曖昧トルマリン

graytourmaline

■ 時間軸:お爺ちゃんがカンブリア州の屋敷に引っ越した後

■ 家族ごっこをしていたお爺ちゃんとメルヴィッドの話

■ 騎士団員視点だけど、とあるお婆ちゃんがずっと喋ってるだけ

■ とあるお婆ちゃんの一人語り

ありきたりな幸福像

 はいはい、今出ます。どちら様かしら……あら、そう。福祉局の方なの。
 ? いいえ、申し訳ないけれど……10歳くらいの男の子? 黒い髪で眼鏡を掛けた白人の、目は緑で。
 ああ、あの引っ越して行ったお家の子ね。それなら、ええ、知っているわ。そう、そういえばお兄さんにって呼ばれていたかしら。いつも坊やって呼んでいたから。あの子ね、とても良い子よ、お兄さんといつも一緒にいて、いつも笑顔いっぱいで。
 あら、そう。お兄さんじゃないの、里親さんだったの、だからファミリー・ネームが違うのね。お兄さんの名前はなんだったかしら。確か、もっと普通の……いいえ、そうだとは知らなかったわ。顔は、あまり似ていないなとは思ったけれど、色々あるかもしれないでしょう。立ち入った事はね、もしかしたらお父様似とお母様似なだけかもしれないし、ご両親が再婚されて連れ子同士だったかもしれないだとか。そう、でも本当に仲が良かったのよ。本物の兄弟以上に、仲が良かったの。
 たとえば? 沢山あって簡単には挙げられないけれど、そうね、一緒に車に乗って買い物に行く姿はよく見かけたかしら。深い緑色をした、綺麗で可愛らしい小さな車。お家の中と一緒で、手入れが行き届いていたそれに乗って。
 ええ、何度か。玄関先からお家の中を見た事もあるけれど、温かい感じの、とても素敵なお家だったの。そう、私と主人とワンちゃんがいるだけだから、いただいた物が食べ切れなくて、果物だとか色々食べ物をね、差し入れた事があったの。その度に丁寧にお礼を言ってくれて、こんな風に料理して食べましたよ、美味しかったです、とか。
 ……そうねえ、本当に色々あるのだけれど、特にクリスマスプレゼント。あれは可愛かったわねえ、2人共、ふふっ。
 お兄さんがね、珍しく手編みのセーターを着ていたの。
 ええ、珍しいわ。弟さんが来るまでは、お兄さんはあまり、ラフな格好を好んでいないようだったから。それでね、そのセーターがアランセーターで、貴方のお名前は? そう、ポドモアさんって仰るの。ポドモアさんは、アラン模様ってご存知かしら。そう、ご存知ないのね。元々はアイルランドの物で、漁師の旦那さんの為に奥さんが編むセーターの模様なんですけれど、模様それぞれに意味があるの。この模様は幸福、この模様は健康、って。
 そのアラン模様だったから、最初はね、彼女さんの手編みかなと思ったの。
 それで、素敵なセーターねって言ったら弟がクリスマスプレゼントに編んでくれたって。弟さん、お兄さんの事が大切で仕方がないのねって言うときょとんとした顔をするものだから、ああきっと貴方と同じで模様の意味を伝えていないのねって判ってしまって、お節介だとは思ったのだけれど、誰かが言って上げなくてはと思って、老婆心で。
 そうしたらね、彼ったらほんのり頬を染めて、とても可愛い笑顔ではにかんだの。
 そんなことはないわ、普段から笑っているし、丁寧で愛想も良い子よ。だけどね、あんな笑い方が出来る子だとは思わなかったの。ずっと独り暮らしで、弟さんが来るまではあまり近所付き合いもなかったものだから。
 ああ、お兄さんの事を悪く言うつもりじゃないの。弟さんが来る直前までは学生さんみたいだったから、今思うと、社会人になってすぐ迎え入れたのね。ええ、そんな大人びていた子が急に等身大の男の子になった瞬間を見て、ああ本当に心を許してる家族なのねって。そうでなければ、あんな綺麗な笑い方は出来ないわ。
 そう、それでね、その後にまた可愛い事があったの、今度は弟さんの方に。
 クリスマスの後、年が明けてすぐ。そう、あの子達が引っ越してしまう直前くらいだったかしら、弟さんが鼻歌交じりで歩いていたものだから、何か良い事があったのって聞いたらね、お兄さんが服をコーディネートしてくれたのって嬉しそうに笑ったの。ねえ、可愛らしいわよね、本当に可愛らしかったのよ。そのマフラーがね、矢っ張りアランニットだったものだから。
 きっとお兄さん、模様の意味を調べたのね。セーターを編んだ弟さんはもう知っているでしょう。だから気になって、新しいマフラーの使い心地はどうかしらって訊ねたら、お兄さんと同じようにきょとんとした顔をしたわ。
 でも、それから泣きそうな笑顔を見せて、こんな小さな両手でね、マフラーの端をぎゅって掴んだの。
 それだけでもう、言葉なんて必要ないでしょう、あんな表情と仕草をされたら。
 他には? せっかちな方ね。主人から訊いた話でもいいかしら。そう、いいのね。
 お兄さんの勤め先は知らないけれど、きっとちゃんとした所なのね、毎日大体決まった時間に帰って来るみたいなの。ええ、私は家の事をしているからほとんど見ていないけれど、主人はいつも決まった時間に散歩に出て、時間が合うから。
 そんな大層なものじゃないわ、でも、そうね、毎日そうなら、偉いことよね。いいえ、悪いことではなくて、真逆の。
 弟さんね、お兄さんが帰って来るといつも玄関にお迎えに来るんですって。
 それでお帰りなさいって言ってあげて、荷物を受け取って、雨の日なんかはタオルを差し出したりしてね。ねえ、まるで新婚さんみたいね。それとも今時は男の子同士の親子や兄弟でもあんな事をするのが当たり前なのかしら、ごめんなさいね、昔からテレビもラジオも縁遠いものだから、この歳になると新聞や雑誌の文字を読むのも辛くて、流行には疎いの。
 ええ、でも、だから虐待だなんて、そんな事は絶対に。綺麗で、明るくて、暖かくて、幸せそうだったもの、2人共ね。
 他のご家族は、いいえ、彼等2人で、あ。いえ、違うわ。確か間に、男の子がもう1人。何時だったかしら、去年の夏、8月くらいだったような。
 ハーブか何かを輸入しているみたいで、ええと、アジアの方面だった筈よ。多分中国じゃないかしら、お兄さんが確か、漢方薬って言っていた気がするから。顔はお兄さん似で、寝起きが悪いって言っていたけれど、今思うと、もしかしたら時差ボケだったのかもしれないわね。
 まだまだ沢山あるわよ、次はね……あら、もういいの。そう、残念ね。
 引っ越す前のお家が知りたい? すぐ見付かるわ、あの通りの向こうの花屋敷。あの子達が引っ越してからは手入れもされていないから、あまり大きなお花はないけれど、ストックやビオラが見頃かしら。引っ越す前までずっと兄弟でお世話したから、今でもお庭の花が綺麗に咲いているの。
 昔もね、素敵な薔薇屋敷だったのよ。
 私よりも年配の女性が独りで暮らしていて、毎日薔薇のお手入れをしていたわ。体が不自由になったとかで、ここ数年は随分荒れていたけれど、お兄さんが来てから少しずつ綺麗になって行って……本当に、残念ね。2人共、自分の作った庭の花を愛でずに行ってしまったから。真ん中の弟さんのためかしら、裏のお庭のハーブは持って行ったみたいだけれど、お庭そのものは持って行けないものね。
 でも、あら、おかしいわね。
 福祉局の方なのに、お家の場所を知らないの? 新しく赴任したばかりでって、でも、住所が書かれた書類はあるのでしょう?
 ポドモアさん。申し訳ないけれど、身分証明書を見せて頂けるかしら。福祉局の方なら当然持っているわよね、貴方……
 ……あら、嫌だわ。私ったらぼうっとしていて。ええと、何だったかしら。雑誌の定期購読? ごめんなさい、この歳になると文字を読むのも辛くて、ふふ、いいえ、なんでもないわ。ただ、ついさっきも同じような事を言った気がしただけ。
 ええ、本当にごめんなさい。
 ありがとう、それじゃあ失礼するわね。