曖昧トルマリン

graytourmaline

風呂吹き大根の鶏そぼろ餡かけ

 無人駅前の小さな郵便局兼雑貨屋で建材用の少し長い螺子と安物のウイスキー、ローズマリーの束、そして黄色のリボンを購入し、レシートを茶色い紙袋の中に入れながら霧がかった海沿いの小さな村を歩く。
 右手には黒い岩肌を晒す大地と時化た灰色の海、左手には似たような形式で造られた白壁に茶色の煉瓦を乗せた建物が、曇天の下で仲良く並んで寂しい景色となっていた。
 ありふれた、小さな漁村である。観光地でも何でもないので人通りもなく、地元住民も本日は教会に集まっているらしい。間近に迫るクリスマスの準備に追われている気配に目を細めながら、今年のケーキは何にしようかと思考を巡らせる。
 取り敢えず、ブランデーをたっぷりと染み込ませたクリスマス・プディングは決っているが、各国のクリスマスケーキをただ並べるだけの芸がない食卓にも飽きて来たので、そろそろ改善をして行きたい。
 いっそ今回はクリスマスに括らず、セミ・フレッドやプロフィットロールを作ってみようか。多分メルヴィッドは何処の国の何時食べる料理だとか、その辺りは全く気にしないだろう。私も美味しければ何でもいい派である。
 石畳で舗装された坂を登りながら差し迫ったクリスマスの事を考えていると、賑やかとも騒がしいともいえる様子のパブが目に入った。然程空腹ではなかったが薬で重くなった内臓を落ち着かせる為、適当に目に付いた銘柄の地ビールを1パイント分胃袋に詰めてすぐに店を出る。
 数年後には立派なサンタクロースになっていそうな赤ら顔の男達を適当にあしらい、再び霧の中を歩きながら苦笑していると、やっと精神的に回復したらしいユーリアンが話しかけてきてくれた。このまま帰るまでひたすら沈黙を通されたらどうしようかと思っていたが、若い子は立ち直りも早いらしい。
「結局、無駄話ばかりして肝心な事を全く聞いていない」
「私が変装している彼が誰だとか、今から殺しに行く方の名前だとか?」
「まあ、大体そんな類の事」
「それについてはすぐに判りますのであと数秒待って下さい、他の事が判らない場合は随時質問も受け付けますよ。勿論、エイゼルからも」
 言葉は発しないが薄く気配はするのでエイゼルも付いて来ている事は判っていた。恐らく存在しているであろう方向に微笑みかけるが、特に何の反応もない。こちらはまだ、頭の中を整理中らしかった。
 その内纏まるに違いないので私はあらかじめ下調べしておいた彼女の家、他の家と同じ白壁に茶色い屋根をした住宅の前に止まり、ドアベルを押す。程なくして男性の声が家の中から聞こえて来た。下調べの通り、彼女は外出中で彼は在宅中らしい。
「バンスさんのお宅ですか。エメリーン・バンスさんにお届け物です」
「ああ、妻に荷物ですか。今度は一体何を頼んだのやら、今開けますので」
 人の良さそうな声が扉の向こうで独り言を呟き、何も知らない男の手で鍵が解除される。現れたのは白髪交じりの老年とも中年ともつかない、ごく平凡な容姿の、魔法も何も使えないエメリーン・バンスの夫だった。
「こんにちは。おやすみなさい」
「は……!?」
 半開きになった玄関の隙間に鋭く上段突きを繰り出し、目の前の無防備な男性の顎を打ち抜く。こちらに来てからは体が体なので基礎体力の向上と型の稽古しかしていなかったが、技術はそれ程衰えていないらしい。少し安心した。
「流石救命士の体、いい筋肉が付いていますね」
 仰向けに倒れた男性を跨ぎながら堂々とした素振りで家の中に入り、何よりも先に玄関の鍵をかけ直す。それを指差し確認して気絶した男性を担ぎ、階段下の物置まで運ぶと、棚の中で放置されていたダクトテープで手足を縛って身動きを封じた。ついでに口も塞いでおこうか、目を覚まして騒がれたら堪らない。
「救命士の男にエメリーン・バンス。それでやっと判ったよ。両世界の判決が不服だったから、柄にもなく死んだ男の為に復讐しに来たって訳かい?」
「復讐と呼ぶよりは警告と、身勝手な手向けですかね」
 他にもう1つ、ユーリアンやエイゼルに対しての躾もあったが、それは言うべき事ではないだろうと思い口を噤んだ。
 建物の奥に位置するリビングダイニングの扉を押して開き、建付けが少し悪いなと感じながら閉める。生垣があるので隣家からこの部屋は見えないだろうが念の為カーテンを引いておこう、勿論、然程広くない隣のキッチンの窓も。
 霧に濡れたスーツとネクタイを外して適当な場所に掛け、つい先程火が消えたらしい暖炉の前に設置されたロッキングチェアに座り、湿ったシャツの腕を捲くりながら暇潰しに部屋の内装を眺めた。
 私がスケジュールの把握に利用した予定が色々書かれているカレンダーと、奇抜な色に塗り直されたハトでもカッコウでもない時計がまず目に入る。壁に飾られた非魔法界製の沢山の写真から推察するに、夫妻は村の人間と積極的に交流しているようだった。様々な行事に参加している最中の仲睦まじい様子が収められているがしかし、あのダーズリー夫妻も私が介入するまでは家族仲に関しては大変良好であったので、たかが写真を眺めた程度で彼の人間性がどうこう言う事は出来ない。
 尤も、直接ではないにしろ色々と交流があった妻のエメリーン・バンスに関しては、私刑対象となる程度には悪人だと言えるが。
「にしても、何でこんな手間隙かけて面倒な手順を踏むのか見当が付かないんだけど。気絶させたあの男だって居るだけ無駄だろう、化物なら化物らしく殺してしまえばいいのに」
「おや、私は基本的に不要な殺人を行う事はありませんよ。この姿の彼もまた、その類の人間ですし」
「その言葉の裏を返せば、お前もお前が化けた人間も、必要と判断した殺人なら何人でも何百人でも行うって事になるけど?」
「無論、必要に迫られれば何千人でも殺しますとも。まあしかし、これは現実的な数字ではありませんから、何十人と訂正しておきましょうか」
 彼はもう気持ち少ないが、私は大体その程度は殺しているので、非常に現実的な数字である。ユーリアンや、先程から一言も喋ろうとしないエイゼルがどこまで知って、何を思っているかは知らないが。
 チリチリと首の辺りが痛むのは殺気を向けられているからだろう。けれど方向から推測するとユーリアンなので、殺気ではなくただ警戒されているだけかもしれない。
「お前は今迄、何人殺した」
「数えている訳ではないので正確には覚えていませんが、精々20人か30人程度でしょう。ああ、けれど殺した人間の種類なら覚えています」
「種類?」
「貴方が判り易いように分類すると、魔法が使えないただの人間と、頭がイカれてただの人間以下の全く使い物にならなくなった魔法使い達ですから、別に構いはしないでしょう?」
「何がだ。お前は、一体何を言っているんだ」
「貴方達を揺るがすような価値のある人間を殺してはいませんよ。と、いう事です」
 濃いブラウンの瞳でユーリアンがいる辺りを見つめると、その方向から息を飲むような音を聞いた気がした。けれど姿は見えないので、私の気の所為という可能性もある。
 ふと、視界の端で何かが動いたのでそちらを見ると、暖炉の上に楕円形の鏡が置いてある事に気付いた。動いていたのは私の鏡像だったらしい。
 会話が続く様子もないのでロッキングチェアから立ち上がり、鏡を手に取って中に居る男性をまじまじと観察する。私の目の前にいる彼は既に殺されて死んでしまった男なのだと、今更ながらに思い出した。
 魔法省での裁判の際に、ダンブルドアが想像だけで的外れな事を言っていたような気がする。否、想像とは少し違うかもしれない。あれはリチャードの手記、ダンブルドア曰く手帳を読んで受けた印象そのものと言い換えた方がより正しいだろう。
 小難しい理屈など、本当はない。あの夏の日に告げたように、彼は単に、誠実さのない馬鹿は死ねばいいと考えて毒殺を決行していただけだった。
 事実、誠実さか判断力かのどちらかを持っていた人間は誰一人として死んではない、善良なる市民はジュースが余分に出て来たと店側に申し入れるか、或いは連日の報道を見て警察に通報し一命を取り留めている。
 だからといって彼の行った事は凶悪犯罪である事は代わりない、しかし、そうであるのならば、エメリーン・バンスが行った事もまた犯罪であるのに。
 彼女は、逃げたのだ。この世界では裁く事の出来ない、魔法という手段で。
 そして魔法を扱う世界の裁判では嘘をでっち上げ、不当に軽い刑罰で済んだ。
 勿論それでも罪は裁かれたのだから、私のやろうとしている事は単なる私刑で、誰からの同意も得られないだろうし検挙されれば当然犯罪となる。まあ、この世界では散々勝手な事をやって来たので今更罪状が1つ2つ増えようが構いはしないが、恐らくは検挙すらされないだろう。その為にこうして、エメリーン・バンス以上に汚い手を打ったのだ。
 聞き覚えのある女性の声と共に玄関の方向から鍵と扉の開閉音がして思考に回っていた血液が全身に分散される。気付けば私は持っていた鏡を暖炉の上に伏せ置いて扉の死角に身を潜めていた。テーブルの上に鞄と紙袋が放置されているが心配はない、気配と息を殺し、足音に耳を澄ませる。
「さてはまた椅子で寝てるのね。全く、何度風邪を引いても懲りないんだから」
 呼びかけても夫の返事がないのは然程不自然な事ではなかったようで、ごく日常的な、平和な独り言と共に蝶番の向こうのドアノブが回転した。軋みながら開く扉の向こうには見慣れた細い背中、思えば私が何時も睨んでいたこの背中に向けて腕を伸ばす。
「あら、一体何処……!」
 振り返られる前に細い喉に腕を絡め、背後から絞め技を決めながら女の意識が落ちるのをゆっくりと待った。
 魔法使いの体は元来貧弱で肉弾戦や白兵戦用に訓練された肉体ではない為、落とすまでにそれ程時間はかからない。腕を外す技術も力もないので今の所問題になるは彼女に杖を取られ魔法を使われるか、私が力加減を誤ってそのまま絞め殺してしまったり、失禁や脱糞されないかくらいである。
 幸いにも背後からの物理的急襲に対して魔法を使う事に頭が回らなかったらく、あまり広くもない部屋の中で魔法対素手の肉弾戦に突入するという事はなかった。皮膚に爪を食い込ませ、引っ掻きながら必死に腕を外そうと震えていた細い両手がやがて力なく垂れ下がり、完全に落ちた事を確認してから腕をはずして顔の確認をした。これで絞め落としたのが赤の他人だったら笑える展開だが、予想通り相手はエメリーン・バンス本人である。
 気絶した細くて軽い体を先程私が座っていたロッキングチェアに座らせた後、鞄から取り出した水筒から薬を一口分飲み込む。一応確認の為に玄関に向かったが、鍵はきちんと閉まっていたので問題はない。そろそろ夫の方が意識を取り戻すかもしれないが、動けないよう縛ったのでそれ程心配する必要もないだろう。
 取り敢えずエメリーン・バンスの胸部を周回するようにダクトテープで椅子と固定し、口も夫と同じように塞いでおく。これで万が一自然に目が覚めて暴れられても大丈夫だろう、その前に私に起こされる羽目になるとは思うが。
「……ってさ」
「はい」
 殺人の話をした後、ずっと黙っていたユーリアンがやっと口を開いた。心なしか声が震えているような気がするのは聞き間違いだろうか。
「嘘偽りなく肉体派だったんだ」
「絞め技と上段突きだけでそんなに怯えないで下さいよ」
 以前、メルヴィッドも同じ事で戦慄していた事を思い出して苦笑する。
 あの時の彼は中々に質の悪い事をしてくれたので、その身を以ってフロントチョークを体験させたが、別にそこまでいう必要はないだろう。
「さて、では必要な道具を取りに行きましょうかね」
「は? 今から?」
 ダイニングに備わっていたカトラリーと果物ナイフ、使い終わったダクトテープを手にリビングを出ると、先程この家の主人を押し込めた階段下の物置へと足を向けた。物音がしない所を見るとまだ気絶しているらしい、その方が私にとっても彼にとっても幸せだろう。
 扉を開けると、放置した時のままの姿勢で寝転がっている男がすぐに目に入った。呼吸の仕方を見ても狸寝入りをしている風には見えないので突然襲われる事もないだろう。
 狭い床を占領する体を避けながら奥へ進んでダクトテープを元の位置に戻し、棚を漁って金槌に釘、埃を被った頑丈なケースを引き摺り出し床に下ろす。
「おや、グランニングズ社製ですか。こんな所でお目にかかるとは世の中狭いですね」
「お前の言っている言葉の意味が欠片も判らない」
「私が使用している子供の体があるでしょう。あの子を虐待していた伯父が経営していた会社の製品ですよ、尤も、随分前に倒産しましたが」
「ああ、薄汚いマグルの癖に半純血の魔法使いを虐待死させようとして、逆にお前に虐殺させられた馬鹿な男の事か」
「私は舞台を整えただけで直接手を下してはいませんよ?」
「同じ事だ。メルヴィッドに聞いた話だと妻の手でミンチになったそうじゃないか」
「その後、斧を持った彼女と鬼ごっこに興じましたっけ。当時は恐怖を感じたりもしましたが、今となっては懐かしい思い出です」
「その女もマグルの警察に殺させておいて、よく言うよ」
 あの直後にリチャードと二度目の対面を果たしたのだと感傷に浸っていると、足元で何かが動く気配がした。何かも何も、動くものといえば一つしかないのだが。
 それに気付いたのか、ユーリアンも会話を止めてその場にいない振りをする。エイゼルは先程から会話に入っていないので、特に何をしたという事はない。
 両手足を括られた状態で意識を取り戻した男、エメリーン・バンスの夫は私を確認するなり塞がれた口の中でくぐもった声を必死に上げる。言っている事は全く理解出来ないが、狭い所ですがどうぞゆっくりして下さい等の友好的な内容ではない事は簡単に想像出来た。推定押し込み強盗に対して家主が友好的な態度を取って来たら流石の私でも狼狽える。
「少し、煩いので黙っていて下さい」
 第三者に対するリチャードの口調を思い出しながら先程ダイニングから失敬した果物ナイフをチラつかせ、男が黙った所で背中に金属片を滑り込ませた。腰に触れるひやりとした金属の感覚に全身の筋肉が緊張させているのだろう、途端に大人しくなった男に対して、私は笑いかける。
「そう。そうやって静かにしていれば、貴方をこれ以上どうこうするつもりはありません」
 床に置いてあったケースを掴み、静まり返った物置から退散する。勿論扉に鍵をかけるのは忘れない。あの他にも絞め技をかけ直して落とす手もあったが、またいつ意識を取り戻すかも判らないのでこちらの方が時間稼ぎにはなるだろう。
「見えていないのをいい事に酷い嘘を吐くんだね」
「私はこれを背中に入れますと馬鹿正直に言った覚えはありませんよ」
 先程チラつかせた果物ナイフを左手で掲げながら苦笑すると、ユーリアンのいる方向からも同じような息の漏れるような音がした。それ以外の方向からも軽く吹き出すような音がしたので、そちらはエイゼルだろう。
「バターナイフを背中に入れられてあそこまで怯える男を初めて見たよ」
「古典的な手ですが、案外今でも使えるものですね」
 リビングの扉を開き、気絶したままのエメリーン・バンスの前でケースの中身を取り出して電動ドライバーを組み立てる。あまりこの手の類は得意ではないのだが、見様見真似で何とかなるものだ。試しにスイッチを入れると問題なく動くので大丈夫だろう。
 購入したばかりの螺子の封を切り、果物ナイフを戻す代わりにダイニングに放置してあったエプロンを拝借し、伏せてあった鏡を立てて彼女の目に自分自身の顔がよく映る角度に調整した。最後に先程飲んだばかりだが念の為また薬を一口飲んでおき、準備は完了。
「では、始めましょうか」
 太く長い釘を手にしながらそう呟くと、好きにすればいいとでも言いたいのか、時計の中から出て来た鳥の形をした奇妙な玩具が2回鳴いた。
 奇抜な色をした本体同様、塗装が禿げた物を自分達で塗り直したのか、時告げの鳥は青緑の体毛に橙色の翼と赤紫の目をして、おまけに右目が天井、左目は床と別々の方向を向いている。全く、これから起こす惨劇に相応しい禍々しい鳥であった。