牛すね肉と牛蒡のシチュー
ソーセージに切れ込みを入れた所で話の内容を問うという程度の低い嫌がらせをして、パイの蓋代わりに使われているマッシュポテトを口に運んだ。ホワイトソースを避け、これだけならばまだ食べる事が出来る。
レギュラス・ブラックも肉を食べる事は諦めたようで、大人しくヨークシャー・プディングをグレイビーソースに浸して食べていた。ソースはそれなりに食べる事が出来る味らしいのだが、ソースすら打ち壊す肉の不味さに逆の意味で驚愕する。
カトラリーを手に取ったばかりのダンブルドアは渋々といった様子で手放し、どこからともなく封筒を取り出して私に向けて差し出した。勿論私は受け取る素振りを一切見せず、幼子に変な物を与えるなとばかりにレギュラス・ブラックが強奪してくれる。彼は本当に、とても良い子だ。
切手もなければ封さえされていない、どこにでも売っていそうなありきたりな封筒から、レギュラス・ブラックは数枚の紙束を取り出して広げる。レポート用紙に打ち込まれたタイプライターの文字列の内容までは判らないが、文字の配置と密度から見ると契約書の類ではなく文章のようだ。
「……嘘だ、彼等が貴方に手紙を送るなんて考えられない」
「彼等、つまり・は複数人存在しておるのか」
失言だと思ったのか、レギュラス・ブラックは自らに向かって舌打ちをする。
一応ここで誤解を解いておくが、私もメルヴィッドも、暗号化した物だろうが普通の形式の物だろうが、ダンブルドア宛ての手紙を書いた事は一度もない。エイゼルの名を発表した日に書いていた暗号化の手紙はレギュラス・ブラック宛ての物であったので、この子がの手紙について知っているのは可怪しくないのだが。
「解読して貰えば判ると思うが、以前儂の元に届いたこの手紙に君に会うよう書かれておっての。子供の悪戯の類として無視していたのじゃが、どうもそれではいかん事態になって来たようじゃ……君達の知る彼等について、詳しく話して貰えないかのう」
「横から失礼。レギュラス、私も拝見させていただきます」
「ああ、勿論」
ダンブルドアの言葉を遮るようにしてレギュラス・ブラックに話し掛け、単なる紙の束に目を通す。受け取った手紙に書かれていた内容を流し読んで見るに、一応の形式としては私がハリーに宛てた手紙と全く同じ物であった。
指折り数えて文字を確認した所、Dear Albus Dumbledoreの暗号で始まる手紙は、ルイス・キャロルがアリス・リデルに贈った作品の第1章をベースに書かれ、差出人は暗号化されていないの名が全てタイプライターで印字されている。
筆跡鑑定が不可能なタイプライターを使用されては簡単に偽物とは判断されないと、ある程度こちら側の知識を持った魔法使いならば思うに違いない。しかし所詮、ダンブルドアも思考の基本は魔法使いの世界で培った経験からの引用なのだ。完全複製をではなく、その程度の思考で止まってくれていて助かった。
魔法使いの連中に盗み見られる事を前提で作ったのだから、偽造防止の為に仕込みをしているに決っているだろうが。
「正直、監視をされていたならば不法侵入や盗難もされていると思っていましたが、こうして物的証拠を提示されると極めて不愉快ですね」
「、これは偽物なのか?」
「確実に。私は彼等から何年も、それこそ山のように手紙を受け取っていますから比較は容易です」
偽物である証明が可能だとレギュラス・ブラックに微笑みかけて、正面からダンブルドアを見据えた。
当たり前だが相手の表情は余裕を伺わせている。大人の虚言は子供の戯言を力で捻じ伏せる事が出来るのだ。尤も、レギュラス・ブラックはダンブルドアの言葉を信用しないので、寧ろこれは周囲の魔法使いへ向けての言葉だと心構えをする。
「謂れなき疑いじゃな」
「明確な理由が存在するからこそ、偽物だと断言したに決っているでしょう」
「憎しみの余り、判断力が鈍っているだけだと思うがの。或いは、疑心暗鬼とも言える」
「煩わしい言葉は結構。何でしたら偽物である根拠と証拠を提示しましょうか?」
手紙をテーブル上に乗せ、本文に使用されている文章を指でなぞった。
どこにでも存在するローマン体とイタリック体が混じり合いながら印字されている、何の仕掛けもない普通のインクに塗れたごく普通の紙である。
「因みに、レギュラスの手紙の本文は、何をベースにされていましたか?」
「本文のベース? マグルのアメリカ人作家の短編小説だったけれど……確かスケッチブック。そう、ジェフリー・クレヨン氏のスケッチブック、だったかな」
「私はルイス・キャロルの作品、メルヴィッドはジェイムズ・ジョイスの作品でした。この手紙も見た所、ベースは私と同作者であるキャロルの不思議の国のアリスの第1章ですが、果たして今迄違うベースを選択して来た彼等がここに来て同一の物を使用するでしょうか」
「ないとは言い切れぬ。疑う理由としては弱いのではないかのう」
「私達と友好関係を築く気がない人間が突然例外を持って現れたのです。普通の感性を持つ人間ならば、寧ろ当然疑うべき事象だと思いますが?」
ごく一般的な感性を持っているであろうレギュラス・ブラックに同意を求めれば、当然だと援護をしてくれた。実際偽物なので、傍から見るとダンブルドアの言葉はかなり苦しいのではないかと思う。ただ、それでも私達以外の人間ならば強引に押し通せてしまうのが、この男の持つ強さだ。全く厄介に過ぎるが、今は未だこちらの方が無力なので仕方がない。
だからといってここで押し切られて堪るかと考えているのはレギュラス・ブラックも一緒のようで、更に彼個人が気付いた指摘を口にする。
「手紙の内容を少々読みましたが、私が受け取った物とは文章の作りが大分違いますね。あの手紙はまるで親戚が書いたような優しさや親しみ易さがどこかにありましたが、これにはそれがない。砕き損ねたような丁寧さだけが散っている」
「レギュラスが内面を攻めるならば私は別角度からの疑問をもう2つ程、挙げましょう。1つは、今から4年前に虐待から保護されたばかりの私の元にやって来た、聞く所に拠ると貴方の下で働いている魔法使い達がの名前だけを知っていた、過去の不可解な現象。まあ、これは物証ではありませんから証拠とするには弱いので横に置いておきます」
本当はその事についても厳しく追求したいのですがね、と敵意に塗れた笑顔を正面に向けながら続けた。
「もう1つは、手紙に使用されているフォント、これはごく一般的なエリートのマルチグラフとイタリック・タイプのようですが、私とメルヴィッドの受け取った物は全く別のフォントとフォントピッチを使用していました。インクリボンの種類を調べてみるのも面白そうですが、言っている意味は、勿論お判りになりますよね」
あれももう4年も前の事なのかと懐かしさに目を細めながらダンブルドアに非友好的な態度で笑いかける。当時は単なる嫌がらせとして用意したが、レギュラス・ブラックを巻き込んだ事で成果は思った以上の物となった。
恐らくダンブルドアはその辺で売っている手動式タイプライターをそのまま使用したのだろう。生憎私とメルヴィッドが嫌がらせの為だけに作った馬鹿を躍らせる阿呆手紙に使用しているタイプライターは見た目は可愛くないが電動式であった。電動式の利点は手動式と違い選択の幅が広い事にある。フォントやフォントピッチはタイプボールという部品を交換すれば調節が可能で、安易な偽装防止には中々適した品であった。因みにタイプボールとはペチュニア・ダーズリーに殺されそうになった時に所持確認をした例のあれだ。
また本物の手紙に使用している2種類のフォントはファミリーが存在しない完全に単独の書体で、それすら勘付かれた場合の為に態とタイプボールのフォント面に傷を入れて偽造防止の判断材料にしている。
今回はその必要もなかったようだが、これに懲りず同じような手を出してくる可能性も考えられなくはない、ダンブルドア相手ではやり過ぎくらいが丁度いいのだ。
レギュラス・ブラックは私の言葉の詳細までは判らなかったようだが、それでも使用されている文字が違う事を知り、故に一目見ただけで偽造と判ったのかと感心していた。私としては予備知識がほとんどない状態で僅かに目を通し、それだけで書き手の癖を見抜いた彼の感性の方が余程常人離れしていると思うのだが。
目の前のダンブルドアはというと、自らやその部下が犯した失態を悟ったのかバレては仕方ないと開き直り、両手を上げて降参の意を示した。言い訳をするような醜態は曝さないが取り敢えずテーブルの上で握り潰した偽手紙のように惨殺したい、それは無理でもこの右手で数発殴るくらいはやっても許されるのではないだろうか。隣のレギュラス・ブラックは今にも殴りたそうに拳を力一杯握り込んでいるのだし。
数秒後、怒りが抑え切れなかったのか、レギュラス・ブラックは勢いよく立ち上がってダンブルドアを睨み付けた。拳はテーブルの上で震えている。
「こんな人だったのか。こんな汚いやり方で私を、幼いさえも騙すような人だったのか、貴方は。ほんの少しでも貴方に尊敬の念を抱いていた自分に吐き気がする」
行こう、と隣から声を掛けられ、私も立ち上がった。
嘘を塗りたくった青い瞳が何度目か私を真っすぐと見据え、次にレギュラス・ブラックの怒り滾った瞳を見つめる。恐らくあの男は今、開心術を使用して必要な情報を最後の最後まで漁り尽くしているに違いない。
開心術に気付いたのか気付いていないのか、私の手を引いて店を出ようとする青年に少しだけ反抗し、最後にもう一度、ダンブルドアと目を合わせる。相変わらず、人を喰ったような笑みを浮かべていた。
「結局、貴方達は最初から最後まで自分の事ばかりだった。謝罪の心すら見せず、自らの正しさだけを吠え、自分達の罪から目を背け正当化した。リチャードの次に犠牲となるのは、一体誰だ」
投げ付けた言葉はしかし、ダンブルドアの心を僅かも揺さぶる事なくどこかに行ってしまう。この言葉程度で動揺するとは思っていなかったので余計な期待だけはせずに済んだが、これが私の世界のあれとよく似通っている事が判り、胸糞悪くなってきた。
最後まで客に扮し周囲に控えていた騎士団員達に背を向け、憤怒の権化と化した青年に引き摺られるように入り口へ向かう途中、入店して来た大柄な男性客と衝突してしまう。ひたすら前進するレギュラス・ブラックに抗いながら何とか謝罪をすると、精悍な顔立ちをしたその男性はふわりと緩く纏まった赤毛を撫で、女性的な菫の香りを纏いながら気にしないでと手を振ってくれた。
最後の最後、他人に迷惑を掛けてしまった事を申し訳なく思いながら人目の付かない場所まで連行され、その場から遠い北の地へ姿くらましをする。冷たく湿った空気が頬を撫で、目の前には黒い林だけが存在する鬱々とした世界、と怒りをどこに発散させていいのか判らなくなっている黒い人型の塊、レギュラス・ブラック。
「すまない、、余計な時間を取らせてしまって。あんな男に噛み付いて、同行すべきじゃなかったんだ」
先ほどの会話は思い出すだけで腹が立つが、それでも彼のダンブルドアを見る目が完全に変わったのは中々の収穫だ。後は向こうが余程上手くやらない限りレギュラス・ブラックはメルヴィッドの側に付くだろう。全盛期と比較すると大分見劣りするが、それでも魔法界内で巨大な人脈を持つブラック家の当主を手駒に出来たのは喜ばしい事である。
ダンブルドアやヴォルデモート以外の勢力も少なからず存在するので未だ完全という訳ではないが、9割方こちらを向けば後は焦る必要もない。寧ろこれからは必要以上に食い付いて行く方が不自然であろう。
「私は構いませんよ、いいえ、寧ろ感謝しています。ダンブルドアという男が、どれだけ信用ならない人間なのか判りましたから」
杖を取り出して呼び出した守護霊に伝言を託しながら言うと、レギュラス・ブラックが驚いたような顔をして私を見た。この年齢の子供が有体守護霊を作り出せるのは、まあ、確かに妙だとは思う。
妙だが、既に私は変人として認識されているのでゴリ押しすれば納得してくれるだろう。それでなくても過去が凄惨に過ぎるのだ、多少の誇張は許されるに違いない。
「自分の身と大切な人を守る為ならば、どんな事だってしますし、どんな技術だって取り入れますよ。たとえ、周囲に理解されない正当を越えた手段であっても」
「君は……すまない。相応しい言葉が、見当たらない」
「レギュラス、そんな顔しないで下さい。それにほら、守護霊も結局今は使い道がなくて電報宜しく伝達係りにしている訳ですし、ね?」
守護霊をメルヴィッドへの使い走りにして、レギュラス・ブラックに送迎をして貰うので迎えに来なくても大丈夫だと伝えただけなのだが、直前までダンブルドア相手に血を昇らせ過ぎて頭の中が少しおかしくなっているのかもしれない。本当に感受性が豊かな子である。
「変な子だと、笑って下さい」
言いながら、リチャードの元に案内すると手を差し出した。この降雪と寒空の下で何時までも突っ立っているのは得策ではない。
判決があれであったので彼の元へ行くのは気が重いが、彼の為にも、私の心に区切りを付ける為にも行かない訳にはいかない。べたつく重い雪を掻き分けながら進んでいると、ふと、レギュラス・ブラックが何かに気付いたように呟く。
「、震えているね」
「ここは雪が多くて、寒いですから」
「声が詰まっている」
「いけませんね。風邪を引いてしまったのかも」
「涙目だ」
「雪が目に入ってしまって」
「」
繋いでいた手が強く掴まれるが無視をして歩く、彼の墓所はすぐそこだ。
「泣きたいのなら、泣くべきだ」
「リックは心配性なんです」
何時もの場所に辿り着いて、立ち止まり、辺りを見回す。足跡は消しているが不自然な箇所が幾つもあった。矢張り何時ものように、監視が居る。
首から下がったペンダントに触れ、目を閉じて項垂れた。呼吸を整え、震えが収まるまで待つ。雪と土の下、棺の中で眠る彼の死体に心配ないと笑いかけた。
「それに、悲しいニュースばかりではリックも辛いでしょうから」
あの男の視線が付き纏うこんな汚れた場で、誰が泣くものかと。