ブラッド・ソーセージとジャガイモのスフレ
ページを捲っていた手を止めて顔を上げると、読書に飽きてしまったらしいレギュラス・ブラックが何時の間にかミルクを入れた紅茶をスプーンで掻き回している所だった。湯気が立っている事から、今し方クリーチャーが持って来たようなのだが、私も読書中だったとはいえ音や気配を感じさせず用意する技術は流石だと感心してしまう。礼を言えず無視してしまった事に関しては、些か不満が残るが。
「ええ、レギュラスが治療して下さったおかげで傷も残らず」
本を閉じ古紙の香りが付着した右手を差し出すと、彼は視覚と触覚で傷の有無を確認し安堵のような表情を浮かべてゆっくりと手を離した。
元の世界の私の家に棲まう妖怪達と同様に、子供の体に傷が残る事を良しとしない性格なのだろう、未だこの体の名前がハリーであった時に虐待によって付けられた傷が体の其処彼処に残っているので彼の前で服を脱ぐのは止めた方が賢明かもしれない。
古めかしい時計を見ると読書を始めてからまだ然程時間は経っていなかったが、しかし、これくらいの歳の子供にとっては中々の長時間だろうと考え直す。彼等の細やかな気配りには心底感心するしかない。
紅茶と茶菓子を受け取りながら礼を言い、レギュラス・ブラックに倣ってミルクティーを作って口を付ける。流石名門ブラック家で出される紅茶だけあって、水も茶葉もミルクも全ての品質が高い。
「美味しいです」
「それは良かった」
普段飲んでいるニルギリやディンブラとは違うようだが私が購入しているのは一般人並の品なので断言は出来ない、しかしアッサムやウバとも違う気がする。確証は持てないが、この味はケニアだろうか。
ここで茶葉の詳細をぴたりと当てる事が出来たら格好良いのだが、生憎薄ぼんやりとしか判らない、それに関しては私の舌の経験が足りない以外にもクリーチャーの腕が良いというのも勿論上げられるだろう。余り褒められた事ではないが、私は紅茶やコーヒー等の飲料に対しては、料理ほど神経を注いでいない。
「、大丈夫? もしかして口に合わなかったかな、無理して飲まなくても他に」
「いいえ。ただ、今迄飲んでいた紅茶とは比べ物にならないくらい美味しかったので、驚いてしまって。紅茶って、こんなに美味しい飲み物だったんですね」
カップを持ったまま固まっていた私に不安を覚えたのかレギュラス・ブラックが心配そうに尋ねて来るが、それを即座に否定した。これを不味いと言うのならば、彼が訪問する度に私が出していた紅茶はただの茶色い味付きの湯である。
一緒に出されたスコーンも大変美味であった。シナモンの利いた林檎のジャムは元より、クロテッドクリームも勿論手作りであろう。シンプルであるからこそ誤魔化しが効かないとはよく言ったもので、精々趣味の延長で料理を作っている私と主人の為に一生を掛けて全力で取り組んでいるクリーチャーとの違いをまざまざと見せ付けられたような気がして落ち込んだ。機会があれば、クリーチャーに料理の手解きを願っても許して貰えるだろうか。
美味しいと言っている割には険しい顔をしていたのでレギュラス・ブラックが本当にそうなのか、無理して食べているのではないかと疑って来たが、来客が眉間に皺を寄せて出された物を食べていては確かに心配にもなるであろう。これは完全に私の失態であった。
「本当に凄く美味しいんです。ただ、だから、今迄レギュラスやクリーチャーに出していた飾り気も何もないお茶やお菓子を思い出すと、居た堪れなくなってしまって」
「何だ、そんな事だったのか。の作ったケーキや紅茶はどちらもとても美味しかったよ。それに心配しなくても僕は不味い物は不味いと言う主義だから、気に食わなかったらその場で態度に出すよ」
そういえば、ダンブルドアと昼食を取った時も普通に口に出して不味いと言っていた。私はというと口には出さず不愉快そうな顔をしただけなので、レギュラス・ブラックはそれを思い出したのだろう。まあ、TPOにもよるだろうが、重ね重ね失態であった。
少しの間、口を噤んだレギュラス・ブラックは、憂いた表情で部屋の壁に視線を漂わせ、カップをソーサーに戻しながらまたおもむろに口を開く。記憶は、4日前の昼に飛んでいた。
「ダンブルドアは、何故あんなやり方をしたんだろう」
「偽手紙の事ですか?」
「ああ」
スコーンを一口齧ると、書斎を埋める古紙とインクの香りに鼻先から抜けた焼き菓子とシナモンの甘い匂いが混じる。重い話にはこれくらいの甘味が丁度良かった。
「信用させてしまえばこちらの物、とでも考えたのではないでしょうか」
「そう簡単に信用するとは思えないけれど」
「レギュラスはそうかもしれませんね。私は、信用してしまうかもしれませんが」
「まさか。は偽造にだってすぐ気付いたじゃないか」
それは初めから偽物だと判っていたからだ、と正直に告げる事が出来れば楽なのだがそうも行かない。自嘲とも含み笑いとも付かない表情で誤魔化しながら、どうしようもなく無防備で揚げ足取りばかりする子供の演技をする。
「あんな事があった直後ですから警戒くらいはしますが、今思うと嫌がらせの為の粗探しとダンブルドア側のミスが運良く噛み合って相手が諦めてくれただけですよ。たとえば、偽造がもっと精巧で見抜けなかった場合、口車に乗せられていた可能性は大いにあります」
「それはそう、かもしれないが。いや、けれど過去に君が出会ったダンブルドアの部下達が名前以外知らないのでは辻褄が合わなくなる」
「尋問する側に先入観を与えない為に態と言わなかった、辺りで言い訳としては十分でしょう。或いは名前以外は未だ確証を持って公表出来る段階の情報がない、だからこそこうして会いに来たとでも嘯けます」
紅茶を一口飲み、口の中を潤してから更に続けた。
もっと簡潔に済ませる言葉がきっと何処かにあるはずなのだが、私の残念な脳味噌では探し当てる事が出来ないので諦めよう。
「そもそも、あの老人は手紙が届いた正確な時間軸を供述はしていませんでしたから、以前と言うだけならば4年前でも3日前でも話の流れ方次第で変化させる事は可能でしょう。会話に合わせて理由も時間も瞬時に作り出す事は出来ますし、それに伴う証拠程度は簡単に捏造出来る方のようですので」
「……降参だ、の方が僕に比べて様々な可能性を考慮しながら話していたんだね。年長者として少し情けなくなったよ」
「レギュラスが先に警戒して守ってくれたからこそ、あんな捨て身のような強気でいられたんです。貴方がいなければ、私はきっとあの老人の大嘘に飲み込まれていました」
「僕も今更になって、君と一緒で良かったと実感しているよ。そうでなければ今頃どうなっていたのか、考えるだけで恐ろしい」
その想像の通り、実際ダンブルドアから手紙を受け取った直後、レギュラス・ブラックはとダンブルドアが関わり合いを持ったという勘違いを、疑いながらも飲み込みかけた。そして糾弾の援護材料となった文章の作りが違うと言う事実も、あの場では勢いに任せて利用させて貰ったがそれ単独では切り込みが余りに甘過ぎる、あの時、ダンブルドアがもっと冷静だったならばが複数人居るのならば文体が違っていても何も可怪しい点はないと真顔で嘯かれて終わっていただろう。
こちら側に留まるよう力を込めて偽物だと否定しなければ、向こう側に引き摺り込まれていた可能性を今になって考えたのか、美しい灰色の瞳が思案に揺れた。
「しかし、それでも何時かは手紙が偽物だと判るじゃないか。そんな事があったと判れば、彼等が手紙で知らせてくれるだろうし」
「梟が幾ら賢くて速くとも、老獪が繰り出す音速には負けますよ」
偶々手近にあった本の拍子を飾る知恵の象徴であり森の賢者と呼ばれる動物の、箔押しのイラストを見つめ、背表紙をなぞる。茶葉やお茶菓子同様、ちょっとやそっとでは買えないような金額の手触りであった。
「もしもの話ですが、続けてみましょうか。たとえば、私がダンブルドアの立場だとして偽物と気付かれず話が進んだのならば、今、貴方達が受け取っている手紙は偽物の可能性が高いと続けて告げるでしょうね」
「自分で偽装しているのに、か?」
「だからこその思考、なんでしょう。そう告げられてもこちらが真っ向から反論出来るだけの材料がない場合、ダンブルドアは更に畳み掛けるでしょうから。自分の受け取った手紙には確かにそう書いてある、本物のの言葉は此方だと……まあ、あの老人は口が上手いようなのでこんな率直で乱雑な言葉では表現しないでしょうが」
時に恐喝紛いの事をしてもされた当人にしか判らないよう巧妙に、或いは暴露したとしても被害者以外は誰一人信用しない程莫大な信頼を得ているあの男は、舌先三寸で目の前の少年を不承不承という状態だろうと丸め込むだろう。
彼は、レギュラス・ブラックは、今の所メルヴィッドの生命線の1つであるのだ。ダンブルドアとしては然程必要ない駒かもしれないが、メルヴィッドにとっては本格的に動き出してもいないのに彼が奪われては大きな痛手となってしまう。
それは避けたい事だし、実際に先日避けた事であった。
「真偽を逆転出来れば、以降は自発的に本物を偽物として処分させ、ダンブルドアが作った偽の情報でレギュラスやメルヴィッドを動かす事が可能となりますからね。貴方達がそうするのならば、クリーチャーや私も疑いなく従います」
「嘘が真実になってしまうのか」
「いえ、なりませんよ」
たらればの話で戦慄していたレギュラス・ブラックが、私の切って捨てるように放った一言で呆然とする。
「ならないかな」
「ならないでしょう?」
尚も嘘は真実にならないのかと尋ねて来るレギュラス・ブラックに、私は首を傾げた。
「時間経過によって嘘の程度に変化は起こりますが。今回の場合は、基本的に嘘は嘘のままですよ。真実には決して成りません」
「程度の変化?」
どうやら、私の言葉の意味が彼に通じていないらしい。
メルヴィッド相手にも私の倫理観を語った事があるが、それと同じような齟齬として処理すればいいのだろうか。否、このままでは話が進まないので、するしかないのだが。
「たとえば、メルヴィッドが私に対してあの男と同じような嘘を吐いていたとして、それが露見したとしましょう。出会った直後ならば矢張りダンブルドアと同じ対応としたと思いますし、彼を信頼し始めた頃なら何故騙したのだと悲しみます」
そんな事は天地が逆さになってもありえないのだが、あくまで例えであり、またそれより酷い嘘を吐かれていたとしても、それでも良いのだと納得出来るに違いない。
私達はそういった仲だと、私は勝手に思っている。
「けれど、今だとしたならば、別に構いはしないと思ってしまいます、他人がどう思おうと私個人の心情的には。精々、当時の私は人を信用したがらなかったので多少強引な嘘を吐いても仕方がなかったでしょう、と軽く笑って済ます程度です。現在の私に実害のない嘘だからと許してしまうんですよね、メルヴィッドの人柄を既に知っていますから」
しかし、だからといってメルヴィッドが私に対して嘘を吐いた事実は変わりがないし、嘘の内容も全く変わっていない。変わったのは、彼に対する私の見解だと。そう告げると、レギュラス・ブラックも納得した表情をする。信用させてしまえばこちらのものと、身も蓋もなくいえば、そういう事なのだ。
そして、そのよなマイナス要因が露見しても信頼され続けられるという状態を作り出すのが、ダンブルドアは非常に上手い。実際、あの男が死んだ後も、あの男が思い描いた世界にする為に動いた駒は命のあるなしに関わらず大量に存在した。
ヴォルデモートとダンブルドアの決定的な差は、そこにあると私は思っている。
他の人間があの世界のようにダンブルドアの死兵となるのは別に構わないが、目の前の彼がそうなってしまうのは困るのだ。主に、彼を駒にしようとしているメルヴィッドが。
「ですから、ダンブルドアがあのような方法で接触した事に大した意味はないと思います。ただ、・の名前を出せばレギュラスも私も興味を持つと、そう踏んだだけでしょう。子供を誘拐する犯罪者がよく利用する手口です」
後は、ヴォルデモートと同じ顔をしたメルヴィッドがその場に居なかったので多少雑な手でもバレないと踏んだか、である。確かに10代の子供が2人だけならば攻略は容易だったかもしれなかったが、生憎子供の片方は外見こそ少年だが老人であった。
人間の外面に騙されてはいけないという好例であろう、尤も、私自身はかなり特殊な経緯でこの体を得てはいるのだが。
「けれど結局、ダンブルドアは失敗した訳だ」
「信頼させる前に偽物だと見破ってしまいましたからね。ああ、そうです。その内、別の手で来るかもしれないから気を付けた方がいいとメルヴィッドから伝言を預っています、余り力になれる事はないかもしれないけれど、年長者を頼って欲しいと」
「本当に優しい人だね。メルヴィッドも、君も」
「メルヴィッドは優しくて頼りになる人ですけれど、私は違いますよ?」
「そう思っているのは君だけだよ。そういえばクリーチャーもは自己評価が低いと言っていたかな。君は才能もある聡明な子だ、もっと胸を張るべきだよ」
「いえ、そうするべきではない人間だというのは、私自身が一番判っていますから」
そういうのはちょっと、と遠慮をすると、いやもっと声を大にして言うべきだと反論されてしまった。余り主張を大きくすると絶対に何処かでボロが出るので、出来れば本当に辞めたいのだがレギュラス・ブラックの表情を見るに説得は難しそうである。
仕方がない、別に秘密でも何でもないので一つ種明かしをして、話を逸らしつつ私の評価を下げて貰おう。前にも言ったように、折角生き還らせたというのに私の方ばかり向かれてメルヴィッドの駒として機能しなくなるのは困るのだ。
「私は歳不相応の変人ではありますが、無垢でも純真でもありません。今の偽手紙の喩え話も、実は種があっての事です」
首を傾げるレギュラス・ブラックに笑いかけ、四次元バッグから皺だらけになった紙の束を取り出す。Dear Albus Dumbledoreの暗号で始まる、件の手紙であった。
「まさか、あの一瞬で内容を全部覚えたのか!?」
「違いますよ、そんな人間離れした芸当は出来ません。ほら、レギュラスが店を出ようとした直前、丁度私は手紙を握り締めていて、そのまま持って帰って来てしまったんです。手紙の内容を全部読んだので、例え話でもダンブルドアの行動が憶測出来たに過ぎません」
知らない演技をして勿体振って開示したのだと正直に告げる。
法に触れるような詐欺には当たらないだろうが、占い師辺りがよくやる手であった。私自身も学問として占いを勉強しているので、この手の情報収集だとか、コールドリーディングやバーナム効果等のテクニックを知らない訳ではない。尤も、情報を集めた所で相手の心理を見誤り、会話も演技も大層下手なので私は占い師には向いていないというのが万人の共通意見なのだが。
「けれど、嘘の程度は変化するという話は君自身の考えから出した言葉だろう」
「……メルヴィッドの言葉を引用しただけですよ」
「今迄合わせていた視線を急に逸らしながらそんな事を言っても説得力が全くないよ。は頭が良いのに嘘が下手だね」
「いえ、まあ、隠しても仕方ないので正直に言いますが、頭が悪いので嘘が苦手なんです。言いたくない事は秘密だと言ってしまう人間なので」
それ以外にも敢えて真実を話さないという隠匿方法も得意なのだが、これは言うつもりもない。言ってしまえば、それは真実を話したという事になってしまい説得力にも欠ける。
「秘密と言ったら、探られたりしないかい?」
「人の秘密を探るような教養を欠いた方とはお付き合いしませんから」
「君も他人の秘密を探るような品性を欠いた人間ではないからね……それにしても、こうして聞いていると、君の人間関係はストレスが少なそうだね」
「ええ、とても気楽ですよ。あまり、子供らしくはないようですが」
事実老人だからとまでは言えないので、誤魔化すように笑ってスコーンを頬張り、ミルクティーを飲み干す。少し冷めてしまっても、美味しさは変わらなかった。
「メルヴィッドは自分の感じるままに生きていけばいいと言って下さいますし。レギュラスもクリーチャーも優しいですから、今はとても充実しています」
「そうか、それは良かった」
言いながら、何処からか取り出したハンカチで私の口許を拭ってクリームが付いていたとレギュラス・ブラックが笑う。指摘すればいいだけなのに、矢張り彼は年下である私に対してお兄ちゃん振りたいらしい。
やられる方としては結構恥ずかしいのだが気持ちはよく判る、私も以前、メルヴィッドに対して全く同じ行為をしたので。
擽るように頭を撫でてくる手を好きにさせながら目を細めていると、甘味を帯びた酷く優しい声で別の話題を振って来た。
「とメルヴィッドは、今月の22日の夜は空いているかな」
「22日ですか。私は冬季休暇に入っているので空いていますが、あの、もしかして」
「多分、そのもしかしてだろうね。その日ちょっとしたクリスマスパーティを開こうと思っているんだけど、招待を受けてくれないかな」
「……申し訳ありません。そういうのは、ちょっと」
それはもう可哀想と同情してしまいそうなくらいに眉尻を下げたレギュラス・ブラックには悪いが、こちらにも色々と事情があるのだ。
普通の一般家庭のホームパーティ程度ならば、まだ首を縦に振れたかもしれない。しかしこのブラック家で催されるちょっとしたパーティ、もう字面だけで嫌な予感しかしない。
そもそもこの屋敷にはフルーパウダー専用の暖炉を設置した部屋が複数あり、その部屋にしてもシャンデリアの輝きを反射する磨き上げられた床に、遠目からでも恐ろしく座り心地がいいと判るソファと生花が溢れんばかりに飾られた巨大な花瓶があったのだ。一見したらクラッシクなホテルのロビーと何ら変わらない部屋で、来た瞬間に間違えましたと言って帰ってしまいそうな程に立派だったのだ。
その家で開催されるパーティである、絶対にちょっとではない。ドレスコードが決められた、それはもう堅苦しくて面倒臭いパーティに決っている。
レギュラス・ブラックが主催するのならば魔法界でもそれなりに顔の利く人間が集まるに違いない。コミュニケーション能力溢れるメルヴィッドならば面倒臭いと言いつつも利益の為に参加しそうだが、私は到底そこまで器用になれない。というか、正直に言おう。少しお高いクリスマスパーティに参加した経験が、皆無なのだ。
勿論実家はそれなりに裕福なので盆や正月に催される会合には参加するのだが、内容といえば始終純和風に尽き、この手のパーティ系統に参加した覚えはほとんどない。
引き篭もりの弊害がまさかこんな所に来て出るとは思わなかった。これを機に参加するべきか、否、そもそもパーティに着て行く服がない。比喩や冗談でなく、本当にないのだ。
「そんなに人を呼ぶつもりはないけれど、駄目かな」
「いえ、その。駄目と言うか、無理です」
「ダンブルドアの息が掛かった人間は呼ばないよ、マルフォイ家の人間も呼ぶつもりはないけど。それでも無理かな」
「そうではなくて……大変申し上げ難いのですが、フォーマルな衣装を持っていないので」
「衣装?」
「ええ、衣装です。このお家の格式に見合ったパーティ用の礼装を、持っていないので」
正直に出席出来るレベルの服がない事を告げるとレギュラス・ブラックは少し考える仕草をして、おもむろにクリーチャーの名前を呼んだ。理由は未だ不明だが、今この瞬間、確実に詰んだ気がする。
食い下がってきたレギュラス・ブラックが何を考えているか判らないが、クリーチャーが一晩でやってくれましたという謎の単語が自然と脳裏を過ぎったので多分もう駄目だろう。初手から間違えたようだが、言葉も時間も元には戻らない。
敬愛する主人に呼び出されたにしては少し時間を開けて登場したクリーチャーは、私に一礼すると、大変困ったような顔をしてレギュラス・ブラックと会話を始めた。会話の声は小さいが部屋が静かな所為でどうしても単語が漏れて来て、結果的に内容が筒抜けになってしまうのは不可抗力である。
歴代ブラック家当主の少年時代の古着をクローゼットから引き出す事と、ルシウス・マルフォイがアポ無しで訪問してクリーチャーが対応に困っている事を知っても、私の力ではどうにもならないのだし。
「仕方がない、2階の応接室に通してくれ。、少しの間、1人にしてしまっても大丈夫かな。仕事で急な来客があってね」
「構いませんよ、本を読んでお待ちしています」
「ありがとう、折角遊びに来てくれているのに済まないね。向こうの書庫には勝手に出入りをしてくれて構わないから、それと、何か困った事があったらクリーチャーを呼んでくれ。僕の代わりにすぐに駆け付けてくれる」
「はい、判りました。お仕事頑張って下さいね。レギュラスも、クリーチャーも」
毎日メルヴィッドに言っているので普通に口から滑り出してしまったが、どうやら2人の反応を見るに対応を誤ったらしい。
勿体ないお言葉ですと真っ赤になって顔を伏せ消えるクリーチャーの向こうで、部屋から出て行こうとしていたレギュラス・ブラックが動きを止め、足早に私の元まで戻って来て、力強く抱き締めた。
髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き回される耳元で、うん頑張ってくると少年の声で呟かれる。
取り敢えず、まだ若いブラック家の当主をソファで休ませて代わりに私が歓迎されない訪問者であるルシウス・マルフォイの応対というか、顔面に鉄拳制裁という物理的歓待を行うべきかどうかと言う脳内討論がたった今開始された事を、ここにお知らせしておこう。