曖昧トルマリン

graytourmaline

蓮根のはさみ揚げ

 屋内外にブラック家の肖像画や写真、盗聴や監視の類が一切存在しない事を確認し、更に念の為目眩まし等の魔法をかけ終えた後、リビングで寛いでいるエイゼルに赤子、老人、病人、被虐児童、精神病患者のどれがいいかと尋ねると、書庫から引っ張り出して来たと思われる本から顔を上げ、黒い瞳がどれも嫌だと告げたような気がした。
 しかし、気がしただけなので気の所為だという事にしておく。生憎だが、私の特殊な体質上これしかラインナップがないのだ。
「爺、何それ」
「エイゼルの肉体を作る為の生贄リストですよ、今後の参考の為に見ますか?」
「老人の癖に引っ越し当日からよく働くね。まあ、この分だと僕の体の時は心配要らないみたいだから安心出来るけど」
 エイゼルに渡すはずだったリストの一部をユーリアンに渡し、残りをエイゼルに回すと一瞥すらされずに老人分のリストが暖炉へ直行する。彼の持つ記憶の時期が時期なだけに、もうしばらくは老人の相手をしたくないらしい。尤も、その老人はここにもいるのだが。
 次に赤子のリストも軽く目を通しただけで同じく暖炉で灰にされた。言葉すら通じない子供が嫌いなのか、それとも逆に母親からも捨てられた私生児に対して同情しているのかまでは判らない。単なる推量だが、彼の生い立ちからすると、後者だろうか。
 存在を誤魔化すなら精神病患者が一番楽そうだと独り言を溢すユーリアンの手から残りのリストを受け取り、けれどまともな会話を成り立たせるまでが面倒だとエイゼルが受けてそのリストも炎に焼かれてしまった。残るは、病人と被虐児童のみである。
「病人は口が軽そうだから却下したいけど、そうなると被虐児童か」
「爺を認識出来るレベルの虐待って、相当酷いよね?」
 どちらも焼却処分出来ずにいるエイゼルを観察しながら、今はまだ自分の事ではないので精神的な余裕のあるユーリアンが将来の参考にと尋ねて来る。
「そうですね。私が使っているこの体も被虐児童の物でしたが、メルヴィッドが愕然として里親一家をうっかりアバダケダブラしたくなる程度には酷かったですし、リストの子達も現在進行形で酷いですよ」
「そんな抽象的なものじゃなくて、もっと具体的にさ」
「具体的に、ですか。ええと、当然のように体中は傷や痣だらけ、食事も満足に摂らせて貰えない為に栄養失調を起こしていて、体重は平均して標準児童の約半分。全身の肉が抉れ、箇所によっては床擦れを起こして生きたまま腐り落ちていましたね。蛆と蝿の集る糞尿と吐瀉物に塗れた床で、穴という穴から血と膿が」
「ごめん、もういいや。あと僕の時は被虐児童をリストに入れないでおいてくれるかな」
 戦時下の施設で育てられた方がマシだと呟くユーリアンに無言で頷き、さてエイゼルはどうするのだろうと観察していると、自宅療養の病人でも他人との交流はあるだろうし、だからといって被虐児童も嫌だと頭を抱え始めた。一応他者との関係が薄い人物をリストアップしているのだが、それでも不安は拭えないらしい。
 メルヴィッドの時は問題なく進んだとはいえ、メアリー・ガードナーは天寿を全うしようとしていた老人故にリストの中の彼等と違い、生に対する執着や焦りは希薄であり、多少の希望がチラついた程度では矢張り死にたくないとはならない強みがあったのだ。どうせ短い付き合いなのだから達観した老人が一番の安全牌だと言うユーリアンの言葉を全面的に支援したい所だが、エイゼルの様子を見ると、本当に、心から、老人の相手だけは何があっても嫌らしい。
「今日明日中に決めろと言っている訳でもありませんし、焦らず少し時間を掛けて考えてみませんか。希望するタイプが明確にあるならば私の方で出来る限り探してみますから」
「悠長な意見だね。僕には関係ないから別にいいけど、それと僕のリスト作る時は女性の老人か精神患者がいいな。落とすのが楽そうだし、始末も簡単だろうから」
「老女だけは止めておけ。後悔する事になるぞ」
「おや、メルヴィッド。長かったですね、バスルームは如何でしたか」
「金持ちの家だけあって快適だった」
 それよりも今はお腹が空いているらしく、2人への会話はそこそこに、夕食を所望するメルヴィッドの為にリビングからダイニングまで移動をする。
 昨日まで住んでいたテラスハウスは所謂リビングダイニングキッチンだったので空間移動はあってあかったようなものだったが、今度の家はリビングとダイニング、そしてキッチンは別に存在し、その他に応接室等の部屋まで複数存在しているのだ。無論これは1階部分の話で2階、3階、そして地下にも当然のように部屋が存在している。全く、ブラック家は恐ろしい一族だ、私の実家も田舎でお山の大将を張れる程度には裕福なのだが、彼等は金銭感覚の桁が違った。
 食事に興味のないユーリアンはエイゼルと共にリビングに残ったらしく、慣れないキッチンで私はメルヴィッドと2人きりになる。鍋の中には冷蔵庫を必要としない食材がふつふつと煮立ち、いい香りを漂わせていた。メルヴィッドはというと喉も乾いているのか、キッチンの隣に備えられている小規模な食事スペースの隅に仮置きした箱の中から何か飲み物を漁り始める。
「今日と明日の朝までは量は兎も角、質に関しては大した物は出来ません。ただ、持って来た家電の設置は大方済ませましたので料理を含めて家事は問題なく処理出来そうです。元から設置してあった旧式の家電は霧の事も考えて取り敢えず地下に送りましたが、ガレージの方がよかったのなら明日以降に移動させます」
「地下でいい、車を置くスペースも必要だ。それにしても電気にガスに水道、電話、おまけに電波まで確保しているのは意外だったな。これだけ屋敷内がマグルの生活に染まっていればレギュラスに譲れないのも納得出来るが」
「……ねえ、メルヴィッド。パーティでお会いした時から思っていたんですが、アークタルス・ブラックという人物、ブラック家の当主であったにしては」
「ああ、お前の思っている通り、アークタルス・ブラックは私が学生の頃から穏健派の純血主義者で有名だった男だ。母方の一族が学者を数多く輩出しているガンプ家で、あれ自身も貴族よりは学者の気質の方が強いらしいな」
 闇の陣営に対して快く思っていなかったと受け取れる言動や、この家の様子からしてもそうだとは思っていたが、矢張り彼は過激からは程遠い場所にいる純血主義者らしい。
「あれの思想はマグル排斥よりも魔法使い、特に純血保護の意識の方が遥かに高い。当時はまともに取り合わなかったが、確か魔法使い保護の為にその時代に合った正確なマグル学を修めた魔法使いをマグルの社会に潜り込ませるべきだと、そんな論文も書いていたような気がする。尤も、オリオンはアークタルス・ブラックの事を軟弱で当主には不向きな男だと公言して尊敬していないようだったがな」
「呆けもせずに虐待に耐え抜いたあの人を軟弱と呼ぶのは同意出来かねますが、不向きである事には賛同します。当主のような頭に据えられるよりは寧ろ、裏で図面を引いて事を運ぶような参謀向きですからね。あの方が持つ性質は」
「アークタルス・ブラックは、恐らくお前が思っている以上に強かで性悪な人間だ。それと今の言葉は、オリオンのものであって私の言葉ではない」
「貴方の知るオリオン・ブラックは無能だったと捉えられる発言ですが」
「私に有能と言わしめる人間であったなら、ブラック家はこんな惨めな立場に陥らず繁栄を続けていたと思わないか? オリオンは秀才で疑り深かったが、結局は私の甘言に誑かされる程度の脳味噌しか持ち合わせていない男だ、人間として無難に優秀だが当主としては無能だろう。地味だが常に堅実で、おまけにしぶとく生き続け当代当主に干渉し続けているアークタルス・ブラックの方がまだ使える」
「学生の時分での評価は如何でしたか?」
「ダンブルドアとは別の意味で目障り極まりなかった」
 口当たりが軽いペアサイダーを飲みながら隣にやって来たメルヴィッドが懐かしそうに目を細め、私が全てを変えてしまったのだと可笑しそうに詰りながらこの話題を終わらせた。
「で、その大した事はない今日の夕食は何だ」
「ベーコンの赤ワイン煮込みブルゴーニュ風、キャベツのバター煮、ベイクドポテトのマッシュルームソース添え、レモンピールのライスプディング、ポム・オ・フー、以上です」
 フランスの某地方風と評した料理名は耳障りがいいが、実は然程大きな関連はない。赤ワインで煮たからブルゴーニュ程度の、身も蓋も無く言ってしまえば偽装表示である。
 内容を暴露してしまうと、例の圧力鍋にベーコンの塊と冷蔵不要の根菜を安物の赤ワインを入れてごった煮にしたものがメインで、残ったベーコンの切れ端をちょっと萎びたキャベツと玉ねぎと一緒に矢っ張り鍋で蒸し煮にして、ポム・オ・フーは中華鍋を使用した焼き林檎、後り2品は焼いたジャガイモと甘い米、要は炭水化物であった。古今東西の様々な鍋、そして冷蔵庫とはつくづく偉大だと思わざるを得ない。
「随分まともじゃないか。大した物が作れないと言うから、てっきり何が入っているかも判らない固いパンと野菜クズの入った冷たくて水っぽいスープだけかと思ったが」
 それは終戦間際の孤児院でのメニューではなかろうかと思ったが、紙一重で口に出すのは止める事にした。幾ら私の趣味が料理だからとはいえ、戦争世代の人間ではないのだ、固いパンと冷えた水っぽいスープからどう話を広げていけばいいのか全く判らない。
 何故だか急に彼の胃を満たさなければならない使命に駆られるも、現在手持ちの材料で手早く作る事が出来るのは缶詰を使用したパスタくらいである。既に炭水化物がメニューの半分を占めているのにこれはよくないと考え込もうとした寸前、全てを見透かしたような赤い瞳が量が足りているのなら今夜の所は別に増やす必要はないと告げた。
 メルヴィッドがそう言うならばと食卓の準備にかかると、何故か彼は所在なさげに立ったまま私を見つめている。何か言い出し辛い事でもあるのだろうかと考えてみたが、大体私に対して遠慮がないメルヴィッドが言い出し辛い事が思い当たらない。
 ただ、彼のこの表情には見覚えがある。あれは忘れもしない、初めて誕生日プレゼントを渡したあの日の。
「……あ」
「どうした?」
 あの日の表情に、それはもうよく似ているのだ。今のメルヴィッドは。
 そして、そんな顔を彼にさせてしまう心当たりが、今この瞬間、思い至ってしまった。
「メルヴィッド」
「何だ」
「プレゼント……あの服や防寒具、ありがとうございます」
「礼なら受け取った時にも言っただろう。何だ、本格的に耄碌し始めたか?」
「いえ、あの時とは意味合いが違って」
 帽子、マフラー、ダッフルコート、ボトム、靴。この5点がメルヴィッドから受け取った品であり、また、エイゼルが意味深な薄笑いを浮かべていた品でもある。
 それらを結び付けるキーワードが、誕生日プレゼント。
 彼は単なる贈り物としてではなくて、この4年の間に受け取った誕生日プレゼントの礼であり、今迄無視して来た私への誕生日プレゼントだったのだろう。だから数は5つであり、エイゼルのあの笑みだったのだ。
 全く、私は大概鈍くていけない。もっと早く、それこそ彼からプレゼントを受け取った瞬間にでも判るべきであったと言うのに。
「単なる感謝ではなく、何を思って貴方が私にあのプレゼントを贈ったのかようやく、きちんと理解した故の感謝です」
「……は。やっと理解したのか、これだから老いて脳細胞が死滅した化物は使えない」
 私に背を向けたメルヴィッドに、何と声を掛ければいいのか判らない。表情を見えないようにして声色を繕ってはいるが、彼の両耳が真っ赤に染まっているのがいじらしく、可愛らしくて仕方がない。
 背後から思い切り抱き締めてしまいたかったが、そんな事をすれば間違いなく彼は怒るだろう。どのようにして感謝を表せばいいのか悶々としながらダイニングに移動して食卓に料理を並べると、私を視界に入れたくないとばかりに思い切り顔を逸らされてしまった。その拗ね方すらも、どうしようもなく愛おしい。
「メルヴィッド」
 その続きの言葉を考えられないまま名前を呼ぶと、赤い瞳が横目で私の姿を確認し、一体何だと態度だけで次の言葉を促して来る。
 もしもここで、抱き締めてもいいかと尋ねたら、彼はどんな反応をするだろうか。
 あの時と違い、今は彼と同じ屋根の下で過ごす事の出来る体が隣に存在する。許可さえ得られれば、ない物強請りをする必要はなくなるのだ。
「貴方を」
、今ちょっといいかな。生贄の事で提案があるんだけど」
 抱き締めてもいいかと尋ね切る前に、壁の向こうから現れたエイゼルがメルヴィッドと私の間に立ち、少々意地の悪い笑みを浮かべながら態とらしく首を傾げた。
「……エイゼル」
「何かな、メルヴィッド」
「盗み聞きは感心しないな。耳から腐れ落ちて今すぐ死ね」
「その理屈で行くとまずは君達から死ぬべきだ。ああ、でもには私の体を作るという大切な用があるから先にメルヴィッドが死んで、後からが時間差心中するのをお薦めしておくよ。ねえ、ユーリアン?」
「そうやって馬鹿同士の罵り合いに僕を巻き込まないでくれるかな?」
「これでも君に気を遣っているつもりなんだけど、無味乾燥な男だね。今から家庭内で孤立していると肉体を得る頃には誰にも相手にされず遂には孤独死するんじゃないかな。唯でさえ家庭内カーストで最下位を独走中なんだから」
「最下層はどう考えたって爺だろ。ちゃんと視神経は機能してるのか? ああ、してないからお前達2人共、肥満嗜好で老人愛好の二重苦に走ったのか」
 売り言葉に買い言葉と表現すべきか、挑発の意味合いで後半の言葉が放たれた瞬間、ダイニングに凄まじい沈黙が下りる。
 沈黙だというのにあまりの激しさから肌が刺すように痛い。
 メルヴィッドの表情を観察してみると、先程までは確かにそこにあったはずの可愛らしさは綺麗に消え失せていた。全体的な表情は何時もと変わらない美しい笑顔なのだが、赤い瞳を輝かせているのはそれだけで人を殺せそうな殺気だけである。
「さて、では食前の運動としてこの煩いゴミを塵も残さず燃やす事にするか」
「その前に、生まれて来てごめんなさいが口癖になるように思想改造しよう」
「ただ事実をそのまま口に出したに過ぎないんだけど何で怒るのか判らないな」
「私は関わり合いたくないので先に夕飯食べてますから適当な所で切り上げて下さいね」
 肥満老女趣味という単語がメルヴィッドやエイゼルに対しての禁句だったようで、何時にも増して殺気立つ2人に対してユーリアンが、やれるものならやってみろと男らしく啖呵を切った。メルヴィッドとユーリアンは互いに破れぬ誓いを立てているので、それに抵触するような事はしないだろう。きっと、多分、そう思いたい。
 私に彼等を止める術はないので早々に離脱宣言をし、ベーコンの塩味が効いたキャベツと玉ねぎを食べ、マッシュルームソースに塗れた大きなジャガイモの塊を切り崩す。食材は限られていたが、幸い調味料は沢山あったので味そのものは然程悪くなかった。ただ、今回は完全に量で攻めているのでどうしても単調な味になっているのも否めない。
 2、3日なら構いはしないが、これが1週間続くとなると流石にメニューを考える頭もそれを食す舌も参ってしまう。
 幸い明日は休日だ、疲れているメルヴィッドには悪いが車を出して貰い買い物をしなければならないだろう。どの道、転居の必要書類も各方面に提出しなければならないのだから、出来る限り今夜の内に済ませて纏めて処理してしまった方がいい。ダイアゴン横丁用に作成した書類一式は全て無駄になってしまったが、こんな素晴らしい屋敷の前では些細な事である。いい予行練習になったと思っておこうではないか。
「大体さ、エイゼルなんかはその老女といい、この爺といい、もう完全にそっちの嗜好があるよね。特に爺なんて散々僕が止めろって言ったのに飽きもせず毎日毎日甘ったるい言葉を吐き出してさ。仕方なく口説いてたとか、性癖を隠す為の嘘に決まってるよ。そんなに皺だらけの弛んだ肉に興味あるんだ?」
 私に向いたユーリアンの鋭い視線がお前だけ安全圏に逃してたまるかと言っているような気がしたが、口喧嘩が得意ではなく、おまけに若い子達の熱い戦いに参戦出来る体力も気力もないので、特にこれといった返答はせず切り分けたベーコンを咀嚼する事を優先する。どうしたって私は失言をなくせないので、下手な事を言うと火の粉を振り払うつもりが燃え広がり全員揃って大火傷という事態になりかねない。
 沈黙は金だと態度で答えると、ふと、真横から視線を感じて顔を上げる。そこには、真剣な顔をしたエイゼルが居た。

「はい、何ですか」
「私の名誉の為に今すぐ死んでくれ」
 先程はメルヴィッドが死んだ後にやる事をやってから自殺しろと言っていたような気がするが、彼も中々気分屋さんである。尤も、本人やその周囲がエイゼルを自由人と評しているのでこれが彼のあるべき正しい姿なのかもしれないが。
 それと、私が死んだ所で過去は清算されないのだから彼の名誉は結局回復しないような気がするのだが、そこの所はどうなのだろう。ただ単にエイゼルの気が晴れるからやれと言われているのならば、それはそれで別にいいのだが。
「今ですか。死ぬのは別に構いませんが、出来ればやる事をやって遺書の一つでも書いてから死にたいですね」
「遺書は諦めてくれ、事務仕事なら私が引き受けるよ。だから死ね」
「それ以外の裏方の仕事もありますので、それも纏めて引き受けて下さるなら」
「内容は?」
「色々とありますが、最優先事項は貴方の肉体の糧になる生贄の選別ですよ。先程貴方がそう言ったじゃないですか」
 まだ冷静であった頃の彼の言葉を引用し、今の彼自身がどのような状況なのか認識出来ればいいな程度の考えで言葉を紡ぎ、返答が来る前に料理に対してフォークを振るう。
 柔らかくなるまで赤ワインに煮込まれた人参は野菜の旨味が汁の方へ溶け出してしまったようだが、代わりにベーコンの味が沁み込んでいてちゃんと美味しかった。人参が大丈夫なら他の野菜も大丈夫だろう。唯一、玉ねぎは跡形もなく溶け切っているが、これは圧力鍋に入れられた玉ねぎの運命なので諦めるしかない。
 さて味の保証が完了したので、明日の朝はまだ十分な量がある生米を使用しリゾットにして、それでも残ってしまったものはグラタンかドリア風にしてしまおう。煮物やスープ類は残ったとしてもアレンジの幅が広いのでこんな時には役に立つ、他にもスープを裏ごしして更に煮詰め、オムライスやパスタのソースにしても大丈夫そうだ。
 因みに、あまり美味しくなかった場合はカレー粉を中心とした調味料関係を投入して全力で味を誤魔化すつもりであった事を心の中にのみ記しておく。
 現実逃避の為に明日のメニューまで考えた所でエイゼルからのレスポンスがない事に気付き顔を上げると、珍しく仏頂面をしたエイゼルが居た。
「興が醒めた」
「それはよかった」
「いやに冷静って事は今のは意図的な発言なんだね。まあ、いいや。頭が冷えたらまた来るよ。気乗りはしないけど、偶には君の雑な策に乗ってあげよう」
「反論出来ないからって逃げるのか?」
 折角鎮火を狙って会話を試みたのだが、ユーリアンがそうは問屋が卸さないと再び油を注ごうとする。しかし、一度こうだと決めた自由人気質のエイゼルはその程度の油では精々肩を竦めて見せるだけで全く動じた様子はなかった。
「別にいいじゃないか、直視したくない過去から逃げたって。元々、そういう面倒事は何も彼も全部、メルヴィッドに押し付けるつもりだったし」
「押し付けてくれるな、この自由人が」
「喜んで貰えてこの上なく光栄だ。メルヴィッド、君が君の利益の為にしか動かないように、私は私の利益の為にしか動く気はない。どうにかして欲しいなら間でふらふらしてるを上手く使いなよ、その為の協力者だろう?」
 エイゼルにしては随分攻撃的な言葉を放ち、今日の内にまた来るとだけ告げて本体の中に引っ込んでしまう。残されたユーリアンはメルヴィッドを睨みつけるが、こちらもエイゼルにつられてか、それとも空腹であった事を思い出したからか、過去の素行に関する挑発を流して無言の食事を始めた。
 残されたユーリアンは兄2人に相手にされなくなった事で手持ち無沙汰になってしまい、拗ねた弟の顔で私を睨む。しかし何と文句を付ければいいのか判らないのか口を一文字に引き結ぶだけで罵詈雑言は飛んで来なかった。
 やがて無言のまま姿を消してしまったユーリアンを見送ると、ジャガイモを切り崩していたメルヴィッドが本日分の疲労を象徴するような長く深い溜息を吐く。ただ、単に疲労しているのではなく苛立っているようにも見えた。

「はい」
「お前は、本当にエイゼルの為に死ねるのか?」
「真の意味で死ぬ事は出来ませんが、それでも、貴方達の利益になるのならば命の一つくらい差し出す心構えは出来ていますよ」
「……口では何とでも言える」
「ご尤も」
 冷たい口調で吐き出された言葉に正論だと返すと、美しい唇が歪められ大きな舌打ちがダイニングに響いた。直視したくない故に埋めていた過去を引き摺り出され、そこから思い出したくもない記憶が次々と蘇っているのだろう。
 マッシュルームソースに塗れたジャガイモを咀嚼するメルヴィッドの眉間に皺が寄っていた。そんな険しい顔をして食べても美味しくないだろうにと思っていると、案の定滅多に出ない不満が食卓の上に飛び出す。
「不味い」
「それはいけませんね、味付けし直しましょうか」
「要らない」
「然様ですか」
 空腹が満たされればそれでいいと態度で示すメルヴィッドの眼前に、それでもないよりはマシかと思い卓上調味料の入ったカスタースタンドをテーブルに置いて食事を続けた。
 互いに話題が出ず只々料理を口に運ぶだけの沈黙の多い食事となってしまったが、まあ、偶にはそんな日もあるだろう。何も知らない他人が機嫌を直せと言ったって土台無理な話なのだ。これが何日も続くようならばまた何か手を考えなければならないだろうが、その時はその時だと問題から手を引き目を逸し、先延ばししてしまおう。時間が流れれば今より落ち着く事くらいは出来るはずだ。
 放置して膿んでしまった傷を癒やす事が出来ないのなばら、再び記憶の奥底に沈めてしまえばいい。これで一応、忘れ去ろうとしていた厭な過去の記憶を掘り返され眼前に晒される苦痛は、私も経験したつもりなのだから。