枯木に花開く
今年の秋頃からそのような事が特に多くなった、以前にも増して頻繁に重ね掛けされていた理由が、成程ブラック家の正統な後継者が現れた所為だったのかと知ったのはつい先頃の事だ。回数は多かったが、効果が薄かった事にも納得が行ったものだ。
それは違う、この痣は以前からだよ。服従させて、拘束して、監禁して、それで始めて怯えながら暮らす事の出来るような小心者達だ。身の丈以上の欲望と凡庸な邪悪さを併せ持った、計画を練り不慮の事故に見せかけて私を殺す事すら出来ない臆病者達だ。尤も、そのような者達にそうされても何も感じない程度には、私も人生に対して愛想を尽かせていた、どうしようもない老人なのだけれどね。
そうか。では話を戻す事にしよう。あの時は丁度、梟が来たからだろうな。本当に賢い梟は受け取り主を間違えない、私宛の手紙を携えた梟は音もなく屋敷の内部に入り込み、固く閉ざされた扉を嘴で叩き、薄暗い地下室に監禁されていた私の元へやって来た。
遺体もなく、生死すらも分からずに、ただ事務的に死亡届が出された孫からの手紙は、性質の悪い冗談として済ませるには本物に似通い過ぎていた。厚い封書の手触りも、煤のない封蝋の美しさも、鮮やかに映えるインクの滑らかさも、色褪せない繊細さを宿した印章も、全てブラック家の為だけに作らせた物であり、他人が安易に模倣出来るような品ではない。そして勿論、レギュラスが直接書いたであろう筆跡も。
霧の晴れた青空の下に、立てたような気がしたよ。
人間としての尊厳を、100年の間、育んで来た自我を、自分自身の意志を、生きている意味を思い出した気がした。
無論、その手紙の存在を隠し通せるような場にはいなかった、監視役のハウスエルフから伝え聞いた妻の係累達は心底慌てただろうね。秋口からずっと触れずにいた存在、ブラック家当代当主からの招待に。
当り障りのない、それとなく濁した欠席理由を書いてしまえば先代であり実の祖父でもある人間を送り出せない理由は何だと糾弾され、怪我や高齢という身体的障害を言い訳にすれば見舞いに来られるのは目に見えている。
私が古新聞から情報を得てホラスに手紙を出す隙すら作った挙句、妙案も浮かばず進退窮まった彼等は私に服従の呪文を何重にも施し、あの救済の場へと送り出した。
誰から見てもあれは相当に判り辛いだろうね、けれど、確かに施されていたよ。物怖じした、自信のない、今にも杖を取り落としそうな心のままで押し付けられた襤褸のような呪文が。心に少しの余裕もない、無様なものだ。見ただろう、あの不釣合いな服を。それに気付く事が出来ない程、彼等は追い詰められていたのだよ。
……ああ、そうだ。
そして一言、たった一言レギュラスに告げるだけで、理不尽な境遇から抜け出す事が出来たのは認めよう。
最後の最後に、年寄りの馬鹿みたいな矜持が邪魔をしたのだよ。
過去にそれを経験したあの子には、今は救われているのだと微笑みを浮かべたには見透かされ、この瞬間だけは助かる事以外からは目を逸らしていて欲しいと懇願され、今に至っている訳だが。
ふふ、そうだな。あの子は良い子だ、私にとっても、レギュラスにとっても。
里親のメルヴィッドとあれ程懇意でなければ私の養子として迎え入れたが、そのような手段に出なくても、彼はあの立場のまま私達の傍に立ち続けてくれるだろう。
さて、手粗く纏めたが、私の近況はこの辺りで切りをつけよう。詳細はまた、明日の朝からでも構うまい。
今はそれよりも、マクミランの連中がこちらの動きに勘付いて国外へ逃亡しないよう、手を打つべき時間だろう。
それを終えたら、また我々は皆、に会える時間も取れる。あの、慈愛と激情を同時に内包する奇跡のような子供と戯れる時間が。ホラスも認めた、幼いながら守護霊を召喚するあの才能も素晴らしいが、それを支える揺るぎない精神力が何よりも尊い。母性の内側で根を張ったあの子の強靭な心は、正に驚異だ。
その精神の滲む、磨き上げられたエメラルドの瞳だった。春を匂わせる花や秋に実る果実のような充溢した爛漫さの陰で、極夜に吹き荒ぶ狂える冷たさと地獄から這い上がった劫火の熱を孕ませた、とても美しい目をしていた。
ああ、全く。どうしたらあのような子が生まれ育つのだろう。汚らわしい大人の元で、一体どのようにしたらあの色鮮やかな魂が形成されるのだろう。
ああ、そして全く。あの子とあの子の里親が、ブラック家とレギュラスに寄り添い共に居てくれる現実にどれ程安堵した事か。
そう思うだろう、クリーチャー。10年の年月を孤独に過ごして尚、主人を待ち続け、また尽くし続けたハウスエルフよ。