曖昧トルマリン

graytourmaline

■ 時間軸:vs. ハグリッド戦後

■ 62話『コールドビーフ』後の話

■ エイゼルがレギュラスを苛める話 in 聖マンゴ

■ レギュラス視点

悲しみたがりの殺人鬼

「レギュラス・ブラック、何をするつもりだい?」
 手足の治療が終わり、案内された処置室の扉の前まで辿り着いた途端にそう吐き捨てられた。の流した血で斑になった服のまま、壁に背をつけて腕を組み、殺気を滲ませているエイゼルの黒い瞳が僕を責めて、それに反論出来ずに押し黙る。
の事は私に任せて、君はやるべき事に取り掛かってくれ」
「お願いだ、一言でいい。謝らせて欲しいんだ」
「今頃になって? 君がこの子にやらせようとした行為を、忘れたとは言わせないよ」
「それは……」
 エイゼルは、正しい事を言っている。
 が殴り飛ばされた瞬間から、心配する事も見舞う事も許される筈がないと、判っていた。マグルの世界で生きると決めた子供に対して、魔法界の為に闇の帝王に抗えと、大人の戦いに巻き込まれて最悪死ねと、僕は言った。
 それが正しいのだと、嬉々として、まるで英雄でも作り上げるような口調で言った。そんな言葉を口にしておいて今更心配出来る立場ではない事も理解していた。それでも一言、謝罪をしたかった。
 何も彼も、僕が間違っていたのだと。大人振りたいだけの人間の力など、何の意味もない事が、全てが終わって初めて理解出来たのだと。予言よりも現実を見て対策を立てるべきだったのだと。エイゼルの意見が、保護者と名乗る者として最も正しかったのだと。僕はの事を何も考えていない、最低な男なのだと。
 あの柔らかくて小さな手の平が、背中を押した感触がまだ残っている。前のめりに倒れながら振り返った瞬間に見た、僕達が無事に逃れた事を悟ったあの笑顔が網膜に焼き付いて離れない。直後に横切った、ハグリッドの腕に細い体が吹き飛ばされる映像が、脳の中で何度も繰り返される。
 血を流しながら抗う彼に出来た事は、効きもしない麻痺呪文を唱えるだけだった。後は、ずっと、メルヴィッドの隣で呆然としているだけだった。を攻撃していた生徒達からすら、守る事が出来なかった。
 弱音を吐かず、助けすら求めず、前だけを向いて奔る姿に絶望した。常に誠実で、ひたすらに強い子だと知っていた筈なのに、僕達の為ならば命だって張ろうと言い切ったあの子の言葉をその場の雰囲気で冗談と捉え追求せずにいた事を後悔した。
 魔法界の為に死地へ向かえと言い切った自分自身の口を縫い合わせてやりたかった。死んでも何も変わらない、甘ったるい幻想ばかりを口にしていた僕に、殺し合うとはこういう事なのだと現実を突き付けてやりたかった。置いて逝く者の覚悟と、置いて逝かれる者の悲哀を知っていたんじゃないのかと殴り倒したくなった。この子はお前が好き勝手にしていい奴隷でも生贄でもないのだと叩き付けて、お前こそ死ねと殺してやりたかった。
 最初から最後まで、正しいのはエイゼルだったと。
「贖罪という自己満足をしたいだけの君に、親切な私が、判り易く言って上げよう。ここで君が出来る事は存在しないし、あったとしても、させない」
「エイゼル」
「あの子の事を想っているのなら、今すぐ消えてくれ」
 到底、許されるべきじゃない。常にの事を案じ、予言の子ではなく1人の子供、家族の一員として接して来たエイゼルの告げた言葉はどこまでも正しかった。
 項垂れて、動けずに立ち尽くしているその目前で治療室の扉の開く。色褪せた視界の外で癒者とエイゼルの会話が耳に入り、その言葉に絶望した。
 体中に刺さっていたガラス片が乱暴に抜き取られた際に出来た傷は綺麗に塞がるけれど、右目は眼球も神経も筋肉も、全てが手の施しようがない程に切り刻まれて、腐敗する前に除去するしかなかったと。残った左目は、出来る限りの治療を施しても何らかの後遺症が残るだろうと。この先一生、義眼と付き合わなければならない覚悟をして欲しいと。
 は、目で捉える世界をほぼ失ってしまったのだと。
 まだあの子はあんなに小さいのに、まだたった10歳の子供なのに。これからもっと、沢山の事を見て、沢山の人間に愛されて、血と泥に塗れた過去と決別して、幸せに生きて行く筈だったのに。あの時、あの場に僕がいなければこんな結果にはならなかったかもしれないのに。命を懸けて守ると真っすぐに告げたあの子に、そんな事は冗談でも言ってはいけないと強く叱ってさえいれば、あそこまで無茶をしなかったかもしれないのに。
 罪から生まれた言葉が何度も心を刻んで来る。過去の何処かでこうしていればという後悔が絶えず襲って来る。僕は、それすら許される身ではないのに。
「ああ、そうだ」
 声と共に乱雑に胸ぐらを掴まれて顔を上げると、冷たい笑みを浮かべたエイゼルの顔が目に入った。横目で確認すると先程までいた癒者の姿が見えない、多分あらかじめ指定しておいた特別室にを連れて行ったのだろう。
「君に1つだけ、感謝をしておこう」
 感謝だって? を殺そうとした僕に、エイゼルが?
「私はの持つぬいぐるみに呪文を施した。対象者に命の危険が迫ると、1度だけぬいぐるみが身代わりを引き受ける呪文を。そのお陰で、あの子は死ぬ事だけは免れた。全身が切り刻まれ、目も見えなくなり、死ぬ程の苦しみを味わいながらも生き残った」
「何、を?」
「本当にお目出度い頭だね、ブラック家の当主様。あんな大男に手加減なしで殴られて、上半身が潰れず反撃出来る子供がこの世に存在しているとでも?」
 そこまで告げられて、初めて僕はの不自然な怪我の仕方に気付く事が出来た。同時に、エイゼルの黒い瞳に今迄以上の殺気が篭もる。
「ありがとう、レギュラス・ブラック。ありったけの感謝をしよう、あの子が生き残っているのは、心底巫山戯た事を嬉々として宣ってくれた君のお陰だ」
 掴まれていた服を離され、壁に背を預けながらその場に崩れ落ちる。
 左胸の上に残る、エイゼルの手から移ったの乾いた血の跡を握り締め、床を打つようにして遠ざかる靴音を聞きながら、僕は自分自身に向かって死の呪文を唱えたい衝動に駆られた。