塩豚天かす温玉丼
「何がですか?」
仕事から帰宅し、シャワーを浴び終わったばかりの彼の問いに首を傾げると、赤い瞳がそれはもう物凄く不愉快そうに歪んだ。既に部屋の隅のユーリアンが同じような表情をしているので、こう見ると本当に元は同一人物なのだなと感じられて面白い。
「お前の背後に憑いているそれだ」
「さあ、私には判りかねます。エイゼルに直接訊いてみて下さい」
「私との名前を知っている癖に、代名詞でしか呼べない程に脳が劣化した男に理由を言っても理解出来ないよ。全く、歳は取りたくないね」
「死ね」
「君が死ねば?」
「お前達2人共死ね」
「3人共仲良しさんですね」
アルミホイルに包まれた食材をオーブンに入れタイマーをセットしながら微笑むと、3人が3人共、非常に心外そうな顔をした。全く可愛らしい事である。
「メルヴィッド、今日のメニューは鶏団子と根菜のスープスパと、パセリとチーズのピラフと、鱈ときのこのホイル焼きと、セロリの中華風サラダですよ。デザートは白ごまと黒ごまのプリンです。今からスパゲッティとホイル焼きを作るので、もう少し待って下さいね」
「相変わらず話の流れを見ずに話す男だなお前は」
あと料理のラインナップも謎過ぎると言いながらも、そんな奇妙な組み合わせは食べたくないとは決して言わないメルヴィッドは、おもむろにユーリアンを呼びエイゼルはどうしたのかと声を潜めるでもなく訊ねた。確かに、不敵な笑みを浮かべながら、背後から私に抱きつくようにして料理が出来上がるまでずっと覗き込んでいる彼を見れば多少は不審にも思うだろう。
私としてはメルヴィッドが貶されたり嘘に塗れた甘ったるい言葉を吐かる事がなくなったし、こうして背後にくっつかれて観察されるのも大きな子供が付いて回っていると考えれば寧ろ可愛らしいと思えるくらいだ。
そんな、以前に比べて随分可愛らしくなってしまったエイゼルの口から、ユーリアンが告げるよりも早く理由が語られた。
「だって、こうしてと所構わずベタベタしたら、君達が揃って物凄く嫌がる顔を見せてくれるから。予想通りの反応ありがとう、結構面白いよ」
「くたばれ」
「塵に還れ」
「口の悪い虫が蔓延るって嫌だね。私の品性が汚れそうだ」
「、そいつを差し出せ。食前の運動として殺す」
「おや、物騒な言葉ですね。取り敢えず落ち着いて下さい。エイゼルも、自分の興味の赴くまま行動する事が悪いとは言いませんが、あまりメルヴィッドやユーリアンを煽らないで下さいね。話を聞いて貰えなくなってしまいますよ」
大鍋に水を張りながら適当に仲裁に入ると、鍋と顔の間に上下が逆さになった黒い瞳が割り込んで来る。何か腑に落ちない事でもあったのか、上から身を屈めて私と目を合わせたエイゼルはきょとんとした可愛らしい表情をしていた。
記憶という存在でも重力の影響は受けるのだなと、水が落ちる方向と同じ向きに黒髪が垂れて額が丸出しになっている姿を観察していると、こちらを見ろとばかりに柔らかそうな唇が彼の言葉を伝える。
「私を庇ってくれているのかな?」
「そう思いますか」
「そうとしか受け取れないような言葉だった」
「確かに」
鍋の半分程を埋めた水を眺めながら笑うと、水面にその表情が歪んで映った。
「今朝までの貴方であったら、こんな事は言わなかったでしょうね」
「どういう事だ」
「貴方の目論見通りという事ですよ、メルヴィッド」
まだ食事は出来上がらないのだからしばらくは3人で話しているように言い、表情は全く違えど同じ顔をした男の子達をキッチンから追い出す。食卓で私があれこれ前後させながら纏りなく話すよりは、頭の良い彼等だけで情報交換をした方が色々な事が簡潔に伝わるに違いない。そこで生じた不足分だけを、私は補えばいい。
リビングで会話している雰囲気を背中に感じながら水で一杯になった鍋をコンロに移し、沸騰するまでの間に食器やカトラリー、サラダや飲み物を用意しておく。沸騰したら塩を適量入れてスパゲッティを投入し砂時計を反転、今回はスープスパなのでいつもよりも固めに仕上げなければならない。
別に、アルデンテでなくてもメルヴィッドは全く気にせず食べてくれるのだが、矢張り作るからには出来る限り美味しい物を食べて欲しいという余計な爺心がこの行動には詰まっていた。先日食べたクリーチャーのスコーンがあまりに美味だった事も関係しているのかといえば、恥ずかしながらしている。是非料理の手解きをして欲しいと頼み込み、苦笑しながら了承を得たという事は実は彼と私と、その場に居たレギュラス・ブラックしか知らない秘密であった。
そうだ、レギュラス・ブラックといえば、彼が法廷の傍聴席で言っていた、私がホグワーツに行く予定がない云々をメルヴィッドに聞いていなかった事を思い出した。
こんな大事な事を今迄忘れているとは矢張り私の脳は大層劣化している、元々脳筋で大した脳味噌は詰まっていないのだが、もしかしたら元の体の頭を振れば鈴のように音が鳴るのかも知れない。或いは穴が空いて海綿状になっている可能性もある、こちらは元の体に渡英経験がある以上事実だとすれば決して笑えないのだが。
余計な事を考えつつ砂時計の砂が落ち切る前に何度か茹で加減をチェックし、湯切りして隣の小さなフライパンで温めておいたミルク色をしたスープに投下する。メルヴィッドはまだ食べると思うのでお湯は捨てずに取っておき、火の消えたコンロの上でフライパンを揺すりながら味を馴染ませていると、タイミングよく3人がダイニングへ現れた。
先程の表情と比べる限り、心無しかユーリアンの不機嫌度が上がっているように思える。しかしそれは今は未だ触れるべきではないだろう、今最も大事なのはこのスープスパに他ならない。
「丁度呼ぼうと思っていたんです。飲み物はビールで宜しかったですか」
「ああ、ところで。お前、あれを本当にやったらしいな」
「あれ、と言うと、どれでしょうか? 口に虫と剃刀の刃を詰め込んで接着剤で塞いでから生きたまま腹を掻っ捌いて引き摺り出した小腸を首に可愛く蝶々結びにした後に七匹の仔山羊ごっこの狼役やらせて最後に私はクリスマスプレゼントと血液で壁一面に書く案は貴方に即行で全却下されたからやりませんでしたし、見せしめ効果の期待値が高いコロンビアンネクタイも服が汚れるからちゃんと自重しましたよ」
「お前……螺子が自重した結果なのか」
あれも冗談のつもりだったのに、と手渡したビールを手酌しながらメルヴィッドが言う。大きな深皿に鍋の中身をよそいながら、私は再度問いかけた。
「冗談だったんですか?」
「冗談のはずだったんだ」
「参りましたね、冗談とは考えてもいませんでした。まあ、しかし発端が幾ら冗談だとしてもやってしまった物は仕方ありませんし、殺してしまったものは今更どうしようもありませんよね。諦めましょう」
深皿をメルヴィッドの前に置きながらそう言うと、リビングとダイニングの狭間で浮遊していたユーリアンがもう嫌だこのキチガイと頭を抱えた姿が見えた。対してエイゼルは先程までのように背後から私に抱き付いて面白い見世物だったと笑顔を振り撒く。明らかな煽りに2人は極力平静を保ち、無視する事でエイゼルが飽きるのを待つ手にしたようであった。たとえそれが上手く行っても今のエイゼルならば別の嫌がらせを瞬時に思い付きそうであるが、どうでもいい方向に話が転がって行きそうなので黙っていよう。
三者三様の振る舞いにどう反応すればいいのか考え、結局自分の分のスープスパをよそうという普段通りの選択をした私は、熱い深皿と炭酸水を手にメルヴィッドの正面に位置するいつもの席に着いてオーブンの中のホイル焼きを呼び寄せた。
エイゼルはそのすぐ隣で浮遊し、過去と未来への嫌がらせの為だけに私に微笑みかける。目的の為ならば自己犠牲を厭わない彼のその姿は、よく考えてみると以前と全く変わっていないような気がしないでもない。
「お前は話の通じない化物だし、ユーリアンは馬鹿のまま変化はないし、エイゼルはありえない方向に向かい出したし、胃が痛くなって来た」
「消滅すればいいと思うよ。君が消えたら私が後を継ぐから、ほら、何も心配要らない」
「お前達全員が死ねよ。僕に生気を寄越して死ね」
「失せろユーリアン。、何故エイゼルをこの方向で固定させた」
「何か不都合でもありましたか?」
「直前までの会話は脳を経由せずに右耳から左耳に抜けたのか? どう考えても不都合しかないだろう、何だこの自由人は」
「自由、なんでしょうか?」
スープの中に沈む人参を突き刺しているメルヴィッドから視線を外し、一体どのような会話をしたのかと視線で問いかける。見た目や行動からしてみると、とても私の思考ではエイゼルが自由人だという結論には辿り着かない。
しかし、私の考えとは裏腹に、彼の首は縦に振られた。彼自身がそれを肯定するのであれば、きっとその言葉は真実なのだろう。そんな風に自分を納得させようとしていると、エイゼルは舞台役者のように両腕を広げて、だってそうだろうと同意を求めた。誰に、勿論私しかいない。メルヴィッドもユーリアンも既に嫌悪感を剥き出しにしているという事は、彼の主張を理解しているが同意は無理だと告げているに等しい。
「私の目的は魔法界を魔法使いの手で自治する事で、手段は一切問わない。それなら以前から全く同じ意志で動いている誰かに全てを任せて、その誰かが失敗した時に再始動した方が効率的だと思うんだ。同じ目的なのに玉座の奪い合のは非効率的に過ぎるよ、私は魔法界を正したいだけで椅子にも支配権にも興味がない」
光を浴びた宝石のように輝く彼の言葉や表情を脳内で消化し、少し考え、結論を出す。
「メルヴィッド」
「何だ」
「彼の何処が不都合なのか私には判りません」
「お前はどうしてそう局地的に無能なんだ。これは、たとえ繋がりが消えた自由人とはいえ一応は過去の私だぞ。こんな馬鹿げた言葉が本心のはずないだろう」
「面白い意見だ。裏返せば君の言葉も嘘塗れって告白してるように聞こえる」
「ああそうだ、私も嘘を吐く。だから何だ、この男の目的はダンブルドアへの復讐で、その阻害にならない嘘ならば幾ら吐こうが気にしない性分だ」
「という事は、だ。が復讐を果たす前に、君がダンブルドアを殺すシナリオも十分あり得る訳だ」
エイゼルに言われて初めて、その可能性もあるのかと瞠目した。
今は魔法界へ返り咲こうとしているヴォルデモートと咬み合わせる為にダンブルドアを生かしているが、例えば何かの間違いでうっかり闇の陣営がどうしようもなく衰退してしまった場合はいるだけ邪魔な老害なので、矢張り何かの手違いで事故死か自然死かに見せかけて早急に殺す必要も出てくる。他にも、ダンブルドアは現時点で私以上の高齢なので癌や心疾患や脳血管疾患等で案外あっさり死んでしまう可能性だってあるのだ。
この世界を訪れた当時から多少の誤差はあったが、ここ最近、特にレギュラス・ブラックを甦らせてからこの世界の魔法界は緩やかにだが確実な変化を起こし始めている。その波に飲まれてダンブルドアが復讐を終える前に死ぬという可能性も考えなければならないが、それはもうどうしようもない事だとすぐに結論は出た。
エイゼルとは逆で、私は別に川の流れ方を正し変えたい訳ではなく、川のど真ん中を我が物顔で運行する老朽化した大きな船を一隻、砲撃したり座礁させたり他の船と衝突させてスクラップにしたいだけなのだ。しかしそれも結局は時の運、私ではない誰かが壊してしまったり、船自身の内部不良や操舵ミスで勝手に壊れる可能性だって十分あり得るし、それをどうこうする術は私にはない。
「まあ、可能性として存在する限りそれも仕方がない事でしょう。八つ当たりで殺したと事後報告されれば流石に怒りますが、メルヴィッドの殺人には大抵理由がありますからきちんと説明さえして下されば納得しますし、殺せと言われれば殺しますよ」
「爺って本当、変な所で常識があるけど欠けてるというか、基本的に色々緩いよね」
「そうですかね」
自らの思考とセロリを咀嚼しながら前向きな結論を述べると、何故かメルヴィッドやエイゼルではなくユーリアンが返答した。私の言葉に対してはメルヴィッドは勝ち誇った顔、エイゼルは肩を竦めて諦めの表情はしてくれたが、ユーリアンの言葉には誰も何も反論してくれないので私はこの場にいる全員に色々と緩いと思われているのだろうか。これで一応、譲らない所は絶対に譲らない人間だと思っていたのだが。
「がそれで納得しているなら仕方がない。私からこれ以上何か言う事はないよ」
しかし私が反論した所で全方位から間抜け呼ばわりされる事しか予想が出来ない。エイゼルも諦めてくれたようなので、態々この話題を蒸し返すのも何であろう。
窓の外に目を向けると未だ外には重い霧が立ち込めていた。今夜もどうやら、昨日と同じ寒い夜になりそうだった。