曖昧トルマリン

graytourmaline

根セロリのグラタンスープ

「……なにこれ」
「夜逃げじゃないかな」
「おやエイゼル、中々鋭いですね。メルヴィッド、一時的ですが周辺のマスコミは全て追い払えましたよ、出るなら今です」
「よし、行くか。お前達、早く戻れ。今から車で移動する」
 普段は静まっている夜半に家の空気が慌ただしくなった事を感じ取ったのか、呼び出そうとする前にユーリアンとエイゼルが姿を現して眼前の光景に目を丸くした。確かに、夕方までは何時もと変わらない極普通の室内だったにも関わらず、数時間目を離した隙に家具や生活用品の一切が消失していれば驚きもするだろう。
 当然、突然夜逃げとか意味が判らないと憤るユーリアンを、いやに冷静な表情をしたエイゼルが羽交い締めにし、突然じゃなきゃ夜逃げにならないと正論を言い、引き摺るようにして本体へ戻って行った。驚愕の表情は一瞬だけで、落ち着き過ぎているエイゼルの様子を見るに何故か事前に察知していたらしいのだが、果たして一体何処で漏れたのだろうか。
 メルヴィッドがうっかり漏らすはずがないので原因は私しか考えられないのだが、心当たりが全くない。表情にでも出ていたのだろうか、しかし今夜夜逃げをする表情とはどんなものか全く判らなかった。まさか、夕方にボウリングの如く殺した報道陣の事だけで想像が出来たのだろうか、到底そうは思えないのだが。
 とはいえ、今は家を出る事が先決である。エイゼルの発言は追々考えるか、又は本人に直接聞けばいいだけの事だ。
 ギモーヴさんの入ったバスケットに防寒や防風の魔法が掛かっている事を再度確認し外に出ると、深夜0時過ぎの冷えた空気が体に纏わり付いてくる。バスケットが転がらないように後部座席に固定して目眩ましの呪文をかけながら助手席に乗り込み、運転席に乗り込んだメルヴィッドが白い息を吐きながらエンジンをかけた。
「で、何処に行くのさ」
「姿を見せるな。エイゼル、こいつを収容しろ」
「なんで私が2度も言う事を聞くと思ってるのか不思議でならないよ。ああ、そうか。最近買い物もせず冷蔵庫の残りばかり食べてたから、脳味噌に霜でも下りたのかな」
「物理的に脳味噌を持っていないお前らしい言葉だな。あまり下らないことばかり言うのなら道中通る真冬のテムズ川の底に本体を沈めてヘドロ塗れにしてやってもいいんだぞ」
「爺、僕の質問に答えろ。こいつら馬鹿だ、お前より使えなくなってる」
「馬鹿を極めた馬鹿に馬鹿呼ばわりされる覚えはない」
「それについては同意見だね。幾ら周囲に馬鹿仲間がいないからって一番頭の緩いを引き摺り込むべきじゃないよ、丁度ここに脳味噌がフリーズドライ化したのに皺が増えた事を喜んでる馬鹿候補がいるから、話しかけるならそっちがお薦めだよ?」
「今の一言で車内の全員を敵に回した事は評価してやるよ、お前こそ究極の馬鹿だ」
「はいはい、じゃれ合うのはその辺にしましょうね」
 普段なら放置する可愛らしい応酬なのだが、生憎今日は時間が押している。メルヴィッドもそれを思い出したのか、大きく舌打ちをして車を動かし始めると、移動手段の操作以外の全てを丸投げして来た。
 深夜とはいえ通行人が全くいない訳でもないので取り敢えず姿だけ消して貰い、そう時間もないので手早く説明を済ませる。
「先程エイゼルが指摘したように、現在私達は夜逃げ中です。今日は一晩ブラック家本邸に泊めていただけるので、ひとまずそちらへ行きますね」
「何それ、一晩だけ? ブラック家も落ちたものだ」
「いえ、あちらからは長期間でも構わないと申し出があったのですが、少々問題があるのでお断りしたんです。肖像画ですが、あの家にはオリオン・ブラックがいたので」
「ああ、前にそんな事を言ってたっけ」
 私が余計な事ばかり言って牛乳ボトルで殴られた日の事を思い出しているのか、それとも自身の学生時代の事を思い出しているのか、ユーリアンはそれっきり口を開かなくなった。ただ、こちらの話はまだ終わっていないので、今の内に勝手に話してしまおう。
「明日以降はダイアゴン横丁の店舗に仮眠室でも作って暮らして行くつもりです。退学、退職手続きも明日……いえ、もう今日ですか、行った後に、あの家も売り払います」
 事前連絡のない退学と退職は非常識だろうが、私にしてもメルヴィッドにしてもそう良心は傷まなかった。各々の場所に愛着というものが全くないのだから、痛める良心の持ち合わせもないに決っている。
 質問は何かあるかと問い掛けると、ユーリアンが車じゃなくて暖炉を使えばいいのにと尤もな事を呟いた。こちらとしても本当はそうしたかったのだが、残念な事にそうも行かない理由があったのである。
「煙突飛行ネットワークを管理する魔法運輸部からメディア、特に予言者新聞に情報が漏れるとも限りませんので」
「どの道店で寝泊まりしたら、居場所はすぐにバレると思うけど」
「別に何日も隠れる必要はありませんよ、ほんの数時間誤魔化す事が出来ればいいんです。そうすれば、リータ・スキーター用の罠が設置出来ますから」
「……聞きたくないけど一応聞いておくよ、それってどんな罠?」
「私の半径10m以内に近付くとアニメーガスの解除が出来なくなるだけです、頭部以外の」
 平たく言うと人面虫であるが、解除条件は魔法界の医療機関を受診する事なので面白味に欠ける罠であった。因みにこれは代案であり、元はもう少し凄惨で面白かったのだが、社会的に抹殺するどころか廃人になるとメルヴィッドに却下された経緯がある。ちょっと神経を弄って物の見え方や聞こえ方を変化させるだけなのに。
「目障りな羽虫1匹の為に大掛かりにも程が……いや、違うな。そうじゃなくて、他にも纏めて今回清算したいだけか」
「ええ、今年の9月からはホグワーツですから、こちらの世界に切りをつけて魔法界へ移動しておかないと色々厄介なので。エイゼルは何かありますか?」
 今迄黙っていてくれていたエイゼルに話を振ってみると、先程から何か引っ掛かりを感じていたのか質問とは違う類の言葉を掛けられた。姿を消している彼の表情は見えないが首筋の辺りの空気がちりちりと痛む、どうやら何かいけないものに触れてしまったらしいと気付いたが、もう遅い。
「書類の手続きを済ませる余裕があるなら、それは夜逃げって言わないよ。だから、私の指摘は全然鋭くない」
「そうですか?」
「まあ、君みたいな箱入りの御令息にその苦労は判らないよ」
 たとえ比較的安全な魔法界の中であっても、あの時代を生き抜き資産家女性宅で強盗殺人を犯した後に高飛びした経験があるからか、エイゼルの言葉には妙な説得力があった。綺麗で居心地がよくて何不自由のない箱庭の中で育てられた私が、次元が1つ低い場から得た知識だけで物事を語ったのが気に入らなかったのだろう。
 今更になって悪い事をしてしまったなと感じ謝罪の1つでも述べようかと思ったが、エイゼルの気配は既に車内から消え失せていた。もしかして本体の中で聞いているかもしれないので、一応言葉だけの謝罪をするが、後でちゃんと謝り直した方がいいだろう。
 何時の間にかユーリアンの気配も消えていて、見た目通りメルヴィッドと2人きりとなった車内には沈黙だけが残った。
 特に話す事も見付からないので、遠くに見えるユーストン駅、セント・パンクラス駅、そしてキングス・クロス駅の光を眺めながらダイアゴン横丁に住まいを移した後の生活を考えておこう。取り敢えず真っ先にしなければならないのは魔法省へキッチン家電一式の使用許可申請だろうか。一応店舗の上階には従業員用らしい小さなキッチンが備えてあったが、冷蔵庫も電子レンジもミキサーも使用出来ないままでは困る。スペースの問題で全てを置く訳には行かないが、前者2つはどうしても欲しい。無理ならせめて冷蔵庫だけでも。
 ベッドは家から持ち出した物があるのでひとまず問題はない。2人分のスペースがなければ私はソファや床で十分眠れるし、幸い毛布は十分にあるので冬の寒さも問題にはならないだろう。そもそも、真冬の物置の中、薄着で過ごした経験があるので最低限生きては行けるのは間違いない。
 その他、実に下らない事ばかり考えていると、ハンドルを握っていたメルヴィッドが信号に捕まった車を停車させ、深く溜息を吐いて赤い視線を投げて来た。
「何を気に病んでいるのか知らないが、アレの言う通り、お前には私達の気持ちは決して判らない。同じ様に、私達もお前の気持ちは判らない。大体、他人の気持ちなど最初から全く考慮しないのがお前の短所だろう。此処に来て変な情をかけるな」
「……確かに、言われてみればそうですね。あ、生キャラメル食べますか?」
「貰おう。大体だ、そんな顔をブラック家の連中に見せてみろ。面倒な事しか思い浮かばない。早急に直せ」
 小さく甘い欠片を口の中に放り込みながら、明日は忙しくなるから今夜ぐらい私を休ませろと、全体的に貶しながらも慰めてくれるメルヴィッドの言葉に苦笑して返すと、赤い視線はそれでいいとでも言うように前方を向いて青に変わった信号を見据える。
 少し軽くなった心で窓の外を飛ぶように流れて行く景色を眺めていると、やがて車は大きな邸宅が並ぶ地区へと入って行った。助手席から見える数字を1番、2番と声に出して順に数えて行き、11番を半分程過ぎた所で車は一旦停止をする。ヘッドライトの明かりを頼りに次の番地を眺めると、そこには13番と刻んであった。
 ロンドン市グリモールド・プレイス12番地、ブラック家本邸。暖炉を使ってならば今迄にもあったが、こうした手段でここに来るのは初めてである。
 11番と13番の両隣の家を押しのけるようにして現れた扉を確認して車を降り、家を出た時から全く変化していないギモーヴさんを確保した後でメルヴィッドが杖1本で車を荷物ごと何処かに消してしまった。こうして科学ではどうしようも出来ない事を平然と行う時、魔法は便利な才能だなとつくづく思う次第である。
 日頃から手入れをされている階段を上り、使い込まれて味のある色合いになった黒い扉から突き出た銀色のドアノッカーを叩くと、何やら大袈裟な金属音がした後で扉は独りでに開いた。多分、今の金属音は侵入者を物理的に排除する魔法が解除された音なのだろう。
 去年の夏、この家にあったロケットを偽物と交換する時にはこの正規ルートを完全に無視してやって来たので判らなかったが、肉体が存在する状態で馬鹿正直に侵入を試みていたら玄関地点で頭を潰され四肢をもがれ内蔵を滅多刺しにされる程度の損害は有り得ていたかもしれない。窓や煙突から侵入しようものなら、生きたまま皮を剥がされたり、意識を混濁させないようにしたまま焼き殺したりと、更に悲惨な展開が待ち受けていただろう。
 流石旧家だけに容赦がないと感心しつつ他の部屋同様きらびやかな玄関ホールに上がりこむと、待ち構えていたのかクリーチャーがシャンデリアの下で恭しく頭を垂れて出迎えた。その対応は外で彼と出会う時のものとよく似ていたが、場所が場所なので致し方ない。ホール周辺の壁には歴代ブラック家の当主や妻子の肖像画が飾られているのだから。
 大半は眠っているようだったが、中には眠っている演技をした者もいるようで薄く開けた目で深夜の来客を品定めしている。
 その中の1人に相変わらず息子の身を案じているオリオン・ブラックがいたが、私が何かしらの反応をするよりも早くクリーチャーが屋敷の奥へと案内を始めたのでそれ以上の接触は避けられた。出来るだけ気遣う演技の為に私の肩を抱いているメルヴィッドも、恐らく彼の視線には気付いているだろう。
 何十もの視線に背中を凝視される圧力から開放されたのは結局、応接室に通され背後の扉が閉まった後だった。とはいうものの、数が大幅に減っただけで凝視され続ける環境に変化はしていないのだが。
「こんばんは、メルヴィッド。それに、ようこそ我が家へ」
「クリスマスパーティ依頼だね、2人共。よく来てくれた。色々あって大変だっただろう、自分達の家だと思って気兼ねなく過ごしなさい」
 応接室で待ち構えていたレギュラス・ブラックが扉が閉まると同時に私達の方へ足早に歩み寄り、少々熱烈と呼べるくらいに固い握手を求めてきた。ただ、握り返した彼の手は興奮して汗が滲んでいる癖に酷く冷たい手で、微かに震えてすらいた。
 奥で座っているアークタルス・ブラックも隠すようにして安堵の息を吐いている。テーブルの上にはブランデーの香りのする紅茶と新聞の束が乗っており、最上部に乗っている夕刊予言者新聞の1面には見覚えのある校門を背景に煙を上げる車と負傷者を乗せる救急車、そして多くの人間が印刷されていた。あれは間違いなく、夕方に私とエイゼルが起こした事件の記事であろう。
 これも少年Aの呪いか、と印刷されている記事を書いた記者の名前は勿論あの女だ。恐らくマスコミ連中に混ざって私の尊厳と肖像権を踏み躙ろうと画策していたのだろうが、幸いにも現場には遅れて到着していたらしい。全く悪運が強いと嗤いたくなったが、それよりも先に笑いかけなければならない人物が目の前に居る。
 彼等は、私達の身を案じてくれていたのだ。
 同じ様にそれに気付いたメルヴィッドが、心配をかけた事や夜分遅くを超えて深夜に訪ねた事、今夜の宿を提供してくれた事に関して重ねて感謝をし、レギュラス・ブラックが友人なんだから当然だと応じた、そしてその隙を見計らってアークタルス・ブラックが私を手招きする。老齢の彼にも心配をかけてしまったようだが、それでも初対面の時と比較すれば随分顔色は良好だった。
 互いにお決まりの挨拶を交わすと、可愛らしい服装だとメルヴィッドから貰った防寒具一式の事を褒めながらアークタルス・ブラックの水分の少ない指先が頬を擽り思わず笑みが溢れる。それを見て、彼の灰色の瞳も柔らかく細められた。
「怪我はないね、安心したよ。予言者新聞は宛てにならないが、マグルの新聞までこぞってこれだ。子供が怪我をしたとは載っていなかったが、それでもね」
「心配をお掛けしてしまい、申し訳ありません。手紙の1通でも送る事が出来ればよかったのですが」
「大丈夫、判っているよ。躾のなっていない下劣な者達に見られてはまずい事は、このような時、特に控えなければならないからね。さあ、座りなさい。疲れただろう、甘いホットミルクでも飲んで、今夜はもう眠りなさい」
 何時の間にかクリーチャーが用意してくれていたらしいホットミルクを皺だらけの指先が示し、ついでにとギモーヴさんが入っているバスケットまで受け取ってくれる。中で鎮座する彼女を見た灰色の瞳が更に緩み、可愛い蛙だと褒めてくれた。人間の言葉を理解出来るらしく、無表情をほんの僅かに変化させて喜ぶギモーヴさんは確かに可愛らしいが、彼女の体全体を指で擽るアークタルス・ブラックも大変可愛らしいと思った。
 可愛いという形容詞は種族や性別、年齢を問わず使用できる素晴らしい言葉だと再認識しつつ、蜂蜜の入った甘いホットミルクに口を付けて一息つく。因みに私とアークタルス・ブラックが爺同士の緩々な会話をしている間、メルヴィッドはレギュラス・ブラックからの若く熱烈な歓迎を受け続けていた。
 戦地から帰還した主人を迎える犬のような、好感度が上限突破し超越している事がよく判る現象である。彼が旧家の当主といわれても到底納得出来ない光景で、ここまで来るとメルヴィッドが誰かに刺されそうになったら身を挺して守りそうな感じだ。尤もその場合、彼の大事な手駒が負傷しないよう更に私が前に出るつもりなので魔法界に君臨するブラック家の将来は全く心配はないのだが。
 そして、ギモーヴさんの相手に満足したのか、きちんと手を拭ってから今度は私の髪を撫でて来るアークタルス・ブラックを観察して思い至った。彼も、私への好感度が飽和間近なのではないか。確かに虐待を報告して保護へ持って行くという流れを作ったので気持ちは判らないでもないが、幾ら何でも早過ぎる。私だってリチャードへの好感度がストップ高を記録したのは2度目の接触以降だというのに。
 未だ続く若い方のブラック家当主様の歓迎風景を眺めつつ、老齢の方のブラック家当主様の歓迎を受けていると、丁度視線の先に新しい紅茶を持って現れたクリーチャーを発見したので手招きをして呼んでみる。
「こんばんは、クリーチャー。先程は挨拶が出来なくて申し訳ありませんでした」
 膝の辺りにやって来たクリーチャーに今更な挨拶をすると、何故か大きな2つの目玉から滝のような涙が溢れ出した。何故だろう、近頃は私達の仲も大分落ち着いて、挨拶をしただけで感動のあまり泣かれるような事はなくなったというのに。ほんの半月程度会わなかっただけなのに、そこまで関係が退化したとは考えたくなかった。
「坊ちゃん。お優しい坊ちゃん、クリーチャーは……クリーチャーは坊ちゃんへのクリスマスプレゼントを用意出来ませんでした!」
「ああ、何だ。そんな事ですか」
 滂沱の涙を流しながら燃え盛る暖炉の隣から火掻き棒を掴み、それで自分を戒めようとするクリーチャーを抱き止めて気にしてないと告げると、連鎖で自分も贈っていない事を思い出してしまったアークタルス・ブラックに抱き締められる。
 レギュラス・ブラックという名の大型犬の歓迎を未だ受け続けているメルヴィッドはいい気味だと笑っていたが、目が死んでいた。私がストレスを感じるようになる前に、彼の胃に特大の穴が空き倒れそうで心配になる。
 そうしてストレスになりそうな原因から少し意識を背けている間に、原因の片方が大暴走を始めとんでもない事になっていた。
 金と時間が必要以上にあるらしいアークタルス・ブラックが、孫がメルヴィッドの誕生日に贈ったプレゼントに決して劣らない物を必ず用意するという約束を一方的に、しかも涙を流しながら交わし始めている。今になって老体の血液に紅茶のブランデーが回ったらしい。多分違うと思うが、あまり深く知りたくないので酒の所為にしておこう。
「プレゼントなんて必要ありませんよ。こうしてアークタルス様やクリーチャーとお話出来る方が、余程嬉しいですから」
「坊ちゃんはクリーチャーめに、なんと勿体ないお言葉を掛けて下さるのか!」
「君のような謙虚で美しい子にこそ、財産は譲られるべきなんだ。こんなゴシップに惑わされるような馬鹿者に私個人の財産など決してくれてやるものか」
 選ぶ言葉を間違えた。どうやら、此処は潔く説得を放棄した方がいいらしい。
 感極まっている事もあり、止めようとして止まる相手ではないので言葉での説得を早々に諦め、積み上げられた新聞の束に書いてある単語や記事に目を通した。メルヴィッドからの救難信号兼嘲笑には、無理だという笑顔を以って代えさせてもらう。私は現実から目を背ける事を決定したのだ。人間、諦めが肝心な時も間々ある。
 夕刊の内容は図書館で読んだ新聞と全く同じであるので、真新しい事が書いてある記事は一番上の予言者新聞のみになってしまった。報道陣ボウリング轢殺事件に関しての内容は流し読み、それとは別の執筆者が書いた欄に懐かしい地名を見付ける。
 この記事が正しければなのだが、どうもサリー州リトル・ウィンジングのプリベット通り4番地の呪われた家、要は私がダーズリー一家を念入りに皆殺した家が呪われた幽霊屋敷として一部世間で有名になり、魔法省が物置に住み着いている子供のゴーストを他に移すか本格的に検討を始めたらしい。
 何でも、そのゴーストが昼夜問わず情緒不安定に泣き喚き、更にここ数日で少年Aである私の死神振りが燃料を投下した為、あの呪われた幽霊屋敷を一目見ようと集まる非魔法界の人間達にゴーストの存在を知られてしまうのではと今更ながら懸念し始めたと書いてある。しかし子供のゴーストは酷く傲慢で、誰かれ構わず当たり散らし手に負えないので引き取り場がなく、当分の間会議は続くだろうと締められていた。
 多分、魔法省側はしばらく放置しておけば皆飽きるだろうと考えているのではないだろうか。
 事実、今回リチャードの墓が掘り返されるまでは、一家3人が皆殺された幽霊屋敷と噂にはなっていたが別段人気スポットだった訳でもなかったのだし。検討を始めた辺りの行が、結論を引き伸ばして風化を図っているように思えて仕方がない。無論、下手に引っ掻き回されるよりは見て見ぬ振りを貫き通し鎮静化して貰った方が私も有難いのだが。
 さて、では現実世界の沈静化はというと、一向にその気配が見えなかった。
 感謝によって熱狂するブラック家の人々と、完全に目が死んだ客人2人が押し込められた混沌極まる応接室の空気が収まるのは、もう少し時間を置かなければならないらしい。