スモークチキンとバジルとチーズのパニーノ
先客は奥の方にある窓際のテーブルに1組とカウンターに数人、その中に幾つか見覚えのある姿がいるような気がするが、私は彼等の顔を知らない事になっているので今は放置するしかないだろう。
ただ、店の中の客全てを無視する事は逆に不自然なので、手前のカウンターを陣取る紫色のシルクハットを被ったままの非常識かつ非常に目立つ馬鹿や、奥の目立たない場所に座っている白髪混じりで今にも倒れそうな様子の中年辺りを数秒だけ視界に入れておいた。前者は兎も角、一応後者の彼はレギュラス・ブラックも面識がある筈なのだが、どうにもダンブルドアへ全神経を集中させ過ぎて余裕を持った警戒が出来ないでいるらしい。
さて、地下で待ち構えていたダンブルドアの存在を流す事が出来なかったばかりにこんな目に遭っているが、だからといって私を守るべく応対をしたレギュラス・ブラックを責める気にはなれない。下手に無視を続けて家にまで来られるよりは大分マシであるし、真実を知らない彼が主に話をするのならば大量の情報が漏れる心配もないだろう。
開心術を使われの事が暴かれるかもしれないが、精々その程度だ。私が気を抜いて閉心術を解いたりするような下手を打たなければ、だが。
客に解読させないよう努力しているとしか思えないような癖字で書かれたメニュー、それを手に取り渡して来たダンブルドアを2人で仲良く無視して表の黒板に書かれていた内容を思い出す。空腹だが目の前の男の所為で食欲が湧かず、揚げ物や肉料理を食べたい気分ではない、となると残る選択肢は芋か魚か。味の当たり外れが少ないジャケットポテトでも構わないが、生憎好みのフィリングが無かった。
「ここのエールとソーセージ&マッシュは絶品での」
「ではレモネードとロースト・ラムで。は何にする?」
「私はフィッシュ・パイを。飲み物はレギュラスと一緒で」
「判った、フィッシュ・パイだね。ああ、申し訳ありませんダンブルドア、私と貴方は特別親しい仲でもないので、どうぞご自分で注文なさって下さい」
拒絶の感情をはっきりと込めた冷たい笑顔を浮かべて席を立ち、早口でそう告げたレギュラス・ブラックは、ダンブルドアの返事を待たずにカウンターへ向かうと、2人分の注文と代金を支払いレモネードを受け取ってテーブルまで戻って来た。
注文を受けた店員が面倒な客が来たと言いながら厨房へオーダーを告げに行く。面倒どころか煩わしくて迷惑なのは事実なので否定しないが、そう思うなら私達を含めこの老人を今すぐ叩き出して欲しいと心底思ってしまった。
私達が動く気がない事を早々に悟ったダンブルドアは白々しい笑みを浮かべてカウンターまで行き、同じ手順でエールを受け取って戻って来る。ハロウィンには遅過ぎるしサンタクロースが来るにはまだ早いと応対した店員が毒吐いた気持ちもよく判った。
元から欠片も魔法使いらしさを感じさせない私や、魔法省を出た時点でローブからコートに着替え一般人に扮したレギュラス・ブラックならまだしも、ダンブルドアはローブと、何よりその長過ぎる髭が目立って仕方がない。テーブルに着く際にも、ダンブルドアを知らないごく普通の客は擦れ違い様にその特徴ある髭を二度見していた。
「それで、一体何の用ですか?」
私が現実逃避をしている間にレギュラス・ブラックは考えを纏めたのか、単刀直入な質問をぶつけに行く。ここで遠回しな問答を行なっても無駄に時間が経過するだけでダンブルドアの応援が増えるくらいしか展開が読めない、他に思い付くような良手もないのでひとまずこの切り出し方には賛成だ。
しかし考えてみればレギュラス・ブラックも可哀想な立場である。
自身の裁判の時はルシウス・マルフォイ、今度はダンブルドアとテーブルを囲う羽目になるとは。おまけに、今回同席するのは年上で頭の回転が速いメルヴィッドではなく、外見年齢は年下で中身は老人の私である、自分がこの子を守らなければと気高い彼は考えているのかもしれない。
「何、ハリーの事が少々気掛かりでの」
「彼は改名して、今は・という名前になっていますので、呼ぶのならば是非そちらで。それと、どの面下げて気掛かりだと抜かしているんですか?」
「はて、何の事かのう」
「態とらしく惚けるのは止めていただきましょう」
ダンブルドアの軽い煽りでいきなり彼の怒りがフルスロットルに叩き込まれたのだが、ブラック家の人間は基本的に気が短いのだろうか。朧気な記憶を掘り起こしてみると、確かにシリウス・ブラックは喜怒哀楽が激しく、また非常に短気であった。
しかしこうも感情を剥き出しにしているのは年若い事を差し引いても名家の当主としてどうなのだろうか。逆にそこが好ましいと言えば好ましいのかもしれないが、この子の真っすぐに過ぎる性格は交渉事には向いていない気がしないでもない。
かといって私は私で会話の方向性を誤る無神経な愚者なので、矢張りここはメルヴィッドの召喚が望ましいだろう。尤も、今日も真面目に仕事中の彼をこんな下らない事態で呼び出そうものなら帰宅後に拷問のフルコースに突入する事は間違いないのだが。
「貴方がエメリーン・バンスの判決が有利になるよう偽証した事は明白です」
ああ、彼のこの発言は悪手である。
悪手というか、投げた瞬間自分に突き刺さるブーメランだった。揚げ足取りすら苦手な私でも判る。
「それを、先日の裁判で無実の判決を受けた君が言うのかね?」
「それは……!」
過去の私と同様、老人相手に若者、しかも10代の子供が挑むのは少々荷が勝つ。
食前でも食後でも食中でもこれの相手は心底嫌だが、可哀想な目に遭うこの子を傍観するのも酷い話だ。年上の私が助け舟くらいは出してやらねばなるまい。
「レギュラス、たとえどれ程の偽証があり理不尽な判決が下されようと、全ては終わった話です、専門家が最も適当と思われる判決を出して終わらせてしまった話なんです。検察も弁護士も存在しないあの世界が軍法会議のような制度を採用していても、それが裁判と呼ばれているものならば、その世界に属する以上従う他ありません」
「軍法会議とは酷い言い様じゃのう」
「傍聴から得た率直な感想を述べたに過ぎません」
「上訴権や司法取引は存在するがの」
「あの世界の司法制度がこちらの英米法と同じ流れを汲んでいるのならば存在していて当然でしょう。ですから、軍法会議のような、と比喩を用いて表現したのです」
元から私の中に入っている知識は主に大陸法であり、英米法を使用するイギリスでは使い所が余りない情報である。また質も量も一般人並しかないが、リチャードの裁判の為に図書館の書物で手に入れた付け焼き刃の知識で言葉を固めつつ目の前の老人を蔑みの目で見た。
私の内にあった怒りは既に発散させた、閉心術も保っている、これなら大丈夫だろう。
「それよりも他に、伺いたい事があるのですが」
「ふむ、言うてみなさい」
「貴方は何故、私がリックを、リチャード・ロウを、私の英雄と呼び慕っていた事実をご存知なのですか?」
「勿論、マグルの報道じゃよ。裁判で聞いておったかも知れぬが、儂は魔法界の物だけでなくマグルの新聞やテレビも見るからの」
「然様ですか。私はメディアの前で彼を英雄と讃えた覚えは一度もないのですが」
私の揚げ足取りに向かいの薄い青が不愉快そうな色を宿した。
だが、当たり前のように私の言葉は詰めが甘い、表情は笑顔のまま、ダンブルドアは事もなく告げる。
「では、英雄という単語は報道側が勝手に付けたのじゃろう。よくある表現じゃ」
「ええ。ヒーローという単語は実によく使われていますからね、そうでなくても貴方は私を監視していたと証言して、それは偽証ではなく事実でしたから、経緯は兎も角、知っていても何等可怪しい事はありませんでした。失礼」
ウエイターが運んで来たロースト・ラムとフィッシュ・パイを受け取り、心配そうな目をしているレギュラス・ブラックに微笑みながら彼の分と一緒にテーブルの上へ置いた。料理を手渡されなかった事を不思議がるレギュラス・ブラックに申し訳なく思いながら、去ろうとする店員を呼び止めてグラスと取り分け用の皿とカトラリーを所望する。
彼とダンブルドアを待たせたまま空のグラスに2本分のレモネードを混ぜて注ぎ、ヨークシャー・プディング、ロースト・ラム、フィッシュ・パイの順にナイフを入れ、取り分け用の皿に1口分だけ盛って正面に差し出した。
「どうぞ、先に召し上がって下さい」
「さて。どうやら敬老精神からではないようじゃが」
「ええ、勿論です。信頼出来る方ならまだしも、得体の知れない方に連れて来られた初めての店で物を食べる際はこうでもしないと安心出来ません。私は、従兄のようになりたくありませんから」
私の行動の意味を理解したのか、灰色と青の瞳が僅かに見開かれる。
レギュラス・ブラックや私が偶然選んだ店ならばまだしも、ここはダンブルドアがあらかじめ部下を配置した後に私達を連れて来た店だ。その気になれば、薬物の混入は容易い。
店に入ってから今迄ずっと真実薬等の自白剤を混入した素振りは見られなかったが、しかし、目に見えない範囲、たとえば厨房に魔法使いが1人でも忍び込んでいれば薬物混入は容易である。用心するに越した事はない。
「やれやれ、君の中では儂は大悪党になっているようじゃ」
「ご自身の立場を正しく理解されているようで。所で、カトラリーが全く動いていないようですが、まさか食べる事が出来ないとは仰りませんよね」
「勿論言わぬとも。ではいただくとしようかの」
その言葉の後、解毒剤を飲む等の不審な行動も特にないまま、ダンブルドアは料理を食べきり、レモネードを飲み干した。どうやら要らぬ警戒だったらしいが、ようやく安心して料理を口に運ぶ事が出来る。
念の為、用意されたカトラリーとグラスを拭った後で料理を切り分け、飲み込んだ。正直に言うと不味いが、衝撃的な不味さという訳ではないので食べられない事はない。温野菜が例の如く火を通し過ぎて無残な姿になっていたり、肝心のホワイトソースがダマになっているのはどういう了見だろうかとは思ったが、その程度である。
もう一方はどうだろうかと隣を見たが、レギュラス・ブラックも不愉快そうに眉根を寄せて不味いと呟いていた。庶民の舌の私が美味しくないと感じた物はブラック家当主であるレギュラスも当然のようにお気に召さなかったらしい、肉が臭いのか舌触りが気に入らないのかソースが駄目なのかマトンをラムと偽って調理しているのか。私もこちらの処理で手一杯になりそうなので知りたくはないが。
食べる事を処理と表現しなければならない料理と、嘘に塗れた言葉の遣り取りで不愉快になった所で、更に続けよう。
「リックの犯行動機もメディアから得たのですか」
「それ以外に何があると言うのか」
「可能性だけならば幾つも考えられます。たとえば、裁判所が紛失した彼の手記、だとか」
「まるで儂が盗んだかのような言い草じゃの」
「随分と怖い顔をなさいますね。私は紛失と盗難を一緒くたにしてしまうような暴論を主張した覚えはありませんが。貴方は私の言葉をありのままに受け取る事の出来ない」
味の抜けた白身魚をフォークの背で擦り潰しながら青い瞳を射抜いた。幼子には持ち得ない悪意を込めて、唇を動かす。
「何か、疚しい理由でも抱えているのですか?」
「邪推するのう」
僅かに、本当に僅かに口端が動いたくらいで、ダンブルドアは笑顔を貼り付けたまま敵意を込めた視線を私に送り続けた。
隣席でレギュラス・ブラックがかなり困っているようだが、もう少し我慢して貰おう。まだ、この話は終われない。
「少し冷静になって整理してみれば判ると思うが、他の証拠と一緒に紛失された彼の手帳はエメリーンが裁かれる以前、リチャード・ロウの犯した毒殺事件が被疑者死亡で公訴棄却された時点では存在しておったのじゃよ。ならば当然、各メディアから情報が出てくるのは判り切っておろう、賢い君ならば理解出来そうなものじゃが」
「では、賢い私からもう一言。今、何故手帳という単語を使用したのですか? 私の記憶によると、報道では彼の犯行動機が書かれた物は手記と発表されただけで、日記なのか、手紙なのか、カレンダーの端書なのか、その形態は一切外部に語られていませんでしたが」
「儂は報道でそう聞いたような気がするから大きな意味を持たせずその単語を使ったに過ぎんよ。君は、報道された全ての情報に目を通して、どの機関も手帳と言う単語を使用していないと断言出来るようじゃのう?」
「まさか、不可能ですよ。そのような事は」
人参とブロッコリーを白いソースの中で切り潰しながら、しかしと相反の言葉を用いる。
「彼の罪を裁く場で使用された証拠は、そのまま彼の死を究明する場に流れました。故に死後の自白とされる彼の手記は裁判中には報道規制の対象内として扱われ、結審前に紛失した事で未だ手記の形状や詳細な犯行動機すらも公式には発表されておりません」
「メディアによるでっち上げや暴露すらないと言い切れるかの」
「貴方もご存知の通り、彼の事件は非常に大きなものでした。そんな大きな事件で法廷侮辱罪に抵触するような行為をする輩が、存在するとでも?」
「可能性は低いが、しないとも言い切れぬ。また、紛失したとはいえ書類上の記録にはその形状が文字として残る。手帳という単語は、結審した後に君が目を通していないメディアから出て来た情報である可能性も大いに有り得る、それならば法廷侮辱罪の適用範囲外じゃ」
「成程? 彼の裁判の結審から3ヶ月以上経過しているので、理屈はそれでも十分通りますね。辻褄合わせの、理屈だけは」
これ以上の揚げ足取りは、私の頭では不可能だろう。
まあ、嫌がらせとしてはこの程度で十分なので、ひとまずは良しとしておくべきだ。余り深くまで切り込み過ぎると、こちら側にも被害が出かねない、引き際を見極めれない以上、早期撤退が望ましい。
「では、貴方の言葉通り、一切合切をそういう事にしておきましょうか。ウィゼンガモット最高裁主席魔法戦士殿?」
最後にこれの持つ役職名を声に出し、一度ゆっくりと瞬きを行った。だからどうしたと言いた気な、握り潰して殺してしまいたいような笑顔を浮かべた男に、こちらも穏やかな笑顔で応対する。
息を吐いて安心しようとしているレギュラス・ブラックには悪いが、まだ話すべき事は残っているのだ。今がチャンスな訳でもないし、面倒臭い事この上ないが、後の事を考えると絶対にここで会見を終わらせる訳には行かない。
「そちらのお話を伺いましょう。私のような餓鬼の長い戯言を聞く為にあのような場で待っていた訳ではないのでしょう?」
互いの敵意から圧力が増し、体感温度が下がりつつあるテーブルで、私は次に進む為の言葉を静かに吐き出した。