曖昧トルマリン

graytourmaline

■ 時間軸:リチャードへの墓前報告後

■ 01話『ミルフィーユ風カプレーゼ』直後の騎士団陣営の話

■ メルヴィッドと接触後、墓参りを境に監視が消えた理由

■ リリー一筋過ぎてアレな薬学教授の話

■ スネイプ視点

翠眼の妖異

 吐き気と貧血を同時に催すのはどれくらい振りか。ありえない光景に体が強い拒絶反応を示し、脳が現実である事を撥ね除けている。
「これが、先程ミネルバが見た恐ろしい光景じゃ。墓前報告のみで情報が少ないと思うかも知れぬが、身の安全を考慮した結果である事は判って欲しい」
 水盆に揺蕩う銀色の液体を瓶に戻したダンブルドアは、1990年7月26日、R.R.の墓所と書き込んだラベルを括り付け、棚の中に戻しながらこの言葉を放った。冷えた青い瞳の先には同じく銀色の液体を収めた瓶が立ち並んでいる。
 月に数本ずつ増える瓶の中身は全て、ハリー・ポッターを監視していた騎士団員達の記憶だ。昨日まではと名乗っている謎の新勢力を解析する為の材料だった。
 そう、昨日までは、だ。
 ペンシーブの中で見せ付けられた出来事を反芻し、迫り上がってきた苦い物を喉の奥に押し込める。
「由々しき事態じゃ。儂等の預かり知らぬ所で、ヴォルデモートが復活しておった」
 霜の降りた石のようなダンブルドアの声に頷きながら脂汗を拭い、今日の昼、いや、もっとそれ以前から何の脈絡もなく復活していた闇の帝王の姿に体を震わせた。
 夜色の髪に鮮血で染め抜いたような赤い瞳、作り物めいた端正な顔立ちと、人目を引く立ち振舞い。どういう訳か、年齢は私の知るものよりもずっと、それこそ祖父と孫程も離れており、纏う雰囲気や物腰も帝王のものとは似ても似つかなかったが、逆にそれが思考を混乱の坩堝へと叩き込んだ。
 ホグワーツ入学1年前という、このタイミングで突如現れた7人目の里親。件の殺人鬼以外には誰にも心を開こうとしなかった子供がここに来てポッターの名を捨て、新たな人生を歩むと宣言した事実。魔法使いで、孤児で、経済力があり、更に記憶喪失という、あまりにも都合の良い男の過去。
 と名乗る勢力が何らかの手引をしたと見て間違いないだろう。こんな偶然は存在しない、誰かが手を加えてそれらしく見せているだけだ。
 3年以上、全貌も目的も不明だった敵が最悪の敵と接触していた事実を知り恐怖と憤怒を覚えるが、同時に、未だ年若いあれが闇の帝王本人ならばリリーの仇をこの手で打てる可能性が浮上した事に昏い喜びを覚える。
の正体を引き続き探ると共に、今回の件についても一刻も早く対策を立てねばならぬ。だが、相手が相手じゃ……セブルス」
「はい」
「騎士団員達で行っていたハリーの監視は本日を以て一時凍結とする、メルヴィッドと名乗る男の過去と現在の状況を重点的に探って欲しい。無論、本人との接触は厳禁とする」
「承知しました」
 それに、いい加減、あの薄気味悪いだけで単調な子供の相手をするのに飽き飽きしていたのだ。二つ返事で引き受けると、白い眉が微かに動いたのが見て取れた。
「事は慎重に運ばねばならぬ。我々がハリーに対して行ったものは全て、全盛期のヴォルデモートが把握しているという気構えで挑みなさい」
 一部ではなく全て、しかも、全盛期の帝王に。
 あれ程似通った顔立ちな事から無関係とは思えないが、しかし、警戒が過ぎるのでは、と視線に含めるとダンブルドアは首を横に振り、決して油断してはならない相手だと鋭い眼光で言い放った。
「幼いハリーならまだしも、メルヴィッドはの正体と目的を知った上で利用し、取引をして組んでいる可能性が非常に高い。ハリーが知る全て、それ以上の情報を掴んでいると考えた方が賢明じゃろう」
「しかし、幾ら他人の空似では片付けられない程酷似しているとはいえ、あの男が帝王本人だとは到底考えられません」
「本人、ではないじゃろうな。恐らく」
 恐らくと付け加えているが、口調は濁りなく確固としている。
 しかし肉親だとも思えない。ダンブルドアは明らかに何かを知り、隠している風に髭を撫でてから、それ以上は詳しく語ろうとせず苦々しい表情で眉根を寄せるに留まった。
 メルヴィッドと名乗った男の一体何を知っているのか、そう問いただしても求める答えは得られない事くらいはすぐに判る。
 記憶喪失の孤児、過去マグルの薬学部に所属していた成人男性、主席卒の薬剤師、これ以上の情報をこの場では望めないだろうと判断し、踵を返して部屋を出ようとする背中に、ダンブルドアが続けた。
「ハリーは……孤児だと言っておったな、メルヴィッドの事を」
「それが何か?」
「メルヴィッド・ルード・ラトロム=ガードナー、妙だとは思わぬか」
「妙? 名前がですか。ええ、確かに耳慣れない名です」
 音だけでは正確な綴りや国籍が全く見えて来ない名前だとは記憶を見た時から思っていたが、それが何になるのだろうと考えながら足を止め、扉の前で振り返る。
 ダンブルドアの前には金色の文字列が浮かび、青い瞳に剣呑な光が灯った。
「MELVID ROOD LATROM-GARDNER、これが名前の綴りに違いない」
「根拠を示していただけませんと、何とも」
 確かにその綴りならば、メルヴィッド・ルード・ラトロム=ガードナーと、そう読めるだろう。
 ガードナーのファミリーネームは珍しくもない。ミドルネームのルードの語源は1/4エーカーか、もしくは十字架にかけられたキリスト像の意味があるが、名前として相応しいとは到底言えない単語だ。
 そして残りの2点は単語としても見慣れない。無理にでも意味を持たせるのならば、メルヴィッドはアメリカ人的な雰囲気を漂わせたそれで、ラトロムがMORTALの逆綴りだが。
 いや、待て。闇の帝王、ヴォルデモート卿の名の意味は。
「片方のファミリーネームに込められた意味は、死ぬべき運命を逆転させる、でしょうか。この男も、闇の帝王と同様に死から飛翔しようとしていると言いたいのですか」
 少々根拠が希薄だと続けようとして、惜しいと回答を採点された。何が惜しいのかと視線で問いかければ杖が振られ、複合姓であったガードナーが宙に溶ける。
「この中で唯一、浮いている名だと思わぬか」
「ええ、普通過ぎて。ですが、それを消す事に何の意味があるのですか」
「メルヴィッドは孤児であったと、そう告げるハリーの言葉を全面的に信用するならば、これは養子縁組した家の名であろう。平凡なファミリーネームのガードナーは後付けされたものじゃ、そして残った名を組み替えると」
 もう一度杖が振られ、残されていたMELVID ROOD LATROMの文字が宙で迷いなく入れ替わり、ある文字列へと変貌する。
「I AM LORD VOLDEMORT……!」
 読み取れた言葉にダンブルドアは深く頷き、先程と同じ言葉を口にした。
「本人との接触は厳禁とする、これはダーズリー家に行った記憶の採取や改竄、姿を変えての面会や間諜を用いた監視、偽名を使った手紙でのやり取りを含む全ての意味を持った接触じゃ。現在の騎士団の動向がハリーから伝わっている可能性が高い故、我々が水面下で動いている事も既に予想されていると思って間違いない。相手はヴォルデモート、下手な小細工は逆に此方の身に危険を晒す、これを固く心に留めておくよう、念を押す」
「はい」
 緩んだ気持ちで事に及ぼうとしていた内心を見透かされていたようだ。入室した時から今迄ずっと厳しかった青い瞳がここに来てようやく柔らかさを取り戻し、退室を許可する言葉を下された。
 校長室から退室し、静寂な廊下を歩む。窓の外は明るく、銀色に降り注ぐ夏の日差しが森の木々に反射し目を焼いた。夏季休暇に入っている事もあり、石造りの床に打ち付けられた靴底が普段よりも大きな音を立てているように感じ、小さな舌打ちも自身の耳に届く。
「忌々しい」
 先程まで感じていた不快感や悍ましさとは違う苛立ちが湧き上がり、もう一度舌打ちをする。何に腹を立てているのだと通りがかった肖像画に問われるが無視を決め込んだ。
 苛立つ理由が判らない、ただ、外に出て夏の景色を見た瞬間、酷く不愉快になった。今は聞こえない子供の甲高い笑い声など聞いたら、それこそ通りかかった生徒を手当たり次第減点してしまいたくなる衝動を抱えている。
 子供の笑い声、この場に存在しないのに自分の中に浮き上がった不愉快なイメージを本能が突き付けて来た。これがその理由だから理解しろと。
 笑う子供、原因は判明したが、そこから連想された景色に苛立ちは消えるどころか更に増すばかりだった。欲しいものはあれではない、欲した緑は既に失せた。真っ当とはいえない薄汚い環境で育ったあんなものは、代用品にすらならない。
 3年半の年月を経て初めて見る、幸せそうに笑う緑の瞳が向けられた先が愛しい女性を奪う原因を作った男だったとして、だから、それが何になるのだろう。