曖昧トルマリン

graytourmaline

大きなタルト・タタン

 戻した右手を自らの頬に軽く当て、今にもこの場から逃げ出しそうなホラス・スラグホーンに対して、メルヴィッドは少し困惑を宿した美しい表情で微笑んだ。
「私の顔に、何か……ああ、もしかして、知り合いのどなたかと顔立ちがよく似ているのでしょうか」
「いや、まあ。そうと、言えなくもない」
「何だホラス。らしくない、随分曖昧な返答だな」
「あまり印象の良い方ではないのでしょう。以前お会いした魔法使いの方の中にも、私を見てスラグホーンさんと同じような反応をされた方がいらっしゃったので」
 メルヴィッドの言っている魔法使いとはルシウス・マルフォイか、それともレギュラス・ブラックか、どちらにしてもブラック家とは縁のある人物なので、フルネームを出して態々アークタルス・ブラックの不興を買いに行くこともない。彼は、今の所は私とメルヴィッドの味方だ。
「メルヴィッドはマグルの大学の出だと言ったばかりだろう、単なる他人の空似だろう。も、そう思うだろう?」
「仰る通りだと思います、世の中には同じ顔の方が3人いると言われていますし。けれど、メルヴィッドのような美貌の持ち主が他にいるのならば、是非一度お会いしてみたいものですね」
は面食いだね。どうするんだい、そんな事を言って本当に3人揃った時は」
「眼福極まりない光景に驚喜している事を悟られないようにしつつお三方を1つのテーブルに纏め遠くからご尊顔を目に焼き付けます」
「横柄なのか慎み深いのか判断に困る事を真顔で発言するから君は周囲から変人だと言われているのだけど、今の表情を見るに相変わらず自覚は全くないようだね。ただそういう所が逆に魅力的で面白いと言われれば、否定出来ないけれど」
 後半が明らかに嘘の言葉を吐きつつ私の頭を撫でて微笑み、小動物を可愛がる乗りと同じなのかアークタルス・ブラックも便乗して手を伸ばして来る。ただ、ホラス・スラグホーンは脳内で結び付けられたヴォルデモート=トム・リドル=メルヴィッドの構図が抜けず、かといってごく普通の大学を卒業して薬剤師として働いている前情報から頭から何も彼もを否定する訳にも行かない故に苦悩しているようだった。
 視線が幾度か泳ぎ、太い指が禿頭を撫で付けた後でようやく、ホラス・スラグホーンが引き攣った笑顔とも困惑顔とも付かない表情で口を開く。
「メルヴィッド、といったかな。君はその、本当にマグルの学校の出なのかな。魔法薬の出来が素晴らしいと巷で評判だから、俄には信じられなくてね」
「何だホラス、私の言葉を疑う気か?」
「いや、アークタルス。決してそういう訳ではないのだが」
 威厳で勝る友人に睨まれ、ホラス・スラグホーンは小太り気味の体を萎縮させて口の中で何やら呟いた。それを気の毒そうに思ったような演技で、メルヴィッドがフォローに入る。
「いえ、その疑問は尤もな事でしょう。独学の件ですが実はゼロからのスタートではなく、より正確に言うと魔法に関しての書物や道具はごく身近に存在していたんです。ただ、魔法界の学校に通わず魔法と関わり合いのある師に手解きされた事がないので」
「それだって独学と呼ぶがね、普通は。それにだ、ホラス、このイギリスにホグワーツが出来る前までの魔法使いは大抵が自力で師を探すか、独学かのどちらかだ。彼は学舎で学ぶ物事を超越する才能を有していただけに過ぎないのだろう、それこそ創設者に並ぶ程のな」
「それは確かに、君の言う通りなのだが。しかし……」
「しかしではない。大体、君の気に食わない魔法使いに顔が似ているという、ただそれだけで罪もないメルヴィッドを疑うのは礼を欠く所か、恥知らずな行為だろう」
 あまりしつこいと友人を止めるぞとアークタルス・ブラックが眉を潜め、すぐに溜息と共に眉間の皺を伸ばした。灰色の目は複雑な感情を宿したままホラス・スラグホーンを静かに見つめ、やがてメルヴィッドへと移る。
 数秒後、再びホラス・スラグホーンへと戻った視線は明らかに呆れ入っており、唇からは嘆きにも似た言葉が漏れ出た。
「君がそこまで煮え切らない反応を見せるという事は、その気に食わない男の所属は例の過激派団体なのだろう。その表情は図星だな。いいかホラス、それはありえない妄想だ」
「それでもだな、アークタルス」
「よく考えろ。あの団体に所属している魔法使いがマグルの大学に通い、マグルでしか通用しない資格を取り、マグルの世界で働くと思うか? 魔法の才能に恵まれた里子をマグルの学校に通わせ、マグルの学問で優秀な成績を修めている事に誇りを感じるか? 使う必要のない有体守護霊を作り出す事が出来るか?」
「待ってくれ。有体守護霊は、この子だけでなく彼も使えるのか」
「扱えるに決っているだろう、の魔法の師は彼1人だ。最近はレギュラスも色々と教えてやっているようだが、まあいい、それは今の話と関係ない」
 初耳の言葉に反応してメルヴィッドを見上げると、美しい笑顔が裏で話を合わせろと指示したような気がしたので、当然だろうと言う笑みを顔面に貼り付けて応対をする。
 しかし一体何時の間に守護霊の呪文を習得したのだろうか。正確な時期は判らないが、少なくとも最近の事であるのは間違いない。負けず嫌いのメルヴィッドの事である、きっと伝言代わりに使用した私の守護霊を見て自分もこの程度は軽く扱えるとアピールしたかったのだろう。実際、あれはアークタルス・ブラックの言った通り、闇の陣営に必要がないだけで作り出す事それ自体は可能なのだ。
 彼等にだって家族や恋人、大切な思い出や未来への希望は存在する。そしてそれは他人から見ると決して善良な物でなくてもいいのだ。
 極論だが、重婚して家族が複数いようが、恋人が一次元低い場所にいようが、憎悪対象の相手が惨めに死ぬ姿を直視した幸福な思い出であろうが、世界を意のままに操る未来への希望だろうが、たとえ一般人であろうともそれが守護霊を呼び出せる程に強い思念ならば正直何でもいい。呪文を繰り出す本人さえ幸福であると認識するものならば、何でも。
「これでもまだ足りないのなら、今からゆっくり時間をかけて、日付が変わるまで説得してやっても構わないが。どうする?」
「いや、私が悪かった。すまなかったよ、アークタルス。メルヴィッドにも随分失礼な事を言ってしまったようだ。ただ、出来る事ならば君と、2人の守護霊をこの目で見たいのだが」
「ホラス、君という男は」
「いえ、その程度で疑惑が晴れるのならば私は構いません。は、どうかな。私の我儘に付き合ってくれるかい?」
「構いませんよ。それがメルヴィッドの為になるのなら」
は本当にメルヴィッドの事を好いているね」
 背後から声を掛けられて振り返ると、パーティに出席している全員が私達のグループ近くに集まり様々な意見を交換し合っていた。こちらに集結していた事は知覚していたがどうにもやり辛い。横目でメルヴィッドを確認してみると、こちらは幼い頃からの優秀さ故に見世物扱いされる事には慣れているのか平然としている。
 守護霊を作り出す事が出来るのかと興奮しているグリーングラス家の妹君も両親の脇にいたが声での返答はせず微笑むだけにしておいた、優先順位を考えると先に返答すべきなのはレギュラス・ブラックに対してであろう。
「愛していますよ、私にとって大切な人ですから。勿論、レギュラスも」
「相変わらず真っすぐで気恥ずかしい台詞を言ってくれる子だね、君は」
「恥ずかしいのでしょうか。私は、貴方達の為なら命だって張れますけれど」
「そう? お世辞でも嬉しいな」
「お世辞ではありません、本気ですよ」
「うん、そうだね。ありがとう」
 祖父と全く同じ仕草で私の頭を撫でながらレギュラス・ブラックは言い、大層嬉しそうな顔で笑っていた。さて、とメルヴィッドの方を向こうとしたが、何故か守護霊を出す前に幾つかの注意点があるらしく私を除く老人達と話し合っていたので、その隙を見付けた主催者によって今迄紹介されていなかった招待客の説明が簡潔に成される。
 とはいうものの、グリーングラス姉妹の両親は見れば判ったし、元大臣夫妻にしても既に判明していたので、然程戸惑いもなく世辞を並べられた。問題は、最後に紹介された例の男性ただ1人のみである。
「日刊予言者新聞に掲載されたマーリン勲章受章者の欄で拝見させていただきました。貴方のような素晴らしい方にお目にかかれた事を、心から光栄に思います」
「参ったな、こんな小さな子まで私の事を知っているとは。いや私が有名になったのではなく、君の記憶力が優秀なだけかな。甥のマーカスは君より年上なのにトリカブト系脱狼薬という単語も覚え切れずに、説明出来ないけれど凄い薬を発明した、綺麗な勲章を授与されたとしか同級生に言えないらしいからね」
「年上とは言ってもベルビィ君、確か甥子さんはホグワーツの1年生だろう。もう後2、3年もすれば君がどれ程素晴らしい功績を上げたのかちゃんと理解出来るはずだよ。この子は他の子よりもちょっと、いや、大きく理解力が優れているだけで」
「そうですよ、貴方の甥子さんならばきっと理解出来るに違いありませんわ。この歳で有体守護霊を呼び出せる彼と比較するのは可哀想でしょう」
 トリカブト系脱狼薬の調合法を発見した、ベルビィ。確か、ダモクレス・ベルビィだったか。実に曖昧な世辞を言っただけで、正直私も彼の功績やら名前やらはすっかり忘れていたが、その事については誰も何も思う所はないらしい。アルコールが入り判断力が鈍っている事も含めて、運がよかったのだろう。
 そうこうしていると背後から肩を叩かれ、少しだけ困ったような顔を繕ったメルヴィッドがゆっくりと窓の外を指した。冬の雲に覆われた夜空と、闇に沈んだ暗い庭が見える。
も判っているとは思うけれど、私の守護霊はちょっとと言うか、大分この部屋に入るか不安な大きさだろう? 今、相談してバルコニーの向こうに呼び出す事になったけれど、それで構わないかな」
「判りました。では、私の守護霊は押し潰されないようにあのバルコニーの上にでも呼び出せば宜しいでしょうか?」
「そうだね、それがいい。それじゃあ行くよ」
 杖を構えるメルヴィッドに倣い、私も今迄持ったままでいた皿をテーブルに置いて杖を取り出し、右手を前に出す。
 しかしこの床面積も広ければ天井も高い部屋に入り切るか自信の持てない守護霊とは一体何だろうか。
 真っ先に浮かんだゾウやキリンはメルヴィッドのイメージではない。ジンベエザメやクジラ、というのも少々結び付け辛い。マンボウやダイオウイカは絶対に違うと断言出来る。ヘラジカ辺りが適当なのだろうか、まさか古代魚や恐竜という事はないだろう。
 幸福とは程遠い事を考えながら合図に合わせて共に杖を振ると、私の杖先からは細長い物体が流出して形を整えたが、メルヴィッドのそれはまるで破裂した水道管のような大きさと鋭さでバルコニーの向こうの庭先に着水した。見た目は着水と言うより着弾のように見えたが、水道管と例えたので一応着水と言う事にしておこうかと思う。
の守護霊も大きいけれど、こうして前後に並べると遠近感が狂うね」
「私の守護霊は大きいと表現するよりは長い動物ですから。それにしても、久し振りに見ましたが、何時見ても何かこう、圧倒的威圧感を含んだ効果音が挿入されそうな謎現象ですよね。メルヴィッドの守護霊呼び出しは」
「あまり目立ちたくないから、もう少し細やかな方法とサイズで出現して欲しいのだけれどね。有体守護霊はその辺りの調節が意図的に出来ないから凄く困るよ」
 バルコニーに出現した全長3メートル程の白く発光する大蛇になど誰も注目せず、私とメルヴィッド以外の視線は庭先に表れた巨大なドラゴンに釘付けとなり、揃いも揃って仲良く絶句していた。
 まあ、気持ちは判らなくもない。
 まさかと思っていた恐竜が実は近しい解答だったのは確かに意外だが、平然と目の前の存在を受け入れていた。イメージ通りの守護霊であり納得が出来たので、妙に騒ぎ立てる必要もないと脳が判断したに違いない。
 巨大な発光体がゆっくりと翼を広げ、筋肉を伸ばしている方向へ私の守護霊は音もなく近寄って行き、グリーングラス姉妹のどちらかが危ないと声を掛ける。それを無視して、蛇はドラゴンの前で目一杯鎌首をもたげた。
 発光するドラゴンもそれに気付いたのか、出来るだけ小さく屈んで視線を合わせる。私達以外の見物人は尚も手に汗握っているが、そもそも敵対者同士の守護霊ではなく一応協力者の関係で出現させた守護霊なので危険な事態には陥らない可能性の方が高いのだが。
 現に今も、何かが通じ合ったのか通じ合っていないのか、発光する蛇が私から見れば酷くご機嫌な様子で部屋の中まで戻って来て、私がテーブルに置いたばかりの皿の端を咥えると器用に鎌首をもたげたまま再びドラゴンの方へと近付いて行った。
 その間に庭に寝転んだドラゴンは顎が地面に付くように口を開け、そのすぐ隣にまで来た蛇は咥えていた皿を傾けて料理をドラゴンの口内へと転がり入れる。蛇が転進して咀嚼に問題のない距離まで離れると大きな口がむぐむぐと動き、白く光る目が満足そうに輝いた。アレはアレである、私が普段からメルヴィッドに行なっている餌付けそのものである。
 何とも表現し難い微妙な空気の中に戻って来た私の守護霊はというと、空になった皿を咥えたまま私の腰の高さまで頭を持ち上げて軽く体全体を傾げた。多分おかわりを要求しているのだろうと思うが、その前に疑問が浮上する。
「有体守護霊って、食べる必要があるのですか?」
 守護霊に意志があるのかは判らないが、あるとしか考えらないような行動をしているので多分あるのだろう。純粋な疑問である私の言葉を理解したのか、蛇は反対側へ体を傾げて空になった皿をテーブルの上に戻し、するするとドラゴンの元へと進んで行った。暫しのアイコンタクトの後、横になったドラゴンの顎下で蛇はとぐろを巻いて休息の姿勢に入る。どうやら料理に興味があっただけで、別に食べる必要はないらしい。
「仲良しさんですね」
「そうだね、仲が良過ぎて守護霊としての威厳はないけれど」
「威厳なんて心配しなくても、メルヴィッドの守護霊ならレシフォールドやディメンターがダース単位で掛かって来ても一撃ですよ」
「一撃必殺にも程があるんじゃないかな。危険な魔法生物を呪文で追い払うより先に、物理的にこの世から排除しそうな存在だよ? ドラゴンが嫌な訳ではないけれど、この非常識なサイズは本当にどうにかならないかな」
 唖然とするしかない状況なのか、招待客の中にメルヴィッドの質問に答える事が出来る豪胆な人物は居なかったようで返答は一切なかった。
 代わりに、私やメルヴィッドと関わる事でメンタルが大分おかしな方向へと強化されたらしい主催者のレギュラス・ブラックが口を開く。
「守護霊は呼び出した魔法使いの影響を強く受けた姿を取ると言われているけれど、彼等の行動は本当に君達の日常そのままだね」
 でもちょっと邪魔だし眩しいからそろそろ引っ込めて欲しいな、と全く悪気のない笑顔で言われたので互いに頷いて光り輝く守護霊を庭から消失させた。
 ドラゴンという、誰もが予想していなかったらしい大物が目の前に現れた事で呆気に取られた招待客の中で、いち早く日常的な感覚を取り戻したアークタルス・ブラックが皆の気持ちを代弁しようといった面持ちで重々しく言葉を吐き出す。
「君達3人に任せれば、魔法界は安泰だと思えるな」
 その言葉に力強く同意を示すように、まず老人であるホラス・スラグホーンとバグノール夫妻が即座に頷き、各々私やメルヴィッド、レギュラス・ブラックの手を取って未来の魔法界を宜しくと固い握手を交わした。
 特にホラス・スラグホーンはメルヴィッドに何度も謝罪を行い、君は絶対に彼ではないと繰り返しながら、困った事があったら自分を頼るようにと早速お気に入り登録をしようとしている。
 それを脇にレギュラス・ブラックは主催者の仕事へ戻り、私はというとグリーングラス姉妹にもう一度守護霊を見せて欲しいとせがまれるのを困惑顔であしらいながら、それでも内心は、今回のパーティは随分良い収穫があったなと悪い笑みを浮かべていた。