曖昧トルマリン

graytourmaline

蒸し鶏の紹興酒漬け

 細長い箱が積み上げられた店の奥から現れた店主、ギャリック・オリバンダーは、来客を迎える挨拶をするはずだった唇が言葉を放つ前に固まり、薄い色をした目を限界ぎりぎりまで見開いていた。
 無理もない。変わり映えのない平和な日常の中、何の覚悟もしていない所にヴォルデモートと似通った容姿の青年が2人も出現した上、隣にはポッター家とブラック家の末裔が仲睦まじい様子で佇んでいるのだから。
 その辺を歩いている通行人のように何も知らない人間ならば精々、矢鱈顔立ちの整った子が揃っているな程度の認識で済むが、彼のように下手に知識があればある程、私達の組み合わせは奇妙に映るだろう。
 退路を探すように挙動不審に動く目を見て、まず口を開いたのはメルヴィッドだった。店の失礼な対応に腹を立てているのではなく、またかと言いたそうな気怠い表情で老いた店主を真っ直ぐ見つめる。
「杖を3人分、見繕っていただきたいのですが。それと彼は油の調合を」
「は、はい。それは……勿論」
 怯える哀れな老人は震える唇を懸命に動かし、まずはどなたからと質問をどうにか声に出すと、メルヴィッドとエイゼルを見上げた。その対応が不愉快だと判り易く眉根を寄せ鼻を鳴らすエイゼルに対し、メルヴィッドは流しておけばいいと肩を竦める。
「私達の容姿は何処かの誰かによく似てるらしい」
「その何処かの誰かってデッド・オア・アライブ並の賞金首かな? メルヴィッドの反応見る限り彼が最初じゃないよね。嫌だな、知らない人間にこういう対応取られるの」
「因みに何処かの誰かを詳しく尋ねようとすると、はぐらかされる事までが様式美になっているから覚えて損はないよ。苛立つ気持ちも判るけど、その内慣れる」
「私達の内側を引っ掻き回すだけで、いざ質問されると口を噤む訳か。役立たずどころか、ただの害虫以下の存在じゃないか」
 記憶喪失の自分達の情報元にすらならないなんて、との意味を含ませたエイゼルは、他の店に行かないかと心にも思ってない事を口にしながら私に同意を求めた。その際会話に出た私の名前に、ギャリック・オリバンダーが反応する。
「ポッターさんの御令息は、そのような名ではなかったはずですが」
「今この子はと名乗っているよ。老人の縮んだ脳味噌では改名って選択肢は端から浮かばない訳だ」
「エイゼル、そうやって全方向に喧嘩を売らない」
「判ってないね、メルヴィッド。私が煽るのは特定の相手だけ、私かを蔑ろにした人間だけだ」
 例えば目の前の彼等のような、そんな意味を含有させた黒い瞳が無言で圧力を放ち、ギャリック・オリバンダーと、レギュラス・ブラックに向く。演技でも流石の男前と賞賛すべきか、やり過ぎてそろそろブラコンのレッテルが貼られそうだと注意喚起するべきか、さてどちらを遠回しに口に出そうかと悩んでいると、早く用を済ませて帰宅したいと隠しもせずに顔面で語っているメルヴィッドが目に入った。
 目の前で繰り広げられているこの寸劇は自由人エイゼルの暇潰しなだけであって、それ以外の深い意味は特にない。本気で腹を立てている訳ではなく揚げ足を取って遊んでいるだけなのだ。確かにメルヴィッドの苛立ちも理解出来る、ならばそろそろ本来の目的に戻ろう。
「エイゼル、私は別に気にしていませんよ。と言いますか、初めてお会いした見ず知らずの方が改名した事まで知っている方が怖くて気持ち悪いです」
、違うよ。私が言いたいのは、客商売ならもう少し考えてから発言するか、さもなければ、もっと考えて黙ってろって事。でも、君が気にしてないならいいや」
 放っていた威圧感を消して私の両肩に手を置いたエイゼルは、さっさと終わらせて店に帰ろうかと、先程レギュラス・ブラックと私が交わした約束を意図的に無視した発言をしながらその両腕を前に押し出した。
 まずは私、でいいのだろうか。
 振り返ると、順番なんて気にしないと態度で告げるメルヴィッドと、レギュラス・ブラックとの睨み合いに忙しいエイゼルがいたので多分いいのだろう。
 怯えてはいないが、それでも挙動の不審さを拭えないギャリック・オリバンダーが私の利き腕を起点とした採寸を始め、合間に世間話を挟んで来た。
 私に要らぬ気を遣ったつもりなのか、いつもの調子を取り戻そうとしただけなのか、どちらにしても彼はエイゼルの有難い忠告を全く聞いていなかったか、聞いていたとしても理解していなかったらしい。
「君のご両親も儂の杖を買って行ったよ、つい昨日の事のようじゃ。お父さんはマホガニーの杖を気に入られてな、強い力があって変身術には最適じゃった。お母さんの杖は柳で出来た26センチの杖で」
「オリバンダー様、1つ宜しいでしょうか」
「何かな?」
 自分が何をしているのかまるで判っていないままメジャーを脇に避けたギャリック・オリバンダーを、冷ややかに見下す。
 背後の誰かが呆れたような声を上げたが、メルヴィッドやレギュラス・ブラックとは思えないので消去法でエイゼルだろうか。彼ならこのような、ちょっと間の抜けた可愛らしい声も上げそうである。
「私が何時、顔も知らない生みの親の事を知りたいと口にしましたか」
「君は自分のご両親に興味がないのかな」
「ありません」
 寧ろ私の正体を知らなかったとしても、何故あると思うのだ。
 里親里子の関係が良好なのに、そこへ実親の話を投下されて喜ぶ人間が何処にいるというのか。その頭蓋骨の中は糞と藁が仲良く等分に詰まって発酵してるのかこの腐れ老害が、とも素直に言えず、腕を下ろしながら握り拳を作る。思いの外許せない発言だったらしく、怒りに手が震えていたのは自分でも意外だった。
「家族の前で、血が繋がっているだけの男と女の話を振られて、感謝をしろとでも。家族に対する当て付けのような発言を受け入れて、手放しで喜べとでも。私を愛している人達が傷付く姿を見て、それでまさか楽しめとでも仰るのですか?」
 震える唇で溢れ出た感情を吐露し、ギャリック・オリバンダーの薄い色をした瞳の中に湖に沈む泥の色をした私の視線が映り込む。その瞳の中で殺気に塗れた私の両肩を、背後から近付いて来た腕が緩く抑えた。
「レギュラス」
「オリバンダー老、先程彼が言ってくれたように、私も手入れ用の油の調合を頼みたいのだけれど、ここでティータイムでも楽しめばいいのかな。そうでないのなら、不愉快な世間話はいい加減切り上げて、この子の杖を見てくれ」
 後にも2人閊えていると灰色の視線がメルヴィッドとエイゼルを指すと、唯でさえ加齢で衰えた肌の色が輪をかけて色をなくし、恐怖で上擦った声がレギュラス・ブラックの言葉に同意した。この場合、恐怖の対象は年若いブラック家の当主様ではなく、私達の背後に控えている保護者という名の青年達であろう。
 早速合う杖を探し出そうとするギャリック・オリバンダーを放置し、顔だけ振り返って彼等の表情を確認すると、それはもうお手本のように美しい不機嫌面であった。特にエイゼルはブレないというか大変律儀で、未だ私の肩に手を乗せているレギュラス・ブラックの行動までその対象に含めている。
「エイゼル、レギュラス。何時になったら覚えてくれるのかな。好きなだけ仲違いして構わないから、君達の諍いにを巻き込むなと、私は再三言ってるよね。その残念な脳味噌に刻み付ける事が出来ないのなら、2人仲良く私の店に閉じ込めてあげようか?」
 さて、これはメルヴィッドなりの冗談なのか、それとも紛うことない本気なのか。幸いと呼ぶべきか、残念と呼ぶべきか、私にはその判断が付かなかったが、少なくとも名指しされた2人は本気と受け取ったようで片方は明後日の方向に視線を外し、もう片方は私の肩から手を退かせ距離を取った。
 それでいいと頷くメルヴィッドの紅い視線が杖を携えてやって来たギャリック・オリバンダーを居抜き、お前もこれ以上巫山戯た事を抜かしたら小型自動車並に盛られた灸の中に全身を突っ込む焚刑に処してやると告げたような気がしたが、そんな具体的な視線はこの世に存在しないので気の所為だろう。
「で、ではポッ……ではなく、様、こちらを手に取りお試し下さい。ブナの木にドラゴンの心臓の琴線、23センチ、良質でしなりがいい」
 流石に国内で最高峰と讃えられている職人だけあり杖の説明となると顔付きが変わり、来店してから一瞬前までの間、メルヴィッドやエイゼルの顔色を伺っていた男と同一人物とは思えない様子で接客を始めた。
 因みにブナの杖はというと、当然の如く私とは全く相性が合わず、振り下ろした直後に取り上げられて次の杖を渡される。
「楓に不死鳥の羽根、18センチ、振り応えが……駄目だ、いかん。黒檀とユニコーンのたてがみ、22センチ、バネのよう。これも駄目だ」
 当たり前である。
 杖選びの前に世間話として多少無駄な会話をしたとはいえ、姿はハリーであっても中身は私なのだ。ハリーの体長や見た目で選ばれる杖が私に合うはずがない。そもそも、外見と中の精神が全く違う異質な存在に合う杖は早々ないだろう。
「難しい。これ程に難しい客は何時ぶりか……では、滅多にない組み合わせにしてみるか、柊と不死鳥の羽根、28センチ、良質でしなやか。これでも駄目か」
 ダンブルドアが飼い慣らしている不死鳥のフォークスの羽根が芯材として使われた、私の世界ではハリーが所持していた杖も勿論合わない。
 恐らくこの杖は後日ネビル・ロングボトムの手に渡る事だろう。窓硝子を使用して間接的に見たメルヴィッドやエイゼルも、まあ当然ヴォルデモートの兄弟杖がハリーを乗っ取った私に合うはずがないと表情で語っていた。
「柳とユニコーンたてがみ、33センチ、駄目だ駄目だ。山査子とユニコーンの毛、これも駄目。葡萄の木とドラゴンの心臓の琴線、も駄目。桜の木にユニコーンの毛……駄目か」
 特に最後の桜の杖には自信があったらしいが、それすら合わないと感じると老人にしては威勢のいい溜息を吐いて弱く頭を左右に振る。
「すまないが、先に彼等の杖を選んでも構わないかな?」
「それは、別に構いませんが」
 内と外とが合わない難しい客である私と交代でエイゼルが前に出て、同じ様に体長を計測され、そして同じ様に勧められた杖全てが合わないという、ちょっと予想していなかった方向に事態が動き出した。
 意味が判らないと呟くエイゼルも私と同じく後回しにされ、残るメルヴィッドが前に出るが、まあ、ここからは想像の通りである。エイゼルの杖が見つからないのだから、道を違えたとはいえ性質的に見れば根本が同じであるメルヴィッドの杖も見つかる訳がない。
 これはもうアレだろうか、イギリス中の杖メーカーを片っ端から当たり、それでも駄目なら海を渡り大陸を歩いてグレゴロビッチ辺りの杖職人に頼み込みに行くしか手段はないのだろうか。
 実に面倒臭くて嫌なのだがしかし、ギャリック・オリバンダーはそうしてくれと態々声に出して言ってくれた。せめて紹介状を寄越せと、メルヴィッドが何十にもオブラートに包んでそのような打診をしてみるが、首を横に振られる。広い背中に死ねばいいのにとの文字が浮かび上がった幻覚が見えた。
「この店には、貴方がたに合う杖がありません。極稀にいらっしゃるのです、私の杖の主になるには難しい……あまりに難し過ぎるお客様が。恐らく、世界中探してもぴたりと合う杖は何処にも」
「私達に売る杖はない、って言いたいのならはっきりとそう言えばいい。それにしても、世界中とは大きく出たね。私達の杖は見付けられないのに、それでも自分の店が世界で最も優秀だと思っているんだ? きっとその頭蓋骨の中身は黴が生えるくらいに枯れ腐った塵芥で溢れているんだろう。そんな蛆も寄り付かない融解脳を後生大事に肉袋に詰め込んで意地汚く生きている意味って何かな? 貴方は杖職人でもあるのだろう、なら私達に合う最高級の杖を意地でも作ってみせますくらいは宣言して欲しいのにそれすら出来ないなんて、もう高慢を拗らせて医者に匙を投げられたという理由で引退して早々に首でも吊って輪廻転生的な意味合いの新しい人生を始めた方がいいと思うよ。冷たい石の下、土に埋もれた暗くて湿っぽいベッドが嗄れた老人の肉体にはお似合いだ」
「エイゼル、気持ちは判りますが、もう少し表現を穏やかにした方が」
「例えば?」
「表の看板を下ろせ、とか」
「短く纏めればいいってものじゃないよ。思いっ切りストレートじゃないか。それ、君的にはどの辺りが穏やかなの?」
「少なくとも死ねとは言っていません」
「私だってそんな物騒な単語は一言だって告げてないよ?」
「遠回しに言っているような気がしたんですが」
「気の所為だよ」
 幾ら私が間抜けでも流石にそれで納得出来るはずがないのだが、メルヴィッドが店を出たがっているので、それ以上のじゃれ合いは切り上げて皆で店の外に出る。ギャリック・オリバンダーの瞳が反論したそうであったが、当然そちらは全員無視をして。
「あれ、レギュラス」
 全員、つまりレギュラス・ブラックも気付けば私達と共に外に出ていた。手入れ用の油を調合する為に来たのではないのかと首を傾げると、あれは今度自宅に呼び付けるから問題ないと怒気を孕んだ笑顔で返される。当然エイゼルが混ぜっ返しに来ると身構えたがその予想は外れ、是が非でもその時までに相応しい杖を手に入れていたいと苛立ち混じりの笑みで応えていた。ギャリック・オリバンダーへの嫌がらせ以上に、大した価値もなければ、持ち得る力を引き出す事も適わない量産品の杖から解放されると思っていたのに、自分に相応しい杖はないと宣言されたのが相当の衝撃体験だったらしい。
 まあ、しかし、この店の前でゴネても何が変わる訳でもない。ひとまずこの場に漂う鬱屈した空気を振り払おう。
「ないものは仕方ありません。気分転換も兼ねて、皆でフローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラーに行きませんか? 3月の新作フレーバーが今日から発売で、その中のマシュマロハニーミルクが食べたかったんです」
「ああ、じゃあ私は、メープルウォールナッツにしようかな。レギュラスとエイゼルは?」
「ごめんメルヴィッド、何のフレーバーがあるのか知らないんだけど」
「マシュマロハニーミルク、メープルウォールナッツ、ジンジャーミルクティー、ストロベリーチョコレートクランチ、シナモンピーチパイ、カフェモカアーモンドの6種類だよ」
「……なんでエイゼルまで知っているんだ」
「薬屋も客商売だからね。期間限定ものや流行にも敏感でいないと」
 メルヴィッドのお情けで従業員にして貰った訳じゃないと笑うエイゼルは、本当はどうだかと言いたそうなレギュラス・ブラックを適当にあしらい私の手を取る。
「マシュマロハニーミルクも食べてみたかったんだ。、私のシナモンピーチパイ一口あげるから交換しよう」
「本当ですか、是非お願いします」
「ついでにレギュラスとの買い物もキャンセルしてくれると嬉しいな」
「それは出来ません」
「つれないね。君の過ぎた優しさは短所だよ、何故私の不安を汲んでくれないのかな?」
 取った手を強く握り締め、先へ先へと早足で歩いて行くエイゼルに付いて行こうと小走りになると、後ろからレギュラス・ブラックも慌てた様子で追って来た。唯一メルヴィッドだけは落ち着いていたが、流石貫禄ある年長者というより関わるのが面倒だと感じているだけだろう。振り返って確認した、私達へ向けた表情は呆れを含んだそれであったので。
 追いかけて来たレギュラス・ブラックがエイゼルとは反対側に位置する私の隣に並び、対抗心からか私の手を取ろうとする。その前に、侮蔑と殺意を混ぜて事実で練り上げた言葉が美しい唇から放たれた。
「だって彼は、君を殺そうとしてるのに」
 酷い嘘に塗れた庇護の台詞を耳で捉えてしまい、可哀想なレギュラス・ブラックは片腕を上げたまま立ち竦む。
 彼を傷付ける為だけに放たれたエイゼルの言葉はしかし紛れもない過去の現実であり、本心からではない上辺だけの言葉でも、私は遂にそれを否定する事が出来なかった。