グリーンアップル・カモミールティー
折角取った休暇だというのに疲労を蓄積させて帰宅したメルヴィッドは、食卓に着くなり愚痴と共に傍聴した裁判の結果を報告してくれた。
被告や弁護に立つ人間の家柄、要するに名声と家柄と金が持つ力に司法が屈した形で決着が付き、まあ世界なんてものは常にその程度には汚れ腐っているのだと諦める。恐らく再来週に開かれるであろうエメリーン・バンスの裁判も弁護に立つ人間の肩書から考えると、同じような結果となるに違いない。
「しかしメルヴィッドの話を聞いていると、裁判自体は即日結審で通常通り終わったようですね。その後、一体誰に捕まって疲れ果てて来たんですか?」
「も予想くらいはしているだろう、言ってみろ」
「そう、ですね。矢張り順当に考えると、被告側証人として出廷したマルフォイ家のルシウスでしょうか。レギュラス・ブラックの可能性もあり得ますが」
「その2人で正解だ」
レギュラス・ブラックが初見で勘違いしたように、同じく裏切り者の死喰い人であるルシウス・マルフォイもメルヴィッドをヴォルデモートと等号で結んだのだろう。
その事自体は随分前から予想していた事だったが、まさか誤解を晴らす為にここまで時間がかかるとは思ってもみなかった。
メルヴィッド自身は魔法使いとはいえ、義母も出身大学も勤務先の会社も、彼の取り巻く環境は副業を除いて魔法界とは関わりを持っていない。
良くいえば伝統と血筋を重んじる、悪くいえば頭が固く価値観に黴を生やした純血主義者達はすぐにでも烙印を押しそうなものだが、矢張り主人と崇め、また恐怖していた存在と顔貌が瓜二つでは誤魔化しも簡単には行かなかったようだ。
私と出会った当初のメルヴィッドはどうせすぐに他人と見られると高を括っていたが、意外にもそうではなかったらしい。否、数分と数時間の差なので、長い目で見ればすぐといえばすぐなのだろうか。
「レギュラスもルシウス・マルフォイとは距離を置きたがっていたが、あちらはどうもそのつもりがないようだったからな。今思い出しても居心地の悪い軽食だった」
「それはまた其々の思惑が絡み合って至極面倒臭い関係になっていますね、留守番していてよかったです。お疲れ様でした」
「ある程度予想していたから仕方がないと諦められたのが幸いだ。他に許せる要因は、行った先がマルフォイ家御用達の店で味が良かった事くらいか」
美味しかったと評している割には、メルヴィッドの表情は然程明るくならない。味に勝る空気の悪さだったのだろうか。私がその現場に突っ込まれたら数分も保ちそうにない。
しかしである。想像してみると、その3名が同じテーブルに着いて表面上だろうと軽食を楽しんでいる光景は男女問わず随分目の保養になるのではないかとも思う。勿論遠くから眺めるだけで、絶対近くには寄りたくないが。
思考が逸れた事を見透かされたのか、下らないご機嫌取りの会話ばかりで何があったか詳しく話す必要もないだろうとだけ告げてメルヴィッドの方で話題を変えて来た。とはいっても、これも裁判の話である。
「レギュラスがバンスの裁判を気にしていたが、何時の間に喋っていたんだ」
「この間、家の暖炉を煙突飛行ネットワークに繋げている時ですね。クリーチャーと一緒にキッチンで情報交換していましたので、そこから伝わってくれたんでしょう」
「ああ成程、あの時か。かなり深い所まで探ったのかダンブルドアへの不信を随分募らせていたぞ、尤も、裁判には協力出来そうにないとも言っていたがな」
「少しだけ期待していましたが、矢張り無理な願いでしたか。あの子のように潔癖の気がある人間には良心の葛藤が当然あるでしょうし、それも仕方がない事ですよね。ダンブルドア側に転ばない可能性が高くなっただけでまずは十分でしょう」
「余り私に懐かれても逆に疑いたくなって来るがな」
「気持ちは判りますが、クリーチャーと話した限りでは今の所は大丈夫だと思いますよ。ハウスエルフである彼の忠誠心は本物です、主人に害を為す人間を決して許しませんから」
「従僕同士で仲のいい事だ。お陰で私もレギュラスにだけ集中出来るのは有難いが……浮かない顔だな、留守中に何があった」
尋ねられて初めて、従僕という単語に先程エイゼルが吐き捨てた言葉を連想してしまい、いつも通りの軽い揶揄に表情を繕い切れなかった事に気付いた。
別に隠すような事でもない。メルヴィッドが帰宅する前にリビングで起こった事を過不足なく話すと、お前の命名センスは相変わらず凄惨に過ぎると嘆かれた。偶に出現するらしい狂気とは違い、こちらは自覚しているので否定はしまい。
それよりもいい切っ掛けを掴めた。この際だから日頃から溜め込んでいた思いの丈をぶち撒けても構わないだろう。
「あの子に嫌われている事は判り切っていますし売られた媚をあしらう事には慣れたんですが、毎晩のようにメルヴィッドの悪態を吐かれるのは正直、余りいい気分ではないんです。ユーリアンの時のように梃入れをしてもいいでしょうか」
「今回は妙に積極的だな、下らない私の悪評や陰口なんてものは捨て置け。その内どうにかなる、気長に待っていろ」
「貴方がそう言うのならば、そうした方がいいですね」
何か案があるのか、それともこれ以上エイゼルとの関係が悪化して自らの不利に繋がるような事態を避けたいのか、先を読む事が苦手な私は彼の思惑も意図も判らないままそれでも従う事にした。メルヴィッドが待てと言うのなら待った方が良手なのだろう。
これからもしばらくメルヴィッドの悪口を聞かなければならないのかと憂鬱になりながら食事を続けていると、ふと、廊下の方で何かが動く気配を感じ取った。
真っ先に考えが浮かんだのはユーリアンやエイゼルだったが彼等の薄く浮遊するような気配とは明らかに違う、足音がしなかったのでネズミでもない。
まさかとは思うが敵対勢力が密偵でも送り込んだのだろうか、発生した魔法を探知して警告する防御魔法は確かに周囲に巡らせてあるが範囲は精々半径1ブロックが限界である、範囲外で変身術を使用し侵入したという可能性もない事はない。ただ、メルヴィッドの仕掛けたそれを掻い潜ってなので、現実的ではないのだが。
幸い気配はダイニングに近付いて来てくれている、不明体を放置するのは危険だと思い監視モニターを展開しようと右手を上げた瞬間、鋭い制止の声が掛かった。
声の主、メルヴィッドは私が行動を止めたのを確認した後、赤い視線を廊下に向けて音にならない声を紡ぐ。細く空気を吐き出すような声に聞き覚えがある、一般人には意味が判らないどころか聞き取りすら難解な先天性言語、パーセルタングで廊下の向こうの何かに叫んでいた。
どうやら相手との会話が成り立たなかったのか、青筋を浮かべながら乱暴に席を立つ姿を見送り、陽炎でも立ち昇りそうな程の怒気を孕んだ背中を眺めていると、やがて廊下の奥で魔法が閃光を放ちながら炸裂する。怒りを燻らせた表情を顕にしたまま食卓に戻って来た彼を見るに、どうやら一応の処置は終わったらしい。
「あれは後で仕置きだな」
「蛇の飼育は基本何重かのケージが必要だと思うんですが、メルヴィッドならば当然行なっていますよね。参考までに聞きたいのですが、貴方のような強力な魔法使いが作り上げた対策をどのように破って脱出したんですか?」
「毒でケージを溶かして穴を開けたと抜かしていた」
「成程、生まれたばかりでも毒蛇の王という事ですか」
この夏、ギモーヴさんと共にメルヴィッドが購入したヒキガエルに、ここ最近買い続けていた有精卵を与え孵化させようと試みた結果、ようやくお目当てのバジリスクが誕生したらしい。これでもう余った卵の調理法に頭を悩ませる事はないだろう。
科学に塗れた魔法使いの感性からすると、蛙と鶏卵の組み合わせで蛇が産まれるというのは奇怪な謎に過ぎる方程式だが、実際に産まれるのだから仕方がない。郷土料理で有名な河豚の卵巣の糠漬けを作る工程で猛毒のテトロドトキシンが抜ける謎は未だ解明されていないが、抜けた事は確かなのだから食べても問題ないだろうという感覚と一緒だろう、少なくとも私の中では一緒である。
いつの間にか危険生物の孵化が済み家の中を徘徊していたらしい事実は、まあ、過ぎた事なのでどうでもいい。飼い主というか、育ての親であるメルヴィッドも随分怒っているので二度と起こる事もないだろう。それよりも毒で開けられた穴はレパロ辺りで直るだろうかと考えていると、正面に座す苛立ちを含んだ赤が不愉快そうに歪んだ。
「ストレスになると思って脱走防止の魔法を施していなかったがもう止めだ。あれにはどちらが上かをきっちりと判らせる躾が必要だ」
「ああ、性格も小さな王様なんですね」
「そんな可愛いものか。お前の蛙が羨ましいとすら感じるような性格だ」
「そんな捻くれた言い方をしなくてもギモーヴさんはいい子ですよ。大人しくて周囲の環境への好奇心も薄い子ですから、生まれた子は丁度反対の性質を持っているんでしょうね」
それではメルヴィッドとの相性も良くないであろう。恐らくギモーヴさん以上の比較対象であろうホグワーツにいる方は次の主人が来るまで何百年、下手をしたら千年も孤独に待ち続けていたので、きっと頑固だが精神が強靭で非常に出来た方だったに違いない。
しかし、生まれながらに王様気質の子がよくメルヴィッドを殺そうとしなかったものだ。否、殺そうとしたのだが先に対策を立てていたメルヴィッドが、生まれた瞬間から頭に布でも巻いて目を塞いだのだろうか。飼い主とペットの仁義なき戦いと銘打つと何なら微笑ましい喧嘩を夢想してしまうが、現実は完全に殺るか殺られるかの問題にまで発展している可能性が非常に高い。これだけ神経を逆撫でされていても殺さないという事は後々利用するつもりなのであろうが、私の頭では何に利用するつもりなのかまでは流石に判らない。
「まあ、余り手を焼くような子ならばケージを全面鏡張りにでもして、必要な時まで石化させておけばいいのではないでしょうか。成長はしませんが」
「お前にしては良い案だ。採用しよう」
心底煩わしいと思っているのか、メルヴィッドは二つ返事で何の捻りもない私の言葉に頷いた。何となくフリーズドライ製法という単語が頭の中を過ぎったが、蛇を食べる習慣がないであろうメルヴィッドを気遣い、こちらは流石に口に出すのは止めておいた。否、私の実家でも早々食卓に上がるような食材ではないだろうが。
しかし、生まれてすぐ石化する事を厭わないとは、一体何の為に生み出したのか見当が付かない。生まれたばかりの子が可哀想だとかそういった感情も持ち合わせていないので、どうでもいいと言えばどうでもいい事ではあるのだが。
「では石化させるその子の解毒薬としてのマンドレイクが必要になりますね、あれは時期の物ですから6月頃まで待たなければいけませんが、今の内に他の薬の材料と一緒に予約しておきます。春までに必要ならばオーストラリア辺りから取り寄せますが、量はどの程度必要ですか?」
「イギリス産で構わない、量もひとまず1株で十分だろう。あれはどの原因の石化でも大抵治すが薬液で使用期限が極めて短いから余分に作っても廃棄しか道がない」
「ああ、そういえば作り置きが困難な部類の魔法薬でしたっけ。固形化は、私の時代ではどうでしたか……ごめんなさい、思い出せません」
「代用品の出現なら判らないでもないが、あれ自体の固形化は不可能だろう。加熱時間や温度を間違えたらその時点で失敗する薬だ、勿論蒸溜や乾燥も出来ない。完成品を凍結して保存すれば多少は持つが効果は劣化する」
加熱では薬剤自体が変質し、低温では効果薄。確かにこれでは商売になりようがないが、ある点に思い当たって記憶内を必死に探る。
「メルヴィッド。あの薬の劣化や長期保存が出来ない原因は、黴や雑菌の繁殖と酸化というごく一般的な理由で、凍結そのものが劣化の原因と言う訳ではないんでしたっけ」
「確かにそうだが、それがどうした?」
「フリーズドライ、試してみませんか」
「……そうか、その手があるか」
薬の劣化の原因として上げられるのは湿度や温度、酸素、光であるが、大抵これ等の触媒となる物質は薬品中に含まれる水分である。
先に述べたフリーズドライはその水分を凍結し、真空で乾燥させる事で氷から水蒸気へ昇華させる方法だ、と説明等しなくても現代に生きる人間はフリーズドライ程度は知っているに違いない。何せこの時代の大学に通ったメルヴィッドが知り、恩恵を受けている程度には古い技術である。
フリーズドライがインスタント食品に使用されているのは有名だが、医薬品の製造にも必要不可欠な技術だったはずだ。メルヴィッドの専攻は件の教授が教鞭を取る中薬学だが、勿論この時代の基本的な薬学の知識は揃っている違いない。因みに私はというと、医薬関係に興味が持てないのでその手の知識は皆無である。
「しかし魔法薬でそれが通じるのか?」
「今の時点では流石にそこまでは判りません。一応フリーズドライの理屈は知っていますから、私の方でまずは適当な薬液を作って実験したいと思います」
「理屈だけでは不安が残るな。ないよりはマシだ、私が持っている資料を貸してやろう。今お前の部屋で煎じている魔法薬と混ざらないようにだけ気を付けろ」
「ええ、そうします。あちらの薬は貴重で手間もかかりますから」
魔法薬の複数調合に書物の翻訳、書類偽装に暗号化した手紙の最終確認とやらなければならない事が目白押しだが、爺の呆け防止には丁度いいと思っておこう。
話が一段落し落ち着いた所で、長話によりすっかり冷めてしまったカレーにスプーンを入れた。そこでやっと気付いたが、メルヴィッドの皿に盛られたカレーが減っていない。普段なら私が無駄な事を大分混ぜながら喋っている間は常に食べ続けている彼が、ほとんど食事に手を付けていないのである。
「メルヴィッド、体調が優れないようでしたら今日はもうお休みになった方が。それとも、食事が口に合いませんでしたか?」
「いや、そうじゃない」
カレーも、ピクルスのサラダも、カルニータスも、キャベツの蒸し煮も、和え物も、彼と過ごしてから1度は作った料理である。体調不良と口に合わない事を否定した彼の言葉を疑う理由はない。となると、次に考えられるのはストレスだろうか。
「では、精神的に参って」
「違う」
七面倒な顔合わせの後で冷たい雨に降られながら帰って来たのでもしやと思ったが、即否定された。しかし心配なので今日のデザートは明日にでも回して、今夜はホットワインでも作りベッドに直行させよう。
念の為熱だけでも計らせた方がいいかもしれないと考えていると、赤い瞳が申し訳なさそうに伏せられた。
「少し、向こうで食べ過ぎただけだ」
だから夕食が余り入らないと続けたメルヴィッドに思考が一瞬停止し、そんな事は気にしなくていいのにと告げる。何時帰って来ても温かく食べられるようにと作った物は、どうせ明日まで持つ料理ばかりだ。無理に胃袋に詰め込んで消費する必要もない。
「貴方がそうなるまで食べ過ぎるのなら、余程美味しい店だったんでしょうね。よかったですね、お腹一杯食べる事が出来て」
「確かに味は良かったが、今になって思うと、結局はそれだけだ」
「美味しい事は、とても大事ですよ?」
スプーンでカレーを掬いながら伏せられていた視線が上げられ、飾り気のない言葉と共に私の中心を正面から射抜いた。
「美味いだけなら、食べ慣れたの料理の方がいい」
予想していなかったストレートな言葉に絶句して、持っていたスプーンを取り落とす。同時に、誇っていた特技を他意なく賛美された所為で頬が徐々に紅潮して行った。無防備な部分を突かれた衝撃は収まらず、彼の純粋な称賛が耳に残り胸の内で燻って消えてくれない。
「メルヴィッド。その、ありがとうございます」
「別に礼を返されるような事を言ったつもりは……」
「それと、余り私を煽らないで下さい」
「は?」
「貴方の胃にストレスで穴が空くまで可愛がりたくなってしまいます」
「何故そうなるんだ」
言葉の意味が理解出来ないと目の前で愛くるしい仕草で首を傾げるこの子は、私の持つ庇護欲の臨界点を何処まで引き上げられるか試しているのだろうか。
狂人と、化物と、そう呼ばれて久しい私にだって感情はあるのだ。無自覚に心を刺激する彼には、どうかそこの所を判っていただきたい。