曖昧トルマリン

graytourmaline

アンディーブのソテー

 服薬を終え、当然のように美味であったサヴァランを食べ終えた後、一息ついたアークタルス・ブラックに連れられてファミリールームを出ると、何故か周囲の空気に違和感を感じて立ち止まった。誰かに見られているとか、嫌な気配がするとかではなく、寧ろその逆でその手の物を全く感じなかったのである。
 先導するクリーチャーが私の異常を察して立ち止まり、一体どうかしたのかと可愛らしく首を傾げた。アークタルス・ブラックは私が立ち止まった原因に心当たりがあるのか、訳知り顔で私の頭を撫で、歩きながら話そうと階段へ誘う。
「私と君が楽しく読書をしている間に、ホールの肖像画を取り払っただけだよ」
「ああ、通りで……けれど、何故態々そんな事を?」
は、相変わらず嘘が苦手と見える」
 傷付いた老体に階段の移動が堪えるのか、手摺に掴まってゆっくりと上りながら、彼は灰色の瞳を私に向けた。少々態とらし過ぎる演技であったらしい。
「義娘が、ブラック家の者が君とメルヴィッドに礼儀を欠いた態度で悪態を吐いたと知ってね。事実無根の話をさも真実のように言って相手を傷付けるとは、たとえ肖像画とはいえ許されない事だ」
 恐らくはあの屋敷を譲渡された日に出会ったヴァルブルガ・ブラックの事を言っているのだろうが、今の口振りからすると情報源はメルヴィッドではなくオリオン・ブラックだろうか。薬を服用させる前にしていた会話を思い出すとその可能性が大きいが、もしかしたらオリオン・ブラックの言葉を聞いたレギュラス・ブラック経由かもしれない。
 足腰の弱っているアークタルス・ブラックを介助しながらちらりと玄関ホールを覗き見ると、壁を埋め尽くしていた肖像画は1枚残らず姿を消していて、丸や四角く日焼けしそびれた跡だけが残っていた。彼等は一体、何処に行ってしまったのだろう。
「取り払ったという事は、あの方々は、その」
「酷い事を言われたというのに、あれの事を案じているのかな」
「甘い判断なのは承知していますが、しかし、あの肖像画にはレギュラスやアークタルス様のご先祖様もいらっしゃるのでしょう? それに、他の方々には何もされておりませんし、オリオン様に至っては困った所を助けていただきました」
 2階に上がり切ったアークタルス・ブラックから腕を離し、恩を感じた人間に振りかかる不幸を心配する子供の演技で目の前の老人を見上げた。その、子供の特権である甘さに厳しかった老人の視線が緩む。
「安心しなさい、あの肖像画は一時的に取り払っただけで処分はしていない。長期間放置していた事で酷く傷んでいたから、懇意にしている修復師に預けただけだ」
「クリーチャーめの失態でございます。クリーチャーは奥様や旦那様の、ブラック家の肖像を管理する事が出来ませんでした」
「仕方あるまい、ハウスエルフは主人の命令なく勝手な振る舞いを行うには限度があるのだから。ああ、待ちなさい。泣き崩れる事も自らを罰する事も禁止する」
 ハウスエルフとの付き合いは長いだけあって、アークタルス・ブラックはクリーチャーの扱いを流石に心得ていた。私なんかは彼が嘆き始めてからやっと自らの何が悪かったのかを悟り、どうにか打開しようと思い付いた時には既に何も彼も手遅れになっているのだから。
 大きな瞳から溢れそうになった涙をぐっと堪えたクリーチャーは佇まいを正し、階段側に近い扉を開けて中に案内する。
 色合いの異なる深い緑を基調とした、天井の高い奥行きのある部屋で、家具の配置から見ても応接室の1つとして使用されているらしい。
 ただ、客人を招く応接室にしては私が普段通されている部屋よりも広い癖に異様なほど排斥感が強かった。アポなし訪問をしたルシウス・マルフォイのように、当代や先代当主のお眼鏡に適わない大抵の客はこちらに通されるのだろう。
 今の内に壁紙を新しくしなければいけないらしく、丁寧なお辞儀をして消えてしまったクリーチャーを見送りアークタルス・ブラックに寄り添いながら壁の方を向くと、そこには見覚えのあるタペストリーが掛けられていた。成程、どうやらここが例の部屋だったらしい。あの埃っぽい場所とは似ても似つかない、きちんと手入れされ過ぎていて判らなかった。
「凄いですね、ブラック家の家系図ですか」
「一応7世紀程度は本を紐解かなくともこれで遡れる。私とレギュラスはこちら側に、君はポッター家の子だから載っていないが、ドレアの孫だから位置としてはこの辺りだ。フィニアス・ナイジェラス、私の父方の祖父と、君の父方の祖母の更に父方の祖父で繋がっている。尤も、ブラック家は大抵の純血一族と繋がっているのだがね」
 タペストリーの上に杖で光を灯しながらアークタルス・ブラックは笑い、次いで溜息を零した。視線は、彼の孫の名前に注がれている。
「かつては、これだけの広がりを持っていたというのに、最早正統な後継者はこの子だけになってしまった。せめて弟のレギュラスが結婚し、男子を授かっていればこれ程悩む事もなかったのだろうが、しかし、無いもの強請りをしても仕方があるまい」
「弟様もレギュラスというお名前なんですね」
「ああ、レギュラスの名前はブラック家の中で然程珍しくない、アークタルスの名もね。弟は父似だったな、性格だけは」
「苛烈で、容赦のない?」
「そうだ。品性は叩き込まれていたが、気が短く、時流を読む能力は発現しなかった。もう1人当主候補に、ポルックスが……ああそうだ、彼も去年逝ってしまったのか。君の大伯父で私の従弟がいたが、当時は未熟な若者だった」
 無論、自分も使えない青二才であった。そもそも父と肩を並べられる人間が血族に存在しなかったと零しながら、アークタルス・ブラックは続ける。
「父に才覚の全てが行ってしまったのか、叔父も叔母も大半が碌でなしでね。唯一の例外としてフィニアス叔父様、ここの焦げ跡の部分の人だ、父は末弟の彼を高く買っていたが、あの人はマグルを放ってはおけないと戦時下のロンドンに消えたきり、行方が知れない」
「今も、ですか」
「ああ、今もだ。叔父様が魔法界よりもマグル界を取った事に、父は目に見えて落胆していた。私も悲しかったな、叔父と呼ぶよりは兄と呼べる年齢差であったし、家を空けがちな父の代わりに私を可愛がってくれる、とても眩しい人だった」
 彼が趣味で集めていた銃は今でも大切に保管してあるが、きっともう叔父は現れない、自分の手元には形見ばかりが増えていくと漏らしたアークタルス・ブラックの手を思わず握ると、悲しげな笑みを返された。灰色の瞳が、君は私よりも先に逝ったりはしないだろうと、無言のまま断定の形で問いかける。
「だから消去法で、私が当主になるしか道はなかった。父も、そう思ったのだろう」
「合議制を取っていないのなら兄弟2人でも無理なのに、従弟も入れて3人で仲良く、なんて不可能な話でしょうからね」
「判って貰えて嬉しいよ」
 何度も言っているような気がするが、どこぞの戦闘民族4兄弟や六文連銭一族でもあるまいし、歴史や資産や地位や名誉がある家を皆で仲良く力を合わせて末永く繁栄させて行こうなんて無理を通り越して不可能だ。家督争いはどうしたって起こるものであるが、かといって、アークタルス・ブラックが悩んでいるように、年若く正統な後継者が1人しか存在しないというのもかなり心細い。
 一応、血統だけは文句の付けようがないシリウス・ブラックという囚人も現在生存中なので、レギュラス・ブラックが本当に最後の1人ではないのだが。
「そこの焦げ跡が気になるのかな」
 シリウス・ブラックの事を考えていた所為か、視線がそちらへ向いていたらしい。乾いた指先が折角の美しいタペストリーを焦がしている箇所に触れ、困惑の表情を浮かべる。
「この位置は。レギュラスの、お兄様ですか?」
「あの子は何も話していないのか、まあ、確かに、進んで話すような事でもない。いや、独り言だ。この子はシリウス、16の時に家を出た子でね。マグルに対して好意的だった事も相俟って、義娘に家系図から排除されたらしい。今はアズカバンに入れられている」
「アズカバンに収容されたシリウス・ブラック……ああ、もしかして、10年程前に、私の生みの親の情報を売ったとか、大量殺人を犯したとかで騒がれた方ですか」
「殺人の事だけではなく、そこまで知っているのか。そうか、レギュラスから聞いたが、確か魔法界の法に興味があると言っていたね」
「法そのものも、ですが。司法や裁判、刑務所の制度や在り方についても、多大に」
「耳の痛い話だ。しかしそうだな、マグルの時流は随分先に行ってしまった。そろそろ我々も腰を上げ、進まねばなるまい」
「法の管理も、ブラック家が?」
「いや、目に余る箇所は多少手を出したが、管理運営は他の一族の区分だよ。ブラック家は魔法界それ自体を守護し繁栄させる一族だからね、些細な事にまで構っていられない。しかし、そう言って逃げていただけかもしれないな」
 或いは人手があれば以前から介入も可能だったかもしれないが、と呟きながら灰色の瞳がタペストリーを見つめ、使える魔法使いがいなければ土台無理な話だと肩を竦めた。
「法に関しては主にクラウチ家やボーンズ家が管理していたが、あの家もここ1世紀以上まともな人材が出ていないな。せめてアズカバンだけでも私が生きている内に何とかしたいものだ。あれは刑務所という名の前時代的に過ぎる収容所だ、刑を執行される場所ではなく、生きる者の権利を蹂躙する場所に過ぎないが、代替になる施設の案がない。裁判制度に関しても進めて行きたい、現状は情況証拠に重きを置き過ぎている」
「シリウス・ブラックの裁判は、行われる事すらなかったようですからね」
「君は、よく調べてくれたようだ」
「情報の主な仕入先が新聞と雑誌なので確信は持てませんでした、アークタルス様の反応を見る前までは」
「必ずしも真実とは言えないよ。私も、ホラスや他の者達からの又聞きだからね」
 立っている事に足腰の疲れを感じ始めたのか、踵を返し1人掛けのソファに座ったアークタルス・ブラックは彼から見て左手の、タペストリーがよく見える位置に設置してある多人数掛けソファを勧めた。
 冷たい冬の光を背に浴びながらタペストリー全体を眺め、アークタルス・ブラックに一連の動作を眺められながらゆるりと息を吐く。
「彼は、シリウス・ブラックとはどのような人物だったのか、伺っても宜しいですか」
「シリウスはブラック家の気質が強い子だったよ。ただ私の知る限り、純血主義には真っ向から反対していたが、果たしてあれが演技だったかどうか……他には、感情的で、意図的に礼節を無視する傾向はあったかな。しかし友情を重んじ行動力があって、魔法を扱う才能はレギュラス以上にあった」
「土壇場で逃亡を図る臆病な方、ではなかったようですね」
「ブラック家では珍しいグリフィンドール寮に……ああ、ブラック家は大抵ホグワーツ内のスリザリンという名の寮に入れられるのだが、あの子だけはスリザリンと対立する寮に組分けされた。勇猛果敢に過ぎる子だったよ。蛮勇、とも言い換えれるような子だ」
 皺だらけの手が組み合わされ、灰色の瞳が眼光鋭く私を射抜いた。
 私が何を知りたいのか判っていて、それでも彼は他に何が知りたいのかと尋ねて来る。
「シリウス・ブラックは、落ちこぼれと評されていたピーター・ペティグリューに追い詰められ、自棄を起こす程間抜けな方でしたか」
「断じてありえない。あの子は傲慢ではあったが、そのような醜態を晒す程馬鹿ではない。幼少の頃に施したブラック家の教育は、否応無しにあの子に染み付いている」
「ベラトリックス・ブラックと、夫君のロドルファス・レストレンジはどうでしょうか」
「直情型、だったな。特にベラトリックスはその傾向が強かった。魔法の才能はシリウスに負けず劣らずあって、一族の中でも特に矜持高かった」
「然様ですか」
 ゆっくりと瞼を閉じ、再び目を開いてタペストリーを睨むようにして眺めると、老人の声が何を考えているのかと問い掛けて来た。恐らくは、その答えも判っているのだろう。
 判った上で、彼は私に言わせたいのだ。その考えが間違っていないと。
「物証は何もありません。情況証拠のみで推測するのは妄想と同義なので好きではないのですが、私は、シリウス・ブラックが両親を売り、ロンドンで大量殺人を犯した人間ではないと考えています」
「興味深い内容だ、理由を聞こう」
「成績も優秀ではなく、何も彼も冴えない、愚鈍で、決闘も下手だったと記事にされるような、ただ優しいだけの落ちこぼれた人間が、勇敢さだけでブラック家の人間を追い詰める筋書きは奇跡としか例えようがありません。そして、奇跡は起こらないからこそ奇跡と呼ばれる。大体、勇気なんて物だけでそんな事が現実に可能ならば、例のあの人と呼ばれるテロリストなど、とっくの昔に遺族の誰かに殺されているはずです」
 現実の前で精神論は紙屑同然だと言い切り、更に続けた。
「先程言った、物証がない、というのが一番引っかかる点です。本当に、何もなかった。いいえ、これは正しくありません。物証は千万程もあったのに誰も何も検分せず、真っ当な裁判すら経ずにシリウス・ブラックは監獄へ入れられました。唯一採用された証拠といえないような証拠が目撃証言のみだなんて呆れてものも言えません」
 レギュラス・ブラックを案じたクリーチャーへ言葉を聞かせたように、既に知っている事をさも自分自身の力で組み立てたかのように嘯く。
 罪悪感や良心の呵責など、勿論存在しない。
「シリウス・ブラックが、情報を売っただけというのもやや不自然です。公式な記録で生みの親を廃人にしたのは4人、そこに記載されているロドルファス・レストレンジ、彼の弟のラバスタン、ロドルファス・レストレンジの妻ベラトリックス、そしてバーテミウス・クラウチ……裁判記録を見る限り、最後の彼も頑なに否定し続けていたので冤罪のような気がして仕方がないのですが、まあ今は関係ありませんか。さて、加害者4人の証言を照らし合わせても、居場所を最初から知っていたはずのシリウス・ブラックが加わっていたとは一言も出ていません」
「単に仲間を売らなかっただけとも考えられる、それは不自然かな?」
「彼等は例のあの人の居場所を知っていると思い込んで生みの親を拷問したようですが、そんな事をしなくても実父と親友と言われていたシリウス・ブラックが真実薬を混入させた飲料の1本でも手土産に持っていき、忘却術でも唱えれるか、不謹慎ですが殺してしまえば情報は簡単で安全に手に入ります。情報が手に入るかどうかも判らない拷問をするよりも、遥かに、確実に。ただ、お二方の性格を聞くに双方感情に走るようなので、明らかに不自然とは断言出来ませんが。けれど、感情に走ったならば、実の祖父であるアークタルス様に蛮勇と評されるシリウス・ブラックが現場に居ない事が今度は不自然になってしまいます、彼は他の4人とは別に、後日ピーター・ペティグリューに追い詰められた、となっています」
 どうやっても机上での辻褄が合わないのだと告げると、アークタルス・ブラックは少し意地悪そうな笑みを浮かべ結論を求めた。
「つまり?」
「ピーター・ペティグリューがシリウス・ブラックを追い詰めたのではなく、シリウス・ブラックがピーター・ペティグリューを追い詰めた。何処で手に入れたのは定かでありませんが、情報を売ったのは臆病者のピーター・ペティグリュー。追い詰められた者の放った咄嗟の一言で、全ては逆転して今に至っている。それなら辻褄が合います、けれど辻褄しか合いません」
「証拠がない。それを証明出来る物は何も、一切の物証が存在しない」
「ええ、現時点では、全てただの妄想です。最も重要な証拠である死体すら結局確認されていません。いいえ、そもそも、死体が存在しないのに行方不明ではなく即日で死亡が認められた事が既に可怪しいんです。何よりも」
「そう何よりも、指が1本失われた程度では、人間は死なない。人間の体は案外固い、爆発の中心部に居たとはいえ、小指が残っているのなら普通は他の部位も残っている。事実、他の被害者達は破片になりながらも他の臓器や破片が発見された。ピーター・ペティグリューだけが、指1本だった。小指だけで死が偽装出来るのなら、安いものだろう」
「仰る通りです」
 未来を知らない彼も、矢張り孫の事件は気になるのか独自に調べ上げ、同じ結論に至ったようである。しかし、彼はここで手詰まる。ピーター・ペティグリューがネズミのアニメーガスだと知っている人間は、数える程度しか存在していない。
 そして知っている人間は、様々な理由で口を噤んでいた。尤も、口を開いて情報が広がった所で、その頃にはピーター・ペティグリューは逃亡しているだろう。その為に、彼は魔法界の情報がいち早く入って来る純血のウィーズリー家に潜り込んでいるのだ。
「指の欠けた魔法使いが来たら報告するよう病院に通達して10年程待っているが、中々捕まらない。内々に手を打とうと画策してみたが、クラウチの、ああ、バーテミウス・クラウチの父親だが、あれもこの件を蒸し返されるのが余程嫌らしく妨害されたな。そうこうしている内に、私も監禁され、虐待の生活が始まった」
「けれど、アークタルス様は解放された。そして未だ、諦めていない」
「そうだ。たとえ家系図から抹消されようとあの子は私の孫で、レギュラスと共にブラック家当主の血を引く最後の直系男子だ。諦め切れる訳がない」
 握り込んでいた皺だらけの両手を外し、節くれ立った指が肘掛けを優しく撫でる。
 僅かに外に出た彼の持つ激しさは、既にその形を潜めていた。
「嘲笑うかな、老いて尚妄想で動き、見苦しく足掻く私を」
「いいえ、決して。それがアークタルス様の生きる原動力となるならば」
「優しい子だ、君は」
 今迄見つめ続けていた視線がようやく外れ、老いた瞳は窓の外から入って来る冬の光に目を細める。酷く穏やかだったが、真冬の湖のように暗い表情だった。
「嘘を通してでも繋いでおけばよかったと、後悔している。あの子が、シリウスが家を飛び出した原因の一端は、私にあるのだ」
「アークタルス様に?」
「純血一族の頂点に立つブラック家の本邸がこの国の首都、ロンドンに存在する事には理由がそれだ、と言えば君なら判るかな」
「時流を、間近で読む為でしょうか」
「そうだ。魔法使いはマグルから身を隠さなければならないが、その為にはマグルの社会の流れを絶えず知っておかなければならない。魔法使いを保護しなければならないが故に、ブラック家は常にマグルとの境界線近くにいる」
「だから魔法界の帝王学を先に、徹底的に学ばせてから外の世界に出すのですか。しかしそれでも、知識を得る過程で逆に呑み込まれてしまった?」
「他に役割を変わってくれるような一族もない。仕方のない事だ、1つの世代に必ず1人以上は出てしまう。レギュラスは箒が好きで色々買ってやったものだが、シリウスは同じ移動手段でも特に、大型のオートバイに興味を惹かれていたかな」
「大型のオートバイは流石においそれと購入出来ませんね、色々な意味で」
「幸いアルファードがシリウスの事を可愛がっていたから、それ程大きな兄弟喧嘩はなかったが……ああ、彼も消されているな。ヴァルブルガとシグナスの間にある焦げ跡が彼だ。当時いたブラック家の中では一番柔軟な思考をするいい男だったのだが、頭の固い義娘とは相性が悪くてね。彼の遺産は確か全てシリウスに渡ったはずだが、原因はその辺りかな、恐らく家系図から消したのもヴァルブルガの独断だろう」
 女王気取りが勝手な事をと小さく呟き、アークタルス・ブラックは柔らかいソファに深く掛け直す。疲れきった老人の横顔が目に入ったが、私に見られている事を思い出したのかすぐに背筋を伸ばして何か言いたそうな顔だと指摘した。
 確かに、あるにはあるが、否、丁度いい機会だと思って聞いてしまおう。
「アークタルス様もまた呑まれかけていたからこそ、ブラック家の危機を察知してオリオン様に家督を譲ったのですか」
 言いながら、四次元バッグの中から一束の羊皮紙を取り出して、論文の忘れ物だと彼に返した。タイトルの付けられていない未完成な紙の束には、どのようにして魔法使いが生まれたのかが調べ上げられ、悶々とした走り書きがしてある。
 一体何年掛けて書いたのだろうか。彼の辿り着いた結論は、全ての魔法使いは元を辿れば非魔法使いの突然変異である、であった。無論、純血一族の当主の座に就いていた彼が、こんな物を世に発表出来る訳がない。
 てっきり顔色の一つでも変わるかと思ったが、そんな貧困な想像力に付き合うつもりはないとでも言うようにアークタルス・ブラックは快活に笑った。
「家事好きな君の事だから早々に見付けると思っていたが、予想より早かったな」
「態と忘れて行ったのですか?」
「用心深く正直なの事だ、こうして1対1の時を見計らって手渡しで返しに来ると思っていたよ。だが、それは君が持っていてくれ」
 どうやら私の性格を見越してこうなるように仕掛けたらしい。ならば遠慮せずに話題にしてしまおう、彼もきっとそれを望んでいる。
「これが、可能性としては一番大きいのでしょうか」
 少々極論に走っているので私としては賛同出来ない説なのだが、アークタルス・ブラックは自信を持って頷いた。
「他にも人間に似た形態の魔法生物と婚姻関係を結んだ一族もあるらしいが、どの道片割れを辿ると両親は純粋なマグルだろう」
「人間形態の魔法生物というとギリー・ドゥーやガン・コナー、他国のサモヴィーラやイェルのような妖精系でしょうか」
「安易に巨人や吸血鬼と言わない辺りが君らしいな」
 私、というよりも日本の場合は一般人からの突然変異型よりも蛇やら狐やら竜やら神様やら、要は人間ではない系先祖の方が圧倒的に多いような気がするが、まあ正確に数えた事はないのでよく判らない。誰かに呪われたり、逆に、神様に気に入られた一般人も多いだろうから。そもそも何を以って純血とするかが非常に曖昧で、別に曖昧なままで困らないから放置で問題ないと大多数が思っているのだ。
 ただ、本気で調べようと思えば割と普通に先祖を辿れるだろう。旧家に属する人間が簡単に書類関係を捨てるとは到底思えない。ただ、それは日本だけの話で、ヨーロッパは宗教や異民族の問題で割と焚書するらしいが、そちらは人伝に聞いただけなので定かではない。
「しかし予想通りと言うか何と言うべきか、は冷静だね」
「全ての魔法使いの先祖が非魔法族の突然変異と説明されても、という事ですか?」
「いや、流石にそれは大多数の魔法使いが疑問に抱きながらも目を背けている事だ。ただ、怖くて誰も調べようとしないだけで。私が言いたかったのは、私が純血の定義に疑問を抱いていたという事だ」
「判りますよ。アークタルス様、割と意図的に失言していますから」
 先程の会話に出たサンダーバードも、恐らくはその一端なのだろう。
 私はオリオン・ブラックの肖像画に対して国際救助隊とは言ったが、サンダーバードとは口にしていない。そして、オリオン・ブラックは元の作品を知らない反応をした、ならば単語が変質したのはアークタルス・ブラックの中である。
 無論、それだけではない。他にもっと、大きな失言があった。
「気付いてくれて嬉しいよ、あのパーティの時の言葉かな?」
「君が純血と周囲から認められる子ならばよかった、でしたよね」
 拾った瞬間に奇妙だと思った呟きを再び口に出すと、そうそれだとアークタルス・ブラックは膝を打ち上機嫌な様子で笑う。あの直後に虐待の事が発覚して流れてしまったが、実はこれも結構な問題発言だった。
 私が純血と周囲から認められる子ならばよかった、では可怪しいのだ。単純に、私が純血ならばよかったで済む言葉を態々、周囲から認められる子と言い回すならば、それなりの理由がある。
 彼自身は、私を純血だと位置付けているのだ。つまりは。
「魔法とは全く関わりのない両親から生まれた者達こそが、始祖ともいえる真の純血者である。というのが私の辿り着いた結論でね」
「同意出来かねますが、それにしても馬鹿正直に発表したら全方向から刺されそうな結論ですね。純血主義者の世界が引っ繰り返りそうな劇薬ですよ」
「私だけが刺されるのならば別に構わないが、現実はそうも行ってくれない。今の所は死後にも発表出来そうにもないからこれは墓場行きだろう」
 また微妙な言い回しをしているが、何も気付いていないような演技で流してみると、そうしている事を見破っているような笑みを浮かべてアークタルス・ブラックは面白そうに首を傾げた。
「どうやら君とは、思っていた以上に愉快な話が出来そうだ」
「そうでしょうか」
「そうだとも。これまで色々な人間と関わって来たが、君のような頭のいい正直者は初めてだ。老婆心ながら忠告しておこう。頭の回転が速い者は、大抵嘘吐きだ」
「忠告ありがとうございます。けれど心配は要りません、騙される事に怯えなければならないような方には、始めから信頼を寄せませんから」
「ああ。だから私は、君が好きなのだろうな」
 今日はこの辺りで切り上げて、また次の機会にでも私の純血に関する見解を聞かせて欲しいと言いながら立ち上がったアークタルス・ブラックが、今は年寄りの自慢話に付き合ってくれないかと困ったように笑うので、当然二つ返事で付いて行く。
 彼の背中が階下で見たものよりも少しだけ大きく見えて、同じ老人である所為なのか、私も嬉しくなった。