曖昧トルマリン

graytourmaline

海老真薯と蓮根の吸い物

 レギュラス・ブラックに手を引かれ四号法廷の傍聴席に行くと、しんと静まり返っている屋内に並んだ椅子の間でジャガイモのような頭が動き回っているのを確認出来た。扉の開閉音で私達に気付いたのだろう、ジャガイモ頭の持ち主であるクリーチャーが背凭れ越しに顔を上げ主人と私の名前を嬉しそうに呼ぶ。
 狭い通路を早足で抜け、守衛室前で会った時より元気になっている小さなハウスエルフの前に膝を着いて抱き締めた。薄い布1枚に覆われた彼の体は冷え切っている、普通に待機していればここまで冷えないはずだが、2人分の座席の汚れを落としクッションやら膝掛けやらを用意していればこうもなるだろう。
坊ちゃん、クリーチャーめをお離し下さい。膝が汚れてしまいます」
「外出すれば服はどうしたって汚れるものですよ」
 しかしあまり長い間抱き締めたままだと、また感極まって泣き出しそうなので、程々に彼を解放して立ち上がった。今泣かれても別に困らないのだが彼の感情は長く続く、裁判中にまで雪崩れ込むと退廷処分を受けかねない。
 主従に薦められるまま椅子に座ると、レギュラス・ブラックを挟んだ隣にクリーチャーが座ろうとしていたので呼び止め、申し訳なさそうな顔を作ってお強請りの演技をする。
「1つ、お願いがあるのですけれど、宜しいですか?」
「勿論で御座います、坊ちゃん。クリーチャーに出来る事ならば」
「私のジャケットを預かって欲しいんですが」
 魔法省に着いてからずっと小脇に抱えていたジャケットを差し出すと、特に問題ないと判断されたのか普通に手を伸ばして来た。ハウスエルフは主人やその家族から衣類を与えられる事が解雇通告と同様だったが、随分前から予想していた通り遠縁や他人からならば衣服を受け取って問題ないらしい。
 私の両腕は伸ばされた細い手の上を通過し、折り畳まれていたジャケットを広げてクリーチャーに羽織らせた。丈は大分長いが床に擦れる程ではないので痛む事はないだろう。
「それでは、お願いしますね」
 物凄く困った顔をしているクリーチャーに回避不能の先手を打ち、脱がれないようにファスナーも上げてしまった。腕を出していないので蓑虫みたいだと思っていると、隣でレギュラス・ブラックが狡いと呟く声が聞こえた、彼の了承を得ずに色々勝手な事をしでかした事に対して嫉妬してるものの怒ってはいないようである。
 笑顔の私にクリーチャーも諦めてくれたのか、ジャケットの下でもぞもぞと動いて袖から両手を出した。瞬間を狙って、小さな体を持ち上げて膝上に乗せる。
「いけません坊ちゃん! クリーチャーめを降ろして下さい!」
「だって手も足もこんなに冷たいじゃありませんか。降ろすのは温まったらです」
「しかし」
「それにこの傍聴席の椅子で裁判を見るにはクリーチャーの座高が足りないでしょう? クリーチャーを膝の上に乗せている間は私も温まりますし、誰も損しませんよ」
 何とかして反論しようとしているクリーチャーを黙らせ、羨望の目で私達を見ていたレギュラス・ブラックに貴方も膝上に来てみるかと誘うが、私の膝が潰れるし、第一絵面が可怪しいと丁重に断られた。
 ただ、その台詞を言う際の彼の顔が余りにも寂しそうだったので頭を撫でて上げると、彼は少年の顔で噴出して笑う。ユーリアンと同じ、年頃の男の子の笑顔だった。
「君は本当に、良い意味で変わった子だね。ねえ、、今週末にでも屋敷に遊びに来てくれないかな。メルヴィッドも是非、一緒に。ああ、でも君くらいの年齢の子は友達も沢山居るだろうから、勿論先約があるならそちらを優先して」
「いいえ、学校関係者との予定はありません。メルヴィッドは残念ながら仕事が入っていましたが、帰宅したら訊いてみます」
 反抗を諦めたのか聞き取れないくらい小さな声で反論するしかなくなったクリーチャーごと膝掛けで下半身を包み、ブラック家への訪問を快諾するが、途端にレギュラス・ブラックの表情に疑問の色が差す。無意識に何か、まずい事でも言っただろうか。
「その、失礼な事を訊くけれど、には……親しい人は少ないのかい?」
 何故親しい人間の話に急に飛んだのか判らなかったが、自分の発言を振り返り気付く。先約の友達とレギュラス・ブラックは表現したにも関わらず、私が返した単語は学校関係者である。これでは友人がいないのかと疑いたくもなるだろう。事実、いないのだし。
 ここで嘘を吐いても後の処理に困るだけので正直に言ってしまおう。別に恥ずべきことではない、何よりも、私自身嘘が苦手な性質だ。
「レギュラスの考えている通り、学校にも近所にも親しい友人はいませんし、作りません。魔法がどうこうではなく、私がこんな性格ですから。同年代の子には会話が出来ない、話が通じないとよく気味悪がられていますが、どうにも直せない性分のようで」
 話が通じない云々はユーリアン辺りにも毎日のように言われているが、それはまたちょっと違う方向性の会話であろう。
 あれくらいの年頃の子は異端な存在に敏感だ。ハリーは早生まれだが私の手によって体も鍛え上げられ、背格好もどちらかと言えば大きい部類である。加えて口調がこれで、思考は異次元だと指摘される爺なのだから、友人が出来ないのも仕方がない。
 以前言ったように、ダンブルドアの命を受けて暗躍する魔法使い達に害される心配がないよう、無関係な親しい人間を出来るだけ作らないよう心掛けていたのも大きいが。
 その、丁度考えていた事をレギュラス・ブラックが指摘する。
「……が友人を作らないのは、リチャード・ロウを増やさない為?」
 これから開かれる裁判に関係の深い名前を出され、私の表情筋が一瞬静止した。同時に、クリーチャーの息を呑む音と共に小言も停止する。
 そういえば私は今迄、彼等の前では笑顔の類しか浮かべていなかった、きっと初めて見る真顔に驚いているのだろう。自分が立ち入るべき話ではないと思わせてしまったかもしれないが、久し振りに他人の口から彼の名前を聞いた所為で精神が揺らぎ、大丈夫だと訂正する気にはとてもなれなかった。
 揺らいだ感情のまま、レギュラス・ブラックが告げた言葉が正解だと示すように口の端を僅かに吊り上げ、今は未だ、がらんとした被告人の席を眺める。
 非魔法界側の裁判で、リチャードの名前だけが無差別殺人犯としてあの場に存在した。そのリチャードを殺したエメリーン・バンスは、無罪であると言いた気な表情であの場に立った。決して、無実ではない事を誰もが確信していたというのに。
「ええ、そうです。あの時、私の周囲にいた魔法使いは皆、魔法を使えない人間の事なんて自分と似た姿をした動物程度にしか思っていないようだったので。そんな者と関わりあっては、気軽に友人も作れません」
「君の口から言われると、耳が痛いな。僕も純血主義だから」
「いえ、私も血を尊ぶ事は胸を張り誇るべきだと思っています。血を絶やさぬよう努力し、家の伝統や一族の歴史が長く受け継がせる事には基本的に賛成です。ですが、だからと言ってそれ以外の者を蔑んでいい理由にはならないと、一つ価値のある物を見つけたらそれ以外は全部屑だと断定するのは限定主義的な暴論だと、私は思います」
 10歳の子供が口にするような台詞ではないが、レギュラス・ブラックも私を変人として捉え始めているので構いはしないだろう。第一、今更子供らしい演技をしても嘘臭さが際立つだけだ。
 笑顔の中でそんな事を考えていたのかとクリーチャーは呟き、それを合図に隣に視線を戻すとレギュラス・ブラックは柔らかい表情で目を細めていた。
「君は、間違いなくメルヴィッドの家族だね。たとえ、血は繋がっていなくても」
「そうでしょうか。メルヴィッドの思想は、私とはまた少し違うように思えますが」
「いや、そうだね。流石は彼をよく見ている。ただ僕は、確かに思想に違いはあるけれど君達の思考はとても柔軟だと言いたかったんだ」
「ああ、成程。そちらの意味合いでしたか、すみません、どうにも私は他人の言葉を変な方向に解釈をしてばかりで。話が噛み合わないと、よくメルヴィッドにも呆れられるんです」
「何となくだけどそれも想像が付くよ、僕やクリーチャーへの対応を見ていると。でも直す必要は全くない、君のその考え方は何時か長所になる」
「そう、願いたいです」
 しかし彼の言う何時かとは何時であろうか。私はもう1世紀近く生きているのだがそれが長所になる気配は一向に見えないと正直に言えないので、思い付いたばかりの言葉には悪いが肺の底に沈んで貰った。
「今のホグワーツには君みたいな子が必要なだけに、心底残念だよ。君をマグルの選抜校に行かせるのは勿体ない」
「え、申し訳ありませんレギュラス。今、何と仰っしゃりましたか?」
は成績優秀者だからホグワーツじゃなくて、グラマースクールだったかな、その試験で合格すれば行く予定だって聞いているんだけれど、メルヴィッドは君に何も言っていないのかい?」
「初耳です。選抜校の話は学校の先生に薦められて試験も一応受けましたが、引っ越し等でメルヴィッドの負担も増えてしまうので、合格しても進学は蹴ろうと思っていたんです。あの人の中では決定事項だったんですか」
 急いで過去の会話記憶を検索にかけるが、流石にそこまで重要な事ならば忘れはしない。ハリーを引き取りたいと言った時のように、また勝手に決めてしまったのだろうか。
 中身が爺なので10歳程度の勉強は朝飯前で成績優秀なのは当たり前である。先月頭に受けた試験も既に合格は決まったものだと確信している教諭陣から再三選抜校の特色を説明されて、メルヴィッドも表面上は真剣に受け答えしていた。しかしそれでも、3月1日に結果が出るまでは、と慎重な表情で流していたような気がする。
「でも、彼がホグワーツを選択肢から外す理由も判るよ」
 ぐるぐると思考の渦に嵌っていると、先に結論に辿り着いたらしいレギュラス・ブラックが哀れみのような表情を浮かべた。
「ホグワーツ自体は悪い学校じゃない。けれど、校長の思想が校風に反映されるからね。今いる教諭陣は、君にとって良くない人間が多過ぎる」
 そういう事か。
 確かに校長がダンブルドアで、副校長でグリフィンドールの寮監がミネルバ・マクゴナガル、スリザリンの寮監がセブルス・スネイプでは問題が残るどころか山積している。彼等が私を害そうとしていた事を知った常識人で良識ある保護者ならば、入学を考慮する事自体がまずありえない。
 しかし、非魔法界側の学校に入学してしまうと当然ダンブルドアの動向は掴み辛くなる、話に合わせただけの嘘ならばいいのだが、もしも本心の場合はその辺り、彼は一体どうするつもりなのだろうか。
「ホグワーツにはどなたが、いらっしゃるんですか?」
「ミネルバ・マクゴナガルとセブルス・スネイプと言えば、判るかな。ホグワーツでは彼等が教鞭を取り寮監として権力を振るっている。それに何より、今日の裁判の被告証人側に来るダンブルドアは彼らの上司、ホグワーツの校長で、ここウィゼンガモット最高裁の主席魔法戦士だ」
「そう、だったんですか」
「メルヴィッドが言っていないのなら、余計な事を知らせてしまったかもしれないね」
 すまないと謝罪するレギュラス・ブラックに、私はしばらく考え込んだ後で首を横に振った。1つだけ、メルヴィッドが言い忘れた理由を憶測出来たのだ。
「そのお話をしたのはレギュラスとメルヴィッド、それに、マルフォイというお名前でしたか? その3人で軽食を取っていた時ではありませんか」
「ああ。そうだけど」
「ならば、言ったつもりで忘れているだけの可能性が高いです、あの日、メルヴィッドは大分疲労して帰って来たので。何でもそのマルフォイさんに色々凄まじい勘違いされたとか」
「それに関しても謝っておくよ。彼は従姉の夫君でね、僕としては適度に距離を置きたい相手だけれど、そう簡単には行かなくて困っているんだ」
「ああ、結婚による血縁関係の面倒臭さは私も判るような気がします。それを御してこその血族主義ではあると思いますが」
 するりと言い放った言葉に、レギュラス・ブラックはしばらく考え込んでから気まずそうに意味不明な声を上げる。クリーチャーもハリーの血縁関係がブラック家とは別方向に腐っている事を思い出したのだろう、主人と私の為に何とか別の話題を提供出来ないものかと私の膝上で頭を抱えていた。
 然程深く考えず発言したのだが、彼等には要らぬ気を掛けさせてしまったらしい。さてどうしようかと考えていると、丁度傍聴席側と反対の扉が開き2人の人間が入廷して来た。
 線は細いが意志の強さを感じるような歩き方をする女、実際に見るのはこれが2度目の殺人犯、エメリーン・バンス。
 そして天才で賢人であるが、最低最悪の男、アルバス・ダンブルドア。
 腕の中にいたクリーチャーが震えた事に気付き、彼の瞳の中に映る自分自身の顔を見て想像しているよりもずっと険しい顔をしていた事を知った。少なくとも10歳の少年がするような顔や目付きではない。
 幾らクリーチャーが可愛いとはいえ、流石にこんな殺気塗れの私に抱かれたままでは逆に可哀想だ。赤紫色のローブを纏った裁判官も入廷して来た、裁判が始まろうとしているので下手な事は喋れないが、完全に始まってしまう前に私から離れるようにとジェスチャーで語りかける。クリーチャーもすぐにそれに気付き、しかし自分の主人とアイコンタクトを済ませるとすぐ隣に座ってレギュラス・ブラックとで私を挟むような陣形を取った。
 不安を拭い切れない彼等の視線から察するに、もしかしたら、憤怒に依って私の魔力が暴走する可能性を危惧しているのかもしれない。
 危ぶむのも無理はない、中身は爺だが見た目と書類上は未成年の魔法使いなのだ、もしも私が彼等と同じ立場ならばきっと似たような行動を取るに違いないから。
 最後に法執行部の人間が中央に座り、証人であるダンブルドアに軽く手を振って笑顔を浮かべた。否、入廷して来た裁判官の半分以上が好意的な視線や仕草を表している。相手が同法廷の最高位に位置する魔法使いなのだから、媚を売ったり純粋に慕っている魔法使いも少なくないだろう。それは判る。
 判るが、今ダンブルドアに好意を露わにした裁判官は死ぬべきだ。
 全員即刻にあの世の裁判を受けた方が魔法界の為である。空席になった場所にはもっと良識ある優秀な人材を法廷へ入れ、この腐り切った空気を払拭して欲しい。
 ダンブルドアが気に食わない事は勿論あるが、それ以上に彼等には人を裁く権利を持たせてはいけない。裁判官に必要なのは中立性と良心であり、彼等が従うべきは被告側の持つ権力や首席への羨望、尊敬の念ではなく、法律である。
 否、判っていた。レギュラス・ブラックの裁判より以前から既に判っていたのだ。魔法界が司法国家とは何かを理解していない事くらい、彼等の価値観が中世で止まっている事くらい、ずっと前から、それこそこの世界に来る前から判っていたのだ。
 だが、納得はしていない。これからも、する事はないだろう。
「これより第1回公判を始めます、1990年12月4日開廷」
 それでもまだ、私的制裁の場だとはっきり告げられれば、諦めくらいは付くというのに。