廃宮の木乃伊取り
「ありがとうございます。時間ぴったりですね」
「当たり前じゃないか。いいから冷める前に飲んで」
「では、いただきます」
子供の体を乗っ取っているとはいえ、100年を生きる男とは思えないような無防備な笑顔でカップの縁に口を付け、唇で温度を確かめてから躊躇いもなくそれを飲み込む。毒を盛られているかもしれない、なんて考えられる脳味噌は持っていないらしい。或いは、何があっても影響を受けるのはその子供の肉体だけで、意識には全く問題が起こらないから、かもしれないけれど。
湯気で曇った眼鏡が間抜けだと指摘しても、矢張り笑顔で流される。何故そこまで笑顔になれるのかと問えば、嬉しいからだと言われた。
「なんだ、5回か6回、飛ばされてもいいと言ってたのは嘘だったんだね」
「嘘ではありませんよ。ただ、若い人の淹れた心尽くしのお茶が、嬉しくて」
「キッチンの戸棚にあった中身も判らないハーブティーだよ」
これは、嘘だけど。
メルヴィッドに一々断って手頃なハーブを分けて貰い、それを訝しんだあれに明日はの誕生日だから今日の礼をしてやるのだと言ってやった。その時の顔ときたら、あの渋面を思い出すだけでしばらくは上機嫌でいられる。絶対に尋ねずにはいられないだろうと予想していたけれど、本当にそうなるとは。
何故私がそんな事を知っていると訊かれたから昼間のやりとりを正直に答えてやれば、それはもう面白いくらいにあの顔が歪んだ。はお前が思っているよりも薄情だ、こちら側から積極的に尋ねない限り何も言おうとしない事すら判らないのかと追い打ちを掛けてやった時の、あの怒りに満ちた目が愉快で堪らない。
メルヴィッドの根本は私と同じで、自分のテリトリーに囲ったものへ無遠慮に触れられる事を嫌悪する性質がある。況してや自分の知らない情報を相手が当然のように知っているなど、到底許す事の出来る所業ではなかった。
気の抜けた顔をしてハーブティーの表面を吹いているは勘付いてすらいないだろうが、メルヴィッドはこの男を非常に気に入っていて、自分こそが誰よりも優れた理解者だと思い込んでいる。だから、そんなものは幻想だと、あれの知らない部分を一番初めに奪って見せびらかすのはとても楽しい遊びになった。
今度は、何を奪ってやろうか。
ああ、そうだ。リビングにあるヴォーパルバニーのぬいぐるみに仕掛けよう、私の言葉を裏切ったらが傷付き、信じたならばメルヴィッドが傷付くような楽しい仕掛けを。
一方的な信頼とやらが何処までのものなのか見せて貰おうじゃないか、その信頼が成り立たなかった時に、思い切り口汚く罵ってやろう。
考えるだけで今から楽しみだ。
「然様ですか。まあ、貴方がそう言うのなら、爺の気の所為にしておきましょう」
一瞬、何の事かと思ったが、ハーブティーの中身の事だったようだ。
カモミール、オレンジブロッサム、リンデンフラワー、それに少量のペパーミント。はそれだけ呟くとカップを傾け、薄い紅茶色の液体を大切そうに飲み込む。全てのハーブに鎮静効果がある事を知っている癖に、それ以上は触れて来ない。
この男は私の嘘を嘘のままにした。やり方は、とてつもなく下手だけれど。
「美味しいですねえ」
白い息を吐き出し、小さな手の平でマグカップを包んで、子供の顔で老いた男が笑う。
歪な光景と思ったのに不愉快だと感じなかったのは、昨日が私の誕生日で、今日がの誕生日だからと、そう決め付けておく事にした。