曖昧トルマリン

graytourmaline

メロンのブランデー風味

 聖マンゴ魔法疾患障害病院の一画に存在する特別室。その部屋に備わっている洗面台の前で、眉間に皺を寄せながら鏡に映った像を眺める。
 同年代と比較すると背の高い白人少年。病衣の下からでも整った体格だと判るが、そこら中の肉が抉れ赤黒い窪みを作っている3分刈りの外見から獄道者を連想させる。見た目からして既に厳ついというのに、更にワイドフレームのタクティカルサングラスが表情を読み辛くさせていた。
 レンズ部分が楕円なのでエッジが立っている物よりは穏やかな印象を与えるかもしれないが、試しに右手の人差し指と小指だけを立てるハンドサインをしてみたら全く洒落になっていない。多分アメリカ辺りでTPOを間違えたら即射殺される。
「ストリートギャングの下っ端みたいですねえ」
 いっそ彫り物がないのが不思議な程に、鏡に映った少年、ハリー・ポッターの体を持った私は人相が悪かった。
 何も知らない純粋な幼子がこんなのに道端で出会したら親を求めて泣き叫ぶのではないだろうか。下手をしたら現場を目撃した保護者に通報されかねない。
「帽子を被っても、焼け石に水ですか」
 フォーマルな場にも使用出来るホンブルグハットを着用しても、そのアウトロー感は全く拭えない。寧ろ胡散臭さが増した。
 矢張りサングラスがいけないのだろうか、しかしこれがないと、この体はまともな生活を送る事が出来ないので、おいそれと外す訳にもいかない。片目を失い、もう片目を患った以上、サングラスは体の一部も同様なのだ。
 そう、残った目はエイゼルが指摘した通りになったのである。
 診察と検査の結果、右目は破裂し一切の光を失って、今は病院側が用意した眼窩や眼瞼の形を保つだけの視覚補助機能も何もない義眼が収まっていた。無論、ただのガラス玉に窃視等の魔法がかかっていないかの確認は高位魔法使いの代表格であるメルヴィッドを始め、エイゼルやアークタルス・ブラックまで巻き込んで徹底的に調べあげてくれたので問題ない。
 そして左目は予想通り外傷性散瞳らしく、日常生活に支障を来す範囲で瞳孔が開きっ放しという点を除けば無事であった。
 サングラスと帽子で光を防がなければならないとはいえ、試行錯誤して組み合わせ、完成した結果がこれである。オーバル型サングラスやカジュアルなスポーツキャップであれば少しは印象が変わったのだろうが、如何せん脱走騒ぎを起こした上に聖マンゴの診察では不安だと非魔法界側の病院にセカンド・オピニオンを依頼した身なので方方から顰蹙を買っており、外出どころか院内散策すら未だ認められていない。
 しかし、半年後にはこれにあの円錐形の帽子、そして制服と合わせないといけないと考えると溜息が出てしまう。顔面に合わせた制服改造は校則に抵触しているだろうか。していないのなら是が非でもローブに鋏を入れたい。
 目が見えなくなるのは構いはしないが、既存の服装と全く相容れなくなったファッションという思わぬ箇所で弊害が出て落ち込んでいると、壁1枚隔てた向こうから私を呼ぶような声が聞こえた。同時に、扉を開く音と慌てたような足音。
 大体、何が起こったのか見当が付いた。
「しょうのない人ですね」
 フェルト製の中折れ帽を胸に抱え、洗面所の扉を開け幾らか光量を落としてある病室へと戻る。開けっ放しの個室の扉の向こうで何やら問答している声が聞こえるが、それを確認しに行く前にその扉から第三者が現れた。
「おや。こんにちは、エリザベス」
「こんにちは、ちゃん。よかった、今日も病室にいたみたいね」
「ふふ、ここ1週間は大人しくしていますよ。あの時は本当に、皆様にご心配をお掛けしたみたいで」
「あらやだ、真に受けないで。だって、目が覚めたら1人ぼっちだったんでしょう? 寂しくて、不安で、家族に会いたくて仕方がなかったのよね。ごめんなさい、オネエさんはね、可愛い坊やにちょっと意地悪言いたかっただけなの」
 1週間前、私が脱走した病室は、朝6時の見回りを契機にそれは形容し難い程に慌ただしくなったらしい。目の見えない子供が夜中に暖炉経由で家に帰った事に誰も気付かなかったなど失態もいい所だ、ブラック家に知られたら殺されると大騒ぎになったのだとか。全面的に私が悪いので素直に謝罪しアークタルス・ブラックにも職員に非はないのだからと説得に説得を重ねたのは記憶に新しい。
 そのアークタルス・ブラックはというと、病室の扉の向こうで何やらやっているようなのだが、まあ、今は放置しても大丈夫だろう。
「お花、花瓶に生けて来るわね」
「毎日ありがとうございます。まだ外出禁止が解かれていないので、嬉しいです」
「そう言って貰えると選び甲斐があるわ」
 ここが病院だからか、初対面の時よりは幾らか抑えた化粧と服装のジョン・スミスは私の額にキスをした後、オレンジやピンク色のラナンキュラスで作られた綺麗で可愛らしい花束を生けに備え付けられた小さなキッチンへ向かった。
 青い鳥が舞うクリーム色のワンピースの裾をふわりと翻し、並の男性以上に野太い声でハミングする平均男性よりも遥かに大きく筋肉質な背中を眺めながら、本が詰まった棚の隣に設置した帽子用のハンガーラックにホンブルグハットを掛ける。すると、視界の端で何かが動いているような気がしたので、そちらに視線を送った。
「……ギモーヴ、さん?」
 保護者の顔をしたエイゼルが暇潰しにと連れて来たギモーヴさんは、幸い未だ病院関係者に生物だと認められてはいない。普段から不動の構えを貫き、1ヶ月間全く動かなかった事すらある彼女が今、ミルク色の王冠を落とさないよう踏ん張りながら、上下左右斜め方向に激しく振動している。
 普段と変わらず、口を引き結び身の回りで起こる全ての現象に不満を抱いているような表情のまま、ロンドンで最も古い公園に生息する世界最強の水鳥が首振り歩行する鳥を捕食している際中みたいになっているのだが、果たして大丈夫なのだろうか。
「お待たせ。あら、どうしたの?」
「いえ……ギモーヴさんが、何だか。何と言えばいいのか」
 新しい花瓶を持ってやって来たジョン・スミスに言葉では形容し難い現象を見せると、丁度その瞬間、節足動物のものと思われる脚が彼女の口の中から這い出そうとして、また口の中に収められた。どうやら、ギモーヴさんは金貨だけでなく、蛙らしく普通に虫も食べるらしい。半年程付き合って来たが、初めて知った事実である。
「もう春も近いから虫くらいはいるでしょうけど、鳩を丸呑みしたペリカンみたいになってるわねえ。ちゃんはセント・ジェームズ・パークに行った事あるかしら? スタジアムの方じゃなくて、公園の方なんだけど」
「あります。エリザベスも見た事がありますか、あの衝撃的瞬間」
「なかったら話題にしないわよお。食べ慣れた感じがしたものね、流石の私も目が点になったわ。ちゃんも知ってるって事は、稀な現象じゃないのね、あれ」
 正確にはセント・ジェームズ・パークに行った事までが事実で、衝撃の捕食映像は元の世界の動画で見ただけだ。まあしかし、別に害のない嘘なので放置しよう。因みに捕食行動中のペリカンの挙動は結構不気味で、恐竜の直系らしさが垣間見える。
 ギモーヴさんは相変わらず激しく振動しているが、霊獣には人間以上の判断力が備わっているはずなので危なくなったら自己判断で吐き出すだろう、あまり心配をし過ぎて鬱陶しがられるのは嫌だ。
「ところでこの子、大丈夫かしら」
「頭の良い子なので、大丈夫だと思います。でも、ギモーヴさん、お腹を壊さないように、無理はせず程々になさって下さいね。貴女は可憐なレディなんですから」
「坊やは蛙にも優しいのね」
「彼女も私の家族ですから、いけませんか?」
「いいえ。貴方らしくて素敵よ、とても」
 枕元を観察していた青の視線が私に向き、うっすらと施された化粧の向こうの素顔が判るような美しい笑みを浮かべて、ジョン・スミスはもう一度、私の額に口付ける。今日はペンハリガンではなく、ボルサリのヴィオレッタ・ディ・パルマの気分らしい。
 無言、無表情のまま振動し続けているギモーヴさんはひとまずそのままにしておき、花瓶を窓際に飾る。サングラス越しではあるが、彼が持って来た花束は陽の光が入らないよう設置した厚地の遮光カーテンの色によく合った。風景画の1つもない殺風景なこの病室が華やいだのは気の所為ではない。
 色彩を脳内補正しながらベッドから少し離れた位置のソファを勧めて、個包装のショートブレッドを用意しながら片目で距離感を測りマグカップにティーバッグの紅茶を淹れると、病人に気を使わせて申し訳ないと謝罪される。
 それでも手伝おうと言わないのは、きっと私とダンブルドアの会話した内容を知っているからなのだろう。私は彼を大変良くは思っているが信用していないし、彼も私に信用されていない事は理解している。無論、逆もまた然り。
 けれども、一応、私達は友人と呼べるような立場だろう。なので出来るだけ友人らしい笑みを浮かべつつ、病人とはいってもアークタルス・ブラックが過度に心配しているだけで、もうそろそろ退院も出来るから気にしなくていいと言えばまた綺麗に笑われる。
「兄も私の事、心配し過ぎるんですよ。毎日朝一番に面会に来て、ご飯まで作ってくれるんです。お店の準備もあって忙しいのに」
「それだけちゃんが大切なのよ。私、お兄さん達の気持ち判るわ。でも、あの2人が料理作るのね」
「メルヴィッドの料理は美味しいですよ。エイゼルは……ちょっと残念です」
「あらあら、本当に似ているのは外見だけなのね」
「あまりに間違われるからって、この間伊達眼鏡買っていました。エイゼルが」
 当たり前のように似合っていたと言えば、容易に想像が付くと返された。老けて見えるというのがユーリアンの弁だが、決して格好悪いとは言わなかったと思う。
 このサングラスもついでに彼が買って来てくれたのだが、後でこっそり、ではなく本人がいる前で堂々と、遮光や防風効果のあるクッションがレンズ周囲に付属したミリタリー系サングラスを選ぶのに実は何時間どころか何日も費やしたとメルヴィッドが暴露してくれた。
 途端に長い口喧嘩を始めた2人を観察しながら、何故何日も費やした事をメルヴィッドが知っているのか、という疑問をその場で突っ込まず、場を更に混乱させる事を回避する為に心の中に収めている私は偉いと思う。
 因みに前述のホンブルグハットはアークタルス・ブラックからのプレゼントであったが、どちらも値段は言うまい。
「皆して狡いわ。私だってちゃんをプレゼント責めしたいの我慢してるのに」
「いえ、エリザベスも十分責めていますからね?」
 ハンガーラックの隣に佇む本棚の中身は、ほぼ彼とアークタルス・ブラックからの贈り物で占められている。アークタルス・ブラックからは主に魔法界の、ジョン・スミスからは諸外国の物を含めた非魔法界の本が送られ、そろそろ持って帰らないと棚が自重で崩壊するのではと心配になる程に詰まっていた。
 今も溢れた本がベッドに放置されており、息抜きの為に読んでいたザ・クィブラーやシェアード・ユニバース以外には、現在研究中であるゼリー状オブラートの為に食品添加物や寒天の書物が主として存在している。これらは全て、メルヴィッドの助言を元に非魔法界に顔を出す事を躊躇わない彼が用意してくれた物だ。
 勇気と度胸で平常心時の仮面を作り上げ彼と接触しているメルヴィッド曰く、妻子を持っていないジョン・スミスにとって、偏見と我儘の位置と度合いが一般的な物から逸脱している私は丁度いい具合に可愛がれる対象なのだそうだ。
 アークタルス・ブラックといい彼といい、メルヴィッドに対するレギュラス・ブラックといい、暇と金を持て余した魔法界の貴族はこんなのばっかりなのだろうか。
 調べた所、彼の兄は妻子持ちで甥が2人いるし、スミスの名を持つ持たないに関わらずこの体と同じような年頃の子もいるのだが、親族全員との仲が頗る悪いようなので、まあ、旧家の人間関係とは大抵こんなものなのだろうかと強引に納得する事にした。
「駄目ったら駄目よ。今の内に約束しちゃうんだから。外出許可が出たら病院が用意した安物じゃなくてマグル製の綺麗な義眼を買って、一緒にブティック巡りしましょうね、オネエさんが色々見繕ってあげる。その格好に組み合わせる服に悩んでいたんでしょう?」
「判りますか」
「だって洗面所に帽子を持って行く理由なんて、そのくらいしか思い付かないんですもの。この部屋には姿見もないから」
「姿見の事、アークタルス様には内緒ですよ?」
「知られたら間違いなく、大荷物抱えた梟が到着するわねえ。閣下、ちゃんの事が大好きだもの。風の噂だと、先代ブラック家当主様はかなり取っ付き難い人だって聞いていたけど、普通にお爺ちゃんでびっくりしちゃった」
「先代? 先々代ではないんですか?」
 アークタルス・ブラックに対しての閣下呼びも気になったが、その辺りはきっと純血一族間の面倒臭いあれこれがあるのだろう。
 それよりも、だ。聞き間違いでなければ、今、ジョン・スミスは彼の事を先代当主と言った。アークタルス・ブラックとレギュラス・ブラックの間には間違いなくオリオン・ブラックが入っている筈なのだが、一体どういう事だろうか。
「先代よ、先々々々々々代でもあるけどね」
「6代前ですか?」
「そうねえ。ちゃん、ブラック家の家系図は頭に入っていたわよね」
「ええ、一応。ここ1世紀程ならば」
「なら大丈夫ね。ええとね、当代当主様はレギュラス・ブラックで、先代が閣下でしょう、先々代がヴァルブルガ・ブラック、その前がオリオン・ブラック。更にそれより前がまたレギュラス・ブラック、もう一度オリオン・ブラックで、閣下なの」
「ああ、そういう事ですか」
 要は、死んだり譲ったり行方不明になったりが頻発した為、同じ人間の間で当主の座が何度も入れ替わっているのだ。判り辛いので時系列順に纏めてみよう。
 まず単純に、アークタルス・ブラックは息子のオリオン・ブラックに家督を譲り、次にオリオン・ブラックは息子のレギュラス・ブラックに座を譲った。しかしレギュラス・ブラックが行方不明になった事でオリオン・ブラックの元に当主の権限が戻り、彼が死亡した事で本来はアークタルス・ブラックに戻る筈であったそれをヴァルブルガ・ブラックが強奪したのだろう。そのヴァルブルガ・ブラックも死亡し、家督は再びアークタルス・ブラックの元へ、そして今のレギュラス・ブラックに継がれた訳だ。
 成程、全く判り易くなっていないし大変面倒臭い、流石旧家である。
「シンプルに、先々代の当主様だと思っていました」
「魔法界きっての名家だもの、色んな事が複雑になるのは仕方がないわ。だから私は閣下はとっても気難しい人だって思ってたし、周りからもずっとそう伝え聞いてたんだけど、坊やの前ではごく普通の、孫大好きな好々爺だったのよね。マクミラン家が仕出かした事を考えると、当然かもしれないけど」
 マクミラン家の人間がブラック家に対してやらかした事は、表向きには当主であったアークタルス・ブラック個人の名誉を守る為、内実はマクミラン家を脅し金品を搾取する材料として公的に伏せられているが、矢張り知る人ぞ知る噂にはなっているらしい。
 しかも、アークタルス・ブラックは先代当主を務めた期間と虐待されている期間とが丁度重なっている。邪推であるし、そんな事が可能なのかは判らないが、マクミラン家はブラック家当主の座すら掠め取ろうとしていたのかもしれない。その妄想じみた仮定が真実味を帯びたのは、ジョン・スミスが次の言葉を放ったからだった。
「何で知っているんだ、ってお顔ね。マクミラン家ってちょっと有名なの。5、6年前だったかしら、ヴァルブルガ・ブラックが亡くなった年にね、彼女の父親のポルックス・ブラックが次代当主を主張したんだけど、それに真っ向から反対したのが閣下の御内儀の親族、マクミラン家だったのよね」
 元々7代前の当主、とてつもない時代で魔法界と純血一族の舵を取って来たシリウス・ブラックの後継者選定の時点で1度アークタルス・ブラックに敗れているポルックス・ブラックにとって、6年前に先立った娘のそれは最後で最大のチャンスだったのだろう。
 恐らく泥沼のやり合いだったであろう当主の座を巡る戦いは、この世界の事実が示す通りアークタルス・ブラックを推すマクミラン家が勝ち得た。私の世界でも同じ事があったのかは知らないので判らないが、既に完全に歴史を違えているので比べる意味もない。
「それも、賭けの対象に?」
「だって私はブッキーだもの、スポーツ全般から時事ネタ、芸能関係各賞、天気予報や魔法省内人事だって対象よ。色々な情報に敏感なのは性分なの。他にはそうね、例えば」
 青い瞳が部屋の入口、そして窓を眺め、何とはなしに持ち上げた杖で机を叩く。
 マグを両手で持ち、サングラスで読み辛くなった視線を更に湯気で曇らせながら解読すると、唱えられたのは強力な無言呪文、盗聴や盗撮を防ぐ類に増幅呪文を加えたものだが、彼は一体何を言う気だ。
「例えば?」
「倉庫にいる、貴方の弟の事とかね」
「……結論からどうぞ」
 マグカップからゆっくり口を離し、動揺のそれを考慮の時間と擦り替えようと試みたが、恐らく彼は私の揺らぎを感じ取っただろう。
 薄い化粧に縁取られた、氷山が沈む海色の目が嗤う。
「取引しましょ。私が弟ちゃんの遺体を取り返してあげる、代わりに、貴方はレストレンジ家の3人を訴えて頂戴。心配しないで、弟ちゃんを賭博対象にする気はないから」
「レストレンジ家の3人とは」
 何故、どうしてなどと野暮ったくて平凡極まりない質問はするべきではないだろう。ジョン・スミスは敵でもないが味方でもない。メルヴィッド相手のように巫山戯てこちらの無能さを曝け出したらそこに付け込まれる。
 彼の目的は何だ。私が訴えに出た場合、ジョン・スミスがレストレンジ家、或いは周囲の環境から得られるものとは、何だ。
 レストレンジ家には確かに金はあるが、たとえ裁判で勝ったとしても金銭の大半は私の懐に入る。私の背後に付いた所で彼が得られる名声も、ほとんど存在しない。
 アークタルス・ブラックからの信頼だろうか、けれどハリーの両親を拷問した輩と無理矢理関わり合いを持たせる事を喜びはしないだろう。彼も、それが判らない男ではない。
 レストレンジ家の誰かに怨みがあるのか、しかし、両親を廃人にされた子供が訴えた所でディメンター達に殺されるような事にはならないだろう。ロドルファス・レストレンジ、ラバスタン・レストレンジ、ベラトリックス・レストレンジ、駄目だ、3人共普通に怨みを買いそうな人物でここからは特定出来そうにない。
 そもそもジョン・スミスには権力がある、多少の無茶ならば他人の名前を借りる必要などなく、普通に通してしまえるような人物なのだ。
 多少では通らないような無茶、幼い姿をした私が正攻法で挑む事が出来、スミス家の権力が及ばない場所は何処だろうか。
 思い浮かんだのは国外関係、異種族、非魔法界。
 最後はない、レストレンジ家はマグル撲滅派だ。その場の勢いや高揚感で一般人を殺すくらいはしただろうが、精々その程度であろう。第一、彼の言葉からは非魔法界に関する匂いが全く感じられなかった。次に、国外は私との関係が薄い。となると消去法で異種族、私がハリーの体で顔を合わせたのはクリーチャーか、グリンゴッツのゴブリン。裁判を起こしたところでクリーチャーがどうなる事はないが、裁判に勝てばグリンゴッツに用が出来る。レストレンジ家の財産を私の金庫に移す為に。
 ああ、そうか。合法的に金庫を開ける事が目的なのだ。
 扉さえ開ける事が出来れば、後はどうにでもなる。
「10年前に両親を拷問した、あの人達の事ですか?」
 エリザベス・バイオーラことジョン・スミス。彼はスミス家の一員、ホグワーツ創設者の1人であるヘルガ・ハッフルパフの末裔だ。
 そのハッフルパフの末裔が、末裔たる証を盗まれたのは今から約半世紀前。当時数多くいた血族の中で最も権力を持ち、その物的証拠を保管していたヘプジバ・スミスを、ヴォルデモートが強殺した。
 対外的にはハウスエルフがミスを犯し毒を盛った事になったらしく、スミス家も独り身の老女が若く美しい青年に入れ込んでいた事実を消したかったのだろう、それを支持し、公的機関の力を使っての捜索は行わなかったようである。但し、あくまで公的機関の、であり、彼等は彼等なりに力を使い裏側で必死に探していた、否、今も探している。たかが50年前の事だ、諦め切れる年月ではない。
 リドルは作成した分霊箱ホークラックスの幾つかを部下に隠すよう命じていた。その中の1つをレストレンジ家に預けた事までは知っているが、そうか、ヘルガ・ハッフルパフのカップがレストレンジ家の金庫にあるかもしれないのか。
 その場合、マルフォイ家の独断によって来年度か再来年度に秘密の部屋を開ける事になるのは、1番最初に作られた、ユーリアンよりも年若い日記だ。
 メルヴィッドやユーリアン本体のように隠し場所をリドルから直接教えて貰った訳でもなければ、エイゼルの本体のように中立と冠して私以外の全員の敵となった父がハリーを尾けて存在場所を逐一報告して来た訳でもない、この2つの分霊箱ホークラックスの居場所を現時点で知る事が出来たのは非常に大きい。少なくとも、ホグワーツに入学後、探さなければならないのは日記のみとなった事は幸いである。
 無論、日記とカップが間違いなくその家の保護下にある、とは断言出来ない。
 カップが存在している事実を断言出来る証拠が揃っていたら、ジョン・スミスは私に裁判を起こすよう頼む必要はない、盗品が存在している証拠を明示して自分で裁判を起こせばいいのだ。
 彼の様子を見るに、金庫内に存在する確率としては5割から6割程度だろうか。賭けに勝てば上々、負けたとしても存在しない事が確認出来れば次の可能性に移る事が出来る。大きなマイナスになるような事はない。
 ダンブルドア嫌いもあるだろうが、恐らく彼はこれを狙って私に接触して来たのだろう。伸るか反るか、答えは決っているが、果たして簡単に頷いていいものだろうか。
 彼から持ち掛けて来た取引だが、損得で考えると明らかに私に利が有り過ぎる。たかが知人で友人程度の関係であるジョン・スミスに対して貸しになるような事は余り作りたくないし、こうした行動をアークタルス・ブラックの承認無しで勝手に始めるのは今後の関係にヒビが入る可能性があった。何故頼ってくれなかったと問い詰められそうである。
「裁判それ自体は私が受け持つわ。名前を貸して欲しいの」
「……実親に関わる事を、秘密に出来ますか? メルヴィッドや、エイゼルに」
「それは無理ね。判っていると思うけど、こっそり出来る裁判はないの。貴方の弟の時も随分静かだったけれど、それでも調べれば判ってしまうくらいには、ね」
 でもね、と青い瞳が事実を容赦無く突き付けるという、私の好きな優しさを反転させた。
「お兄さんはきっと大丈夫よ。ちゃんの事、大好きだもの。信じてあげましょう」
「信じる、ですか」
 これは、余計な一言以外にない。
 私が信頼や不信の強制を好まない事を知らない彼に態々言ってやる義理はないので今回は放置するが、少し残念である。出会った当初は私に近しい思考を持っている変人だと思ったのだが、どうやらジョン・スミスという人間はそうでもないらしい。
 薄っぺらい言葉で知った風な口を利くが、まあ、これがきっと普通の感性から出る普通の台詞なのだろう。たとえ、この裁判が原因で私とメルヴィッド、エイゼルの関係が拗れたとしても彼は何の責任も取らない、ごく普通の腐った思考から来る台詞だ。
「それに、弟ちゃんが帰って来たら、どの道隠しておけないわ」
「確かに……それは、そうですけど」
 俯いて言い淀む演技をすれば、ジョン・スミスも私を気遣う演技をして今日はもう帰ると言いながら、もう私の額に三度目のキスをした。
「ゆっくり考えて、何時でも構わないわ。お返事頂戴ね」
 湯気も立たなくなり底に色素を沈殿させた紅茶と手付かずのショートブレッドを残し、見た目以外は何も彼もが普通の男性が病室を出る。同時に、先程まで部屋にかけられていた魔法も解除された。
 ふと、そう言えばギモーヴさんはどうなったのだろうかと気になり立ち上がると、虫は無事に彼女の胃の中に送り込まれたようで、柔らかな肌が時折弾むように動いている。
 人間とは面倒臭い生き物だと霊獣の目が語っているようで、全くだと呟くように同意をすると、それが通じたのか宝石のような彼女の目が閉じられた。揺るぎない姿勢で眠りについた彼女の背中を撫でて苦笑を溢し、さてと気持ちを入れ替える。
 扉の外には、私がどうにかしなくてはならない脆弱な男の子が、まだあの場から先へ進めず、暗がりで立ち竦んでいるのだから。