曖昧トルマリン

graytourmaline

黒蜜ミルク

「大体、なんでレギュラス・ブラックまで助けたんだ。そこがまず可怪しい。幾ら金と権力を持っていたって所詮はただの駒だろう、あれを見捨てれば君はメルヴィッドと一緒に倒れ込めたのに、変な欲なんか出すからそうなった事、ちゃんと判ってる? おまけに5日も昏睡状態になるとか一体何を考えてるんだ。君は馬鹿だからね、私だってそうなるなと無理は言わないよ、でもさ、もうちょっと筋肉塗れの頭を働かせて体だけ休ませる方法を取って欲しかったな、どうせ君が中に入っていようがいまいがあの体の回復力は大して変化しないんだろう。雑務係がいなかった所為でこの5日間で事務手続きがどれだけ溜まって私が代理で処理した事か、全く、感謝の一言も言えないのかい蛙みたいなこの生意気な口は」
「よく言うよ、爺が寝たきりの時は心配が行き過ぎて檻の中の熊みたいに挙動不審だったのに。いや、獣臭くて狭い敷地に閉じ込められた畜生よりも、酒浸りで身嗜みも乱れてたからこっちの方が正確かな、妻に逃げられた駄目亭主」
「これだから現場を見ていない馬鹿は困るんだよ。私はね、を心配していた訳じゃなくて、私の気紛れにかけた魔法がこんな些細な事で暴かれたのが我慢ならなかっただけなのにどうして判らないかな、第一、亭主はメルヴィッドの役割だって事を忘れたんだね。全くどうやったらここまで頭が悪くなれるんだろう。ああ、そうか。ユーリアン、君は何時の間にかバンシーの親戚になっていたみたいだね。肋骨の隙間から肝臓を抉るような奇声は誰の健康にも悪いから今すぐ滅んでくれないか」
「お前達は揃いも揃って私に妙な役割を押し付けてくれるな。エイゼル、お前の肝臓の痛みはどう考えても内的要因でアルコールの副作用だ。沈黙の臓器が音を上げるなんてどれだけ呑んだくれてたのか知りたくもないが、それをすぐに解決出来る優しい言葉くらいは贈ってやろう。生命保険を掛けてやるからそのまま肝硬変か急性アルコール中毒で血反吐を撒き散らしながら死ね、お前が飲み散らかした酒代程度にはなるだろう」
 変化したと告げたユーリアンの言葉が嘘のように、相変わらず毛を逆立てた子猫のように愛らしい口喧嘩をしている3人の声を聞きながら、私はシャワーを浴びてアルコール臭さを落としたエイゼルの指先によって両頬を横方向に限りなく伸ばされていた。最早私が悪い行いをした時の恒例行事であるこの状態では、まともに喋る事も出来ないのは判り切っているのに、誰も助け舟を出してくれない辺りに彼等の仲の良さを実感する。
 死ねと言いつつも二日酔いのエイゼルの為にメルヴィッドはキッチンで軽い食事を作って来ており、霧深い朝の気配が間近に迫った温かなリビングには薬膳粥の少し甘くて優しい香りが満ちていた。
「構うのは程々にしてお前はこれでも食べて最低限の体力を付けろ。の目が覚めた上に書き置きを残して病室から消えたんだ。今迄以上に煩くなるぞ、ブラック家が」
「レギュラスが君、アークタルスがの管轄だろう。私には関係ない話だ」
「レギュラス・ブラックに対して色々吐き捨てた責任を取れ。お前の所為であれが拗れて面倒臭い事になっているんだ。見ろ、仕事の合間に書かれたあの謝罪文の山を」
「一切の言い訳をせずに自分がどれ程酷い失言をしてしまったのかと私の意見が全面的に正しかった事を素直に認めた上で相手を間違わずひたすらへの謝罪の許可を求めている文面に関しては反省の色が見られるから一定の評価が出来るかな」
「誰が棒読みで評価をしろと言った」
「煩いな、私以上に無責任な馬鹿をちょっと詰ってやっただけじゃないか。を戦場に連れ出そうとしていた癖に心配する権利があると思うのかって」
「収拾をしろと言っているんだ、詰った事それ自体に問題はない」
「嫌だよ面倒臭い。拗れたままでも私の損にはならないし」
 成程、それでレギュラス・ブラックは色々と躍起になっているのか。
 何か出来たはずなのに何も出来なかった者の、あの臓腑を掻き毟りたくなるような苛立ちと、脳髄を侵食するような虚しさ。誰が何を言っても解消されない、自分自身でどうにかしなければならないあの感情の処理をしている、丁度その際中に投げ掛けられた、エイゼルの慈悲の欠片もない言葉である。彼の役割や立ち位置を考慮すれば紛うことない正論である故に、レギュラス・ブラックには非常に堪えたに違いない。平時なら兎も角、今現在の彼の精神的フォローが酷く面倒なのは私の足りない脳味噌でも容易に想像が付く。
 しかし、ここで放置する訳には行かない。上手く立ち振る舞えば、レギュラス・ブラックの抱えている罪悪感を更に肥大させ心理的優位に立つ事が出来るのだから。
 断っておくが、別にこれ以上彼に懐いて欲しい訳ではない。
 予言よりも私の身を案じさせる事によって、闇の陣営との直接対決を回避する方向に持って行きたいだけである。
 何度も言っているが、ダンブルドア陣営とヴォルデモート陣営は共に、私達よりも遥かに勢力が大きいのだ。両方どころかどちらか一方でも相手にすれば苦戦するのは目に見えている。ありとあらゆる手を駆使すれば勝つ事が出来るが、それに対する損害がどう考えても釣り合わないのだ、だから、最初の内は私達が直接手を下すよりも、歴史通りに事を進ませ、互いを争わせて疲弊させた方が今の所は効率が良い。
「まあ、君が何か役に立つ物でもくれるなら、考えてあげてもいいけど?」
 限界点だと思っていた私の頬を更に引き伸ばしながら、その全てを理解しているエイゼルが鼻で笑う。そろそろ千切れそうなので止めて欲しいのだが、口すら開けない状態なので彼が食事に向かうまでは大人しく待っているしかない。
 どうしても無心になり切れないので、気の紛れるような事を考えながら時間を潰していると、すぐ傍でメルヴィッドが笑った気配を感じ取った。
「そうか、ならば余ったスミス家のアレをくれてやろう。役に立つのは間違いない、旧家出身の権力者で金も人脈も持っている優良物件だ」
「アレと君の全財産を譲ってくれると言ってもそれだけは嫌だ。ユーリアン、肉体を作ったら君に差し出せるように根回ししておいてあげるよ」
「スミス家って、アレか。あの厚化粧の化物か。爺とは別ベクトルのあんな人外、絶対に嫌だ。死んでも要らないし、関わり合いたくもない」
 権力も財力も人脈もあるというのにたらい回しにされているエリザベス・バイオーラことジョン・スミスは、矢張りテキーラ娘な所が彼等の性に合わなかったのだろうか。思わず苦笑すると頬の筋肉が引き攣ったが、それを感じ取ったエイゼルがやっと解放してくれた。
 きっと赤くなっているだろう頬を両手で押さえると、少し熱を持った事以外は特に何も無さそうである。これから様々な人と会わなければならないのに目立った外傷を付ける程、エイゼルは間抜けではない。
 ソファに凭れてエイゼルとユーリアンの微笑ましい罵り合いに耳を傾けようとしているその頬を、今度はメルヴィッドが触れる。消去法ではなく、2人には各々特徴があるのだ。指の形は当然同じだが、そこから発する香りの種類や触れ方がまるで違う。
「お前も5日間何も食べていなかったんだ、卵粥でも食べていろ」
「メルヴィッドがの世話するとか正気かい。今日は昼頃に槍でも降るのかな」
「判らない奴だな、あの状態のアークタルス・ブラックを御すには体力がいるんだ。途中でが倒れるのは困る、私1人でこれ以上取り乱したブラック家の相手をするのは御免だ。何だったらこの男の介護はお前にやらせてもいいんだぞ、ユーリアン」
「冗談! 万年夫婦の間に入る程、僕は馬鹿じゃないんでね」
「だから誰が夫婦だ」
 言いながらもメルヴィッドは卵粥をスプーンで掬い、冷ましてから口の中に突っ込んでくれる。私自身に記憶はないが、5日振りの食事に体が喜んでいるのが判った。
 きっと体重、否、筋肉は目も当てられないくらいに落ちているだろうが、鍛え直せば取り戻せる範囲だろう。その為にはまず、食べなくてはいけない。出来ればタンパク質をもっと多量に摂りたい所だが、覚醒したばかりの消化器系が受け付けてくれないだろう。
「美味しいです」
「そうか」
「死ねよ、この馬鹿夫婦共! いや、お前達全員米を喉に詰まらせて死ね!」
「おや、ユーリアン。いい事言ってくれましたね。エイゼル、実はお粥をよく噛まず飲み込むだけだと唾液が分泌されずに消化不良を起こしてしまうんです。食べやすいからといって流し込むように食べてはいけませんよ」
、余計な事を言うな。面白い場面を見る機会が減る」
「貴重な情報に感謝するよ。もしも今、うっかり手を滑らせて残りの粥をメルヴィッドの胃に直接送り込んでも、陪審員なら無罪にしてくれるだろうね。それとも鍋に直接頭をぶち込んで上げようか。窒息死なら兎も角、粥で溺死するなんて君に相応しい滑稽な死に方だ」
「まったく、2人共仲良しさんなんですから」
「あのさ、爺、前から思ってたんだけど、お前の発酵し腐った脳味噌って何を基準に仲良し判定してる訳?」
 色々文句を言いつつも、ぬるま湯で薄めたスポーツドリンクを渡してくれるユーリアンに感謝の言葉を述べながら、声の聞こえた方向に微笑んだ。
「死ねだの殺すだの、そんな物騒な言葉を冗談で言い合えるのは仲の良い証拠ですよ」
「……そういうものか」
「そういうものだと、私は認識しています」
 指先でコップの縁を確認してゆっくりと口付けるが、矢張り手の感覚だけで液体の量を感じ取るには未だ難しく、口端から零してしまう。溜息を吐きながらも拭ってくれたのは、メルヴィッドではなくエイゼルだった。その様子を見てか、老人介護と小さくともはっきり呟いたのはユーリアンである。強ち間違ってはいない。
「病み上がりとはいえ、もうちょっとしっかりして欲しいな。もしかしたら左目も、二度と陽の光を見る事は出来なくなってるかもしれないんだから」
「おや、そうなんですか?」
 右目が破裂して使い物にならなくなった事は聞いたが、まさか左目も使えなくなっているとは思わなかった。
 しかし視力を失ったにしては言い回しが妙だ。網膜剥離や視神経症でもないだろう。陽の光、という事は瞳孔の調節機能でも失われたのだろうか。外傷性散瞳だとすると、少々厄介だ。薬を使用してある程度の抑え込みと時間経過による回復があるとはいえ、基本的に瞳を動かす筋肉は一度損傷すると治癒のしようがないのが現状である。
 あの半巨人とやりあった時には眼鏡を吹っ飛ばされたものの光に関しての問題はなかったように思える。となると、これも刺さったガラス片を引き抜かれた時だろうか。そういえばあの瞬間、視界がホワイトアウトした記憶があった。
 隻眼ならまだしもこうなって来ると少々荷が勝つ。
 今後の事を考えると片目だけでも構わないので魔法界製の義眼を購入する方向で見当しなければ将来が危うい。幾ら脳筋でも、座頭市のような離れ業は身につけていないのだ。
 まあ、正直に暴露すると、あれが出来れば凄く格好良いなと憧れて、真似してみた事はあるが。男の子なら1度や2度や3度や4度、経験があるだろう。
「ユーリアン。君、本当に役立たずだね」
「何でも僕の所為にするの止めてくれないかな!? 目を覚ましてまずお前達の食事の心配した最大級の阿呆だぞこれは!」
が胃袋中心の考え方をする救い難い低能なのは以前から判り切っていた事じゃないか。適当に流して最低限の事は伝えてくれないとこっちが困るな、その様子だとブラック家とスミス家にトム・リドルの事を調べさせている事も伝えてないだろう」
「そんな事を伝えて何になるんだい」
「だから君は馬鹿で間抜けで役立たずなんだよ。情報共有の重要性を判っていない、は理解しているのに実践出来ていない馬鹿だけどね」
「返す言葉もございません。そういえば、あの半巨人がトム・リドルの名前を口走っていましたね。自分の正体を探る演技と、両家の情報収集力を調べる為ですか?」
「それもあるけど、正確にはヘプジバ・スミスが残した情報の確認と、オリオンがどの程度まで私を裏切ってくれているかの見極め、かな」
「ブラック家は兎も角、スミス家か。エイゼルもメルヴィッドも、あの化物の血縁者を必死に口説き落としていたなんてぞっとしないね」
「生気の供給源が死にかけていたのに呑気にご本を読んでいた神経擦り切れてる薄情なお子様よりマシだよ」
「何で僕がこのキチガイ爺の為に有意義な読書の時間を削らなきゃいけないんだい?」
 2人の遣り取りを聞いていると、尻尾を振り、小さな牙と爪を剥き出しにして全力で戯れる子猫達の様子が再び脳裏に思い浮かび妙に和んだが、その考えを見透かされているのかメルヴィッドが冷ました粥を唇に当ててさっさと食べるように促して来た。
「これを食べ終わったらあの札でフスイを作って目を治せ。何時までもお前の介護に時間を割いていられる程、私は暇じゃないんだ」
「おや。この怪我、治してしまって大丈夫なんですか?」
 先程は優先順位の関係で流してしまったが、今になって落ち着いて考えてみるとこの目は治さない方がいいと思うのだが、それは単に私の頭が悪いからなのだろうか。
 ここ数年、メルヴィッドの為に様々な書物を訳して来たが、主に医薬を中心とした物ばかりで霊符に関する本は和漢問わず一切手を付けていない。治癒符の翻訳物を所持している事が露見し、更に万が一、ダンブルドア側の誰かが反魂香やそれに似た効力のある何かを使用して既に死亡しているダーズリー夫妻の記憶を採取された場合の言い訳に困る。彼等は私が設定したゲームクリア時に霊符そのものをしっかりと見ているのだ。
 ゲームを進行させたピーター君の背後に座す名もない存在と、私達に接触し手紙を送り続けているが、イギリスでは特殊な分野に分類される霊符の知識を共有していると発覚した場合まず間違いなく素人探偵共はこの点を繋げにかかる。それは拙い。事実、繋がっているか否かではなく、同一組織内の犯行なのだ。
 かといって、符の存在を公にせずに治療するにはタイミングが遅過ぎる。こっそり何かをやるには私が派手に動き過ぎた。既に失明が決定しているこの目を完治させてしまえば、専門家が匙を投げた大怪我をどうやって治療したのか質問攻めに合うのは必至だろう。
 まあ、メルヴィッドが翻訳作業出来る程の知識量を9月迄に獲得し正規ルートで道教の研究書でも手に入れて上手く誤魔化してくれるのならば考えはするが、時間が勿体ないし、別に放置する方向でいいのではないか。
「……いいのか? 左目の具合にも依るが、全盲になっているかもしれないんだぞ」
「今年の秋からホグワーツに行くのなら全盲は正直困りますが、きっとブラック家ならば腕の良い職人とのコネがあるでしょうから義眼で対処しますよ。態々眼球を再生させてダンブルドアの派閥を正当に責める力を減らす必要も感じません」
 それよりも、もう一手間加え更に力を上乗せさせた方がいい。魔法使いの手が届かない、きちんと学を修めた第三者からの意見辺りが適当だろう。
「寧ろ、これ以上は治療せず非魔法界のかかりつけ医にでも診察させて、ちゃんとした診断書を書いて貰いましょう。その意味が通じるかどうかは判りませんが、少なくとも知マグル派のアークタルス・ブラックは理解出来るでしょうから」
 あれだけの人数の前で、あの半巨人は周囲にとって意味不明な事を吠えて、愛する人達を守ろうとした未就学児を殴り倒したのだ。あれが原因で目が見えなくなったのなら、その方がより都合が良い。怪我の具合がすこぶる悪く、一生この体に残る傷になればなる程、加害者を必死に弁護するダンブルドアの評判は落ちる。
 たとえ、今を上手く繕ったとしても、将来的に見ればこの事実は相当な痛手になる。何かの拍子にダンブルドアの権力が弱まれば、半世紀以上前の事だってマスコミ共は槍玉に挙げるだろう。否、アークタルス・ブラックか、直接ホラス・スラグホーンに掛け合えば理想のタイミングでマスコミにその類の記事を書かせる事が出来るに違いない。
「……君は、自分自身すら駒として利用するのか」
「するに決まっているじゃありませんか、エイゼル、今更何を言っているんです。大切な貴方達なら兎も角、たかが脳筋爺の目玉2つですよ。寧ろ、利用して貰える事を光栄に思え、程度は告げて下さい」
 骨が摩耗して折れた、体の肉が腐り落ちた、目玉が破裂してなくなった。そんな取るに足りない些細の事で一々動揺していては100年も生きていられない。
 私の身を案じてくれた彼に酷い事を言っているのは自覚しているが、それでもせめて、その程度の考えは持っていて欲しい。でなければ、何時か言ったように、私は彼等を殴り倒さなければならなくなってしまう。彼等自身以外の誰かの為、特にこんな枯れた爺の為なんかに、年若く美しい彼等が命を張る事は絶対にあってはならない。
 もう一度、今度は零さずにちゃんとスポーツドリンクを飲んでいると、ユーリアンの大きな溜息を聴覚が拾い上げる。しかしどうやら、私に対してはないらしい。
「本当さ、爺の言う通りだよ。今のこいつらの顔、見せてやりたい」
「貴方達は皆、情に厚い人ですからね。酷い事を言っているのは自覚していますが、それでも、いざとなったら真っ先に切って捨てて下さらないと」
「ああ違う、爺の脳味噌も腐敗してた。僕の何処が情に厚いって?」
「厚さと薄さに波があるよね。無関心を貫いて読書していた癖に、こっそり隠れて毎晩見舞いに行ったりさ」
「エイゼル、余計な事しか言わないその舌を叩き潰して潰してやろうか」
「本当に救いようのない馬鹿だね、事実を指摘しただけなのにこれだ。やれるものやってみるといい。優しい私が、懇切丁寧に殺し返してあげるから」
 あれだけ注意したのに粥をすっかり食べ切ってしまったらしいエイゼルは、匙を器の中投げ入れてユーリアンと長い長い口論を始めた。本当に仲が良くて羨ましい限りである。
 スポーツドリンクをメルヴィッドに手渡し、再び差し出された卵粥をゆっくり咀嚼していると、殺気混じりの会話に消されそうなか細い声で、メルヴィッドが懇願して来た。
「だったら、もっと突き放してくれ」
「大丈夫ですよ、メルヴィッド。そんなに怖がらなくても」
 あと半年もすれば、彼とは物理的に距離が開く。経験上、余程互いに信頼関係がなければ物理的距離は心理的距離に比例する。そうすれば、きっとまたすぐに、戸惑いながらも僅かな良心を捩じ伏せ、私を見殺すような関係に戻る事が出来るはずだ。
 そんな時期を待たなくてもメルヴィッドの望み通り突き放せば済む話なのだが、私は可愛いものを心行くまで可愛がりたい自分自身の欲求に逆らえない。未だ私が勝手に注いだ愛を弱々しく撥ね付ける姿に、ほんの少しの罪悪感と、多大ないじらしさを覚える。その愛らしい姿に、私の心情的にも、第三者から見た能力的にも、彼を死なせる訳には行かないと心に刻み直した。
 大丈夫だ、心配など何処にもない。
 いざとなったら、彼が咄嗟に差し伸べてしまうであろう救いの手を取ったまま、私の腕を切り落としてしまえばいいのだから。