曖昧トルマリン

graytourmaline

鴨とマッシュルームのクリームパスタ

 仲良くじゃれ合っている男の子達を観察するのはとても穏やかで有意義な時間だが、かといって、何時までも幸福な気分に浸っている訳にもいかない。
 ホロホロ鳥のローストを口に運びながら3人を確認し、話の流れを変更しても問題がないだろうと判断して話題を元の状態まで一度戻した。
「しかし、メルヴィッドは流石ですね、半年もしない内にここまで漕ぎ着けるのは貴方くらいですよ」
「元々このつもりでレギュラス・ブラックは生き返らせたからな、これでやっと当初の目的を達成した訳だ。まだ使い勝手は色々あるから捨てるのは先になりそうだが」
 ああ、あれかと納得するユーリアンと、たかが不動産の為に死人を甦らせたのかと呆れるエイゼルに苦笑で応え、分厚い書類を杖で消し、残ったレギュラス・ブラックからの手紙に目を通しながら釘を刺しておく。
「今後の為を思うと、彼がグリーングラス家の姉妹辺りと結婚して、ブラックの名を持つ子供が2、3人育った後が理想的なんですが、捨て駒である以上はそう我儘も言ってられませんか。念の為言っておきますが、殺す場合は彼が望んで自死するような形にして下さいね。今の状態から普通に捨てると、反動でとんでもなく憎まれますから」
「あれはお前と違い、まともな思考の人間だからな。触れてはならない箇所は判っているつもりだ、老害と同じ轍を踏むつもりはない」
 そんな私達の会話を知り得ないレギュラス・ブラックからの手紙には、ささやかなクリスマスプレゼントとしてブラック家へ贈った小さなツリーと手編みのセーターについての感謝も述べられていた。
 本心か建前かは横に置くとして、レギュラス・ブラックも喜んでくれたようだが、それ以上に、私の密告により現在ブラック家本邸、孫の元に身を寄せ亡き妻の血族と絶賛闘争中であるアークタルス・ブラックと、生まれて初めて友人から衣服を贈られたクリーチャーの両者が感極まり大変だったらしい。普段クリーチャーのあれを笑顔でスルー出来ている彼が大変と綴るのだから、きっと相当だったのだろう。
 レギュラス・ブラックには少し悪い事をしたかなと思いつつも微笑んでいると、正面から視線を感じて緩んだ表情のまま顔を上げた。見ると、メルヴィッドが上機嫌ながらも少しだけ困ったような表情をしている。
「ただ、今になって問題に気付いた」
「何ですか?」
「信頼出来る従業員だ。私達の事が露見するような物を置くつもりはないが、会話を盗み聞きされる可能性もある」
「うわ、馬鹿だ。今迄散々時間があっただろ、それくらい考えておけばいいのに。いつも好き勝手言ってる癖にお前も十分間抜けじゃないか、言っておくけど僕は嫌だし、そもそも無理だから」
「見本市に出したいくらいだ、見事なまでに底抜けの間抜けだね。今後の予定が入っている私は当然無理、勿論、働き者のもこれ以上は抱え込めない事、判ってるよね」
「2人共、ここぞとばかりにメルヴィッドを虐めないで下さい」
 日頃の扱いからか嬉々として仕返しをしているエイゼルとユーリアンを窘め、僅かに怒りの滲んだ赤い瞳に前々から考えていた提案を上げる事にした。
「意思を持った生き物ではなく、嘘や裏切りとは無縁の単なる物質を従業員にしてみるのはどうですか? 心がないので慣れない内はお客様に気味悪がられるかもしれませんが」
「単なる物質、か。亡者に出迎えられたら、私だったらその店を潰すよ」
「腐臭が酷そうな店は嫌だな、僕も多分潰すね。その店が入った建物を」
「お前達が潰されろ。物理的に、縦方向から」
「メルヴィッドもそうやって煽らないで下さい。変な方向に話が逸れると何を言いたかったのか忘れてしまいます、私が」
「お前の脳味噌は本当に残念だな。頭が悪い訳ではないのに何故そうなんだ」
 明後日の方向へ流れて行きそうな話題を強引に引き戻し、憮然としているメルヴィッドの前にスープと魚料理を呼び出す。エイゼルとユーリアンの黒い目が餌付け以外の何物でもないと語っている気がするが、それを無視して私も大麦のポタージュに手を付けた。
「正直に言うと、メルヴィッドが店主の時点で遅かれ早かれ従業員関係は絶対に悩みの種になると予想していたんです。それでも最初にメルヴィッドが人間を雇うと仰るのなら黙っていようと思ったのですが」
「その言い方だと懸念材料は裏切りじゃなくて色恋沙汰で正解かな。あとストーカー」
「爺って本当に判り易い面食いだよね。異世界の本体が養父だから判らなくはないけどさ」
。お前が話を逸らして行くな、結論を言え」
「失礼しました。人形を従業員にしてみては、との提案なんですが」
 言った瞬間、エイゼルとユーリアンの視線がリビングで鎮座しているギモーヴさんの両隣に座っているピーター君とスノーウィ君に注がれ、数秒後、同時に私の方へと戻って来る。
 信じられない、狂気の沙汰だと4つの黒い瞳が視線だけで告げるが、メルヴィッドだけは私の口にした単語がそうではないと理解出来たのか、どんな人形だと問いかけて来た。彼だけは、ピーター君やスノーウィ君がどのような経緯でああなってしまったのかを詳しく知っているのだから、この反応は自然なものだろう。
「アンドロイド、は流石に言い過ぎですかね。オートマタ、人の形を模した、真の意味での人形です。実物は未完成なのでお見せ出来る状態ではありませんが、中身くらいはご覧になりますか?」
「実物もないのに中身を見せてどうするんだよ」
「その中身ではなく、ソフトウェアの事だろう。ハードウェアの対義語だ。最近お前がよくやっているゲームもこれに当て嵌るから理解は出来るんじゃないか?」
「ああ、判った。そういう事」
「人形がハードウェア、それを動かす呪文がソフトウェアって訳か。さ、これからは私達に気を遣って中途半端に遠回しな語句を選ばなくても大丈夫じゃないかな、ある程度は通じると思うよ。メルヴィッドには当然として、私も暇潰しに本や雑誌に目を通したり、テレビ番組やラジオ放送を聴いているし、ユーリアンも判らなければ尋ねるだろうから」
 出会った当時では考えられないような単語を口にする彼等に些かならない感動を覚えながら頷くと、そんな事よりも、とメルヴィッドが話題を軌道修正し、ソフトだけでなく作りかけのハードも所望したので、杖を振って自室で待機していた4体を壁際1列に並ぶよう呼び寄せた。
 同じ設計図から作られた、子猫のような幼い顔立ちの球体関節人形。黒目がちな眼球が嵌められ化粧もされているが、衣装も無く毛髪もまだ貼り合わされていない全長1000mmを超えるそれは、奇妙な形に育ち過ぎた赤ん坊のようで少々不気味である。
 製作者の私がそう思っているのだから当然彼等の感想も似たような物になり、まずユーリアンが不気味だと評して、元々私の部屋に好き勝手出入りしていたエイゼルは人形とはこれの事かと納得し、最後にメルヴィッドが画面に映し出されたソワナの魔法式と名付けたプログラムを眺めながら少女趣味に過ぎると呆れたように言った。
「では、人形の名前はアダリーやハダリーとでも言のか」
「オリンピアともコッペリアとも呼んでいませんよ、未だ彼女達に名前は付けていません。それにしても、リラダンを何時の間に読んだんですか」
「お前が独学で何かを達成しているのに、私が何もしないとでも思ったのか」
「それもそうですね、失言でした」
 しかし、まさかメルヴィッドがアンドロイドを題材にした創作を自ら進んで手に取るとは思わなかった。ミステリー作家であるクリスティを知っていた時も意外だと思ったが、リラダン作であるSF小説の衝撃はそれ以上である。
 尤も、後者に関してはここ数年内に読んだ物なので、当然置いてけぼりを食らう人物も居る訳であって。
「エイゼル、あの2人が何を言っているのか全く理解出来ないんだけど」
「私も判らない。ただマグルの話だって事は判る」
 思い起こしてみれば、メルヴィッドに出会った当初、彼はサイエンス・フィクションを読んだ事がないと言っていたような気がした。2人が判らないのも当然だろう、知らないのだから。
「非魔法界で出版されているサイエンス・フィクションの話ですよ。何でしたら、休み明けにでもコッペリアのVHSを借りてきましょうか。他はバレエではなく書物なので、データ化された物で宜しいなら持っていますよ、ホフマンもリラダンも。因みに今手元にあるデータで個人的なお薦めはアシモフです」
「入門としては適切かもしれないが、アシモフの著作権は切れていないだろう」
「違法に入手した訳ではありませんよ、私の時代では既に切れているのでデータが存在していたに過ぎません。因みにメルヴィッドのお薦めは何ですか」
「他人と話を合わせる為だけに読んだから有名所しか知らないが、チャペックを推す。最後にロボットに頼り過ぎた人類がロボットに滅ぼされる場面が好きだ」
 私達の推薦図書は今の所どちらも興味が湧かないとエイゼルとユーリアンが言うが、それよりも気になる事があり人形達を部屋に返しながらメルヴィッドへ尋ねる。
「それ、2幕のラストですよね。確か後で書き足された3幕目でロボットが絶滅寸前になっていて、唯一生き残った人間の元にやって来る男女のロボットが愛と自己犠牲に目覚めて、エピローグで新世界のアダムとイブだって祝福される話になっていますが」
「何だその蛇足は」
「蛇足と呼べるかは判りませんが。ああ、けれど噂で聞いたことがありますね。確か、英訳された後に3幕目を書いたとか書いていないとか。チェコ語か日本語で宜しいなら完全版のデータが有りますよ、読まないでしょうけれど」
「当たり前だ。愛を知ったロボットの話など誰が読むか」
「まあ、2幕で愚女に秘伝書が焼却処分されているので愛があろうとなかろうと、どの道ロボットも近い内に絶滅しますよ。種の滅亡は愛程度で乗り越えられる軽々しい障害ではありませんから、幾ら肉と魂を持っていても分裂や性交で増殖出来ない物体である以上は」
 工場で設計図通りに生産される無機物同士が幾ら愛し合おうと、次の世代は生まれない。多細胞から成る有機物の人間でも、雄同士が雄であるまま愛し合おうと矢張り愛だけでは生物の限界は超えられないのだ。
 自然に子孫を残せない存在が次の世代を生むには、愛ではなく何等かの方法で体の何処かを弄らなければならない。
 私はリドルを愛していたがそれを持とうとはしなかったし、リドルの死後も持った人間と交わる事はなかった。だから、私の子はいない。
「少女趣味の癖に随分ドライな意見だね。爺にとっての愛って何なの?」
 リドルとよく似た顔をした、愛という存在を気にしながら背を向け続けている子供の内の1人が薄く笑って私に問いかけて来た。頭が悪いので哲学的な問いに解答は出来ないと逸らかすが、私が馬鹿なのは承知の上だと返される。
「……そうですね。思い込みから始まる、思考を狂奔させる病気でしょうか」
「思ったより物騒な答えだけど、爺の経験談?」
「ですかね。怖いものですよ、あれは。凡人だけではなく、英雄も天才も等しく狂人にしてしまいますから。愛の為だけに、人は人を殺せるんですよ」
「ふうん、悪くはない答えだ。愛は素晴らしいとか馬鹿丸出しの事を言われなかっただけ」
「そういう何かにつけて愛のご高説を垂れるのはダンブルドアの専売特許ですよ」
 あの男は高説を垂れるだけの博愛の精神を持たない博愛主義者だ。けれど、ヴォルデモートが台頭するまではダンブルドアをそう揶揄するだけで白い目で見られた。
 当時はそれに大きな不満を抱いていたものだが、時間が経ち記憶が風化されかかっている老齢の今になって思い返せば、若い頃の私は信者達の前で教祖を全力で侮辱したようなものなので、白い目で見られても仕方がないとは思う。
 また、特定の信者の脳内では、教祖への侮辱が教義への侮辱と等号で結ばれたりもしたので、それはもう多方面から色々と言われたような気もする。私の一族があの男に何をされたのかを言った所で、ダンブルドアを敬愛している連中は事実確認もせずにそれは嘘だと切り捨てたのも今となっては懐かしい思い出であった。
 全く、盲目的なまでに信頼された人間は厄介に過ぎる。イギリス魔法界にとって当時、そしてこの世界の今現在のダンブルドアの存在は絶対なのだ。きっと、生き残った男の子、魔法省の広告塔であるネビル・ロングボトムも。
 思考に疲れたのでグラスを手に取り、喉を潤しながら最後に弱気な発言を添えておく。
「ただ、私としても適度な愛ならば別にいいと思います。理性だけで生きていくには、この世間は少々しんどいですし」
 正直な話、適度どころか彼等には強力な自己愛が働いているので生きていけるようにも思えるが、それを口に出すと愛に対してアレルギーを持つ3人と長い口論になりそうなので黙る事にした。
 アントレを呼び出して再び食事に取り掛かると、宙に漂うユーリアンが嘲笑の目で私を見下ろす姿が銀色のナイフに映る。
「弱者の言葉だ」
「事実、弱者ですから。それに、勝者となる為に強者へ上り詰める必要も感じませんし」
 柔らかい仔兎のフィレにナイフを入れ微笑むと、一瞬だけ空気が張り詰めたような感じがした。小さく切られた肉から視線を離し前を向くと、赤い瞳が私を凝視している。
「お前、一体何をするつもりだ」
「ダンブルドアの弱点を作って引き摺り下ろすだけですよ。幾ら私が馬鹿でも、正面から挑めるような相手ではない事は判り切っていますし」
「大丈夫、それでも十分に馬鹿だから。君は随分あっさり言ったけど、敵対者の弱点は簡単に作れる物じゃない。まして相手はあの食えない狸爺だ」
 確かにエイゼルの言う通り、ダンブルドアは権謀術数に長け、戦いの最中ともなれば非情に徹する事も出来る。目的の為ならば手段を選ばず、仲間や自らの死すら厭わない人間だ。
 しかし、どれだけ繕おうと穴は存在する。愛の持つ絶大な力を否定する彼等には見えない、深く抉れた穴が。
「それでもダンブルドアは人間であるが故に、弱点を捨て切れていません。あれは今でも、妹のアリアナ・ダンブルドアの死に囚われ続けている。愛しているからこそ、罪の意識に苦しんでいるんです。その苦痛から解放される手段があるのならば、たとえどんな方法であろうとも必ず手を出します」
「ちょっと待て爺。それって僕の本体を犠牲にするとか言い出さないよね?」
「言いませんって、ダンブルドアには既にもっと良い手段をそれとなく大っぴらに直接提示してありますから。心配しなくても大丈夫ですよ」
「お前がダンブルドアと接触したのはバンスの裁判後の1回きりだろう、それで何を」
 言いかけて、メルヴィッドが目を見開き、緩慢な動作で食卓に両肘を付いた。組み合わせた手の甲の上に額を乗せて唇を歪め、肩を震わせながら笑い声を抑える彼を見て、一体何事かとエイゼルとユーリアンが顔を見合わせる。彼等は未だ気付かないようだが、協力者である彼が気付いたのならばそれでいい。
 この短い会話で何をどうするつもりなのか理解してくれたらしいメルヴィッドが、未だ笑いを収めきれない表情で顔を上げる。引き攣った口元のまま、お前は本当に最悪な考えを思い付く男だなと、お褒めの言葉をいただいた。
「最初からこのつもりだったのか?」
「まさか。真実、単なる思い付きですよ。そもそもこれを最初に言い出したのはメルヴィッド、貴方でしょう。私は流れに乗じただけに過ぎません」
「では、そういう事にしておいてやろう。それで、またお前がやるのか?」
「肉体的にしんどいので出来れば本人にやって貰いたいですね。丁度ホラス・スラグホーンがアジアの薬学に興味を持ったようなので、以前貴方の為に英訳したアユルヴェーダや和漢三才図会や本草綱目にうっかり混ぜて貸し出しても宜しいでしょうか」
「お前の知り合いの中ではそれが最適だな。あれなら声も大きいし、ダンブルドアも接触し易い。仕方がない、意図的な不注意ならば大目に見てやろう」
「ありがとうございます」
 何を話しているのか理解出来ないと文句を言うエイゼルとユーリアンに解説しようとする私を制し、メルヴィッドが邪気のない笑みで告げる。
 曰く、知らないからこそ楽しめる娯楽も存在する、らしい。