう大分目立ってしまったので、この程度の事は諦めます』
「そういえば、アレってダンブルドア嫌いなんだっけ」
『ええ。ああ、そうだ。彼がダンブルドアを嫌いな理由、一応は判明しましたよ。ハッフルパフ系統の息が掛かった古くて下劣な週刊誌の記事が情報元で、裏は全く取れなかったので偽装の可能性が非常に高いですが、念の為報告しますか?』
 自身に関わり合いが薄いので気に留めなかったとユーリアンが言い、気楽なお子様が羨ましいとエイゼルが皮肉を言う。メルヴィッドは念の為報告しろとは言ったものの、知りたくないが知らなければならない情報に苦い顔をしていた。
 では、さっさと済ませてしまおう。
 過去の紙媒体を漁ってみた所、どうにも彼は学生時代、影でダンブルドアにかなりしつこく口説かれた経験があるらしい。化粧を落とせばあの凛とした美しい容姿であると続けようとして、そこで、まず場の空気が凍った。
、今何と言った。ダンブルドアに、だと?」
「ごめん、初耳なんだけど、ダンブルドア?」
「爺、聞きたくないけど、聞き返すよ。今、口説くって言った?」
『おや、3人共ご存知なかったのですか。ダンブルドアはゲイセクシャルですよ、しかも面食いで相手がゲイセクシャルやバイセクシャルでなくても構わず手を出したがるタイプの。これは私の世界でもそうでしたので確実で、若い頃はゲラート・グリンデルバルドに入れ込んでいたとか。良かったですね、入学以前から闇の魔法使い候補として警戒されていて、でなければ在学中にベッドの上に転がされて手篭めにされていましたよ、貴方達』
 途端に亀裂が入ったダイニングの空気に、そうか知らなかったのかと苦笑する。
 学生時代の記憶であるユーリアンが胃の上を抑えながら顔面を蒼白にし、もしかしてアレもアレも全部そうだったのかと恐怖に震え、メルヴィッドとエイゼルが口に出すな思い出させるなと怒号を放つ。不幸というか幸いというか、モーションをかけられていた事に気付かなかったらしい。もしくは唯の監視だと思ってそちらの方面では気にも留めていなかったのか。事実、単なる監視であった可能性も否めないが、まあ、全ては過ぎ去った事である。
「最悪だ。ああでも、よく判ったよ。それならあの男はダンブルドアを憎むだろうね、異性愛者だって宣言していたし」
『ええ、女装癖持ちが同性愛者とは限りませんから。因みに当時はまだそれを必死に隠していたらしくて、実家に帰るのも気まずくて長期休暇中に帰省しなかったら監督生として呼び出しを食らって、行きたくないけれど行ってみたら』
「止めろ! 学生時代の記憶と被る! 今すぐ止めろ!」
『メルヴィッドがそう仰るのなら止めましょう』
 強姦未遂、だったらしい。
 先程も告げたように裏が取れていない上、ダンブルドアの妹がやられた事を考えると非常に嘘臭い為、真実は判らないが、記事にはそう書いてあった。
 まあ仮に、これが事実だとしたら酷い話である。男同士の強姦は女性のそれよりも更に性的二次被害に遭う可能性が高く、偉大な魔法使いとして認識されているダンブルドアがそんな事をしたと勇気を出して訴えた所で、一体誰がまともに取り合ってくれるのか。ジョン・スミスもそれが判らない程、馬鹿ではない。だから紙一重で、それを避けたという。
 回避出来たのは、彼が旧家の人間だったからだ。
 杖と体の自由を奪われ、服に手をかけられた瞬間、ジョン・スミスは実家のハウスエルフを現場に強制召喚した。主人のみに忠義を誓う彼等は、たとえ相手が偉大な魔法使い様でも一切容赦をしなかったという。
 ハウスエルフの全力の抵抗に、ダンブルドアは渋々手を引いたらしい。それでも愛していると犯罪思考の告白を受けて鼻柱を拳で折ったらしいが、翌日には完治していたそうだ。顔面が物理的に崩壊するまで死んでも拳を振るい続ければ良かったのにと、嘘か真かは兎も角、強くそう思ったのは内緒の話である。
 その後はぱったりと接触はなくなったが、相変わらず熱視線は送られていたらしい。在学中に起業していたブックメーカーの傍ら、すぐにホグワーツの理事となったのはダンブルドアが推薦した事に依るが、これはあの老害の謝罪を許容した訳でもなければ、諦めた訳でもないらしく、首を掻っ切っるタイミングを狙い、腰を据えて待っているのだと締め括られていた。
 無論、くどいくらい前置きしたように、これ等が全て嘘である可能性も高い。
『因みに、現在この世界で事実確認が取れているのはジョン・スミスが学生時代に起業した事、ダンブルドアの推薦でホグワーツ卒業直後に理事となった事の2点のみですので留意して下さい。まあしかし、真実か否かは別として、彼にとって私はとても見栄えの良い旗頭なんですよね』
 両の手で足りる幼い外見年齢にも関わらず同情を通り越して目を背けたくなる程の不幸な生い立ち、ダンブルドアの派閥に与する人間に脅迫され、殺人未遂に遭い、命の恩人を殺され、終いには理不尽な暴力から家族と友人を守り光を失った。
 私は、ジョン・スミスの持つ権力を存分に発揮出来、更に不満を発散させる事も可能な理想的な境遇の手駒だ。おまけに新旧ブラック家当主様達のお気に入りでもある。私が彼の立場なら、こんな美味しい子供は見逃さない。
 ただ、若干とは言い難い懸念材料があった。
 本当にしつこいが、ジョン・スミスが体験したとされるこの話、先程告げたように2点しか事実確認が取れておらず、とてつもない胡散臭さが漂っている。在学中の彼の動向に関しては調査中なので、もしかしたらダンブルドアを憎んでいる事さえ嘘かもしれないが、なんとなく、これは本当のような気がした。しかし、所詮は錆びた爺の勘である。セブルス・スネイプのようにダブルスパイの可能性もある。
 そもそも情報元がハッフルパフ系統を限りなく擁護する、古臭い週刊誌の記事だ。情報の精度も欠いており新鮮味も真実味もない、矢張り鵜呑みにするのは危険に過ぎるだろう。
 彼は賭博場を作り上げる人間だ、その程度の嘘は平然と吐き、事実かのように作り上げるだろう。加えて、私自身は賭け事や腹芸が苦手な性質の人間であった。性質的に苦手な要素はないが、能力的な相性が悪い。
 相手は妙に頭が回るが所詮10歳の子供、多少雑でも丸め込める。その程度には油断してくれて欲しい、それならば付け入る隙もあった。しかし彼は対ダンブルドアとの会話内容を何故か知っている、となると、隙に見せかけた罠を既に設置される可能性も低くはない。
 最終で究極で限りなく力技になるが、面倒臭い事を全てすっ飛ばして開心術を使う方が幾らか安全だろうか。
『まあ、作り話であろうとなかろうと、取り敢えず彼の策に乗っておこうと思います。何処まで利用するべきなのかの見極めは必要でしょうが』
「でも爺の話を聞く限り、嘘を吐いている可能性が高いあの厚化粧の化物よりも、アークタルス・ブラック1択で行った方が勝手が良さそうなんだけど。あれとあまり親しくすると、その元ご当主様から醜い嫉妬を受ける羽目になるよ」
『そうしたいのは山々ですが、懸念事項があります』
 年齢、とだけ短く告げると、不思議そうな顔をしていたユーリアンは途端に心からの納得の表情を浮かべた。
 アークタルス・ブラックは非常に出来た駒であるが、何分卒寿を迎えた高齢者であり、虐待の所為で肉体も激しく消耗している。現在は精神的に余裕があるので家族や一族の使命を支えにして行動しているが、精神論だけではどうにもならない、もう1世紀近く生きている人間であった。何時この世から退場処分を下されてもおかしくない。
 それまでに代替の駒を作りある程度距離を縮めておかないと、いざという時に身動きが取れなくなってしまう。レギュラス・ブラックはメルヴィッドの駒であるし、現在トチ狂っているので私は距離を置きたい。代替であるジョン・スミスは私自身が駒と認識され、誠実さは欠片程度しかなく、おまけにアークタルス・ブラックの下位互換となってしまうが、明らかな捨て駒と認識すればそれなりに使える、はっきり言って私達の勢力には余裕と呼べるものが常に全くない状態なので我儘を言ってはいられない。
『私を介して彼の思惑がそちらに伝染しないよう気を付けますので、表面上は協調路線の方向で進めたいのですが、これも宜しいですか』
「相変わらず味方以外の存在には薄情な男だな。まあいい、いざとなったら私から捨てるタイミングを指示してやるが、既に1つ間違いがあるな」
『何でしょうか』
「お前は狂人、言うなれば病原菌そのものだ。お前自身の持つ毒素で誰かが狂う事は有り得るが、他者が内包する病の媒介者には成り得ない」
 ジョン・スミス程度の生温い言葉では私の思考回路を弄るのは不可能だと、つまりはそういう意味であるらしい。それが良いのか悪いのかは兎も角、私は人の言う事に一切耳を貸さない頑固爺として認識されているようだ。
 例外として、私が素直に言う事を聞き、思考にも多大な影響を与える血縁者達がこの世界の外にいるが、今現在は関係のない話である。
 それよりも、こちらももう1つ。彼に関して相談しなければならない事があった。それだけで何を相談されるのか理解して貰えたのか、3人の代表としてエイゼルが、呆れ返った視線を寄越してくれる。
「アレとアークタルス・ブラックの盗聴方法、だろう?」
『ええ、見当も付かなくて』
「何で爺が判らないのかが理解出来ない。特に化物の方はかなり前、それこそ僕があの家に来る前から対策済みじゃないか」
、お前の脳味噌は本当にどうしてそう局所的に回路が寸断しているんだ。以前の家にいた時も、此処に越して来た時も、常に警戒していただろう」
 様々な警戒をし過ぎてどれが正解なのか不明なのだと正直に告げれば、メルヴィッドが頭痛を堪えるような表情をしながら食卓に肘を付いた。度の入っていないレンズ越しに、エイゼルの黒い瞳が私を射抜く。
「前情報は全て出揃っているのに、どうして気付けないかな。、あの男の蒐集対象は覚えているよね」
『確か、杖とアンティークと、ああ、成程』
 彼の蒐集対象は杖とアンティーク品、そして魔法界製の絵画だ。
 中に描かれた人物がある一定の法則に従って別の絵画内を移動出来るそれは、使い方次第で盗聴や窃視を可能とする厄介な物になる。それを懸念して以前の家やこの家では絵画の類どころか新聞に掲載されている写真すら警戒し、対策呪文を一々施して来たが、流石に聖マンゴに存在するそれらには手を付けていなかった。少なくとも、私は。
 病室、談話室、会議室。現在も継続して使用している主要な部屋が侘びしく、一切絵画がなかったのはこれが理由であるらしい。どうやら絵画からの盗聴と窃視は魔法界では常識であるようだ。
 とすると、アークタルス・ブラックもそうだろうか。否、彼の反応から察するに、ハリーの弟が殺された事を知らなかった。彼の情報元は、絵画とはまた別に存在するのだが。
「その顔はもう片方も判っていないな」
『はい、全く』
「潔すぎるだろ、もうちょっと時間と頭使いなよ」
『エイゼル、ヒントを下さい』
「無料で何度も手を貸してあげる程、私はお人好しじゃないなあ」
 糸口が欲しいと頼むと、意地の悪い表情で取り分けていたピロシキを分解され、苺は嫌だと、私でも判り易過ぎる発言をされた。お兄ちゃんばかり構わないで、といったところだろうか、20代の青年が随分可愛らしい事を言ってくれる。
『今からマッシュルームのキッシュを解凍しますから』
「酷いな、私には何が食べたいのかは聞いてくれないんだ?」
『貴方が確保している料理の数がメルヴィッドに競り負けているので、すぐに出す事が可能で、尚且つお腹に溜まる物の方がいいと思ったんですが、他にリクエストがありましたか』
 テーブルの料理と然程被らず手早く出来るのはパスタくらいなのだが、エイゼルの舌はメルヴィッドと比較すると経験が非常に乏しい。どのような味の物がどの程度の時間で完成するか理解していない彼にリクエストさせる危険を回避する為に打った手だと洗い浚い告白すると、相変わらずな所には気が回るとメルヴィッドとユーリアンには呆れられ、エイゼルは反論出来ないのか不機嫌そうに押し黙った。
「まあいい、これの代わりに私がヒントをくれてやる。アークタルス・ブラックが手にしていた紅茶、お前にはこれで十分過ぎるだろう。キッシュでも解凍しながら考えろ」
 そう言われながらダイニングを追い出され、背後で行われている喧嘩が気になりながらもキッチンへ向かう。何故メルヴィッドまでキッシュを食べる気でいるのかだとか、作ったのはなのだから文句を言うなだとか、巨大な胃袋を持った青年達が微笑ましい言い合いをしているので、ついでにロールキャベツも解凍してあげよう。
 キッチンに辿り着くと先にロールキャベツを軽く解凍し、鍋で温めている間にキッシュをレンジに投入。夜食で食べる量ではないが今更である。それよりも、先程のメルヴィッドのヒントからアークタルス・ブラックがどのようにして情報を取得したかを考えた方が時間の使い方としては有意義だ。
 彼が持っていた紅茶は、特に何の変哲もない紅茶であった、はずだ。私は口を付けていないので銘柄や茶葉の種類等は全く関係がない。彼等は、私が口頭で説明した内容のみで盗聴方法を察したのだから。となると、紅茶の状態だろうか。あの時、アークタルス・ブラックの紅茶はクリーチャーに渡されたばかりの紅茶で湯気が立っていた。
『湯気、渡されたばかり。そうですね、そこが可怪しい』
 アークタルス・ブラックがレギュラス・ブラックを連れ暖炉経由で病室を訪れたのはジョン・スミスがやって来る直前。そしてその孫が逃げ会議室に籠城している最中、私はマグカップに紅茶を作り、色素が水の中で沈殿するくらいにはずっと、ジョン・スミスと一見仲の良いお喋りをしていた。
 普通はその間に、全てが終わっているだろう。終わっていなければ可怪しい。
 クリーチャーは非常に有能なハウスエルフだ。だというのに私が談話室を訪れた際、彼はお茶とお茶菓子を用意している最中だった。幾らレギュラス・ブラックが会議室に逃げ閉じ籠もったとはいえ、行動が遅過ぎる。クリーチャー程の能力があれば、私が訪れる前にお茶もお茶菓子も全て用意されていてもいいものだが、それがなかった。
 何故出来ていなかったのか。
 不可能だったのだ、クリーチャーはその直前まで、恐らく私達の会話を盗聴していた。ハウスエルフの魔法は人間の使用するそれとは仕様が異なる。対魔法使い用の警戒呪文程度では、彼等を捕らえられない。
 非常に原始的な方法ではあるが手としては有効であった。対処方法としては対ハウスエルフ用の魔法を施すか、この家に設置した科学式探査魔法のような質量を持つ全ての存在を捕まえる物、だろうか。因みに一見万能に思える後者の魔法にも穴があり、ゴーストに対しては無力なので、魔力感知式のセンサーも同時に多重発動しているのは私達4人しか知らない話である。
『となると、ジョン・スミスの過去は、7割から8割、捏造ですかね』
 彼は一般的な魔法使いと同じく、ハウスエルフの能力に重きを置いていない。そんな人間が、強姦されそうになって咄嗟に彼等を召喚出来るだろうか。
 一度、彼の屋敷を訪問してハウスエルフに問いかけてみるか。否、彼の事だ、対策をされていると見ていい。そのハウスエルフは既にこの世に居ないか、私がそれを尋ねた場合はこう返答しろと命令されている可能性が高い。
 全く、使い勝手の悪い男だ。尤も、彼にとってはアークタルス・ブラックに溺愛されている私も、同程度には使い勝手が悪い子供なのであろうが。
 温まったキッシュとロールキャベツを器に盛り付け、一応の解答には辿り着いたと報告しようかと踵を返すと、何時の間にかキッチンの出口にユーリアンが佇んでいた。いやに、真剣な表情をして。
『どうかしましたか、ユーリアン』
 さて、彼は私に何を告げたいのだろうか。この子が私の前でこれ程真面目な表情をする機会はそうそうないだろう。
 やや躊躇してから、黒く透明な瞳が私を映し込んだ。
「爺、本能に任せてあいつ等を甘やかすな。お前の言動は、相手の思考を狂わせて異常な依存状態に陥らせる」
『また難しい事を爺に注文するんですね、貴方は』
「冗談で言っているんじゃない。僕は真剣だ」
 そうだろうとも。そんな表情をされているのに冗談で済ます程、私は馬鹿ではない。
 メルヴィッドとエイゼルが私に強く依存し始めている事も判り切っている。私をただの駒として切り捨てられなくなっている事も、判っている。
「でないと、僕以外の全てがレギュラス・ブラックの二の舞になる」
 なる、だろうか。私の性質を知り真っ向から病原菌と揶揄する彼等が、隠して騙して偽っている奇妙な子供の私しか知らないレギュラス・ブラックのように。
 しかし、なった所で問題はない。依存したいのなら遠慮などせず、欲望のまま好きにすればいいのだ。彼等の生きる目的が変化した所で、私のダンブルドアへ全力の嫌がらせをする目的に変化はない。私達は同志ではなければ手駒でもない協力者だ、最初から互いの目的が違う事は承知の上で手を組んでいる。
 たとえ彼等の頭の中がお花畑で一杯となりレギュラス・ブラックのような事を言い出しても、だから何だと言うのだ。ダンブルドアと手を組む事になったから復讐を止めろとでも命令されない限り、私の中の彼等の立ち位置は変化しない。
 私は別に、手駒ではない彼等があの子の二の舞になろうと構わないのだ。
 そう、私は。
『それはちょっと困りますね。判りました、善処してみましょう』
「じゃあそのロールキャベツは何だ。言った傍から全然善処してないじゃないか!」
『メルヴィッドやエイゼルに、ひもじい思いはさせたくありません』
「だから甘やかすなって言ってるだろう! 僕の話聞いてた!?」
 聞いていたとも。だから、それがどうした。
 素直にそう言わず、いつも通りの表情で苦笑する。メルヴィッドやエイゼルが変容や解放の更に先へ行った時、取り残されて困るのは停滞を選んだユーリアンのみだ。この子の傍には、既に誰もいなくなりつつある。
 この子は、4人が今の微妙な距離のままでいる事に執着している自覚はないのだろうか。離れて行けば行く程、情をかける必要もなくなり心理的に殺しやすくなるのに、それを拒むような発言をして。
 連れて行かないで、置いて行かないで、ここにいて。無自覚で自分勝手で、どうしようもなく可愛らしいお願いだが、残念ながら聞き入れる事は出来なかった。復讐達成をゲームのクリア条件に指定され、紆余曲折はあったものの納得の上で実行している私が、この世界で誰かの幸せを純粋に心から願う事はない。
 全く、難儀な事だ。誰もが皆、自分自身を判っていない。恐らくは、メルヴィッドの手駒としてしか認識していなかったはずのレギュラス・ブラックを助けてしまった私自身も。
『そうだ、生の苺も少し摘んであげましょうか』
「何も判っていないじゃないか、死ねよこの爺!」
 何も彼もが理解し合えていないのはお互い様だとは言わず、矢張り私は、この幼く可愛らしい子猫のように未熟な少年に対し、柔らかく微笑むに留まった。