曖昧トルマリン

graytourmaline

鰤の酒粕仕立て

 結局、リチャードの遺品を奪った犯人は発見次第私の保護者を名乗る3名の青年達に拷問された後、時間をかけてじっくり嬲り殺す事が決定されてしまったが、私の中ではきっと土壇場でメルヴィッドがブラック家の名に傷が付かない程度に抑えるか、私に先手を打つよう指示してくれるだろうと完全に他人任せの結論に達したので、全く大丈夫な要素はないが投げっぱなしにする事に決めた。
 肩の荷を捨て、心理的に軽くなった所でアップルパイを頬張ると、シナモンと甘さを控えたカスタード、それにしゃくしゃくとした歯触りの林檎に頬が緩む。
 パイを頬張る私をレギュラス・ブラックが小動物を見るような目で眺めていたが、その姿は紛うことなくアークタルス・ブラックの孫であった。試しに首を傾げながら子供っぽく笑いかけてみると、幸せそうな表情で首を傾げながら微笑み返される。私も他人が食べている姿を見るのが好きなので、気持ちは分からないでもない。
 納得ついでに彼にもアップルパイを勧めてみると、そろそろ胃袋の中を調節しないと拙いらしく一番小さなものを所望された。また機会があれば作るので無理して食べないようやんわりと言ってみるが、少しでいいから全部食べたいと可愛い事を言ってくれる。
 そんなレギュラス・ブラックとは逆に、許容量が並大抵ではない2人は未だ余裕の表情で其々パウンドケーキとティラミスを咀嚼し、更にエイゼルは若いのだからもっと食べた方がいいと笑顔で無茶振りをし始めた。
 私も沢山食べる子は大好きだが、別に吐くまで食べて欲しいとは思わない。寧ろ、吐くくらいならば適当な具合で止めておいて欲しいのだけれど。
 苦痛に歪みそうになるのを堪えた表情を浮かべて隠して一息ついてから一番大きいものをと言い直すレギュラス・ブラックが可哀想になったので最初の要求通り一番小さな物を差し出し、瞳が黒い人間に向かって、穏やかと表現出来るような笑みをふんわりと浮かべた。
「エイゼル、嫌がっている相手に無理強いするのは中年の発想ですよ」
 酒席で一気飲みを強要するような中年男、アレルギー持ちに病は気からなんて馬鹿な事を言ってくれる中年女、そんな屑と同列に振られたいのかと笑顔のまま威圧すると、私の怒りに触れた事以上に中年呼ばわりが堪えたのか手が止まっていた。
 辛辣だと吹き出すメルヴィッドの隣で、レギュラス・ブラックも中年に何か恨みでもあるのかと安堵と困惑の混ざった笑みを浮かべ、小さなアップルパイを口に運ぶ。手抜きの割に彼の舌に合ったのか、幸せそうに緩む目元を見るとこちらまで嬉しくなってしまった。
 そんな私の隣の黒い瞳が今の言葉を撤回するよう要求しているような気がするが、きっと気がするだけという事にしておいて、正面に座るメルヴィッドに向き直る。中年といえば、と表現するのも失礼なのだが、先程から引っ掛かっていた言葉があるのだ。
「メルヴィッド。老け薬の事で悩んでいたようですが、何かあったんですか?」
「ああ、さっきのあれ、気にしてくれていたんだ。別に老け薬の事じゃないんだけど、折角の空気を壊す真面目な話になるからね」
「メルヴィッド、私としては是非壊して欲しいな」
「自業自得だよ。って言いたい所だけど、そうだね。次が何時になるのか判らないし、丁度いい機会だから聞いてくれるかい?」
 打ち合わせになかった流れを作ってしまったが、先程の思わせぶりな呟きを考慮すると、多分これでよかったのだろう。
 大体、私の判断が拙ければ受け手のメルヴィッドの方で然程重大な事でもないとはぐらかせばいいのだ、その手の事を私は追求しないし、メルヴィッドに骨抜きにされているレギュラス・ブラックも深くは探らない。エイゼルだけは面白がって引っ掻き回しそうだが、それでも最低限の判断はしてくれるだろう。そうしないと、メルヴィッドとよく似た境遇の彼の身も連鎖式に危なくなるのだから。
 和やかだった空気が少しだけ緊張し、灰と黒、そして緑の瞳がメルヴィッドに注がれる。そんなに見つめられると緊張すると思ってもいない事を口にして、また少し口を噤み、やがて何かを決心したような顔で彼が私達を見つめ返した。相変わらず、美しい赤の瞳で。
「私は、歳を取らない。多分、人間ではないと思う」
 幸か不幸か、まさかそんな冗談、と彼の告白を笑い飛ばすような人間はこの場にいなかった。ただ、主にレギュラス・ブラックの思考が停止しているらしく、しんと静まり返ったダイニングに時計の針の音が煩く響く。エイゼルは驚いたような演技の裏で成程このタイミングでカミングアウトするのかと納得している様子であった。
 では、私の役目は何かというと、間違いなくこの空気を壊す事だろう。
「そうですか。私は別に構いませんよ。歳を取らなくても、人間でなくても、メルヴィッドが私の家族である事に変わりはありませんから」
「うん。まあ、はね、そう言ってくれると思ったよ」
「当たり前じゃないですか。それに常々、メルヴィッドの食べる量は尋常ではないと思っていましたから、人外ならば逆にその胃袋の大きさも納得出来ます」
「酷いな、そんな理由なの?」
「……顔立ちが」
「君はどれだけ私の顔が好きなのかな」
「いえ、今のは正しくありませんでした。顔立ちも、好きです」
「ああ、もういいや。判ったよ、ありがとう」
 一世一代の告白を軽く受け止められて脱力する保護者に向かって、だってメルヴィッドはメルヴィッドでしょうと続けると、呆然としていたレギュラス・ブラックも確かに人間か否かは問題じゃないような気がすると頷く。
 ブラック家の当主様、もう少し時間をかけて本当にそれでいいのか今一度考え直して欲しい。周囲から変人と言われている私にとっては問題ない告白だが、彼にとっては色々と考えなければならない告白だったのだが。去年の11月上旬、丁度裁判の前にクリーチャーへ流した毒が耳に入っている可能性を考慮しても、ちょっと麻痺し過ぎではないだろうか。
 思っていた以上にこちら側に傾き過ぎて思考が停止している子に対し不安を覚えたのは私だけではないようで、メルヴィッドも予想していた反応と違うと表情で語っていた。
 本来ならばもっとこう、真の友情と世間体に揺れる男の子同士の熱い大討論会が交わされる予定だったのだろうが、頭の天辺から足の爪先までどっぷりと私達の注ぐ毒に浸かり過ぎて思考が狂ってしまっているらしい。思い返してみれば、メルヴィッドの守護霊が発覚した時からそんな兆候はあった。
 つい先程、レギュラス・ブラックが第三者に唆されてメルヴィッドに離反する可能性を考えたのだが、もしかしたら私の考え過ぎなのかもしれないと思えて来る。しかしたとえそうなったとしても、これはこれで、ちょっと、酷い。
 確かにあの地底湖でレギュラス・ブラックを甦らせる際、彼の心がメルヴィッドに絡め取られればいいとは思った。しかしヴォルデモートに仕えていた時のような、こんな自分の意見を持たない洗脳状態に陥って欲しかった訳ではない。彼の背後に居座るメルヴィッドが透けて見える傀儡では駄目なのだ、彼自身が導き出した意見にほんの数滴だけ、メルヴィッドの思惑が融けているくらいが丁度いいのに。
 私の知るブラック家の性質の1つに両極端に走るというものがあるのだが、離反や裏切りを恐れた故にそれを無視して囲ってしまった事が悔やまれる。幸い未だ裏目に出たとまではいかないが、それでもこの子が分霊箱ホークラックスを破壊する為だけに自らを犠牲にする事を決意した時のように、ある瞬間、突然見限られる可能性が浮上していた。
 今になって、この子との最適な距離が判らなくなる。精々弟としてしか見られていない、影響力の低い私はまだいい。問題は、メルヴィッドの位置関係だ。
 否、しかしここで私が下手に掻き乱すよりはメルヴィッドに一任してしまった方が良手であろうか。他者との距離を調節できるメルヴィッドの横から、他人の感情や周囲の空気に疎い所か読み間違える私が手を出しては邪魔にしかならない。
 現時点では結論が出せそうにないこの事案は一時保留とし、今は目の前の会話に意識を戻す事にしよう。
 内心の焦りを全く表情に出さないまま、なんだそんな程度の事なのかと呆れた顔をしていると、エイゼルが自分も似た境遇だからもしかしてそうなのかなと、自らが人間ではない事を平然と受け入れていた。レギュラス・ブラックは既に生き返った事を告白している。となると、残りは私なのだが。
「あれ、もしかしてこの流れ、自覚していないだけで私も人外のパターンですか。知らない間にお墓も建てられていましたし」
 人外2名に蘇生者1名、その中に純粋な生者が1名ではどうにも釣り合いが取れないと惚けてみると、正面のメルヴィッドが綺麗に苦笑した。
「さあ、どうだろう。でもが私に言ってくれたように、がどのような存在でも、私の可愛い弟で、大切な家族である事に変わりはないよ」
「じゃあ、どっちでもいいです」
 メルヴィッドの演技に乗せられたふりをして、笑顔を浮かべながら結論を出す事自体を投げ出すと、その辺に転がった中途半端な会話を何故かレギュラス・ブラックが拾い、素早く再投下する。
「墓があるから死んだとは限らない。は、人間だと思うよ」
「へえ、そう言える理由が知りたいな」
 態々回収しなくていいものを、エイゼルも興味深そうにレギュラス・ブラックに話しかけて終わるはずだった話を蒸し返した。黒い瞳が私を馬鹿にしたように見下すが、彼だって私がこの方面では全く使えない脳筋で馬鹿で耄碌している事などとうに承知だろうに、今更何故そんな目をするのかが判らない。
 正面で残念な生き物を見る目をしているメルヴィッドの反応ならば理解出来るのだが、要はまた私は話の流れを読み間違えたのだろう。
 レギュラス・ブラックにその目の色が見つかる前に繕ったメルヴィッドは、エイゼルと同じ様にその理由を教えて欲しいと言葉をかけた。同時に、灰色の瞳が私を見つめる。
「何処から話せばいいのか判らない事だけど……確信の持てる結論から、言おうか。彼等は闇の帝王、例のあの人を滅ぼそうとしている。その為にを必要としているんだ」
 メルヴィッドや私と出会った当初にはぐらかした内容をここに来て口にしたレギュラス・ブラックは、突拍子もない言葉に固まっている演技をする私達に向かって、まずその結論を導き出した過程を聞いて欲しいと念を押した。
 黙って大人しく頷く同席者の姿を確認してから、灰色の瞳が過去へ向けられる。
「闇の帝王は10年前のハロウィンに、ロングボトム家の襲撃に失敗してネビル・ロングボトムに倒された事になっている。勿論、倒された事は間違いない。けれど、正確に言えば滅んだのは肉体だけで、魂は今も何処かで生き延びているんだ。メルヴィッド、貴方に破壊して貰った物の事を覚えてる?」
「ああ、あのアンティークの。初めて会った時に魔法で壊してくれと頼まれたロケットの事だよね、勿論覚えているよ」
「あれは分霊箱ホークラックスと呼ばれていて、術者の魂を分割して保存し、肉体が滅びても完全な死には至らないようにする為の、闇の魔術の道具なんだ」
「という事は、今からもう一度探し出して倒さないと、例のあの人は滅ぼせない?」
「そう。今になってやっと、倒す準備が出来ただけだ」
 どうやらレギュラス・ブラックは分霊箱ホークラックスが複数個作成されている事には気付いていないらしい。
 確かに常人ならば魂を8分割、否、今は未だ7分割だったか、それだけすれば間違いなく発狂するのでそう判断するのも判らなくはないが、ヴォルデモートの精神力は十人並みとは程遠い強さを持つ。この辺りは少しばかり、読みが甘い。
 そして、主人からの預かり物を吹聴しない程度には、レストレンジ家もマルフォイ家も賢明だったようだ。尤も、近い将来ルシウス・マルフォイは下手を打って処罰されるのだが。まあ、どのような意図を持っていたかは不明だが主人から預かった物を私的に使えば誰だって罰せられるだろう、この件に関しては完全に身から出た錆だ。
 さて、このままレギュラス・ブラックがヴォルデモートに対抗するルートを選択されるのは非常に拙い。何か手を打ちたいのだが、果たしてどうするべきか。ダンブルドアと噛み合わせる為だけに放置しているので正直ヴォルデモートが生きていようが死んでいようが構いはしないのだが、仮に打倒するにしてもそれはもっと先の事で、しかもメルヴィッド達の事を考えるとこの世から抹消するのではなく、肉体はそのままに泣いたり笑ったり喋ったり動いたり出来ないくらいに追い詰めて、発狂させなければならないのだが。
 ヴォルデモートたった1人を殺す為に、メルヴィッドやエイゼル、そしてユーリアンを殺されては堪ったものではない。やむを得ず犠牲を出さなければならない場合でも、精々、私程度の価値しか持たない人間で対価としては十分だろう。
 私とダンブルドアはよく似た行動を取るが、それでも、ダンブルドアと全く同じ行動を取るつもりは一切ない。
 私は敵対する者を殺す為に身内を捨て駒にするつもりなど一切ない。
 捨てる為の生贄は、別の勢力から引っ張って来ればいいだけである。私にとってこれは全て遊戯であるが、しかし白か黒かの世界にしか存在出来ないチェスではないのだ。ありとあらゆる色を持つ勢力がこの世界には存在するし、どの勢力に属さない浮動の人間だって一定数は必ずいる。それを利用しない手はない。可能な限りの人間を幸福にするつもりなど、毛頭ない。愛している子達さえ幸せであれば、それでいい。
 搦め手を考えている私とは違い、正面からの突破方法を考えているらしいレギュラス・ブラックをどうするつもりかとメルヴィッドに視線をやるが、私は誘導が下手なので敢えて手を出す必要もないと指文字で返された。どうやらこの件に関してはメルヴィッドの方で動いてくれると思っていいらしい。
 ならば彼に一任しようと目線だけで頷くと、その仕草をレギュラス・ブラックに見られないようにしてくれたのか、エイゼルがあからさまに大きく息を吐き出して意識をそちらに向けさせてくれた。
「参ったな、途方もない話に足を突っ込んだみたいだ」
「エイゼル。残念だけど、これから更に広がるよ、イチ抜けするかい?」
「ん、いや、聞くよ。他に行く宛もないし、何より、が深く関わっているみたいだからね」
「そう? ならいいけど」
 助けてくれたり、そうではなかったり、愉快な気分屋の彼に苦笑するとダイニングの空気が少しひび割れる。
 首筋の辺りに痛みを感じる視線を送るレギュラス・ブラックと、私の髪を撫でながら挑発するエイゼルの間で火花が飛ぶ幻覚が見えたが、もしかしたら幻覚ではないかもしれない。けれども、私にはどうしようもないのでこの件は無視するとして、よく聞くとエイゼルに対して時のみ、レギュラス・ブラックの口調が砕け始めていた。残念ながら、悪い方向に。
 続けようかと微笑みかけてくれるレギュラス・ブラックに困惑した笑顔で応えると、彼の目がメルヴィッドに向いて次は絶対に私とエイゼルを隣り合うよう配置しないで欲しいと小声で頼んでいた。幾ら小声でも斜向かいに座る私の耳に入ってしまえば全員に聞かれているようなものなのだが、エイゼルに私を取られたくないという子供の独占欲を少しでも隠したかったらしい。
 そういう所が、この子はとても可愛らしいのだ。だから彼の役割を無視して爺の私は構い倒したくなってしまう。
「エイゼルの所為で逸れてしまったから、話を戻そうか。私が生き返ってすぐ出会った青年姿のは、この闇の帝王の分霊箱ホークラックスの存在を知っていて、尚且つ破壊を強く望んでいたんだ」
「確か、彼等自身は出来ないと、そう言っていたんでしたっけ」
「ああ、言葉不足だったね。あれは、あの場に分霊箱ホークラックスが存在しなかったから出来なかったんだ。その場にあったのなら、多分彼等の手で壊していたと思う」
「となると、私は保険だった訳だ。でも当たり前か。確定した訳じゃないけど、彼等が私達と直接対話する機会は今の所1度しかない。それで保険をかけない方がどうかしている」
「いや、メルヴィッドは保険ではないよ。分霊箱ホークラックスの有無は問わず、彼等はの為、いや、闇の帝王を滅ぼす為に私達を接触させた」
 そこが繋がらずよく判らないとエイゼルが両手の指先を合わせて呟くと、不機嫌そうな顔をするレギュラス・ブラックが何か言う前にメルヴィッドがそれを今から彼が話してくれるのだろうと場を収めた。
 赤い瞳は視線だけでエイゼルを責めたが、黒い瞳はこんな面白そうな場を掻き乱さないでどうすると応えた、ように見える。私の思い違いかもしれないし、本当に当たっている事かもしれないが、邪魔な真実は闇の中に葬る事にした。
 メルヴィッドがエイゼルを制している間にレギュラス・ブラックに話の続きを求めれば、不愉快を表していた顔付きが急に柔和になり空気が穏やかになる。どうしようもなくブラック家の将来が心配だと、心の底からそう思おうとした所に、全く予想していなかった言葉が彼の口から飛び出した。
「”闇の帝王を打ち破る力を持った者が近付いている
 7つ目の月が死ぬ時、帝王に3度抗った者達の間に生まれる
 そして闇の帝王は、その者に自分と立ち並ぶ者としての印を付けるであろう
 しかしその者は、闇の帝王の知らぬ力を持っている
 一方が他方の手にかかって死なねばならない
 何故ならば、一方が生きる限りは、他方は生きられないからである
 闇の帝王を打ち破る力を持った者が、7つ目の月が死ぬ時に生まれるであろう”」
 この言葉か、これに似た言葉に聞き覚えがあるかと問われ、少し首を傾げ考える素振りをしながら軽く否定の言葉を口にする。視線に気を付け、知らない事を尋ねられた時の仕草を模倣し、今度は判る程度に首を振ってから反対側へ首を傾げた。
「いいえ、残念ながら。聞き覚えもないと思いますが、魔法界で流行しているオペラの歌詞ですか?」
 平静を保つメルヴィッドと、中指の先を唇の上へ持っていったエイゼルを確認してからレギュラス・ブラックに向き直ると、少し脱力したような笑みで否定される。
「いや、全く違うけど。何でそんなにピンポイントな答えが出たんだい?」
「だって、レギュラスのいう闇の帝王が私達のいう例のあの人の事で合っているのなら、これはネビル・ロングボトムの事でしょう? てっきり彼の英雄讃歌かと」
「……どうして、そう思うのかな」
 私よりも下手な演技で動揺を隠したレギュラス・ブラックを置いて、他2人にだって判るだろうと問い掛けると首肯された。
 闇の帝王がヴォルデモートの事を指しているのは今迄の会話の流れからして間違いないので、それを打ち破ったのならばネビル・ロングボトムの他にいない。7つ目の月が死ぬ時を7月末と捉えればこれも当て嵌まった。彼にはヴォルデモートに付けられた傷が体の何処かにあったはずだし、両親が3度抗った事は魔法界の記録を貪り読んでいた時に流し見た記憶がある。ヴォルデモートの知らない力を持っているかどうかまでは判らないが、恐らく持っていたから倒せたのだろうと推測した。彼が生きている間はヴォルデモートが生きられない事も、世間的には間違っていない。
 ならばこれはネビル・ロングボトムを讃える歌か詩で、且つ現代の物とは少々相容れない堅苦しさの為、オペラではないのかと解釈しただけだと3人で説明をすると、そういう考え方もあるのかとレギュラス・ブラックは感心していた。
 では他の考え方、正解は一体何かと振れば、彼にとっては意外性に溢れる、私達からすれば予想通りの言葉が返って来る。
「これはあらかじめ言明された未来、予言だとされている」
「されている……ああ、そうか。例のあの人は未だ死んでいないから現時点は最中で、予言だとは確定していないんですね」
 そんな事よりも何故彼がこの予言を知っているのかを全力で問いたいのだが、私が振るのは不自然だと言う意図を汲んでくれたのだろう、私が知りたいのは、とメルヴィッドが口火を切り、その疑問を投げかけた。
「予言は魔法省の神秘部で厳重に保管されているし、当事者以外は触れる事も出来ないはずだけど、何故レギュラスがそれを?」
「私としては、神秘部に何があるのか普通の魔法使いは知らないはずなのに、メルヴィッドが何故それを断言出来るのか疑問だけどね」
 折角流れに乗せようとしていたのに何故混ぜ返してくれるのだと思わず目を見開いてしまうが、演技から逸脱してしまったそれを取り繕う前に、エイゼルと私の悪意とうっかりが連携された言動を無効化にする為、メルヴィッドが即座に行動に移す。
 当然、目の奥でのみ、この阿呆共がと怒られた。返す言葉もない。
「ミリセント・バグノール、と言えば判るかな。前魔法大臣に内緒の話として教えて貰ったんだ。てっきりもそうだと思ってたけど、その様子を見る限り、あの人は私にしか話してくれなかったみたいだね」
「何故メルヴィッドと前魔法大臣に繋がりが?」
「君以外は皆面識があるよ、僕の家で開いたクリスマスパーティで会ったから。納得出来たと思うから話を戻して構わないかな?」
「そういう事なら、勿論」
 揚げ足取りをするエイゼルに針のような視線を送ったレギュラス・ブラックは、もう何度目かになる真面目な顔で、私の度肝を抜いた。
「さっきも話した事だけど、僕はと一緒に去年の12月4日、不本意ながらダンブルドアと接触した。今の情報は、その時に彼から失敬した物だ」
「え、レギュラス、盗んじゃったんですか?」
「うん、ごめんね。掠め取ったんだ。だってあの男、巫山戯た事ばかりしてくれるからどうしても怒りを我慢出来なくて。でも先に仕掛けたのはダンブルドアだよ、僕の記憶を盗み見たお返しも兼ねて、同じように開心術をちょっと、ね」
 ちょっと待って欲しい真逆あの時かと大声を上げそうになったのを何とか堪え、些細な悪戯を告白する子供のように可愛らしく笑っているブラック家当主様を凝視する。今迄散々不安だ心配だと考えて来たが、ここに来て彼の評価が一変した。
 確かに、複数魔法の同時行使は難しい。それが共に上位に位置する閉心術と開心術の組み合わせならば尚更であり、ダンブルドアでも鼻歌交じりに行使出来ないだろう。現に、あの男の開心術中は目付きや表情が若干胡散臭くなった。
 理論上は閉心術中に開心術を使えば、或いはその逆や別の上位魔法との組み合わせでも、その力を完全に引き出す事は困難になる。それを知っていた故に、レギュラス・ブラックは自分の情報を盗ませている隙を突いて逆に開心術を仕掛け、ダンブルドアの重要な記憶を盗み出す事に成功したのだ。
 ダンブルドア相手にカウンター攻撃を選択する度胸があるとは。常に警戒し閉心術は行っているが、警戒し過ぎて手を出せない爺の私には出来ない大胆な行動である。若さと勢いの組み合わせは方向とタイミングが合うと非常に恐ろしい、肝に銘じる所か刻み込んでおかなければ何時か私が死にそうだ。
 否、しかし、今思えばもっと早くに気付ける箇所があった。
 レギュラス・ブラックはダンブルドアとの接触後、丁度私が初めてブラック邸を訪れた時に、こう訊いたではないか。ダンブルドアは何故あんなやり方をしたんだろう、と。
 彼はアプローチの方法に疑問を呈したが、何故私達に接触したのか、という疑問は終ぞ口にしなかった。する必要がなかったのだ。開心術を使用してダンブルドアの思考を盗み見た事で、既に知っていたのだから。
 知っていたのに考えが至らなかった所為でメルヴィッドに報告出来なかった自らの愚かさを痛感しつつ、若くても彼はブラック家の当主なのかと感心もした。その内心を隠しつつ、表情は驚いた演技から彼を案じる子供のものへ変化させる。
 私やメルヴィッド、エイゼルの中では既に終了してしまった話なのだが、レギュラス・ブラックだけにはそうでないのだ。
「そんな。だって、開心術は相手の記憶を無理矢理抉じ開ける魔法ですよね? そんな酷い魔法を受けて大丈夫でしたか、体や心は傷付きませんでしたか?」
「心配してくれるの? は優しいね。相手が相手だったから多少は盗まれたけど、ブラック家の当主になる人間はホグワーツ入学前に対抗する手段を叩き込まれるから、そんな顔をしなくても大丈夫だよ。今度、閉心術も教えてあげるね」
 同じように開心術を受けたであろう私の方が心配だと灰色の瞳が告げていたが、それが声に変わる前にメルヴィッドが無駄な会話を遮る。
「レギュラス。もしかして君は、達とダンブルドアは、この予言された子供はネビル・ロングボトムではなく、の事を指していると考えているのかい? だからダンブルドアも彼等も例のあの人を倒す為にこの子に接触を図り、更に彼等はサポートとして私達を次々と送り込んでいると」
「流石メルヴィッド、話が早い。公的な記録ではは7月末の生まれで、ご両親も存命中に3度抗ったとされている。ネビル・ロングボトムの額には稲妻型の傷があるけれど、闇の帝王自身が付けたという確証は何処にも存在しない。印が目に見えない物だったり、未だ付けられていない段階だと考えれば、僕の予想も十分成り立つ。何より」
「私は嫌だな、そういうの」
 熱弁している際中、突如割り込んだ声にレギュラス・ブラックの許容限界がやっと訪れたのか、テーブルに手の平を叩き付けた。零れたワインやソースを私が魔法で拭き取る様子が視界に入らない程度には激昂している。
「エイゼル。さっきから一体何なんだい? 君の所為で話が進まない、邪魔ばかりするのはいい加減止めてくれないか」
「仕方がないよ、記憶はないけど、邪魔をするのは私の性分みたいだから。それに、嫌なものは嫌だと自覚した瞬間、気に食わないと言わせて貰うのも本能じみた性格みたいだ」
 指先を唇の前で合わせたまま、エイゼルは目の前の人間に向かって思い切り侮蔑の視線をくれてやった。一体何が彼をそうさせるのか判らないが、メルヴィッドは根底が同一人物だけあって理解しているらしく、焦った様子はない。
「予言と確定していない以上、君がダンブルドアという男から盗んだそれは戯言の領域を出ていない。君も、その戯言を後生大事に胸の内にしまっているダンブルドアも、私からして見ればどっちも同じ愚か者だ。未来が過去になり、現象が確定して、予言は初めて予言として認められるんだから。そもそも、解釈を必要とする文字や音の連なりに予言としての価値はないよ。Aという人物とBという人物の異なるフィルターを通した場合、共通した結論が出ないそれは、とても予言と呼べるような代物じゃない」
「けれど!」
「愚か者だから判らないのかな、レギュラス・ブラック。私は君の意見に全面的な反対を表明している。私はを、こんな年端も行かない子供を例のあの人と戦わせるつもりは毛頭ないと言っているんだよ。この子は既に普通の人間が経験する一生分以上の不幸を体験した、この子の人生には、もう絶望の一欠片、流血の一雫だって必要ない」
 会話を寸断したり引っ掻き回すだけだったエイゼルから思ってみない正論が展開され、レギュラス・ブラックは固まってしまっていた。私にしても、この正論は少々意外だったが、メルヴィッドは予想通りと言った風に無言でエイゼルに同意を示している。まあ、彼の立場は私の保護者なので話の内容を聞く限りエイゼルの側に付くのは当然だろう。
 それにしても、解釈の余地のある予言なんて、予言の名に値しないとは、中々不吉な言葉だ。アーガイル塔が破壊されたり、ロンドンがドラゴン対ミノタウロスの決戦場なるとは思えないが。
もメルヴィッドも甘過ぎる。ねえ、レギュラス・ブラック、一体君はの何であるつもりだ。友人? 親友? そんなものは嘘か、幻想か、そうでなければ思い込みだろう。傷付いていた時に手を差し伸べた相手を戦場に送り込もうなんて、最低最悪の裏切りだ。それは敵の思考だ、親しい者の発想ではない。友人の発想で、あってはならない」
「……それでも、それでも駄目なんだ。ネビル・ロングボトム、彼を直接見たけれど、あれは駄目だ。魔法省の広告塔というだけのお飾りだ、とても英雄の器じゃない」
「だから何だと言うんだい。君もダンブルドアも、そんな下らない戯言に拘るから視野が狭まるんだ。ここは10年前までテロを体験していた世界だろう、当時の記録や記憶、体験は未だ生のままで残っている。関係省庁は復旧しているんだろう? 対テロ組織くらい、何時でも立ち上げる事が出来る」
「今はまだ、出来ない。誰もがあの暗闇の時代を思い出したくないと」
「なら、滅びてしまえ」
 重い腰を動かせないまま足元から崩れてしまえと過激な台詞が飛び出て、レギュラス・ブラックが絶句する。
「危機管理のなっていない、そんな脆弱で不道徳な世界は、来るべきマグルの情報化の時代を待たず内側から滅びてしまえ。たった1人の人間に救われた世界なら、たった1人の人間に滅ぼされる世界であっても不思議じゃない。暴論だけど、納得は出来る」
「魔法界がなくなれば、の居場所がなくなる事を知っての言葉とは思えないな」
「困るのは君だけだろう。私は困らないし、も困らない。メルヴィッドもね。魔法界が滅んでもマグルの世界で暮らせばいいだけの話だ。何なら私はこの子と2人で陰鬱で黴臭い霧の島から出てもいい。行き先は大陸や北欧、同じ英語圏のアメリカやカナダ、オーストラリアやフィジー、安全なら世界の何処でも構わない。地球を半周程度して、本当に香港に行ってみるのも面白そうだ」
「君とが2人きり、なんてぞっとしないね」
「信頼を利用して、甘言で子供を死地に送り出そうとする友人よりはマシだよ」
「僕は、そんなつもりで言ったんじゃ」
「君の信じている戯言を引用してあげようか、一方が生きる限り他方は生きられないんだろう。戯言が予言で、全てが君の予想通りだったとしても、例のあの人が生き残ったら、つまりが死ぬという事だ。そんな二者択一はごめんだね」
「だから僕達がの補助を」
「笑わせてくれるね、コメディアンの才能がないのは残念だけど。それの何処が友人だ。君が先陣を切って、死んでしまえばいいのに」
「エイゼル!」
 本人置いてけぼりの男の子達の元気な口論に口を挟めない状況だったので聞き手に回り放置していたが、流石にレギュラス・ブラックに向かって死ねは言い過ぎだ。そもそも彼はエイゼルの駒ではない、生殺与奪の権利はメルヴィッドが握っていなければならないのに。
 彼の名を叫び、袖を引いて首を横に振ると、私の意図はすぐに伝わったようで確かに死ねとは言い過ぎたと誠意のない謝罪をする。しかし素直過ぎるそれが、レギュラス・ブラックの神経を逆撫でしてしまったらしい。
 勢いをつけて立ち上がったレギュラス・ブラックは、そのままダイニングを出て行ってしまう。彼が席を離れた時点で私も立ち上がろうとするが、それをメルヴィッドが制し、私とエイゼルはここで待機するよう指示を出して玄関方面へと消えて行った。
 メルヴィッドが動いてくれたのなら後は下手に動かない方がいいだろうと腰を落ち着かせると、マドレーヌを手にしたエイゼルが楽しそうに破顔する。
「無責任に正論を吐き散らかす立場って好きじゃなかったけど、こうして演じてみると思っていたよりも愉快だったな。アレの心はもっと突いて拗らせた方が面白そうだ」
「程々にしてあげて下さいね。貴方の言う通り、私もレギュラス・ブラックに対して過保護だと自覚したので、貴方の言動は新鮮な刺激としては受け入れますが。でも、メルヴィッドやユーリアン相手の時のように、冗談でも死ねとか滅びろとか言ってはいけませんよ」
「飽きたら止めるよ」
「早めに飽きる事を願います」
「今後会う頻度によるかな。あ、これ美味しいな」
「焼き菓子ならキッチンに常時ストックしてあるので勝手に食べていいですよ。最後の1個を食べたら言って下さいね、補充しますから」
「言わなかったら?」
「私は別に構いませんが、メルヴィッドが鉄製の中華鍋片手に撲殺しに来ます」
「それは怖い」
 マドレーヌを咥え、すっかりアイス部分がなくなってしまったティラミスを取り分けながらおどけたように言ったエイゼルを見ていると、何時か絶対にやらかすだろうと妙な確信が持てた。まあ、2人共育ち盛りの男の子なのだからいずれ食事関係で揉めて喧嘩が勃発するのは目に見えている。果たして彼等が口喧嘩以上のものをしてくれるかは判らないが、その日が待ち遠しい。元気な男の子達の喧嘩の見物は、とても楽しみだ。
 玄関の扉が荒々しく開閉する音を聞きながら手元のマグカップを持ち上げると、陶器独特の手触りが指先に伝わってくる。中の麦茶はすっかり冷めていた。
 それと、余談であるが、メルヴィッドが食卓に戻った後、前日の宣言通り、私はエイゼルの手によって可能な限り両頬を伸ばされる可愛らしい仕打ちを受けた事を、ここに追記しておく。
 当たり前だが、彼は本体をクリスマス・プディングに突っ込み、じっくり蒸し上げて酒浸しにした私を全く許していないらしい。