■ 多分3部に繰り越せないので投下
■ 時間軸:ヴァルブルガさんファーストコンタクト後
■ 49話『アンディーブのソテー』で肖像画達が取り外されていた理由
■ 幼少期と壮年期の肖像画が同時間軸に存在している
■ 肖像画ヴァルブルガさんの扱いが酷い
■ ブラック家全体の扱いも酷い
■ 本当にどうしようもないブラック家その1
■ 肖像画オリオンさん視点
遺恨問答自問自答
幼くして出会った頃、彼女は朗らかに笑う少女で、感情を剥き出すような、はしたない女性ではなかった。共に学び舎で過ごした頃も意見の食い違いこそあったが、それが争いになる事はなかった。結婚したばかりの頃は、価値観の違いに激高し口論こそしたが、決まって最後は互いに下らない言い争いをしたと笑って収まっていた。
初めての子供が、シリウスが生まれてから少しずつそれが収まらなくなり、レギュラスが生まれた時には笑って収まる事などなくなった。
2人の息子が意味のある会話を可能とする年齢になる頃には口論にすら疲れ、ただただ憤怒の感情を吐き続ける彼女を宥めるのみになっていた気がする。
シリウスのグリフィンドール入りが、決定打だったのかもしれない。入学以前からその兆候はあったと、叱っても宥めてもひたすらヒステリーを起こし続ける彼女に、私は夫としての愛情が枯れ果てた事を自覚した。2年後にレギュラスが待ち望んだスリザリンに組み分けされて喜ぶ姿を見ても、目障りで鬱陶しいとしか思えなくなった。
無論、生きている間はそれを表に出した事はないが、もう、いいのではないか。私も、彼女も、最早唯の肖像画でしかないのだ。
「オリオン! 何故止めるの!」
「言っても理解出来ないだろう、下賎な君には」
「この私が下賎だと言うの!? 私はブラック家の」
「ヴァルブルガ。君は、誰に向かって、ブラック家の講釈を垂れるつもりなんだ」
「それは……!」
「私が君と、君の先祖の来歴を知らないなどと、そんな下らない事を本気で言っているのかい。ブラック家の当主であった私が、分家の人間を把握していないとでも。ああ、当主の妻だというだけで権限を強制的に移動させた君は、きっとそうだったのだろうね。君にとって応接間のタペストリーは、焼いて穴を開ける為だけに存在する物なんだろう」
掴んでいた腕を乱暴に引き込んで、床と認識出来る場所に叩き付ける。妻という立場の女性を乱雑に扱おうと、その女性が猿のように喚きながら髪を掻き乱そうと、誰もそれを咎めない。彼女の両親、兄弟、曾祖父母、生前彼女を持ち上げ、擁護を続けた存在は皆、当主の妻である彼女が大切なだけであって、肖像画の分家の女性など、どうでもいいのだ。
彼女に味方はいない。私にも、味方はいないけれど。
「客人がいる。ただの客人ではない、彼等自身は純血ではないが、ブラック家の未来を担うレギュラスを救った恩人だ。粗相をするな」
「粗相などと! まるで犬猫のように」
「犬猫の方がまだ救いがある」
たかが犬猫ならば殺してしまえば静かになるが、彼女はそうではない。肖像画そのものを破壊してしまえば我々とて死という概念に放り込まれるが、ブラック家に生まれたにしては心優しく育ってしまったレギュラスが母親の肖像画に手を出すとは考え難い。また、きっと客人達もそれを望まないだろう。
リドルによく似たマグル育ちのメルヴィッド、ジェームズ・ポッターの息子であるが魔法界の存在を知らずに育ったという。似ているのは外見とその優秀さだけで、それ以外は何から何まで似つかない。
メルヴィッドは過去の記憶を失っている故か弱く脆い、はポッターの家名を捨てその末裔の片鱗すら伺わせない。そして、彼等は薄暗くとも穏やかで誠実だった。ブラック家が、レギュラスが魔法界でどのような立ち位置なのか知る前も、知った後も、あの2人だけが常に誠実でありつづけた。
レギュラスからメルヴィッドの外見を聞いた時はどうしようもなく焦った事もある。他人の空似である事を望み、私が知り得なかったリドルの子孫かと苦悩し、あの忌まわしい魔法具、分霊箱かと慄いた。
未だ彼の正体は判らないが、もう、それもどうでもいい。あのに、切なげな笑顔を浮かべなさせがら寂しがり屋だからと評される青年が危険である筈がない。たとえ最後の予想が当たり、メルヴィッドがリドルの分霊箱だったとしても安堵出来るのは、弱音を吐き出して縋る相手がいるからだろう。自らの弱さを幼い子供に吐露する程、信頼しているのだ。
私には、決して出来なかった事だ。
「オリオン、貴方……貴方という人は!」
溜息を吐いてその場から離れると、癇癪を起こした子供のような駄々が背中にぶつかる。しかし、それも絵画の中を渡り歩いて行く内にどこか遠くへ消えてしまった。
下劣なケダモノのように叫ぶことしか知らない彼女を放置して、もう少し、互いに寄り添い合う彼等を見ていたかった。
レギュラス、そして父を救った彼等に、私も救われたい。ヴァルブルガが救われれば私も救われるのだろうが、その考えが真っ先に出て来ないという事は、矢張り彼女への情などとうに消え失せているのだろう。
気丈で美しかった彼女も、年を追う毎に短期間でヒステリーを爆発させるようになり、晩年には癒者にも手が施せない程に酷い妄想癖を患うようになっていた。何十年も続いた妄言に終止符を打ったと思われていたレギュラスの生還を喜んだのも束の間、リドルが掌握し損ねた魔法界が息子を守らない事実に直面し、更に息子と親しくなった魔法使いがリドルに似たマグル出身の独学者だと聞いて、今やその狂人振りは目も当てられない程になっている。
一体、どれだけの魔法使いが彼女を一目見てブラック家の、しかも当主として君臨した経験もある人間だと納得出来るのだろうか。品位や美貌どころか、人としての理性すらかなぐり捨てた彼女に感じるのは疎ましさだけだ。もうずっと前に、本来の私であるオリオン・ブラックが病で倒れる以前から。
まだ両手で年齢が足りる幼い頃には、彼女は事ある毎に愛してると言ってくれていた。私に会う為に生まれて来たのだと言ってくれていた。顔を合わせる度にいつか結婚しようと指を絡めてくれたのだ。彼女だけではない、義父であるポルックス叔父様の方が、家を空けがちな父よりもずっと私を可愛がってくれていたのだ。少なくとも、結婚するまでは。
結局、私の目が節穴だったのだろう。
人間同士の愛など何処が尊いのか、不幸にならない為にも理性に従い家同士の結婚しろと言われた日の事を思い出す。
彼女との結婚を真っ先に反対したのは、意外にも父ではなく姉様だった。気の弱い姉様は幼い頃から同い年のヴァルブルガの事を目に見えて苦手としていたが、既に純血同士の関係を強化させる為にプルウェット家に嫁ぎ、ブラック家の人間ではない人間の言葉に従うのかとヴァルブルガに指摘され、彼女を愛しているのだと説得して諦めて貰った。
姉様に次いで父が、若いを通り越して幼過ぎる彼女の父親、ポルックス叔父様の事を懸念し、血の近い者同士が結婚する肉体的なリスクを説いたが、マグルの知識から引用されたそれには私もヴァルブルガも耳を貸さなかった。
最後に意志を確かめに来たのはシリウスお祖父様だったが、何か言われた訳ではない。ただ、シグナス大叔父様の孫娘と恋愛結婚をするのかと尋ねられたから強く肯定すると、私以降のブラック家は不幸になると予言めいた言葉を送られ、事実そうなってしまった。
「ねえ、もうヴァルブルガは元に戻らないのかな?」
暗闇と静寂の中で足を止め、滅多に聞かない声がしてそちらを向くと、幼い頃に描かれた私が困惑した顔で立ち竦んでいた。何十年も姿を見なかったので処分されたものだと思っていたが、そうではなかったようだ。
ここは倉庫の中だろうか。隣には同じく幼いルクレティア姉様と、5歳頃に描かれた息子のレギュラスが眠たげな眼で寄り添っている。
ヴァルブルガがこうなる以前は幼い彼女がその場所にいたが、最早絵画の世界にすら彼女の居場所は私の隣ではなくなってしまったようだ。その事実に、安堵をしてしまった。
「さあね」
「大人の僕も、ヴァルブルガの事を嫌いになってしまったの?」
「では、君もか」
絵の具で描かれた不出来な鏡に問いかけてみれば、幼い私は息子を姉様の背後に隠して辺りを探った後、首を縦に振った。それもそうだろう、未来のヴァルブルガがこうだと知ってしまえば100年の恋心も冷めるに違いない。
「だって、叩くんだ」
「何を?」
「小さいヴァルブルガが、僕の事、当主になるための道具だって。本家を乗っ取るための道具だって、僕と、姉様を叩くんだ。小さいレギュラスの事も叩くんだ、当主の母親じゃなくて、早く当主にさせろって。僕、何を間違えちゃったのかなあ」
「……ははっ、成程」
最後の言葉で涙目になった幼い自分に、どうしようもない笑いが洩れる。何も笑えないのに、笑う事くらいしか思い付かない。
子供の私は、私よりも余程早く真実に辿り着いていたらしい。
「皆言うんだ、もうすぐブラック家が終わっちゃうって。僕の所為だって」
「ああ、きっと君と私の所為なのだろうね。けれど、ブラック家は終わらせない」
終わりかけてはいるが、終わらせない。まだ、嫡流であるレギュラスと、そしてあの父が生きている。
そして彼等の周囲にはメルヴィッドと、がいる。途切れたとばかり思っていたものが続いていたと判ったばかりだと言うのに、ここで終わらせてなるものか。
「何処へ行くの?」
私は肖像画だ。オリオン・ブラック本人ではない、紙の上に描かれた、もう何も生み出す事の出来ない薄っぺらい存在だ。
けれど、たとえ私がオリオン・ブラックの姿をした顔料の塊であろうとも、きっとオリオン・ブラックが存命ならば同じ行動に移しただろう。
「パレットナイフを探しに」
情などとっくの昔に枯れ果て、その残骸にすらとどめを刺された。
最早ブラック家当主の妻として、母として、また分家の人間としての能力も無く、生者の世界にまで悪影響を及ぼす女に用はない。