曖昧トルマリン

graytourmaline

鶏と枝豆の葛寄せ

> open brigade_de_cuisine server
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> PASSWORD:********

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> OK

> select users/tournant/desktop/artificial-eye/II
> starting ...

 古い革張りの椅子に深く座り込み意識を集中すると、脳の指示に合わせてぐるぐると世界が周り、網膜を通さずに入力された情報が刻一刻と変化して行く。
 360度どころか右眼球を中心に何処までも見渡せそうな景色の特徴を、1つずつ丁寧に記憶しては次へ進む作業を始めてかれこれ2時間は経っただろうか。出掛けるには未だ時間があるが、そろそろ集中力が切れて来た、切りを付けるべきだろう。
 義眼に仕込んだプログラムを終了させ、視界を通常状態に戻し陽光を防いでいたカーテンと雨戸を開けるとほぼ同時に、視界の端に緑の光と黒の影で形作られた小さな半透明の立方体がゆっくりと回転しながら浮遊した。エイゼルからだろう。義眼とは別領域で作動している常駐ソフトがメッセージの受信を告げていた。
 カーソルでアイコンを選択する動作と似た感覚でその立方体を見つめると回転速度が上昇し、QRコード状の平面情報に分解、更にコンマ秒単位で解析と置換を完了させ、背景を僅かに透過する緑光に色付いたモザイクが大して長くもない文字列に変化する。
”いまどこなにしてる”
 幼子のような遅達な言葉で、今何処にいて何をしているか、との意味を持つ問いかけが映画の字幕のように視界の下部に浮かんだ。返信をする為に文字列を消し、半球状の最初期型タイプライターソフトを立ち上げ、脳で処理した文字列を一気に排出、QRコードに似た小さな立方体へと変化させ、送信。
”キッチンの隣にある書斎で義眼の動作確認をしていましたが、丁度終わった所です。何か御用でしたか?”
 文字を打ち込む量と速度については、今の所はまだ、年季の違いだろうか。QWERTY配列ではないからスタートラインはほぼ同じ筈なので使い勝手が性に合うか合わないかの違いかもしれない。
 椅子に座り直し、指を組み合わせて背伸びをしていると、返信を知らせるアイコンが再び視界端で浮遊したので筋肉を解しながら即時展開。
”つうしんめんどうあいにいく”
 この機能を義眼の受け皿部分に詰め込み接続部分を好き勝手弄り倒したのは私と、現在通信中であるエイゼルに他ならないのだが、どうにも中々慣れないでいるらしい。尤も、彼は若いので、あと数週間もすれば私以上に使いこなす事になるだろう、出会った当時に非魔法界の知識を早々に追い抜いたメルヴィッドがそうであったように。
「ああ、本当にいた。てっきり自室で不要品の処分してるのかと思ったのに」
「そちらは既に済ませてしまっていたので」
 繕いつつ誤魔化していたが対応年数はとっくの昔に超過し、遂に本来の用途で仕様出来なくなった透明マントや、定期的に発生する書類の束、コンポストに投下して大地に還せない類の成分を含んだ魔法植物群、その他諸々を仲良く暖炉でお焚き上げしたのは午前の事。軽目の昼食を食べ終えた後はこうして書斎に引き篭もり、右目に設定した能力の確認を行っていたのだ。正直にそう告げると、エイゼルは怒った風でも無く綺麗に笑ってから、手に持っていた物を投げて寄越す。
 深い紅色の布が張られた日記帳に、精緻な文様が彫られた金属製のペン先を持つ白い羽ペン、自動筆記で書かれた手紙にはたった一言、メッセージ・イン・ア・ダイアリー。瓶詰めにされた手紙の代わりに日記帳、地球を覆う海の波を代理を空を舞う梟に任せた、差出人不明のボトルメールの類だろう、と普通は思う。1ヶ月程前のアレがなければ。
「さっき完成したんだ。片方は君にあげるから後は好きなようにしなよ、メルヴィッドの許可は貰ったから」
「ありがとうございます」
 この右目の受け皿同様に色々詰め込んだのか、手の中の両面日記の内部には矢鱈と高度な魔法が組まれている気配がするが、今の時点で解析したら面白くないので放置してみよう。また、もう片方の相手を探るのも良手ではない、エイゼルが名前を伏せるにはそれなりの理由があるに違いない。
「判っているとは思うけど、私達や自分の正体を馬鹿みたいに漏らさないように。ボーダーラインはレギュラス・ブラックに開示している情報と同程度かな」
「優しい台詞を吐いて手篭めにしろ、という事ですね」
「あれは行き過ぎ、友人程度で十分だ」
 尤も、それすら難しいだろうけど、と目を細めたエイゼルは、お手並み拝見と続ける。お手並みも何も私の場合は馬鹿の一つ覚えのように選択肢が甘やかすしかないので、相手の性質によっては期待に添えない可能性も高い。まあ、そんな事は口に出さなくても全員が判り切っているので、何も彼もを承知の上での言葉に決まっていた。
 手に入れたばかりの交換日記は非常に楽しそうなので色々と書き込んでみたいのだが、今日は予定が立て込んでいるのでひとまずそれが終わるまでは保留する。偶然を装いながら相手の関心を引く一言目を考えながら乱雑に積み上げられた紙束の上に置くと、エイゼルの視線が私の手元で停止した。
 最上部に存在するレポート用紙は、フライデイと名付けられた新たな球体関節人形の設計図である。全長は約600mm、店で働いてる姉達と比較すると頭一つ分以上小さいが、このサイズで丁度良い。
「個体名の全部がフライデイ? 今日は日曜日だけど、金曜日に何か意味が……ああ違う、ロビンソン・クルーソーじゃなくて、Noble_Savage_007か。やっと完成の目処が付いたんだ、ホグワーツに持って行けない電動式タイプライターの代わりにでもするのかな」
「一応その機能も備えさせるつもりですが、フライデイは小説と同じく言語機能特化型にして、通訳や事典、それに簡単なスケジュール管理等の秘書機能でも持たせようかと。幸い、合成音声も以前作った物がありますから音声案内も可能ですし」
「声のベースは?」
「この体のものです。ピーター君に使用した物とダドリー・ダーズリーに似せて作った物は流石に拙いですからね」
 それと、タイプライターは私の為に態々フォントから作成された手動式の物がアークタルス・ブラックから先日贈与されたと告げると、金持ちの考える事は判らないと苦い顔をされた。より正確な表現をするならば、考える事はある程度の予想が付くがまさか本当にやると思わなかった、辺りが適当だろう。否、しかしフォント作成から始められるとは思わなかったので、矢張りエイゼルの感情の方が正しいのかもしれない。
 手に取った設計図を流し読んだ黒い瞳が私を見据え、相変わらず癖が強過ぎて構築が下手だと口にした。
「動きがよくないんだ?」
「ええ。さっきも確認していたんですが、諸々の機能を多重展開すると負荷が掛かり過ぎて動作が鈍くなるみたいで。多分、エイゼルの眼鏡もその筈ですよ」
 文章通信にタイプライター、スケジュール管理、事典数種、メモ帳、数式入力と多彩な機能を持つ義眼の受け皿、そしてエイゼルの伊達眼鏡だが、作成した私の腕が悪いのか複数起動すると機能衝突が起こり始めるどうしようもない事態が存在した。義眼そのものに付加された透過や暗視等の探査機能系統と喧嘩しなかった事だけでも私にしてはよくやった方だと思うのだが、矢張り不便さが目に付いてしまう。
 一部の衝突し易い機能をサングラスに逃がす案もあるのだが、伊達眼鏡のみのエイゼルの事を考えるとそこへの逃避は解決にならない。そもそもサングラスにもスカーピンの暴露呪文のような便利機能を搭載しているので間違いなく衝突が起こる。
 となると選択肢はそう多く考えられず、結果、外部に出しても問題ない機能を人形に移そうかと画策しているのだ。
 元々は頻繁に会う事が難しくなる9月以降の活動に支障をきたさない為、音声メッセージを預かる機能を搭載する予定の人形を作っていたのだが、容量は余っているので然程問題にはならないだろう。懸念している機能衝突さえしなければだが、今の所は大丈夫そうだ。
 レポート用紙に書き殴られた文字を追いながらエイゼルが首を傾げ、最初の用紙にページを戻す。僅かに起こった風が彼の前髪を掻き上げ、黒い目が瞬いた。
「まあ、上手く纏まりそうになかったら頼りなよ。交換条件次第では手伝ってあげるから」
「ありがとうございます。でも、もう少しだけ煮詰めさせて下さい」
「9月直前に泣き付かれなければ、何とかしてあげるよ。それと、この名前なんだけど、本当に3体全部の個体名がフライデイでいいのかな」
「そこに書いてあると思いますが、実時間で並列化させるつもりなので1体でもフライデイですし、1体欠けてもフライデイ。全部合わせてもフライデイです」
「1人でいても複数形、か。もしも彼等が個別の人格を持ってしまったら?」
「私の雑なプログラムで発生する確率は皆無ですが、そうなったら面白そうなので試しに天然オイルでも投与してみますか」
「別に世界一周戦地行脚でも構わないよ。今の旬は湾岸戦争を筆頭にルワンダが紛争中、リベリア内戦、エチオピア内戦、パレスチナにミャンマー、東トルキスタン、他にも色々。君の持つデータが正しければあと数日でユーゴスラビアの分裂も開始される。ああそれに、アフガニスタンなら丁度上手い具合に一致する。君は彼等にフライデイと名付けたんだ、それなりに期待はしてるんだろう」
「期待というよりは奇跡、ですね。ただ、貴方もご存知のように、ソワナの魔法式は人工人格と呼べるような高度発展呪文ではありません。指示に対しての言動遵行や情報抽出程度は行いますが、自発的な行動は不可能ですし、何よりこの子達を連れて行く世界はあまりにも狭い。好奇心が生まれるような過度な期待は持てません」
「けれど、此処には君や私達やレギュラス・ブラックのような白々しい奇跡と真っ黒な冗談を掛け合わせた存在が集結している。無機物がゴーストを持つ期待程度はしてみてもいいと思うけど」
「話し声が聞こえると思ったら、お前達、こんな所で何をしているんだ」
「ゴースト・イン・ザ・シェルごっこです」
「それと、ジ・エンパイア・オブ・コープスごっこ」
 書斎の入り口に現れたメルヴィッドに即座に切り返すが、当然返答らしい返答ではないので怪訝な顔をされる。エイゼルがレポート用紙を手渡しながら、私の話を聞くよりも読めば大体理解出来ると告げ、赤い瞳が紙に書かれた文字列を追った。
 メルヴィッドの唇がエイゼルと同じように金曜日と疑問形で形作り、数秒の沈黙、ページの最後に辿り着く頃には一通りが頭の中に入ったのか、これだから癖のある物ばかり作る人間はと非難とも呆れとも付かない視線を寄越してくれる。
「幾ら見られても構わない情報を入力するとしても、実時間での共有はインターセプトされる危険が高いぞ。そもそも本体が奪われた場合はどうするんだ」
「ああ、そちらに関しての対応はこちらに」
 机の隅に追い遣られていた紙束をメルヴィッドに渡しつつ、既に別の物に興味を移しているエイゼルに対しても音声で簡単な説明をした。
「双方向通信に使用するのは私とエイゼルの間で用いている三次元コードで現時点では対応可能だと見ています。本体はIDと数字42桁のパスワード、虹彩での生体認証の3点で解決するかと。生体認証不一致、IDかパスワードが3アウトになった場合、内部への不正侵入等の押し込み強盗された場合は自爆措置を取らせます」
「自爆は内部情報消去と物理的自壊に変更しろ。お前の犯罪思考から用意された材料が危険で不穏に過ぎる」
「黒色火薬的な意味の糞爆弾に鉄片は周囲にも甚大な被害を齎しますかね。自壊した瞬間に液体化した無味無臭の人食いバクテリアが噴射された方が範囲は狭いでしょうか」
「人の話を聞いていたか? 自壊させろ、と私は言っているんだ。却下に決まっているだろう、何が元ネタだ」
「迷宮ホラー映画3作目ですかね」
「お前は、本当に、相変わらず、グロテスクなファンタジー要素を詰め込むな。せめてビブリオ・バルニフィカスや溶連菌感染症という単語を出せ」
「そんな高度に危険な物質をが扱い切れるとは思えないけど。もっと簡単な火炎放射にしようよ、確か発泡スチロールをガソリンに溶かしたナパームもどき作ってたよね?」
「あれですか、発泡スチロール処分の為に作ったんですが、使い勝手が多少アレで扱い辛いですよ。それよりも粉石鹸と酸化第二鉄とアルミの粉でもっと高威力なものが」
「エイゼル、お前は黙るか死ぬか選んで死ね。いいか、。フライデイは店の人形を参考にお前が作った事にするのに、そんな危険な仕掛けを発動させてみろ、製作者であるお前の人格が疑われる以外の結末が思い付かない」
「成程、それもそうですね」
「なんで忠告しちゃうかな、折角黙って色々と台無しにしてやろうと思ってたのに」
「お前の周囲の次元だけ性格並みにねじ曲がって死ね」
「君の腐った性根が肉体に及んで液化壊死したら楽しいのにね」
 不機嫌そうなメルヴィッドと嘲笑するエイゼルが起こす普段と変わりない打ち解け合った遣り取りを見学しながら、さてと思考を切り替える。
 大多数の人間がどうなろうと知った事ではないが、メルヴィッドの指摘通り、それによって引き起こされた惨劇の内容がブラック家の耳に入るのは確かに良くない。幾ら彼等が盲目になっているとはいえ、目障りなので爆殺しましたとか、盗人だから融解死させましたと謎理論を笑顔で告げて尚、騙されてくれるとは到底思えない。もしも万が一、それで受け入れられたら彼等の脳味噌の不在を本気で考えなければならないレベルである。
 爆殺の言葉に二重線を引き、自壊に書き換えた用紙がメルヴィッドからエイゼルの手に渡り、それにしてもと呟いた。
「私やメルヴィッドは問題ないだろうけど、君が42桁も数字を覚えていられるとは思えないんだけど。ちょっと諳んじてみてよ」
「910833103431028592945102510101001083100076であってますよね。まあ、意味を持たせてあるので打ち間違いでもしない限り大丈夫でしょう」
「うわ、正解してる。気持ち悪い」
「琴や三味 富みし里にや いつくにも 夜ごとにいとど 音や満ちなん。一つ家の歌碑のように有名な歌ではありませんが、言葉と数字を結び付けて意味を持たせているので余程の事がない限り忘れませんよ。円周率ならエイゼルの予想通り、10桁も言えませんが」
「意味? そういえば、お前が翻訳した和算の書籍に今の数字があったな」
「階梯筭法の中之巻でしょう。武田真元……ええと、武田篤之進源之孚の」
”九十八三三 十三四三十二八 五九二九 四五十二五十十 百十八三千七六”
”ことやさみ とみしさとにや いつくにも よごとにいとど をとやみちなん”
 以上の2行をエイゼルに送信してみたが、今の自分に日本語を送られても理解出来ないと返され苦笑する。翻訳した物自体はデータベース内に今も眠っているので、興味が湧けばこの子も何時か見てくれるだろう。
 首を回しながら時計を確認すると出掛ける時間が迫りつつある。フライデイの調整は帰宅した後に回した方が混乱なく進められるだろう、フライデイに字数制限と付箋にメモ書きして貼り付けていると回覧を終えたエイゼルが呼び捨てなのかと指摘した。
「ぬいぐるみや蛙には敬称を付ける癖に」
「彼の特性を考えると呼称は統一した方がいいでしょう。メルヴィッドもエイゼルも、元気で明るく可愛らしい声でフライデイ君と呼んでくれるなら、そうしますが」
「私は構わないけど」
「断る」
「と言われると思ったので、敬称はなしにします」
 エイゼルが了承するのは意外だったが、どの道メルヴィッドが即答で嫌がったのでフライデイはフライデイのままで落ち着く事になった。
 手元に返って来た書類に今しがた机に貼ったばかりの付箋を貼り直し、立ち上がってもう一度背伸びをする。赤い瞳が時計の文字盤を確認し、黒い瞳が私の格好を今更のようにしげしげと眺めた。
 イギリスのそれは日本よりも随分楽で規則も緩いのだが全くの自由ではない為、それなりの格好はしなければならない。ジョン・スミスから贈られた大量の衣服ではなく、黒いネクタイを締めたモノトーンのスーツ姿の私は、最早あれにしか見えないのだろう。
「どうあがいてもマフィア」
「自覚していますから、どうあがいても絶望、みたいな感じで言わないで下さい」
「抗え、最後まで。の方が良かったかな」
「抗った結果コロンビアン・ネクタイが一番似合う方向に行く気がしてなりません。ゲームのプレイ動画まで目を通して、貴方の好奇心は何処へ跳躍するつもりなんですか」
「行きたい所へ、やりたいように。私のフライデイもこうなってしまえばいいのに」
「お前達、低能を露呈する会話も程々にしておけ」
「ねえ、。世の中には自分が相手よりも高尚だと言わんばかりの指摘が逆に低能さを全面に曝け出してる事に気付かないド低能って少なからず存在するよね」
「よし、誰とは言わないが私によく似たそこの男。不愉快だからその場で体を停止しろ、頭だけは先に墓地へ行く事を許可してやるから埋まれ、地中深くに」
 軽薄な笑顔と笑みを含んだ不機嫌顔、綺麗な顔が正面から睨み合い、間を通過したら時空の歪に囚われて内臓の位置が反転しそうな空間が書斎の出口を塞いでいた。
 まだ、待ち合わせの時間には余裕がある。空間移動魔法は時間を目一杯使う事が出来るので便利だ。だから、悲しむ演技を通さなければならない葬儀の前に、2人の可愛らしい子供達が作り上げるこの空気を私が独り占めして楽しんでも、誰も責めはしないだろう。