おぼろ豆腐のハニージンジャーソース
外の景色に気を取られて思考を彼方まで飛ばしていると、メルヴィッドの声で現実に引き戻された。もう話は終わったものだと思っていたが、思い込んでいただけらしい。
「呼吸するように語尾に死ねと付けるのは止めてくれないかな。鼓膜が腐る」
「そうか。ならば消毒として耳の中に煮え滾った油を注いでやろう、素揚げになった脳味噌は豚の餌にでも混ぜて処分してやるから安心して成仏しろ」
罵倒の仕方がユーリアンそっくりだ、と言おうものなら彼が口にしようとしている出来たばかりのホイル焼きがポン酢と共に私目掛けて飛翔して来そうなので危うい所で口を噤む。それを思うとエイゼルの罵倒の仕方は随分控え目な印象を受ける、これも思考の自由化から来るものなのだろうか。適当に考えているだけなので、実際はよく判らないが。
判りもしない事を考えながら、ピラフのパセリが少なかったような気がするとどうでもいい事を気に掛けているとエイゼルが私からもメルヴィッドに何か言ってやってくれと援護要請が来た。
今の彼は嫌いではないので素直にそれに頷くと、赤い瞳に苛立ちが浮かぶ。
「メルヴィッド、何とか折り合いを付けてエイゼルと一緒に暮らせませんか。こんな寒い日に放り出したら死んでしまいますよ、私が責任持って世話しますから」
食卓に、スープが散った。正面でメルヴィッドが激しく咳き込み、ユーリアンは人間相手に言う台詞じゃないと腹を抱えて笑っている。
確かに少々狙って言いはしたが、受け過ぎではないだろうか。鼻で笑われるのが関の山だろうと思っていただけに次の言葉が出しづらい。
ふと、隣から圧力を伴うような冷たい視線を感じたので顔を上げてみると、そこには美しい笑みを何とか頑張って顔面に貼り付けたエイゼルが浮遊していた。怒った姿も、大変美人である。
「君は、私の事を。猫か何かと勘違いしていない?」
「ああ、猫。可愛らしくていいですね、なら貴方の魂を入れる体は猫にしましょうか。どのような柄の子が好みですか? 出来るだけ長く使えるように子猫を拾って予防接種をして、去勢もしなければいけませんよね」
「すまない失言だった、言い直そう。ペットか何かと勘違いしていないかな」
猫からペットと単語を切り替えられ、脳の方は正しく比喩だと認識している筈なのだが、どうにも口の方はそうでもなかったのか無意識に混ぜっ返すような発言をしていた。
「その手の趣味が、いえ、偏見はありませんので私を巻き込んでくれなければ大丈夫です。ええと、では、まずは首輪とリードをご所望という事で宜しいですか……?」
「宜しくないし訳が判らないから今すぐ人間の言葉を話してくれないか」
「何だ、この方向違いに化物じみた類の台詞は初体験か」
「ああ。エイゼルの前だと爺、大分まともに話してたからね、異次元会話は初だと思うよ。ほらもっと頑張って、頑張るだけ爺がボケてくれるだろうから」
「煽らないで下さい。ハードルを上げられても困るので冗談はこの辺にしておきますよ」
「今のが冗談?」
「お前の冗談は何時聞いてもセンスが根底から崩壊しているな」
「これで一応努力しているんですよ?」
「努力する方向が全然違うよ、お前の冗談はブラックじゃなくてクレイジーだ。まあでも、今回は面白かったよ。他人が狂人に振り回されるのを見るのは結構楽しいから」
「私は楽しくない」
「そうでしたか。残念です」
メルヴィッドの脇に鎮座しているポン酢の入った器を呼び寄せてホイル焼きを開き、湯気の向こうで白ワインでふっくらと蒸し焼きにされた鱈にナイフとフォークを入れて味見をする。矢張り塩気が足りない気がするのでポン酢を投下し味を調整し、白米を無性に食べたくなりながらエイゼルを見上げる。
「所で、エイゼルはこれから何をする予定なんですか?」
「少しは自分の頭で考えろ」
怒りに染まった黒い目で見下され仕方なく首を傾げて思考を始めようとしたが、その前にメルヴィッドからスパゲッティのおかわり要求が来たので席を立ち、思考に沈みながらコンロの前で砂時計を反転させた。
さて、まず前提条件はエイゼルが魔法界の支配をメルヴィッドに譲ったという事だろう、彼の台詞が嘘か真実かは知らないが、そうでなければ全ての話が発展しないのでそうと仮定しておく。
思考は変化と遂げたとはいえ彼の根本の性格だと、全てを任せて自分は遊び暮らすとは考えそうにはない。先程の発言を思い出すにメルヴィッドが魔法界の支配に失敗した場合は彼が後を継ぐ気らしいので、恐らくはヴォルデモートの敗走を知ったメルヴィッドのように全く別の道を選択し、あまり激しくない水面下の活動をするつもりなのだろう、と思う。
語尾が段々と弱気になるのは仕方がない、確信が全くないのだ。
その確信が持てないまま続けよう。たとえここまで全てが合っていたとしても、私の場合バタフライエフェクト的に小さな違いから大きなズレが生じた結論に達してしまうかもしれないが仕方がない。
彼の思考がメルヴィッド側へ傾いているのだとしたら、水面下の活動はヴォルデモートのような犯罪の臭いしかしないそれではないと思う。
もっと地味で、僅かだが確実に影響を与えるようなやり方、たとえば枠組みである社会ではなくその中身である世間に多大な影響力を誇る日刊予言者新聞の関係者やノンフィクション作家、ラジオのディスクジョッキー等のメディア関係者のような仕事だろう。魔法省の関係者という選択肢は恐らくない、そちらは寧ろ表裏を問わず魔法界に影響を及ぼすブラック家現当主と親交を持つメルヴィッドに有利な選択肢だ。
否、可能性としては、更に別の物が強いだろうか。
ホグワーツの教員になる選択肢だ。
こちらに関しては小難しい理屈は特にない。ただ単に、私と出会う以前のリドルがそうしようとしてダンブルドアから妨害されていた事を知っているからである。子供はいずれ大人になるが、大人はいずれ老いて死ぬ、ならば将来を担う子供を何も判断付かない内から洗脳して世代交代を待てばいいのだ。
エイゼルは自らが人間ではなく、本体から切り離されて独立した記憶だと認識している。分霊箱は不死ではないものの老いは存在しない、彼等には老化から来る死への焦燥が存在しないのだ。蒔いた種が実を結ぶ姿を見る前に無念の内に死ぬ可能性は低く、その気になれば超長期的に世界に干渉する事も不可能ではない。若い今は未だ実感出来ていないかもしれないが、同じような立場の私から見ると、彼等はごく普通の魔法使い達に比べ心理的に圧倒的有利な立場にいる。
その性質を利用するのならば、四半世紀では足りないが半世紀程干渉を続ければ魔法界の思想は強化される。何かしら邪魔が入り失敗した場合は、その邪魔を排除か老衰を待つかして、また一からやり直せばいいだけの話だ。何も難しい事ではない。
元々魔法使いの大半は不勉強で好奇心も薄く、どれだけ繕おうと魔法を使えない人間や普遍的に万人に恩恵を与える科学技術を内心見下している。
あそこはたとえ血反吐を吐いたとしても努力だけでは決して到達出来ない個人的な資質に全てが左右される社会なのだ、どれだけ他が優秀でも魔法を扱う才能がなければ純血だろうとスクイブと見下され、逆にどれだけ他が駄目でも魔法さえ優れていれば称賛される、そんな世界。考えようによっては、脳筋の私には非常にお似合いなのかもしれない。
そういう事で、強弱はあれど彼等の内に存在する選民思想の真逆を行けというのならば兎も角、今の場からほんの少し後押しをするだけなのだから然程難しい事ではないだろう。
ヴォルデモートのような突貫で理不尽できつい締め付けをしなければ彼等は喜んで孤立して行くに違いない。実際、今だって十分孤立し、親マグル派の人間ですら産業革命以降急速に発展し出した現代社会に追い付けず、取り残され始めている。しかし、結局は21世紀に起こる更なる技術革新や、工業化から情報化する世界の変化にどの程度ついて行けなくなるかの違いに過ぎないし、そもそも彼等にとってはそんな事はどうでもいいのだろう。
厄介なのは非魔法界の事をよく思っていないが脅威はある程度感じ取っているような、たとえば、大戦時の徴兵を回避するシステムを作り上げた人物のような知マグル派の人間だ。
しかしこれは、恐らく存在しているのはほんの一握りだろうし、見付け出すのはそう難しい事ではない。今は大衆に埋没し身を隠しているだろうが、魔法界全体が彼等の思想に合わない動きを感じ取ればかなり早い段階で口を出してくるだろうから、後はそこから地道に潰すだけでいい。それと彼等の場合、非魔法界を知ってはいるが親しみを覚えている訳ではないので、全てが全て敵に回るような事もない。上手くやれば、味方にも出来るだろう。
先程も述べたが、大半がすぐ外のこの世界に無関心なのだ。彼等はどちらの世界にもいられ知識も得られるはずなのに、魔法界内でしか進化するつもりはない。それはそれで非常に興味深く面白いので決して悪いとは断言しないが、酷く村社会的なので洗脳が容易い環境であるのは確かだった。
という事で、大分要らない考えはあったが結論はこれでいいだろうか。そもそも考えろとは言われただけで、正解を当てる必要はないのだし。
丁度時計の砂が落ちきったので目の前で泳ぐスパゲティを上げ、先程と同じ様にスープと絡めた後でメルヴィッドの前に置く。鍋を見つめたまま微動だにしないので立ったまま死んだかと思ったとユーリアンに悪態を吐かれながら席に着き、未だ怒りの治まらないエイゼルを見上げた。
「では、ホグワーツの教員にでもなりますか。それともメディア関係者?」
冷めてしまったスパゲティをフォークで巻き取りながら思考の末の結論を口に出すと黒い瞳が見開かれる、どうやらこのどちらかで正解だったらしい。
正面のメルヴィッドがその言葉を耳にして何とも表現し難い奇妙な表情をしたが、今の彼の最優先事項はスープスパを胃袋に送り込む事なのでしばらく話には入って来ないだろう。
「頭が悪いなりに考えているみたいだね。何でその2つに辿り着いたのかな」
「……経験と勘ですかね?」
「ここは巫山戯る箇所じゃないよ」
「事実ですよ。因みに今現在ホグワーツの校長はアルバス・ダンブルドアなので、私的に前者はお薦めしませんが」
言った後でふと、先程の疑問を思い出し、ビールを飲もうとしていたメルヴィッドの名を呼んだ。食事の邪魔をされた赤い瞳が煩わしげに私を見るが、話の流れを見るに今が最適だろうと判断して彼の気持ちを敢えて無視する。そうでもしないと、30秒後にはまた忘れてしまうような気がするのだ。
「レギュラス・ブラックに、私はホグワーツへ行かないと話したでしょう」
「ああ、あれか。そういえば、大した事ではないから連絡していなかったな」
最近度重なっていた疲れからか忘れていたとメルヴィッドは言い、さして重要でもないと重ねて表現するかのようにビールを呷った。
「単に良識ある保護者の演技ですよね?」
「当然だ、お前が潜入しなければダンブルドア側の動向が掴めない。ついでに、エイゼルを潜り込ませる事が出来れば相互の見張りにもなる」
「意外ですね。メルヴィッドが教員推しとは、より大きな危険の潜むそちらに進ませるんですか。では何とか手を打って教員を1人辞めさせないと、エイゼル、メディア関係者ではなくホグワーツの教員で良いのなら希望教科はありますか?」
「占い学でもマグル学でも、何でもいいよ。の言葉通りダンブルドアが校長なら、防衛術だけは何があっても無理だろうから」
「助かります。では早速今夜から」
「いや、今回お前は手を出すな。教員枠の方は放置でいい、私の方で考えがある」
「ちょっと待ちなよ、何故僕の存在を無視するんだい」
「君は学生だろ、メルヴィッドは既に別の道を選んで進んでいる。私が適任だよ」
「お前のような存在をメディア関係に就かせてあることないことを吹聴されるよりダンブルドアの下で身動きに制限を設けさせる方がマシなだけだ。それと、この方向で固定させるのならユーリアンも同行させる。これの持つ能力は絶対に必要だ」
「足手まといの言い間違いかな、私は必要だと思えない」
素直に自分の気持ちを口に出したエイゼルにユーリアンが殺気を向ける。私も足手まといとは思っていないものの、絶対と単語が付く程必要だとは思えず首を傾げた。この脳筋と自由人がと溜息混じりにフォークを向けられる。
「私達はこの化物と交わり、思考があまりに変わり過ぎてしまった。今ここにいる面子で老害本体の行動を最も正確に予想出来るのはユーリアンだけだ」
言われてみれば、確かにそうである。
メルヴィッドとエイゼルにも不可能ではないが、彼等は既にヴォルデモートの思考から逸脱し、私は将来的にヴォルデモートがどう動くのかを知っているが、正確に判っているのは1995年の復活以降の事でそれ以前はほとんど知識がない。
現状からの変化も解放も選択しなかったユーリアンだけが、言うなればヴォルデモートらしい思考を正確に推測出来るのだ。確かに、言われてみると彼のこの思考は必ず要る。
「成程、対ヴォルデモート用の追跡者って訳だ。それで逆に、対ダンブルドアはになる訳なんだね。ユーリアンのような思考のトレースではなく、ダンブルドアが予測出来ない動きをする悪魔の意味合いで」
「ああ、そうだ。4年間一緒に過ごしているがの価値観や動きは未だに私でも予測出来ない、だからこれは化物なんだ。まあ、今はそんな事はどうでもいい。ユーリアン」
色々な事を勝手に決められ、不機嫌そうな黒い瞳がメルヴィッドへ向く。扱いの悪さに心底腹を立てているに違いないのだが、何も彼もが自分の思い通りに行かず拗ねているようにしか見えず、私から見たら酷く可愛らしい仕草であった。
「来年から1993年までの間に、ホグワーツで比較的大きな事件が2回起こる事はから聞いたな」
「ああ、多分ね。馬鹿な分霊箱が秘密の部屋を開いた挙句大切なバジリスクを無駄に死なせる事と、痴呆老害が賢者の石って餌にまんまと釣られて殺され直す事だろう。大雑把にそれだけ、順番や時期の間隔、分霊箱も日記とカップ、どっちの馬鹿かまでは教えて貰ってないけど」
「知らないから教えようがないだけだ。その時期この男はイギリスにいなかった」
「待ってくれないか。今の言葉はどういう意味?」
「エイゼルには言っていなかったが、薄々は勘付いていただろう。この男は未来軸の異世界人だ。、もういいだろう。後でお前の知っている未来を包み隠さず話してやれ」
「承知しました。尤も、私の記憶はもうしばらく役に立たないんですがね」
メルヴィッドの言葉通り、私がその2つの事を知ったのは1995年に復活したリドルの口からである。しかし彼も自分の恥となる事は積極的に喋りたがらなかったので具体的な事までは知らず、賢者の石を手に入れる事が出来ず破壊された悔しさと、ルシウス・マルフォイに預けておいた分霊箱の1つが勝手に持ちだされ破壊されていた恨みを聞かされたのみだ。どちらが先に、どのような経緯で、どっmな始まりと終わり方を迎えたかまでは全く判らない。
私が大変イレギュラーな存在と今知ったばかりのエイゼルに対し、メルヴィッドは文句は受け付けないと視線で告げると再びユーリアンに向き合った。久々に、彼等が真面目な会話をしている姿を見たような気がする。
「先程言った通り、対ヴォルデモートの鍵はお前だ。特に秘密の部屋は場所が場所で、肉体が存在する方が逆に不利になる」
「雑務はにやらせなよ。この爺なら体をその辺に放り出して喜んでやってくれるだろ、特にお前の言う事なら。それこそ何でもさ」
「賢者の石に関してはそれでいいが、秘密の部屋は駄目だ。はパーセルタングではない、何よりも、バジリスクがこの男を認識しない」
「……ああ、そうだった。本当、肝心な所で役立たずだよね、お陰で僕だけがいつも貧乏籤を引いてこんな目に遭うんだ」
腹立たしさが限界を超えて暴発しそうな危険性を感じ取り、メルヴィッドは仕方なさそうな顔をしてフォークを置いた。
「その秘密の部屋の事件が無事終わったら、肉体を作る約束をしよう。お前が強く望むのなら、本体の指輪も返す」
「メルヴィッド、しかしそれは」
「お前は口を挟むな」
思考を変化させていないユーリアンが肉体を手に入れ、本体の隠し場も自分で決めるなど完全に自殺行為である。そう言いたかったが、メルヴィッドの目はそこで死ぬのならそれまでだと私の言葉を塞いだ。
エイゼルにしても既にバスの中で忠告はしたと私に向かって言い、ユーリアンは肉体の獲得と本体である指輪の帰還に関して何か言う事はないらしい。
「以降、私達に関わるのが嫌ならばどこかへ勝手に行けばいい。敵に回らないのなら殺しもしない。出生証明書等の必要な書類一式と多少の金銭は工面させる、、いいな」
「……それをユーリアンが望むのなら、私の方で用意しましょう」
「爺が何か不満そうな顔だけど?」
「貴方の事が心配なんですよ」
「そうやって無意識に見下すのは止めてくれないかな。お前に心配されたら僕も終わりだ」
冗談ではなく本当に心配なのだが、今迄彼に対して真面目に接してこなかったツケが回ったようで私の言葉に耳を貸してもらえる事はなかった。少年の視線は同じ姿をした大人2人に注がれている。
「それと、口約束だけじゃとても信用出来ない。エイゼルを結び手にしてメルヴィッドに破れぬ誓いを立てて貰う」
破れば死ぬ呪いはこんな風に気軽に提案するものではないが、しかしメルヴィッドはそれを予想していたようで条件付きではあるが二つ返事で快諾した。
「いいだろう、ルシウス・マルフォイが現在所有している分霊箱を私が手に入れるか、この世からの消滅を確認するまでは私や私の計画を害さないと誓うのならば、肉体を作り、必要な書類と金と自由をくれてやる。お前の条件はどうする?」
「じゃあ、その分霊箱がお前の手に渡るか消滅を確認してから28日以内に今言った物と、本体の指輪を差し出せ。それと、肉体を得るまでは僕自身と本体の安全を保証しろ。必要な物を用意するのは別にメルヴィッドでなくてもいい」
「気付いたか」
「指輪を態と除外した事に? 当たり前だろ、殺すぞ」
「、4週間だ。当然出来るな?」
ユーリアン、エイゼル、そしてメルヴィッドの視線が私に注がれる。自分の時は1週間で出来たのだ、秘密の部屋が解き放たれるまでまだ大分時間はあり問題らしい問題はないだろうと赤い瞳が無言で尋ねていた。
確かに誓約内容は28日以内に差し出すようにとされているが、それ以前から行動を起こしてはいけないとは一言も言われていない。どの道、早急にエイゼルの書類を偽造しなければいけないのならユーリアンの物も纏めてやってしまえばいい、金銭に関しても私の内職分を回せば問題ないだろう。メルヴィッドの言葉に嘘がなければ本体の指輪はギモーヴさんの中なので、彼女の周囲の防御を強化すればいい。
残る不安としては、生贄の種類だ。
「生気を奪う方は、ユーリアンが相手を選り好みしなけれ可能ですが、人間ならば老若男女から魔法使いか否かまで特に指定なく、何でも宜しいですか?」
「見繕ってさえくれれば、大体どんな相手でも落とす自信はあるよ。但し、言葉が通じる相手に限定されるけど」
「英語が通じる相手という条件だけで宜しいですね」
「そういう意味で言ったつもりはないんだけど、まあ、お前みたいな狂人は早々何処かに転がっているものでもないから、それでいい」
「ああ、そちらの意味でしたか」
破れぬ誓い自体は非常に危険だが、それを除けば4年前のメルヴィッドの時に比べると条件は易しい。また地道にローラー作戦でも展開して何人か相応しい生贄をリストアップしておけば問題ないだろう。但し、これに関してはあまり先走ると相手が死んだり引越したり、何より外部に情報が漏れる可能性があった。
金銭を溜め、偽造書類だけを今の内に整えておき、生贄に関しては分霊箱を手に入れる目処が立った時点で動いた方が得策である。
ダイニングの床に膝を付いてかなり適当に誓いを済ませた3人を観察していると、席を離れた序でだとメルヴィッドに手芸用品店の軽く小さな袋を投げ付けられた。中に入っていたのは、あらかじめ注文していた白いレースリボンと購入した本日の日時を示すレシート。念には念を入れたアリバイ作りの為に、ポリジュース薬で私に成り代わったメルヴィッドが会社の昼休憩を利用して取りに行ってくれた物である。
「全く、そんな物を何に使うんだか」
「だってもうすぐクリスマスでしょう、小さなツリーでも作ろうかと思いまして」
大きなツリーは邪魔だからと、雪の結晶をあしらった真っ白なリボンを手に笑いかけるが誰も賛同してくれないので、リビングで仲良く並んでいるピーター君やスノーウィ君、ギモーヴさんに話しかけた。当然返事はないが勝手に彼等は私側と言う事にしておこう。
正確に言えばクリスマスツリーを持っていないクリーチャーの為に作るのであって、家の物はただの練習台として作るつもりだったのだが、この様子を見るに作ったとしてもリビングやダイニングに飾ろうものなら数秒後に誰かの手でゴミ箱へと直行しそうだった。
仕方がないが、今年もクリスマスは少しだけ手の込んだ食事とケーキ、プレゼントだけにしておこう。特にメルヴィッドは唯でさえ方々からパーティのお誘いがあるのだ、12月は平日土日関係なく週の半分がパーティと名を冠した飲み会で埋まっているのだ、この家で爺の私が無闇に張り切るクリスマスなど開催しても疲れるだけで嬉しがる事は万が一にもありえない。
「貴方達がそのような顔をするのなら、私の部屋以外にツリーを飾るのは止しておきましょうか。プレゼントは3人分用意しますから、リクエストがあれば言って下さいね」
「じゃあ、私以外の分霊箱の破壊で」
「メルヴィッドとエイゼルの死体」
「この揃って馬鹿共の残骸」
「即興で息を合わせるなんて本当に仲良しさんですねえ。でも全部却下します」
メルヴィッドが所望したのでデザートの黒ゴマと白ゴマのプリンを取りに行く為に席を立ち、背中で男の子3人の口喧嘩を聞きながら冷蔵庫を開ける。
来週焼くターキーに使う予定のローズマリーがふと目に入り、頭蓋の中の脳が昼間の血生臭い光景を甦らせた。そろそろ彼女の死体を誰かが発見している頃だろう。
今日起きた色々な事、そして、貴方は私をよみがえらせると乗せた花言葉を思い返しながら、私は薄く笑みを浮かべた。