曖昧トルマリン

graytourmaline

オマール海老のカタルーニャ風

 どうやら、アークタルス・ブラックは私の事を大層気に入ってくれたらしい。
 他の招待客そっちのけで私を構い倒そうとしている姿は紛うことなくブラック家の一員だという感想を抱きつつ、皿の上の料理も程々に魔法界の裏事情をそれとなく引き出していると、ホールの扉が静かに開いて、音とは対照的な騒がしい最後の客がやって来た。
 子供に受けのよさそうなユーモアのある髭の生やし方をした肥満気味の男性、彼の名はホラス・E・F・スラグホーン。ホグワーツ魔法魔術学校スリザリン寮の前寮監であり、同時に魔法薬学の教鞭も取っていた老人。魔法界の多方面に影響を及ぼす人脈を作り上げる事に成功した、稀有な才能と運を持つ魔法使い。
 彼がレギュラス・ブラックの招待に応じたという事は、今後魔法界内でのブラック家の権力が元に戻る可能性が高いと見て取っていい。
 ホラス・スラグホーンは日和見主義者だが、それに極端に特化している故に吉凶の兆候に非常に敏感で水物に強かった。印象の良い言葉を選んで使うのならば、物事の流れをいち早く察する才能を有した人物と言える。
 主催者であるレギュラス・ブラックに長く丁寧な挨拶をして、グリーングラス家へはそこそこに、早速料理へと向かう。次はパイナップルのコンフィが盛られた皿を片手に元魔法大臣とマーリン勲章受章者で構成されたグループに向かうに違いない。同グループ内で談笑しているメルヴィッドへ脳内でエールを送っておき、今の内にと色々と役立つ情報を教えてくれるアークタルス・ブラックに話の続きを求めた。
 しかし残念というか幸いと呼ぶべきか、ここで私の雑な読みが盛大に外れ、ホラス・スラグホーンは年の割には健康的に膨れた体を揺らしながらこちらに近寄って来る。何故かと一瞬考えたが、どうやら互いの表情を見る限り彼とアークタルス・ブラックとが旧知の仲らしかった。
 そういえば、この2人は年齢が近く同世代と言っても差し支えない。また両者共にスリザリン寮の出身者でもある。そもそもブラック家の出身というだけで彼はレギュラス・ブラックを気に入っていたはずだ、ならばその父親のオリオン・ブラックや更に1世代前のアークタルス・ブラックと繋がりを持っていない方が可怪しいではないか。全く、相変わらず愚かで想像力がなくどうしようもない己の読みの浅さに呆れた。
「これはこれは、アークタルス! 一体何年振りだ、まだ生きていたのか!」
「お陰様でしぶとくね。前見た時より老けたな、それに太ったぞ、ホラス」
「老けたのはお互い様だ。しかし君は随分痩せたな、大丈夫か」
「君に心配されては私も愈々お終いだな。さて、昔話の前に孫の大切な客人に挨拶をしてくれ、礼節の基本も守れない男と知り合いだと思われてはブラック家の沽券に関わる」
 君が品のない登場をするから困っているとアークタルス・ブラックは笑顔のままで友人の行動を責め、ホラス・スラグホーンは悪気のない笑みで謝罪をする。その表情が、私に向いた瞬間にぴたりと止まった。
「もしやポッター家の子かな?」
「はい。今は、ハリー・ポッターではなく、と改名させていただいております。お初にお目にかかります、ええと」
「ああ、初めまして、私はホラスだ。ホラス・スラグホーン。レギュラスの師で、アークタルスの友人だ。しかし、そうか……君がポッター家の、あの2人の子か」
 今迄さぞ苦労しただろうと軽薄で不愉快な同情の言葉を寄せながら、内側に溜まった脂肪で皺の伸びた老人の手が頭を撫でる。外見はどちらかといえば父親に似ているとか、目だけは母親譲りだとか、私の世界でハリーが毎回のようにかけられていた言葉を告げられた。
 尤も、私の場合はメルヴィッドと並び歩かなければならない事が多く、可能な限り外見にも気を使っているので、ジェームズ・ポッターに瓜二つとまでは言われなかったが。
「ホラス、幼いからといって同情ばかりするのは礼を欠く行為だ。それに顔も知らぬ両親に似ているとばかり告げるのもな。この子は穏やかで優しい性格だが並の大人以上に頭は切れる、表情に出さないだけで君が何を言っているかくらいは理解しているぞ」
「珍しいな、アークタルスがそこまで他人を気に入るとは。そういえば別のパーティで会ったスミス家のジョンもこの子の事を甚く気に入っていたよ。全く、長生きはしてみるものだな。も、すまなかった。随分失礼な事を言ってしまったようだ」
「いいえ、そんな事は」
「いや、失礼極まりない。には既に素晴らしい家族がいるというのに、それを掻き乱すような余計な発言ばかりをして。君は快活で気立てのいい男だが、調子に乗ると一言多くなるのが玉に瑕だ」
「相変わらず手厳しいな」
「これでも随分優しく接しているつもりなんだがね、君に対しては。手厳しい言葉が欲しいのならば、そうしても構いはしないが」
「勘弁してくれ。今日はハレの日だぞ、からもこの老いぼれに向かって何か言ってやってくれ」
「お小言も綺麗に包装すれば素敵なクリスマスプレゼントになりますね」
「おいおい、私の味方は何処にもいないのか。アークタルスといい、ジョンといい、君といい、変わり者同士で気が合いそうだ」
 ジョン・スミスという偽名なのか何なのか判らず記憶にもない謎の人物の名を挙げながら私の髪を殊更乱し終えたホラス・スラグホーンは食事、と呼ぶよりマナーには少しの間他所を向いて貰ったような皿に所狭しと盛られた様々なデザートの食べ比べを始め、アークタルス・ブラックは友人が無礼な行いをしたと謝罪しながらその髪を整えてくれる。
 皺に覆われた節くれ立った細い指が髪を整え終え、灰色の瞳が柔らかく緩んだ。私があの子達、メルヴィッドやエイゼル、ユーリアンを見る目とよく似ているなと思いつつ微笑み返すと、本当に珍しいのか一瞬で皿を空にしたホラス・スラグホーンが軽やかに笑う。
「人嫌いで偏屈と有名だったお前が、身内以外にこんな顔をするとはな」
「偏屈と言うな、私は私とブラック家の意志と矜持を貫いて生きているだけに過ぎない。そして人嫌いでもない、寄って来る声の大きな人間が揃って財産や名声目当てでうんざりしているだけだ」
「栄華を極めた一族の元当主も大変だな。少し名が知られているだけなのに、ほんの些細な事で愚かな大衆は極悪人のように責め立てる、冤罪かどうかも判らないというのに」
「レギュラスが生き残っていた事を知った予言者新聞は随分煩かったからな。裁判後にあれを黙らせて欲しいと君に助力したのは正解だった。手間を掛けさせたな、感謝している」
「どうした、水臭いな。あの新聞の編集長のバーナバス・カッフは私のクラブに在籍していたから容易いものだ、然程手間はかけていない」
 ホラス・スラグホーンの視線がレギュラス・ブラックに向かい、そして祖父であり友人でもある男へと戻った。その男は、私を見つめている。
「ただ、あの子は逆境の中で真の友を勝ち得た。は、孫が愚かな大衆に口汚く罵られていた時も常に隣で支え、共に歩んでくれた人間だ」
「そうか。嘘偽りなく、誠実な人間なのだな」
「誠実なだけではない。頭が切れると言っただろう、それに当人は謙遜しているが、実に多くの才能に恵まれている」
「ほっほう。才能、と言ったな?」
 才能の一言にホラス・スラグホーンの瞳に鋭い光が走った。
 この男は才能のある人間と関わりたがる一種の蒐集癖がある、が、関わる人間も私のように彼を利用出来るだけ利用しようと下心満載で近寄るのでWin-Winの関係ではあった。それに彼は相手に多少の影響は与えたがるものの、完全な支配下に置く気は全くない。金銭的な援助こそしないが各方面に顔が広く、多数のパイプを駆使してパトロン的な役割を行う事も少なくはなかった。
 悪い人間ではないのだ。目利きも出来る上に、目を掛けた相手に対しては援助を惜しまないので利用し甲斐もある。代償は彼の自慢話の種にされる事に目を瞑り、別の援助者を宜しくと頼まれた時に助力すればいい。加えて、何よりも彼自身、考えも柔軟で融通が利き、極端な純血主義者でもない。
 訂正した方がいいだろうか、悪い人間ではないというより、かなり優秀な人間だと。
「私の記憶が正しければ、この子はまだホグワーツにすら入学していないはずだろう。才能にも多様な種類があり一言では片付けられないが、幼いのにアークタルスからそう言われるとは余程素晴らしいのだろうな」
「そんな、私なんて」
、過度な謙遜は止しなさい」
 メルヴィッドの方がと続けようとしたが、その言葉は厳しい表情をしたアークタルス・ブラックに遮られてしまう。彼の息子のオリオン・ブラックにも似たようなシチュエーションで叱られた記憶があったが、あちらは私を試しただけだったか。
「どうにも、今迄の里親や施設のマグル共に酷い目に遭わされて来たようでね、自己肯定は出来るのだが自己評価が著しく低い。こんなに才能豊かな子なのに、それだけが惜しい」
「今はもう心配がないのなら、これから周囲が正当な評価をして改善やればいい。それだけの価値がある子なのだろう、この子は」
「勿論だ」
 皺だらけの指が緩い拳を作り、私の前で1本ずつ広げられて行く。
「観察眼が鋭く大人ですら言い包め撃退する能力。洋の東西を問わず料理の腕が優れていて今夜の料理も半分は彼の作だ。東アジアの薬学や魔法に造詣が深い事以外にも色々あるが、何より驚いたのはこの年齢で有体守護霊を呼び出せる事だな」
「有体守護霊! 素晴らしいな。料理の味も申し分ない、それにアジアの魔法薬学にまで精通しているとは。いや、という事はアジアの言語も理解出来るのか、ますます素晴らしい」
「申し訳ありませんアークタルス様、全体的に誇張のし過ぎです」
 恐らく彼はレギュラス・ブラックからダンブルドアの事を聞いたのだろうが、あれは撃退というより完全に揚げ足取りであったし、料理に関してもキッチンを仕切ったクリーチャーに比べれば素人に毛が生えた程度な上に多国籍と言うよりは無国籍に魔改造済みなので、とても誇れるような事ではない。
 アジアの薬学と魔法にしても、その道の人間から見れば造詣が深いとはとても呼べるようなものではなかった。言語に関しても日常レベルで使用出来るのは日本語、英語、ドイツ語の3つだけであり、しかも日本語は理解出来ないふりをしているので実質2ヶ国語だ。
 更にいうならば守護霊も中身がこの2人と同年代の爺なので、出来て当たり前なのだ。流石にこれを告げる事は出来ないが、胸の内がもやもやする。
「誇張ではなく事実なのだから、残念だが聞き入れられない」
「しかし、私よりもメルヴィッドの方が」
「彼も優秀だが比較する必要はないだろう。君も彼と同様に、けれど異なる方向で才能に溢れている。ああ、ホラスは知らないだろうが、この子の里親もそれは素晴らしい人物で、マグルの大学を飛び級で進学し主席で卒業しながら独学で魔法を学び、両世界で薬剤師として働いている逸材だ。ラトロム=ガードナー調剤店の店主といえば、君も知っているだろう」
「まさか、あの店主が里親なのか。勿論評判は知っているがマグル出身の独学者とは驚いたな、聞き慣れない名だから著名な魔法使いの偽名かと思っていたよ」
 流石ホラス・スラグホーン、非常に鋭い意見であるが、正解だと告げる事が出来ないのが惜しい。
 そんな私の胸の内にある考えなど露知らず、太い指がそわりと動く。
「ここ数年、イギリス国内であの店で調合された薬の右に出る物はないと大変な評判だ。名前だけが広まり経歴は一切不明、通販だけで活動する有名店の店主、薬学に多少でも長じている者ならば誰もが顔を拝んでみたいと口を揃えるだろう。それで、の里親ならば当然今日のパーティに来ているのだろう?」
「そう急くな。君の大声で向こうも気付いたようだ、今こちらに来る」
 全く煩い男だとか賑やかだと言えだとか言い合いをしている老人達から目を逸らして、少し困ったような表情を顔に馴染ませたメルヴィッドに小さく笑いかけた。
 会話を盗み聞きタイミングよく進んでこちらに来たという事は、トム・リドルをよく知るホラス・スラグホーンへの対策も存在するのだろう。
 幸いな事にアークタルス・ブラックが前情報としてメルヴィッドがマグル出身で独学の魔法使いだと伝えているので、幾分かはやりやすいはずだ。今回は事前の打ち合わせも行なっておらず、放置されると色々と会話を見誤るので、私は適当に相槌でも打っていればいい。多分、無理だとは思うが。
「ああ、メルヴィッド。丁度今、君の事を話していた所だ」
 メルヴィッドを確認した瞬間から顔を真っ青にしている友人には気付かず、座ったまま失礼と前置きしてアークタルス・ブラックが嬉々として告げる。
「ホラス、彼がメルヴィッド。メルヴィッド・ラトロム=ガードナー君だ。メルヴィッド、こちらはホラス・スラグホーン。私の、そうだな、腐れ縁の古い友人だ」
「初めてお目にかかります。メルヴィッド・ラトロム=ガードナーと申します。どうぞよろしく、お願い申し上げます」
 トム・リドルと瓜二つの美しい笑顔で右手を差し出すメルヴィッドに対し、ホラス・スラグホーンは明瞭としない言葉を口の中で持て余していた。視線が左右に泳いで誰かに助けを求めているようであったが、何も知らないらしいアークタルス・ブラックは首を軽く傾げて私を見つめ、私も訳が判らないと演技で傾げ返す。
 アークタルス・ブラックはオリオン・ブラックの実父であるが、メルヴィッドの容姿に反応をしないという事は息子の交友関係は全く把握していなかったらしい。尤も、よく考えてみると子供の友人を熟知している親と言うのは世間であまり見かけないので、彼の反応はごく普通のものなのであろうが。
 私達の反応を見て救助者には成り得ないと判断したらしいホラス・スラグホーンが体の向きを変えようとした直前、メルヴィッドが右手を戻しつつ再び口をゆるり開いた。
 さて、この子は事実をどう婉曲して顔見知りを丸め込むのだろうか、ここからが正念場であり、私にとってはこのパーティ最大の見物だ。