わかさぎの天麩羅
「紛失ではなく、盗難のようです」
リチャードの墓に入れた副葬品が全て盗まれていたのだと告げると、レギュラス・ブラックは目を見開き、次いで不快感を露わにする。
先程電話を寄越して来た警察関係者から聞き出した話を要約すると、遺品は既に発掘時には盗難されていたらしく存在していなかったが、それでは私の証言と食い違うので調査した結果、棺の中に遺体以外の物質が存在していた形跡が今頃見つかり、再度確認の為に私に連絡を取ったそうだ。
無論、私は彼の棺の中には色々な物を詰めた。愛用していた無骨な腕時計、結局血が落ちなくて新しく買い替えたばかりのランニングウエアとシューズ、それに、キーケースや財布が入ったままの彼の鞄。
私にとってはそれぞれが意味を持つ大切な品であったが、教養のない者が見れば、遺品ではなく単なる金目の物が、彼の棺の中には詰まっていた。
棺の周囲や内側にまでべったりと付いていた指紋の主は未だ特定されていないらしいが、不用心に過ぎるそれが私の想像力を働かせる。
公式に彼の棺の在処を正確に知っていた人間達は指紋を除外する為に全員が集められたので、小金の為に指紋偽造でもしていない限り墓荒しは彼等ではない。メルヴィッドとレギュラス・ブラックの事は警察に言っていないが、絶対に彼等ではないと言い切れるのでこれは放置していてもいいだろう。
他に非公式に棺の在処、そして棺の中身を知っているのは騎士団連中だが、その中に2名程、平気で墓を荒らしそうな人間の屑がいたはずだ。しかも、内1名は、表立って盗掘稼業が生業と豪語している。まあ、騎士団の犯行だった場合、カネ目当てで墓を掘り返す盗掘者は今現在国外で働いているはずなので、犯人はもう片方だろうが。
物証も存在しない以上は私の妄想に過ぎないが、それでも彼が犯人ならば、リチャードの遺品は全てこの狭い魔法界に流れている可能性が高くなる。ならば、ついうっかり、何かの拍子にそれを見付けてしまった暁には、流れて来たルートの洗い出しから罪の償わせ方までブラック家の力を最大限に使用させて貰おうではないか。死者を冒涜する者に、慈悲や遠慮や手加減と言う軟弱極まりない意思など不要である。
腹の中で考えていた事が表情に滲んでしまったのか、レギュラス・ブラックは優しい笑みで私を手招きし、髪を撫でて抱き締めた後に安心してと囁いた。
「犯人が見付かったら、どちらの世界の人間だろうと社会的に抹殺して上げるから」
穏やかな表情の割に中々に物騒な台詞であるが、彼には正に後押しを期待している身なので大人しく頷くと、良い子だと鷹揚に頷き返され額に唇を落とされる。私の返答が本当に良い子と呼ばれるものなのか是非再考して貰いたいが、した所で解答は決っているような気がしないでもない。
私を慰める為なのか、彼自身が癒される為なのか、そのまま私の頬を揉みしだき始めたレギュラス・ブラックに、アークタルス・ブラックにも同じ事をされたと笑うと彼から散々自慢されたので羨ましかったのだと自らの欲望に正直過ぎる解答が飛んで来た。
「今日はアークタルス様をお呼び出来なくて残念です」
「クリーチャーは口止め出来るけど、この件にお祖父様を巻き込むと際限なく広がって行きそうだからね。存在の流布を、彼等は恐れていたようだから」
でも多分、祖父は全て勘付いているとレギュラス・ブラックは言い、だから1人で私の家に行く事を引き止めなかったのだろうと続ける。私としても、その意見に賛成であった。
「それに、あの人を巻き込みたくない。僕が死んだ理由も、生き返った理由も未だ聞こうとせず、後継者を見る目じゃなく血の繋がった祖父の顔で、僕が生きてくれていてよかったと言ってくれた、優しい祖父を」
「……レギュラス」
私の前では好々爺然としているが、仮にもブラック家の当主様として君臨していたアークタルス・ブラックが後継者よりも孫の立場の方が大事だと、彼は本気で思っているのだろうか。否、それだけアークタルス・ブラックの演技が上手かったのだろう、そう思いたい。
「いつか、アークタルス様にもの事を話しましょう。今はまだ、彼等がどのような目的を持って、何故私達に干渉をして来るのか全く判りませんが」
「いや、その何故は……多分、僕は判っていると思う」
突然の告白に驚いたような演技でレギュラス・ブラックを見つめると、今日来る相手がどんな人間かを見てから自分の推測を告げるかどうか決めると理解を求めて来た。勿論、欲に塗れて汚れた真実を唯一知らない彼の推測を反論するつもりはない。
彼の持つ慎重さに首肯で同意を示した私に安心したのか、レギュラス・ブラックはテーブルの上に放置されていたタイプライターで書かれた手紙を手前に滑らせる。
香港にいた君の弟が本日帰国したのでロンドン・ヒースロー空港の国際線到着出口に迎えに行って欲しい、名前はエイゼル・アルスタリー・ニッシュ。
本文はもっと長いが、要約すると大体こんな感じの手紙であった。
私を引き取るよう要請した時の手紙には居場所や名前の他に身体的特徴や略歴、訪れるべき時間等が細かく書いたが、今回はそれがない。以前から弟の存在は仄めかされていたが、少々情報不足な事にメルヴィッドが若干訝しみ、表面にこそ出していないが不安に感じているのだと嘘をレギュラス・ブラックに告げると、皆でエイゼルを迎えに行けばよかったかもしれないと返される。成程、今更だがそういう手もあった。
ただ、演技力に問題が多い私や、リアクションが大きいというか、諸々の反応がちょっとお馬鹿な大型犬っぽいレギュラス・ブラックがエイゼルに出会った時の反応を考えると、矢張り私達は留守番組に甘んじていた方が無難だろう。
という事で、矢張りその手は却下である。
「ダンブルドアが用意したような偽の手紙ではないから大丈夫だろうと言って迎えに行ってしまいましたが、止めた方がよかったでしょうか。もしも本当に弟なら忘れてしまった記憶を何か知っているかもしれないと言っていたので……ああ、でも、もしもこの間の事で学習したダンブルドアがメルヴィッドの事を狙っていたら」
「、落ち着いて。ごめんね、不安がらせるような事を言ってしまって」
根拠もなくメルヴィッドは大丈夫と言葉を吐き出して、軽い恐慌状態に陥ったように見せかけた私を強く抱き締め、同じ単語を繰り返しながら背中を擦ってくれた。
色々妄想して悪い方へ考えたのは私なのに自分の所為だと言い慰める姿を見ていると、何故これで彼が女性に振られる立場なのかが本気で判らなくなる。余程女運がなかったのだろうか。
「ごめんなさい、レギュラス。取り乱してしまって」
「いや、僕が軽率だった。メルヴィッドは君の一番大切な人なのに」
完全に事実を突いた言葉だったが、流石にそれでは拙いので、驚いたような表情をしてレギュラス・ブラックを見上げ、大切な人に順位は存在しないと反対意見を述べる。
「レギュラスも、クリーチャーも、アークタルス様も、メルヴィッドも……リックも、皆大切な人です。命を懸けて守りたい人達なんです、順位を付ける事は出来ません」
「……君は偶に、とてつもなく男前になる事があるね」
「これが男前ならば、私は常に男前ですよ?」
「そう? じゃあ、一応そういう事にしておこうか」
態とらしく放たれた引っ掛かる言葉に乗り膨れ面を作ると、レギュラス・ブラックは弟を見る兄のような表情で私の頭を撫でようと手を挙げた。その動作が、ふと途切れる。
美しい灰色の視線を追って窓の外を見てみると、霧の中で青い炎を纏いつつ御機嫌な足取りで玄関の方角へと向かい、途中で何かに気付いて、しょげ返りながら来た道を戻るバスカヴィル君を発見した。彼の正体はただの魔法なのだが、それでもあのような様子を見ると酷く可愛らしいと思ってしまう。
「獲物だと思っていたのに客人として登録されたから落ち込んでいるんだ。の時は霧が出ていなかったけど、僕がお祖父様に招かれた時には出ていたからね。あの犬の姿が描かれた本に手を乗せて正式に招かれた存在と登録されるのがもう少し遅かったら、湖の底に追い遣られていたかもしれない」
「血族でも容赦がないんですね」
「昔はもう少し寛容だったみたいなんだけど。残念ながら、今のブラック家は血が繋がっているというだけで互いを信用出来るような一枚岩じゃないんだ。いや、一枚岩じゃないのは今も昔も、なのかな」
僅かに残ったブラック姓を持つ人間の所為で色々と難儀をしているらしい現ブラック家当主様のお言葉に苦笑して、慰めるように何度か髪を撫でてやった。
メルヴィッドとは種類の違う甘やかし方にレギュラス・ブラックの頬が緩むも、今回はそこで一端区切りを付けて温かい腕の中から抜け出してリビングを出る。来客があると判った以上は矢張り玄関で出迎えたいし何よりメルヴィッドの事が心配だというのが建前で、本音は肉体を得たメルヴィッドとエイゼルが並んでいる姿をいち早く拝みたいだけだ。
巫山戯た欲望を抱えて玄関へ赴く私の後ろを、何かあったら大変だからと非常に紳士的な理由でレギュラス・ブラックも付いて来る。何故こんな彼に素敵な伴侶が居ないのか本気で謎だ。まあ、そんな事を言い出したらメルヴィッドに異性の影も形もない事も大きな謎であるし、老人から子供までこれだけ男ばかり集まっているのに全くむさ苦しく感じないのも割と謎である。否、最後のは異常な美形率の所為だろうが。
更に美形率を上げるエイゼルがすぐそこまで来たのか、キャリーの車軸が軋む音がぴたりと止んで特に躊躇する事なく玄関の扉が開く。
「ただいま。良い子にしてた?」
「していました。お帰りなさい、荷物持ちます」
「いや、私より彼のトランクを頼めるかな。レギュラス、と一緒にいてくれてありがとう、留守の間に何か変わった事はあった?」
「ここでは何だから、後で話すよ」
「それもそうだね」
メルヴィッドは普段通り両手を差し出した私の頭を手の平で軽く撫でるように叩き、視線で靴からスリッパに履き替えている青年を指した。
整えられた美しい外見に優美な仕草、出会った当初のように少し沈んだ雰囲気を帯びたエイゼルが小首を傾げるようにして微かに笑う。相変わらず彼等は自分の魅せ方をよく知っていると感心してしまった。
「荷物とコートをお預かりします」
「ありがとう。君が・君、でいいのかな」
「ええ、そうです。初めまして、と呼んでください」
「じゃあ、私の事もエイゼルと呼んでくれ」
霧に濡れたトランクとコートを預かりながら、長旅で疲れただろうと労りの言葉を掛けると、エイゼルは笑みに困惑を混ぜてあらかじめ打ち合わせしておいた設定を口にする。
「実は、飛行機に乗って来た記憶がないんだ」
「ずっと眠っていたという事ですか?」
「いや、そうじゃなくて……私の記憶は到着出口で彷徨っていたつい数時間前から始まっていて、自分自身が誰で、何処から来たのかが判らないんだ」
記憶喪失になっているみたいだと、穏やかに爆弾を炸裂させたエイゼルに会話を流し聞いていたレギュラス・ブラックが時でも止められたように大袈裟に固まった。矢張り全員で空港まで迎えに行ったら目立つ事になっていただろう。そもそも、この面子は黙って立っているだけで目立つ集団なのだ。
「おや、そうなんですか。昔のメルヴィッドとお揃いですね」
私が態とすっとぼけた返答をすると、それをお揃いか否か程度で済ませてしまうのかとレギュラス・ブラックの灰色の目が見開かれる。彼は相変わらず判り易く、可愛らしい反応をしてくれる。
少しだけ困ったような表情で穏やかに笑うエイゼルと驚愕の表情で固まっているレギュラス・ブラックをメルヴィッドが呼び、私には先に彼等をダイニングへ案内しておくと言って右手の扉を押し開き客人を食卓へ招いて行った。
さて、これからレギュラス・ブラックに対して一芝居打たなければならないが、その前に荷物を部屋に運び、キッチンに用意してある料理を運び込まなければならない。本日は人間大の男性4名、肉体的老人不在という条件なので色々と遠慮のない料理になっているが、味見をしてくれたメルヴィッドが大丈夫だと言ってくれたのできっと大丈夫だろう。
早くここにユーリアンが加わればいいのにと気の早い事を考えながら、きっとお腹を空かせているであろう男の子3名を長く待たせない為に、荷物を抱え直し足取り軽く階段を一段飛ばしながら駆け上がった。