紅豆花生湯
新学期もつつがなく始まり、放課後も開放されている図書室の隅で昨日付けの新聞を広げて読んでいると、ここ数日でよく見るようになった名前を見付け一人ほくそ笑む。
エメリーン・バンスとリチャード・ロウ。この2人が結ぶ奇妙で不可解な事件が紙面を踊り、知識人と評される人間達が各々の意見を好き勝手に綴っていた。勿論、正解どころか僅かでも核心に触れるような記事は存在しない、そんな記事を書けるような人間がいたら、それは人間に類する者ではなく超能力者だ。
少年Aこと私の名を伏せられ書かれた記事も幾つか存在したが、そちらは主に根も葉もない下品なゴシップやオカルト紛いの内容を発表する事で有名な娯楽誌である。これらを手に取り、且つ目を通して、剰え頭から信じる人間は、人生を早急に辞めた方がいい。そんな低能がこの地球上で生きていても資源や酸素を無駄に消費するだけである。
馬鹿馬鹿しい事を考えながら広げていた新聞を畳むと、一切の取材を拒否すして黙秘を貫くリチャードの両親や、逆に積極的に声明しているエメリーン・バンスの夫や彼女の家族の写真と名前が目に入ってきた。涙ながらに訴える彼等曰く、どうやら私は決して許されない事をしたらしい。
まあ、私の行為は正当防衛でも何でもない、ただの私刑系猟奇殺人なので遺族の怨嗟も法的に罪に問われる事も当然である。
ただ、こちらとしては許す許さない以前に公的機関に逮捕されるつもりが毛頭ないので無駄な声明のようにも思える。否、彼等の認知しない所ではあるが私は知ったので一定の効果はあるのだろうか、一定しか効果がない、とも言えるが。
仲が良かったのだろうと想像出来るエメリーン・バンスの縁者達は、どの報道機関を見聞しても犯人を絶対に許さないとは言っているが、リチャード・ロウを許さないとは言っていない。多分言えないのだろう。
科学的検証に基づく物的証拠が時間軸に合わず現場も会議室も大混乱中の警察の捜査状況を盗み見た所、現場から出た指紋はほぼ確実にリチャードの物であったらしい。しかし当のリチャードは3年半程前に死亡しているので名指しを出来ず、整形と指紋偽造を行った可能性のある犯人の線で追っているらしい。因みに頼みの綱のDNAに関しては、今の時代の技術だと信用の出来る鑑定結果が出るまで数ヶ月単位で時間がかかるので未だ何の情報も届いていない。
そういえば件の老婆達だが、別段賢くなかった事がオカルト系ゴシップ誌によって発表されていた。殺害された場所が田舎過ぎてまともな検死が行われていなかったのか、あのペットボトルを回し飲みした彼女達は今現在、食中毒死として処理されているらしい。
記事を書いた人間が彼女達の死因がパラコートのそれと似ていると中々面白い指摘をし、これもリチャード・ロウの亡霊の仕業であると根拠不明のまま断定の形で結んでいた。無責任な文章であるが、それを狙ってあのペットボトルを渡した以上、これに関しては何か言うのは止しておこう。
因みに警察は未だこの件に関しては動いていないようだが、動いた所で事態が更に混迷するだけで現状からは何もいい方向へ変化はしない。私の施した呪いと相俟って何人か精神を病むかもしれないが、病むにはそれなりの理由があるので同情の余地はない。
さて、そんな警察だが、余程大きな勘違いをして誤認逮捕でも起きない限り、この事件は迷宮入りするだろう。あまり私の介入が過ぎると何処かで大きなミスをする可能性がある、そろそろこの辺りで行動は止めておいた方がいいだろう。
今日これから起こる事を、最後にして。
壁に掛けられている狂った時計を見てから脳内で時刻を修正すると、そろそろ閉室の時間が迫っている事を知り新聞を脇に抱えて席を立つ。
図書室に居残っている生徒達の中で、普段読書とは縁のなさそうなグループが幾つか、好奇心旺盛な目で私を見てから額を寄せ合い話を始めた。理由はお察しの通りである。
下世話で恥知らずな報道関係者が私を付け回し、リチャードの棺の横に立った少年Aの写真がとあるゴシップ誌に掲載されたり、無言で通学する少年Aがテレビに流れたりした。概要としてはそれだけの事だったが、彼等の保護者か兄弟姉妹か、それとも教師の内の誰かが顔だけは御座なりにモザイク処置された少年Aが私である事に気付いたのだろう。
それにしても、何も知らない、知ろうともしない、知った所で訂正も謝罪もしない癖に空虚な噂話ばかりしたり顔で垂れ流して一体何が楽しいのだろうか。妄言として楽しむのなら判る、対象を毀損する為ならばそれも理解出来るのだが。
責任を取るつもりもないから根拠のない噂話が楽しいのだろうとメルヴィッド達は言っていたが、この辺りの感覚が私はよく判らない。尤も、メルヴィッド達にしても目障りで喧しいだけの理解出来ない行動だと言っていたので、この件に関しては私が特別異常ではないらしい。
判らないものは判らないのだと諦めて、ミリタリージャケットの脇に挟んでいた新聞を元の位置に戻し図書室を出る。背後で何人かが席を立ち尾行に移ったらしいが、大した害にもならないので放置しても大丈夫だ。子供の尾行など精々家の敷地までであるし、万が一不法侵入されても然るべき場所に通報して人生の汚点を残してやれば済む話である。
橙色に染まる廊下を歩きながら窓硝子を鏡にして、使い古した長いマフラーを口元まで巻き、揃いの柄の耳当てを着けた。防寒具を着用した私の更に先に見える正門には死体に群がる蛆のような報道関係者の影が見え、幼く非力な獲物の出現を今か今かと待ち詫びている様子が手に取るように判る。
彼等こそ、私がハリー・ポッターを名乗っていた時から死神だの不幸を呼ぶ子供だの好き勝手書いてきた連中であった。そろそろ、灸を優しく据えるべきだろう。
どうせあの連中には幾らでも代わりがいる、家族や親友や恋人が悲しむかもしれないが私は全く悲しくないので手を抜く必要もない。そもそも、今回の立案者は私だが実行者ではないので今更計画の停止や変更は不可能なのだ。
『、聞こえる? 準備出来てるよ』
「こちらも丁度アリバイを証明してくれる方々を獲得出来ましたので、お願いします。くれぐれも」
『カメラに写り込まないように気を付けて、だろう。君じゃないんだからそう何度も注意して欲しくないな。心配しなくても泥酔させた後に服従の呪文かけて、私は寂れた裏門で待機中、車は時間通りに動いてくれるよ』
「ありがとうございます」
『いいよ、どうせ暇だし。それに、偶には外の空気に触れたい』
「この件が片付いたら生気を奪って殺しても大丈夫そうな人間をリストアップしますから、もう少しだけ待って下さいね」
『期待せずに待ってるよ。何時死んでも問題が浮上しないって事はつまり、社会的に見ると碌な人間じゃないって事だろ』
階段に反響する複数の靴音と、連絡を寄越して来たエイゼルの言葉が耳の中で混ざる。一応気分転換も兼ねてユーリアンも誘ってみたのだが、私とエイゼルとのスリーマンセルは疲れるからもう嫌だと言われたので今回の参加は見送られた。
メルヴィッドはメルヴィッドで私とエイゼルの組み合わせを大層不安がっていたが、散々悩んだ挙句くれぐれも揃って自然に暴走だけはするなと注意して実行許可を出した経緯がある。自然に暴走とは何かと3人に尋ねても誰も答えてはくれなかったが、答えたくないだけであって解答そのものは知っているように思えた。
エイゼルが知っているならば大丈夫だろうと高をくくり、正面玄関から校舎外へ出ると裏門の方へ足を向ける。割と不便な場所にあるので正門とは違い利用する生徒はほぼ存在しないが、それでも正規の門である事は変わりなく、決められた時間までは普通に通過する事が出来るのでこれを利用しない手はない。
背後で面白半分に付いて来る生徒達を無視して曇天の冬空の下を歩いていると、学校の敷地に沿って通っている道路を猛スピードで突っ切って行くワゴン車を横目で確認して立ち止まる。間違いない、あれが今回の要だ。
無理にエンジンを吹かしているらしく、町中では聞き慣れない騒音がドップラー効果付きで過ぎ去って行く姿を見送りながらゆっくりと振り返ると、尾行の真似事をしていた生徒達もその車を目で追っている。突如として現れた私以上の非日常に視線を奪われ、行動の優先順位は完全に逆転していた。
『そろそろ突っ込むよ』
「偶然ガソリンに引火して爆発炎上したら面白いんですけどね」
『不謹慎だね』
「エイゼル、貴方本当にそう思っています?」
『いや、全然』
言ってみただけと耳当ての向こうで楽しそうにしているエイゼルに苦笑して、正門前の道路をドラッグレースのように駆け抜ける車を見物する。言っている事ややっている事は私も私で大概であるが、その辺りは今更過ぎるので何処か遠くにでも放置する事にした。大体、あちらで暴走している車の運転手だって実は大概なのだし。
私のような糞に集る糞虫掃除に丁度いい人間はいないものかと片っ端から調べた所、割と簡単にあれが見付かったのだ。あの車の運転席に座る男は酒気帯び運転の常習犯で、助手席に決して安くはないウイスキーの空瓶が2、3本転がっているのが日常の立派な殺人未遂犯である。無論何度も刑罰を食らっているのだが一向に反省する事はなく、彼が籍を置く会社はというと、とある有力者の縁故採用だから解雇には踏み出せずにいるのだとか。何処の世界にでもある、ごくありふれた、何とも酷い話である。
こんな杜撰な管理をしていると何時か大事故に繋がるだろうと思いつつ、そんな彼の助手席に転がっている酒瓶と同じ酒をメルヴィッドに頼んで買って来て貰い、エイゼルにお願いして中身だけ移し替えて貰ったのが今回実行に移した大変雑な計画であった。危険な運転が出来るように態々目眩ましの後で服従の呪文まで使用して貰ったが、魔法はきちんと働いているようで、車は速度を全く緩めることなく正門の人集りに突っ込んで行く。中央に行ったので6割くらいは今ので重体以上になっただろうか。
アスファルトの上でタイヤが空回りする音をしばらく聞いていると、今度は車が後進を始めたらしく逃げようとする記者やカメラマンをバックで轢いて行く。フェンスにリアバンパー接触してタイヤが再び空回りを始めると、思い出したようにギアチェンジをしてまた前進。倒れていた人間を念入りに轢殺しながら、機材を内部に詰め込んだ鋼の獣が正門前の然程広くもない空間で暴走を始めた。
たとえ物理的な距離があったとしても阿鼻叫喚の地獄絵図を見てしまった子供達はというと、揃って口を開いたままの間抜け面を晒して棒立ちをしている。もしかしたらトラウマになるかもしれないが、私なんかを好き好んで追いかける彼等が悪いという事にしておいて、そっとその場を離れ裏門へ行く事にした。
「エイゼル、今から裏門に行きます」
『あれ、もう飽きた?』
「長居すると面倒ですから」
『ふうん。じゃあこっちも片付けようかな』
エイゼルの言葉と共に背後で一際大きな音が響き、車の暴走が停止する。爆発音はなく火柱も上がらなかったので燃料タンクに引火はしなかったらしい。
『例の虫、リータ・スキーターだっけ。あの女がいないのは残念だな、いたら両足を千切ってやったのに』
「両足だけにして差し上げるなんて、とても優しい対応ですね」
リータ・スキーター。寒空の下で彼の墓を掘り返したあの日の夕刻、1月5日付けの夕刊予言者新聞に掲載された記事に記された名前により全ては発覚した。他の小さな新聞社は墓が掘り返された事実しか書けなかったにも関わらず、リチャード・ロウの死蝋化に触れ、明言したのは両世界に存在するありとあらゆる記者の中で、この魔女だけだった。
全てが恐慌状態に陥ったあの時、人混みに紛れて数秒だけ見た、派手で下品な金髪の魔女とも外見は一致している。私だけでなく、エイゼルやユーリアンもそうだと首を縦に振ったので間違っている可能性は非常に低かった。
この目障りな魔女には、他とは一線を画した警告をしなければならない。
『君ならどうする?』
「私も大した事は出来ませんよ。うっかり腎臓か肺の片方を破裂させてしまう程度で」
『怖いなあ』
言葉とは逆に面白そうに笑うエイゼルに、こちらも苦笑して返す。
こんな拷問紛いの言葉ばかり出していると一時的な感情で動いているように見えるかもしれないが、一応私なりに色々と考えているのだ。
リータ・スキーターという女は私の記憶が確かならば、ダンブルドアの死後に暴露本を出版した人間である。暴露と表現するよりは本人が死んで何も出来ないのをいい事に書いた中傷本で、私からしてみれば全てが既知の産物であったのでどうでもよかったが。ただ、多くのジャーナリストがそうであるように、この女の道徳概念は根底から崩壊している事はよく判った。殺す気は毛頭ないが、こういった手合いには強いトラウマが必要だ。
私でさえ、口を利けぬ死者には鞭を打たないというのに。
『全く、笑えるよね』
「何がですか?」
『子供は社会の宝、子供の福利は再優先。子供だけでの留守番が露見すれば即通報、親は子供に同伴しなければ即虐待と見なされる。薄汚いマグル共はそんなスローガンや法律を掲げている癖に、メルヴィッドが引き取るまでは何処へ行っても虐待され通しだった君から目を背けた、あそこで死んだり騒いだりしているあれは一体なんだい』
「そうですね、彼等の守りたい子供というのは心も体も健全で健康な子で、殺人鬼に感謝をしていたり全身のあらゆる箇所の肉が欠損している子供は守備範囲外だとか。もしくは、彼等が子供を守りたいのは誘拐や交通事故、それに警察が動かなければならないような事件からであって、あれは勘定されないんじゃないですか?」
私を含む大多数の無責任な人間は、モラルなど持ち合わせていない報道関係者からの取材という名の嫌がらせには目を瞑り、あのような手段を用いて撮られた映像や写真、掘り返された挙句捏造された過去を見て可哀想だとか感想を漏らすのだ。全く笑えるねと、再度エイゼルが吐き捨てるようにして言う。
メルヴィッドといい、エイゼルといい、多分ユーリアンもだろうが、彼等は産まれてから今迄ずっと孤児であった経験からか、虐待、特に親兄弟親戚のいない天涯孤独の子供に対する虐待に出会うと憤怒の感情を露わにし、酷く人間らしい面を見せた。自己愛が深過ぎて見逃しがちだが、彼等は確かに他者に対しての愛を持っている。
指摘したらきっと、本人達は揃って頑なに、怒りを帯びて否定するだろうが。
「皆死んでしまえばいいのに」
「はいはい。貴方の気持ちは痛い程よく判りますが、物騒な言葉をうっかり外へ漏らしてはいけませんよ」
裏門までやって来ると聞き慣れた声が頭上からしたので、耳当てを取りそちらを向きながら話しかける。すると、全員殺したかったと心底残念そうな言葉が続いた。全員が死ぬのは流石に都合が良過ぎるので適当に生き残りも作って欲しいと頼んだが、そこまできちんと私の願いを叶えてくれたらしい。本当に家にいる3人は3人共いい子過ぎて困ってしまう。
耳当てを取った事で悲鳴が上がっていた事をようやく知るが、知った所でどうしようもないので予定通り帰宅する事にしよう。エイゼルには何か別に礼をしたいが、さて一体何にしようか。
「」
「はい、何ですか」
「私は、魔法界をこの世界のようにはしない。何があっても、絶対に」
地鳴りのような静かな声はそれだけ言うと、気配も何も彼もをこの場から消し去った。恐らくは、今は未だ彼がいるべき場所へ帰ったのだろう。
冬の湿った風で冷やされた彼の言葉が耳に残った。若く青いが、熱を持ったこれを言わせた感情を愛と呼ばずして一体何と呼べばいいのだろうか。私では判らない。
判らないからこそ、この愛のように思える何かは専政に変貌する諸刃の剣だと告げるべきではないだろう。
尤も、愛以外の答えが判ったとしても矢張り、私は彼に何も告げないだろうが。