七面鳥の香草焼き
しかし、どうにも思うように行かない。
「ああ、また外した」
釘頭を外し腕の肉を直接叩いているのは怨恨故にやっている訳でも、まして躊躇っている訳でもなく、単に不慣れなだけなのだが、炊事や掃除、洗濯等の家事全般は出来てDIY系がさっぱり出来ないとはよく考えてみると年寄りとはいえ男として情けないような気がする。釘打ちや螺子締めのDIYをすっ飛ばして鉈や手斧や大鎚やチェーンソーの扱いならば木材や金属を越えて野生動物や人間相手でも全く問題ないのだが。
強と弱の2択しかないとは我ながら極端な力加減だと思いつつやっと右腕を終え、うんざりしながら左腕に移る。当然1度の経験程度でどうにかなるようなものでもなく、彼女の細い両腕は今や青痣だらけになっていた。骨にヒビが入っている箇所もあるだろう。
弧台から足を外し尚も暴れるエメリーン・バンスを無視して、次は先程組み立てて用意しておいた電動ドライバーに螺子を圧着させて手に取った。ふと横目で見てみると暴れ過ぎて右腕の穴が抉れてきているが、肉という物質は引っ張り強度だけは矢鱈強いので千切れる心配はないだろう、傷口から溢れた血で床が汚れている事に関しては目を瞑るしかない。
新品の螺子をエプロンのポケットに入れて椅子の背後に周り、再び足で弧台を押さえながら今度は左手で頭を固定する。手入れのされていない髪が指に絡み付いて不快だったが、そこである事に気付いて左手の力を緩めトリガーに右指をかけるのを待った。
今、私が螺子の先を向けていたのは頭頂部だったのだが、ここにドライバーで勢いよく捩じ込んだら、髪に絡まって途中で止まるのではないかと思い至ったのである。かといって、今更バリカンを探し出して髪を全部剃り落とすのも面倒臭い、となると残る手段は限られて来る。
私の気が変わったと思ったらしいエメリーン・バンスが恐怖から憤怒へと瞳の色を変えたが、残念ながらそんなはずがないと再び左手で頭を固定し、彼女の視線の先に鏡がある事を確認した。螺子の尖った先がこめかみに向けられる鏡像を見て再び暴れ出そうとするが、それを力で押さえ付けてトリガーを引く。
金属製の螺子が肉と骨と脳を抉りながら奥へと進み、血涙を流しながら焦点の合っていない眼球が鏡の向こうで忙しなく動いていた。喉から悲鳴ではなく水音が迫り上がり、出口になるはずだった口唇が塞がれている事で液体は更に上方への気道へと逆流、鼻孔から酸性の濁った液体が噴出して下半身から垂れ流される糞尿と共に彼女の服を汚す。
螺子を完全に埋め込む前にトリガーから指を外し、エメリーン・バンスから発せられる異臭に眉を顰める。失敗だ、マスクを持って来ればよかった。
碌な殺し方ではないので汚らしい死体を目にする事は覚悟の上であったが、臭いの事まで頭が回らなかったのは結構痛い。鼻は目と違って閉じることが出来ないのだと改めて感じながら空中を眺めると、何時の間にか姿を現していたユーリアンが汚物を見るような目で既に瀕死のエメリーン・バンスを見下ろしていた。
「目を覆いたくなるような無様で汚い死に方だね」
「確かに尊厳とは程遠い死に様ですよね。ほら、鼻から汚物を垂れ流している暇があったらもう少し頑張って下さい、まだ螺子は沢山あるんですから」
「投げやりに励ましながら相手を嬲り殺す人間を初めて見たよ。復讐に駆られているようにも拷問を楽しんでいるようにも見えないし、は何がしたい訳?」
「だって螺子が勿体ないじゃないですか。家に持って帰って万が一証拠として押収されたら間抜けもいい所でしょう、折角買ったのなら使い切らないと」
「そんな理由か、化物め」
1本で十分な効果を発揮したようだが、ユーリアンに告げたように未だ沢山ある螺子が勿体ないので左のこめかみにも同じ様に螺子を入れる。次に正面に回り額に何本か螺子をガリガリと立て続けに捩じ込むと抵抗がなくなり、脊髄反射的に筋肉が強張るだけになったので首筋に触れ脈を取った。心臓はまだ弱々しく動いているが、意識の回復はもう無理だろう。
「死んだかい」
「心臓は辛うじて動いていますが頭が完全にやられてますね。ほら」
ユーリアンに見せる為に前髪を掴み顔を上げさせたが、そんな汚い物は見たくないと拒否されてしまった。鼻からは嘔吐物が流れ出ているが口の中は限界まで膨れ上がり、毛細血管が切れた真っ赤な眼球がぐるりと裏側まで回り白目になっている。額に刺さった螺子から血の雫が重力に従い下へと流れて細く歪な筋になっていた。
精神的から物理的に汚らわしい物へと変貌したエメリーン・バンスにこれ以上関わるのはこちらとしても嫌なのだが、未だ螺子は余っている。電動ドライバーを構え直して作業を再開させると、痙攣する手足を退屈極まりない表情でユーリアンが見下ろす。
「脳に螺子を打ち込まれてショック死が先か、嘔吐物で窒息死が先か。何方にしても碌な死に方じゃない、磔の呪文で発狂した方がまだマシだ」
「発狂しながら性的拷問までされると前者の方がマシですけれどね」
「……するのかい?」
「まさか、された方を知っているだけです。肉体が若いとはいえ私自身は爺ですよ、老年に片足を突っ込んだ中年女を死姦する程飢えていません」
螺子が肉や骨を削りながら潜っていく振動を手の平に感じながら、ふとたった今思い付いただけの代案を何気なく続けた。
「彼女の死体をその辺の野良犬と交尾させたら、ダンブルドアも少しは驚きますかね」
「ダンブルドアが驚く前に僕の精神が死ぬから止めろ」
「おや、貴方も紳士ですね。まあそんな青い顔をしなくても野良犬を捕まえるのも面倒ですし、ちゃんと別の手を考えていますよ」
私も別に好き好んでこんな事をしている訳ではないのだ、死体は臭いし汚らしい上に血の通った生肉の抉れる感触は極めて不快である。ただ、エメリーン・バンスの死体を騎士団の誰かが発見した時に、より目を背けたくなるような殺し方で、尚且つあまり時間のかからない物を考えた結果が、今のこれであっただけだ。
私にとって手段や過程といったものは端から楽しみがない事が判った場合は案外適当で、道具と時間さえ揃えば別に杭を尻の穴から口まで貫通させようが、麻酔なしで解剖ごっこをしようが、苛性ソーダの中に沈めようが、フッ化水素酸を浴びせようが手段は何でもよかったのだ。
現地で道具を調達出来る現実と折り合いを付け、こういった形にしただけで。
勿論そんな事は知る由もないエメリーン・バンスの、耐え難い苦痛と死への恐怖から見開かれた黄ばんだ白目を眺めながら鼻梁に数本螺子を配置して行った。もしもここで眼球そのものに螺子を入れたら警察はどんなプロファイリングをするだろうかと思考を逸らし暇を潰す、視線から呼び起こされる罪の意識、犯罪が露見する事への恐怖、或いは幼少期の心的外傷から逃れる為、そのくらいだろうか。私の知識と想像の根源は漫画、小説、ドラマ等のサブカルチャー系からなので全く当てになどならないが。
「今の話を聞くと爺が矢鱈とその男、リチャードだったかな。それに拘るのは結局ダンブルドアへの復讐の一環で、死者の無念を晴らそうとか、そういう気は一切ないみたいだね」
「深い恨みを私に託して死んだのならそうしますが、彼は無念を抱かずに死にましたから。存在しない物は晴らしようがありませんよ」
「ああ。お前が嫌いな忘却術を受けてから死んだんだっけ、よかったじゃないか、何も彼も綺麗さっぱり忘れて楽に死ぬ事が出来て」
「実に面白い冗談です。所でユーリアン、貴方蛇は好きですよね。彼等の子孫繁栄の為に尻の穴で蛇の子供を孕んで産んでみませんか?」
「すまない、失言だった」
本体に何かする訳ではないので殺害には至らないが、それでも精神崩壊程度はしそうな拷問への誘いをかけると、ユーリアンは勢いよく顔を逸らして即座に謝罪した。
全く、真面目に告げた私の言葉が本気と捉えられてよかった、でなければ私は1日に2人も廃人にしなければならなくなる。
ユーリアンが視線を逸らしている間に残りの螺子を眉根や眉尻に埋め込んで、購入した螺子を全て使い終えた。見慣れてしまった所為なのか、凄惨というよりは滑稽な死体になってしまったが、出来上がってしまった物は仕方がない。折角使い切ったというのに螺子を入れ直したり位置を調節したり、そんな細々とした作業は続けたくない。
後ろめたいのか私が怖いのか、圧倒的に後者のような気がするが、その所為で姿を消すに消せないらしいユーリアンにもう怒っていないと笑いかける。勿論、素直でない彼は誰が信じるものかと頑なに私と視線を合わせようとしなかった。しかし今までの経験上、ある程度放置をしておけばまた軽口や揶揄が始まるので心配する必要もないだろう、逆に過度に心配する演技をしてこの子を怒らせるのも1つの手だが他人の家のリビングでするような事ではないとその案は脳内で却下する。
さて、では続きだ。
この程度の、チャウシェスクの落とし子である双子が作ったスマートボールの打ち台の模倣ではインパクトに欠ける事は既に判り切っていたので、もう一捻り、手を加えよう。
「爺、唐突に新聞なんて切り抜き始めて一体何をする気なんだ。一応言っておくけど、脅迫状を作るのは遅過ぎるよ」
「私には、脅迫状を送り付けて厳戒体制の中で人を殺すような度胸はありませんよ」
「度胸じゃなくて頭だろ。こんな死体作っておいて度胸がないとは言わせないよ」
私の心配を他所に一瞬で立ち直ったユーリアンは、DIYから子供の工作に移行した手元を眺め、切り出された文字からアナグラムを解き始めた。
切り抜かれたのは、アルファベット順にABEEKOOP--、文字の種類や数から考えれば然程難しいものではない。
「Peek-a-booか」
いないいないばあ、と意味を持った単語が紙袋に貼り付けられる前にユーリアンが正解を当て、次いで不愉快そうな顔をした。
「餓鬼の発想だ。ご丁寧に目の部分に穴まで空けて、死体の頭にでも被せる訳?」
「最終的には、そうですね」
「最終?」
「それだけでは面白味に欠けるでしょう」
幼い子供がハロウィン用に作る小物よりも、もっと質素な被り物を作り上げ、一端それをテーブルの上に放置する。鋏からペティナイフに持ち替え、エメリーン・バンスの死体に近付く私を不審に思ったのか寄せられた眉根に皺が増えた。
その彼の目の前で、私の指先が死体の右眼窩に触れ、銀色の切っ先が捩じ込まれる。柔らかく見えて案外固い眼球を抉り出そうとすると眼筋や視神経が抵抗したので断ち切り、血と肉の管を涙の代わりに垂れ流す姿のまま、左目も同じ様に取り出した。
新鮮な死体から取ったので未だ温かく、つるりと柔らかく濡れた2つの眼球を左手に顔を上げると、そこには怯えたような、吐き気を堪えるような、何とも複雑で名状し難い表情をしたユーリアンが口元を抑えながら立っている。
磔の呪文は躊躇なく使えるだろうに、死体から目玉を抉り取るのは色々と駄目らしい。彼なりの判断基準はあるのだろうが、詳細はよく判らなかった。第一、今は違うとはいえ、一時期は闇の帝王と名乗っていたのだから、この程度は平然と受け流して欲しい。
裏側を中心に白目部分に生えている神経等が邪魔なので切り落としたい所だが、手を加え過ぎるのは止しておこう。キッチンの棚からロックグラスを取り出し、瞳孔がこちらを向くように入れて、後は角切りにした色鮮やかな野菜と共に飾り立てればちょっとお洒落なカクテルサラダに、見える訳がない。
どれだけ気取った器に入れて飾り立てても眼球は所詮眼球である。しかも充血し切った上に逆流した嘔吐物も少し付着して、お世辞にも綺麗とは褒める事の出来ない目玉だ。眼球性愛者がこれを見たら出来の酷さに美に対する冒涜だと怒鳴り込んで来るかもしれない。
美しくない眼球を誤魔化し腐敗を少しでも遅らせる為、先程購入したウイスキーをそのグラスに満たしてシンクの空きスペースに設置すれば、罠は完了。
先程の紙袋を死体の頭にすっぽり被せ、後は好奇心に負けた間抜けな誰かが引っ掛かるのを待つのみである。
「ねえ、爺」
「はい何ですか」
その好奇心に真っ先に負けたのはユーリアンだったらしく、聞きたくないけど訊かずにはいられないと顔面に出しながら若干怯えた様子で口を開いた。
「何が変わったのか僕には判らないんだけど」
判らないのなら判らないままにしておいた方がいいのだが、それを言葉にした所でこの子は諦めたりしないだろう。寧ろ、逆に馬鹿にされたと思い言えと強制されそうだ。
結果が同じなら、素直に言った方がいいだろう。恐らくメルヴィッドも、それを望んで私の好きにさせているのだから。
「この家のバスルーム、2階なんですよね」
「はあ?」
「なので、好奇心に負けてこの紙袋を取ったお馬鹿さんやその周囲の人間が吐き気を催した場合、手近に駆け込める場所がキッチンのシンクなんですよ」
「……おい、もう判った。判ったから言わなくていい」
「で、シンクに嘔吐し終わって顔を上げたら眼球のウイスキー漬けとご対面」
「もういいと言っただろ!?」
「おや、本当に宜しいんですね」
本当は生ゴミ区分で三角コーナー行きが理想だったのだが、この家にはそれがないのだからこういった結果となったのだと、全てを言い終わる前に蒼白い顔をしたユーリアンが目を背けながら会話の強制終了を望んだ為、この話はここで終わってしまった。
手を綺麗に洗い、放置していた電動ドライバーを片付けている間も、訊くんじゃなかったと後悔の文字を背中に浮かべ視線を逸らし続ける姿を横目で確認しながら、水筒の中の薬に手を伸ばした。ふと見上げると、真面目くさった表情をしたエイゼルが目の前に現れて幾つか質問をしたいと言って来たので快諾する。
「が変身している彼は誰?」
「リチャード・ロウという名の、私の恩人です。里親である伯父夫婦に虐待されていた私を助けてくれた方でもあり、非魔法界での無差別連続毒殺犯でもあり、彼女、エメリーン・バンスに殺された被害者でもあります」
「ああ。例の、君が殺し合いをさせたと言うのは、それなのか」
「ええ、そうです」
「実行日の今日はそれに関わる大切な日?」
「4年前の今日、12月15日にリチャード・ロウの通報により私は保護されました」
「その薄着の意味は?」
「リチャード・ロウが棺の中で着ている服と同じ物です」
「という事は出発点のあの村には彼の墓があるのか」
「ありませんよ。まあ、貴方にとってはきっと同じなのでしょうが」
否定した後に薬を口に付け、水筒をテーブルの上に戻す。
「殺人鬼でもある彼の遺体は何処にも受け入れていただけなかったので、あの村から少し離れた森の中に墓を作りました。ああ、勿論勝手にではなく役所の許可は得ています」
先程購入したリボンをローズマリーの束に結び付けていると、やや間隔を開けてからエイゼルが再び口を開いた。
「この殺人、亡霊に扮してまで行う必要はあったのかい?」
「必要はありませんね。単に、私がそうしたかっただけです」
軽快に言い切るとエイゼルは意外そうに目を見開き、ユーリアンは何だ矢張り殺し以外の全部が無駄じゃないかと一声叫ぶ。バスの中で彼の言葉を正論だと肯定したではないかと返すと、更に言葉が返される前に別方向から声が被って来た。
「それを判っていた上で、尚この手を使った理由は?」
「楽しみがないから、でしょうか」
金曜日の夜、或いは祭りの準備をする時期が一番好きな人種なのだと告げると、形の整った眉が不可解そうに歪む。それでも顔の造形は美しいままなのだから、本当に彼等は目の保養になるし見ていて飽きない。
「私は嗜虐症を持ち合わせていませんし快楽殺人者でもありません、他人を傷付ける行為に興奮する性質が皆無なんです。だからこういった物は」
言いながら、私はまだ体温の残るエメリーン・バンスに触れて脈を取る。温かくはあるが動いてはおらず、彼女はとっくの昔に死んでいた。
「酷くつまらない作業になってしまうんです」
「作業、なのかい。君にとって、これは」
「頭蓋に螺子を入れるのも、板切れに釘を打ち込むのも、人間の眼球を抉り出すのも、動物の内臓を処理するのも、全て同じ区分の作業ですよ。ああ、こう言った方が伝わるかもしれません。私の唱える磔の呪文は、ほとんど威力がないんです」
「狂人のお前の呪文が? 随分嘘臭い話だね」
「真実ですよ、ユーリアン。メルヴィッドの分析に拠ると、私は合理的な残忍性は持っていますが嗜虐趣味はない男らしいので」
「……ああ、そう言われれば判る気がする。確かにお前はそうかもしれない」
視線を再びエイゼルに戻し、続ける。
「だから私は、自分の為の行動は、少しでも面白くしたいんです」
「推理小説の不可能犯罪を犯した愉快犯のように?」
「魔法を使っているので解決編で読者に後ろから刺されそうな内容になりますね」
急に懐かしくなり、数年前にメルヴィッドと語り合ったホラーを生み出す方程式の内容を思い出し笑った。笑いながら、作り上げた花束を確認する。頭に被せた紙袋と同じく、子供がごっこ遊びで作るような、飾り気も何もない花束だ。
それをエメリーン・バンスの膝の上に乗せ、残ったレシートを屑籠へと捨てるついでに、エプロンを元の位置に戻してからネクタイとスーツを着込み、電動ドライバーが入ったケースと鞄を片手で持つ。
私は招かれざる客人だ、用件が終わったのならさっさと退散するに限る。
その前に一つ、エイゼルへ爺なりの言葉を告げようと正面から見据えた。尤も、若者には煩わしいだけで要らぬ爺心であろうが。
「エイゼル。結果を出す事は当然必要ですが、そこに辿り着く為の道は多種多様に存在しています。ならば急いて最短距離を走る手段の他にも、より自分好みの道を歩むのも1つの選択でしょう。貴方は歳を取らないんですから、悩んだり休憩したり他所事をしたり、色々と道草するのも楽しいものですよ」
驚き、傷付いたような顔をしているエイゼルに、貴方には無用な意見かもしれませんがと付け加えながらシャツに付着したローズマリーの葉を取り払う。顔を上げた時には、既に彼は宙に溶けて見えなくなっていた。どうやら余計な言葉が彼を怒らせてしまったらしい。
残されたユーリアンは少し不機嫌そうな顔をしながら宙を睨み、舌打ちをした。エイゼルの何かが気に入らなかったらしい。
黒い透き通った瞳が、私が払い落とした細い葉に注がれた。
「爺、これってもしかしてバスの中で言われた事を馬鹿素直にやった訳?」
「螺子のプレゼントも、ハーブの花束も、喜んではいただけませんでしたねえ。最初は素敵なコロンビア製の肉色のネクタイを贈るつもりだったんですよ?」
「ああ、そう。絞殺じゃなくて嬉しいって地獄で咽び泣いているかもしれないね」
血溜まりに沈んだローズマリーの葉を目で追いながら、尚もユーリアンは続ける。
「それで、この雑草を選んだ理由は? 爺の癖に花言葉でも気に掛けた?」
「おや、よくお判りで」
「相変わらず単純だね。そういう少女趣味な物には縁がないからそれ程知識がないんだけれど、復讐、敵意、不誠実、虚言者……そう言った類かな」
「いいえ、マイナスイメージの物ではありませんよ。ローズマリーの花言葉は思い出や記憶に関連した物が多いですが、いえ、これもある意味記憶に強く関連していますかね」
宙に浮かぶユーリアンに花言葉を告げると、彼は捻くれた爺だと私の事を笑った。花言葉を考えた人間もそんなつもりで付けたのではないだろうにと、さも可笑しそう言い、帰り支度を整えた私の隣で一頻り笑い終えた後ゆっくりと姿を消す。
さて、それではケースを元の場所に戻し、相変わらず怯えているであろう家主に一言挨拶をして、帰路に着こうか。
家に帰るまでが、遠足なのだ。