君が足りない
「念の為、一晩入院する事になった」
「そう」
別に見舞う必要性も感じられない。けれど、しなければ周囲に怪しまれる。
心底面倒臭いという気持ちを隠しもせず、ブラック家の権力で聖マンゴの個室を用意されていたメルヴィッドに会いに行くと、暗い表情でそう言われた。言葉の内容は無視するとして、表情の原因は怪我などではないだろう。
「は、どうなった」
「さっき治療が終わった。皮膚は古傷以外綺麗に治るみたいだよ。でも、目はもう使い物にならない。右目は原型を留めていなかったから切除、左目は原型は留めていたけど、後遺症が残るかもしれない」
癒者に告げられた事を簡潔に伝えると、口元に手を当てて、吐き気を堪えるような顔をされた。震える肩を冷めた目で見下ろす。馬鹿な事をしでかした自称爺に怒りを感じるのならまだ判るが、この男の感情はそれではない。
メルヴィッドとの付き合いは、まだ、片手で足りる年数だったろうか。長いとは呼べないけれど、短いとも言い難い。ただ、少なくともにとっては、本気で、命を張ると宣言出来るような時間を過ごしたらしい。いや、時間は関係ないか、私やユーリアンに対しても同じ宣言をしていたのだから。
何処までも魔法使いらしくない戦いをしていた。獣のように吠え、体中にガラス片を突き刺したままメイスと杖を状況で使い分け、あの半巨人をメルヴィッドから遠ざける囮となっていた。まるで、それだけの為に生きているような戦い方だった。
全く笑えない。本当に、冗談じゃない。
先の計画は建てた筈だ、はホグワーツに入学し、私とユーリアンが監視と補助の役割で同行すると。がいなければ計画そのものが成り立たなくなる。狂った価値観で突き進み、ダンブルドアに復讐をするのではなかったのか。道半ばとすら言えない、出だしの更に以前のあんな所で瀕死の戦闘をするなんて、どうしようもなく馬鹿げている。
レギュラスを、あのブラック家の末裔を見捨てればこんな事にはならなかったのに、何故そうしなかった。あれはメルヴィッドの駒だろう、馬鹿な事ばかり言うあんな男は、放置すればよかったのだ。
あいつは、あの程度で死ぬような男じゃないのに、一番の軽傷で、碌な治療もせずに済んだのだ。とても納得出来る結果ではない。
「……開店日を延ばす。手に入れなければいけない物がある」
「好きにしなよ。店主は君だ」
手に入れなければいけない物、とは薬草の類だろうか。
失った眼球を治療する為の? 無理だろう。無残に切り刻まれ、治療も出来ずせめて腐敗が広がる前にと癒者に取り除かれたのだから。原型を留めていないと確かに伝えた、それが判らないメルヴィッドではない。
必要なのは薬ではなく義眼だと詰ってやろうか。正面からそう言ってやりたいが、この病室の会話は廊下の肖像画に筒抜けだろう。メルヴィッドを必要以上に詰ると後が面倒な事になる。
どうせ明日の午前中にはあの屋敷に帰って来るのだから、その時でいい。常にメルヴィッドの肩を持つがいない以上、ユーリアンも巻き込んでやれば私が優勢になる。
「言いたい事と聞きたい事はもう終わり? なら、私は帰るよ」
現実を突き付けられて立ち尽くしているレギュラスに答えて貰いたい事が山程ある。何故お前だけが無事なのかと、何故あんな加勢しか出来なかったのかと、何故に救われた恩を仇で返すのかと。思考停止した戯言ばかり垂れて死地に送り出そうとした輩に、あの子供を心配する権利があるのかと。その答えを、私は未だ貰っていない。
「待て」
抉ってやった傷を広げてやろうと踵を返そうとした、その動きをメルヴィッドの声が制止する。同じ姿をした男が項垂れている姿は酷く不愉快で相手をするのも面倒臭いが、他人が目を光らせているこの場所で無視をすると更に面倒臭い事になりかねない。仕方なく足を止め、早く要件を済ませろと視線で訴える。
「に何の呪文を使った」
「何の事かな」
「の肉体は確かに酷い有様だった、だというのに、初撃の影響だけが全く見受けられない。普通ならばそれだけで死ぬような一撃なのに、立ち上がり、剰え応戦しきった。私はに守護の魔法を施していない、ならば、お前しかいない」
ああ、全く気に入らない。
形の有無に関わらずの持つ何も彼もを捧げられて、この世界の誰よりも彼に尽くされて、当然の事のように庇護されている側の癖に、未だ協力者面をするこいつの神経が気に食わない。たとえそう振る舞わなければならない場所だと理解していても、苛立ちが収まる筈がない。そうだろう?
「そうだよ、私が与えた。レギュラスがあんな巫山戯た事を言ってくれたから、その後、すぐにね。あの子が可愛がっているヴォーパルバニーに、身代わりの呪文を施した」
体に障害が残るような物理攻撃を直前に感知させ、その衝撃をぬいぐるみに与え、可能な限り強度を上げた盾の呪文を1度だけ自動で展開させる魔法を施した。けれど、それだけでは面白くないから、破れば即呪文が解ける禁止事項も同時に付与した。
魔法を解析してはいけない。魔法について説明を求めてはいけない。魔法を疑ってはいけない。この3点、要するに、私の思惑を探らず、頭が空っぽのまま馬鹿みたいに信じ切る事を条件とした。
もしも信じ切って魔法が発動するような事になれば、対応策すら施していないメルヴィッドの無能さを見下せるだろう。信じ切れずに禁止事項に触れるような事になれば、信じると大見得を切った癖にと思う存分を詰れるだろう。どちらに転んでも面白いと考えていた。そう、面白くなる筈だったのに。
結果がこれでは面白くも笑えもしない。底意地の悪い嫌がらせの類だとしても、私はにのみ与えたのだ。最も軽度の症状でなければならない筈のが重体で、死のうが後遺症が残ろうが構いはしなかったメルヴィッドやレギュラスが、たかがこの程度で済むなど、あってはならない結果だったというのに。
「あの子の為の魔法だ。その筈だったのに、何故こうして私と会話しているのがメルヴィッド、君なんだ?」
「それが、の選んだ結果だからだ」
「選んだだって? 同じ顔をしている癖に、随分お目出度い脳味噌だね。選択肢などなかったよ。私はそんなもの、に与えなかった」
「どういう事だ」
「君はあの時、疲れ過ぎて頭が回っていないようだったから聞いてなかっただろうね。施した呪文の内容は伏せたんだよ。知ろうとすれば、自動的に消滅するよう設定したんだ。それを知ってしまえば、は間違いなく自分の身を犠牲にして誰かを助けるに決っているから。でも、知らなくても助ける事までは、予想出来なかったよ」
「……知らずに、助けたのか。は」
「だから、そう言っているだろう?」
奥歯を噛んで怒りを抑え、血の色をした瞳を見下す。何故こんな男の為に命を差し出すのか、重体の自分よりも軽傷の馬鹿を優先して心配するのか。私達の中で最も付き合いの長い協力者だとしても、庇護が過ぎる。
彼を死の淵から掬い上げたのは、私と、私が与えた魔法なのに。
こんな羽目に陥るのなら、内部を解析させるよう誘導すればよかった。たとえそれでが死ぬような目に遭ったしても、ここまで苛立つ事はなかったのに。そもそもは不死身だ、だって? 知るか、そんな事。
「身を呈されて命を救われている癖に、何が保護者だ」
「そう思うか?」
「何?」
「エイゼル、お前には、が私を救ったように見えているのか?」
「……ああ、彼か。そうだね、そうとも考えられる、充分にね」
メルヴィッドは自分ではなく、にとっての養父、トム・リドルを本能的に救ったのではないかと疑っているのだ。異世界の人間で、年齢は違えど、私達の顔はよく似ている筈なのだから。
は嘘が苦手だと頻繁に自虐する。これは事実であり真実だ、けれどそれを代替として、彼はある一定の真実を語らない事にはそれなりに長けている。ブラック家への対応は特にそれが顕著だ。重要な情報をそれとなく伏せ、突っ込まれたとしてもここから先は秘密だと静かに笑い、恍け、質問を躱す。
過去の恋人の関係についても、同様に隠し通そうと企んでいる。私達に対して、可能な限り情報を伏せる事によって矛盾を感じさせず非常に上手く隠している。それなりにしか長けていない、あの語りたがりで、底抜けに愚鈍ながだ。
加算の嘘は不得手で、減算の嘘が得意。この特性から予測出来るのは、恋人が何かを兼任している、という事だ。好意を隠すには好意の中、そして今迄の言動から推察するにには近親相姦の気がない。ここまで絞れば、選択肢は1つしか存在しない。
の恋人は養父だ。それならば、頑なに語ろうとしなかった理由も理解出来る。そんな事を馬鹿正直に白状されて尚、私達が傍にいる事を許されるとは思っていなかったのだろうし、事実そんな事を平然とカミングアウトする輩の傍に、私達はいなかっただろう。出会った当初の私であれば、ではあるが。
はどうしようもない馬鹿で狂った倫理で動く化物だ。けれど、一定の規律があり筋を通した生き方もしている。緩い部分は形作るだけでも精一杯の硬さしか保持しない所為ですぐに姿を変じさせてしまうが、芯となっている部分は確固として揺るがず、決して折れない。ある種の頑固者、と言い換えてもいいだろう。
作られた時期が違うだけの根本を同じくする分霊箱の中で、メルヴィッドを誰よりも優遇し、私やユーリアンの扱いがそれよりも遥かに雑なのは、つまり我々を全く異なる個体と認識している事実に他ならない。彼の中には不動の優先順位が存在していた。
冷静に考えればこの結論には容易く辿り着く。但し、本人の反応を確認しない限り正答かどうかまでは判らない。
だから、メルヴィッドは恐れている。
真っ先に選ばれ、誰よりも優遇されているのは協力者だからではなく、養父で恋人であった男の代わりだと突き付けられる事を恐れている。最優先の保護対象とされているのは、亡くした養父と恋人の大事な代替え品だからだと種明かしされる事を恐れている。
「私と君の予測が、真実である事を祈るよ」
限りなくゼロに近い確率に怯えるメルヴィッドを見て、少しだけ気が晴れた。そして同時に、もっともっと傷付いて、同一人物ではないと否定される前に再起不能になってしまえと呪いたくもなった。
その思惑を乗せた視線に、メルヴィッドが気付く。傷付いて強がっている癖に、誰がそこまで堕ちてやるものかと強く訴えているそれが不愉快だ。
「それでも、宙に浮いた立場の人間よりはマシだ。私達の関係には名前が付いている、この予測が真実ならば、その考えは間違っていると指摘して正せばいい」
「危険から護る対策すら碌に取っていなかった無能があの子を再度取り込む行為を、私が静観するとでも?」
「反省はしている、次はない。引っ掻き回したいのなら、そうすればいい。何があろうと、は必ず私を選び、間違った価値観を素直に改善させる。私は私だ、の愛したあの男ではないし、代理でもない」
「……ああ、そうだろうね」
見捨てられて欲しいという私のそれは、所詮願望に過ぎない。はメルヴィッドをメルヴィッドとして見ている、エイゼルと名付けた私を私としてしか見ていないように。
何故、柄にもなく浮かれて、あんな魔法を与えてしまったのだろう。何故、もメルヴィッドも生きているのだろう。綺麗さっぱりなくなるか、修復不可能なまでに混沌と化してしまった方がマシだった。そう思っても口には出せない。私の立場が終わる以前に、この言葉は負け惜しみに過ぎないからだ。
拳を握り、手の平に爪を立て、唇を噛んで、浮上した怒りを腹の底に沈め直してから、震える喉でゆっくりと深呼吸する。強くはっきりとした声色とは裏腹に、自分の言葉で傷付いているメルヴィッドを嘲笑う余裕がない。
「訊きたい事はそれで終わり? なら、帰らせて貰うよ」
帰る、一体何処に? あの家には、今は帰りたくない。
睡眠欲や食欲を満たしたい気分ではない。生身ですら1日や2日くらい無理をしても死にはしない、分霊箱なら尚更だろう。
ならば、三本の箒に戻って状況報告が妥当だろうか。その後、出来るだけ情報が新鮮な内にあの店で起こった事の詳細を纏めて、裁判が何時行われてもいいように準備しなければならない。面倒臭い、心底嫌だ。けれど、雑務担当のも、当事者であるメルヴィッドも動けない以上、私があの赤毛の化物にも証言を貰い何故私達があの場に居たのかを明確にしなければ周囲の人間からも無能として見られる。それは私の矜持が許さない。
ハグリッドはダンブルドアのお気に入りで、私達は厳重警戒されている。物事の最初から最後まで、完璧か、それ以上に用意しなければ何処をどう突かれるか判ったものではない。
三本の箒にいたガキ共の証言や記憶の収集は魔法界と関わり合いの深いブラック家に一任した方が確実だろう。地盤もコネもない私が走り回るよりも、権力者が椅子の上から一言、必要な物を全て集めろと命令した方が迅速に済む。
妄言ばかり吐くレギュラスには無理だが、祖父のアークタルスは既にその方向で動いていた。実際見た訳ではないが間違いなくそう動いている、あの老人は、別れ際私に1人で十分だと言ったのだから、そうして貰わないと困る。
が、目を覚ますのは何時になるだろうか。顔面は切り裂かれたが、脳の損傷は見受けられないと聞いている、だから、元々常軌を逸していた価値観と思考回路以外の障害はない。ハグリッドに殴られた後も立ち上がった、カウンター内に叩き付けられた時も酒瓶がクッションになっていた。後になって脳に障害、駄目だ、それは考えるな。帰宅する前に誰かを掴まえて正確な予定を吐かせよう、の事を甚く気に入っているアークタルスも欲しがる情報だろうから。あの男相手ならば、塵のような恩でも売っておいて損はない。
そうして、雑務が一段落して、が目を覚ましたら、気分転換に盛大に詰ってやろう。私の事を信じたりするから目を失う羽目に陥ったのだと、こんな面倒な事になるくらいなら死んでしまえばよかったのにと、君の代わりを私が全部やってやったんだと、あの子供の姿をした老人を罪悪感に沈めてやろう。
ああ、けれど、きっとどうせ。は何時ものあの笑みを浮かべながら、私の言葉と感情の全てを受け入れてしまうのだろう。