曖昧トルマリン

graytourmaline

舞茸と薩摩芋の炊きおこわ

 ハリーの体から抜け出したこの姿は疲労を感じないはずなのだが、こう何時間も家計簿の計算やら、魔法薬の調合やら、漢文から英語への翻訳作業やらを続けていると流石に飽きが来るのか集中力が持続しなくなって来た。今迄の経験からすると作業を初めて大体4~5時間経った頃なので本日もそれであろうと部屋の時計を見てみると、案の定針は丑の刻を大分通り過ぎてそろそろ朝食の支度を始めなければならない時間となっている。
 昨夜、冷静さを取り戻したメルヴィッドの予想では今夜中にロケットの子が私と接触する事になっていたが、現在までその気配は見受けられない。
 与えた生気の量を考えるとまだしばらく他人と接触出来る程度には残っているだろうが、この家には対ユーリアン用の檻となる魔法が幾重にも掛かっているのであの子が勝手に外に出ている可能性はないだろう。また、敵対し合っていたメルヴィッドやユーリアンと接触する可能性も極めて低い。
 さて、彼は日を改めてやって来るのだろうか。しかしメルヴィッドがたとえ過去であろうと自分自身の行動を読み違えるとも思えない。ユーリアンに対しては全然ではないかと指摘されそうだが、あれは読めない演技をしているだけで実際は数手先まで読んで放置していると表現した方が適当である。
 折角何時来ても大丈夫なように録音機能を備えた小さなモニターを机下に隠していたのだが、どうにも明日以降に持ち越しになるかもしれない。
「やあ、こんばんは」
 否、どうやらそうではなかったようだ。矢張り、メルヴィッドの読みは当たる。
 ご丁寧に部屋の入口から挨拶と共に入って来てくれたロケットの子は、宙に腰掛けて幾多のモニターを同時展開している私を見て少しだけ驚いたようだった。
 さて、メルヴィッドとユーリアンは彼に何を、何処まで話したのだろうか。取れた時間からして事細かに説明するのは無理なはずなので、精々私の名前と現在の立ち位置程度の情報と推測しておこう。
『どうも、こんばんは。ロケットの分霊箱ホークラックス君』
「おかしいな、君と私とは初対面のはずなんだけど……ああ、そうか。未来の私が言っていた協力者の中身が、君なのか」
『はい、その通りです。自己紹介が遅れて申し訳ありません。と申します、と呼んで下さい。以後、宜しくお願いしますね』
 モニターを閉じて部屋の明かりを点けると、翻訳に必要な書物や発泡スチロールの山、方眼紙の束、ニ獣角の角、ヒュギエイアの杯が彫られたシーリングスタンプ、毒ツル蛇の皮、その他用途が限られた道具一式等が整然と並んだ、子供らしさの欠片もない子供部屋が姿を現した。ベッドで眠っている10代前半の少年と2体のぬいぐるみの方が寧ろ浮いているようにすら見える。部屋の空いたスペースを勧めると、ロケットの子も表面上は穏やかな顔をして礼を言った。
 全くどうしようもない茶番だが、それに関しては彼も同じ考えに違いない。
「過去の私はの事を老人だと言っていたけれど、失礼な話だね」
『いえ、ユーリアンの言葉通り、私はどうしようもない爺に違いありませんよ。ただ抗加齢処置をしているので、実年齢よりは大分童顔なだけです』
「そうだったのか、年長者ならばきちんと敬うべきですね」
『私は貴方に敬われるような大層な爺ではありませんから、話易い口調で結構ですよ。どうぞ気軽に構えて下さい』
 おっとりと笑ってみせると、ロケットの子も大変人好きのする笑みを私に返してくれた。相変わらず、彼等の美麗な外見でその行動を取られると破壊力が凄まじい。
 出来る事ならば爺心を刺激する彼をもっと見ていたいのだが、生憎時間が押しているのでそろそろ次の話題に移らなければなるまい。この仮面を剥がして本性を表したら二度とお目にかかれないのは残念だが、メルヴィッドにしてもユーリアンにしても本性を晒して尚可愛らしいのできっとこの子も可愛らしいに違いないと希望を見出す。
『リビングから消えてしまった時はどうしようかと思いましたが、こうしてお話する事が出来てとても嬉しく思っています』
「それに関しては私も礼に欠いたと思っていたんだ、心から詫びるよ。ただ言い訳をさせて貰えるのなら、あの場に居た未来の私、メルヴィッドが接触させたくないようだったから、ついね」
『謝罪は必要ありませんよ、私も気にしてはいないので。しかし、あの後の夕食の席でもそのような事を言っていましたが、メルヴィッドは一体何を心配しているのやら』
「私のような新参者を警戒するに越した事はないだろうからね、君の事が余程大事らしい」
『まさか、後者はありません。演技でなく、私に対して遠慮がなかったでしょう?』
「そう言われれば、そうだったかな」
 自覚しているとは思わなかった、アプローチの仕方を間違えたかと言いたげにロケットの子の瞳の奥が僅かに歪んだ。メルヴィッドやユーリアンと同一人物なだけあって、彼の目もリドルに育てられた私には読み取り易い。相手は無駄に歳だけ食っていると言っても色々な事象を経験した爺である、若い彼はやり辛いと思っているのかもしれない。
『まあ、生産性のない年寄りは甘やかさない方がいいのですよ。こんなのに忍従した所で頑固なだけの痴呆老害を育むだけですし』
「甘やかす事と大切に扱う事は違うと、私は思うけれどね」
『おや、優しい事を言って下さいますね』
 骨董品を蒐集するような面倒臭い人間を相手した経験を直前に持っているからか、何をどう言えばその人間が喜ぶかをロケットの子はよく弁えていた。ただ残念なのは私の舌は中々真実を語りたがらないので、ロケットの子の中にある私の像と実際の私は重なり合うどころか、大分掛け離れている事だろうか。
「メルヴィッドは優しくないのかな」
『いいえ、彼も優しい子ですよ。方向性は違いますが』
「けれど大切には扱わない」
『そうですね。ただ爺とはいえど壊れ物でもありませんし、大切にされてもどうすればいいのか判りませんから、それで十二分です』
 メルヴィッドにしてみれば私が握る彼の情報は大事かもしれないが、私自身の事は然程重要と思っていない。
 誰よりも一番大切なのは自分自身だと言ったのは確か、夏季休暇期間中であったか、あれは軽口であったが嘘偽りのない本心でもあったはずである。私の事はかなり甘い評価をしても、精々使い勝手の悪い協力者程度にしか思っていないはずだ。尤も、それですら過大評価であるのだが。
 ただ、そう考えているのはどうにも私だけのようで、ロケットの子は可愛らしく首を傾げて奇妙な関係だとの言葉を舌に乗せた。
「協力者だと認識し合っている割には、余りお互いの事を信じていないのかな」
『メルヴィッドは私を信用していませんよ。私が一方的に彼を信頼している協力関係です』
「何だか、身も蓋もない言い方だね」
『事実ですから。何でしたらメルヴィッドに問いかけても構いませんが』
 昨夜憤ったユーリアンが言った通り、メルヴィッドは誰も信用していないに違いない。
 信用していないのだから他者への信頼に繋がるはずもないが、それは大いに結構な事である。私は愚鈍であるし、ユーリアンは未だ隙が多い、ロケットの彼は下剋上を狙っているのだから、寧ろ誰かしらを信じている方が余程問題だ。
 付き合いの長いメルヴィッドなら兎も角、どうもこういった物事の考え方をロケットの子はしないらしい。そう言えばユーリアンもしない。私達がどのような経緯の末にこの関係に落ち着いたかを事細かに知らないので、仕方がないといえば仕方がないのだが。
「そういう関係は、辛くないのかい。ばかりが損をしているように聞こえる」
『面白い見解ですね。損得なんてものは存在しませんよ、私は商売人として此処にいる訳ではありませんから。そもそも、信用や信頼は基本、一方的なものです。私はこれだけ信じている、だから貴方も同じだけ私を信じよと強制するのは酷い傲慢でしょう』
「へえ、そういう考え方もあるのか。だけど言われてみれば、しっくり来る」
『寧ろ他の考え方がよく判りません。この人になら裏切られたって騙されたっていい、そのような心持ちでなければ信用、信頼とは呼べないのではないかと、私は思いますがね』
「随分と、重いね」
 そう思われる相手の感じ取る心が重くなるのか、この言葉を口にする自分自身の覚悟が重いのか、それとも両方の意味を持っていたのか。
 確かにロケットの子が言う通り、普通に考えればこの言葉は非常に重いのかもしれない。裏切られても騙されても構わない人間になど、そう簡単には出会さない。しかし簡単でないだけで出会う事は稀にあるのだ、私の場合がそうである。
『見方によればそうですね。ただ、メルヴィッドがダンブルドアと手を組むと言い出す可能性は皆無なので、リスクがないという時点で私の信頼は他に比べて軽薄なものですよ』
は、ダンブルドアが嫌いなのかい?」
『ええ、怨んでいます』
「……即答されるのは、少し意外だよ。誰かを憎んでいる人間の顔には見えないから」
『それらしく繕っているだけですよ。どうやら下に潜んでいるのは化物らしいので』
「化物か。そう言えばあの2人も、君は狂人だとか悪鬼だとか、散々言っていた」
『想像に難くありませんね』
 何時も言われていると苦笑すれば、私の一体何処が化物なものかと予想通りの言葉を返された。これが彼の本心なのか、それとも単なるリップサービスなのかは判らない。しかしここまで随分平穏な話をしているので前者であろうか。
 それにしても、メルヴィッドが危惧しているようにどうにかして私を絡め取ろうとしているのか、この子の放つ言葉は随分と耳触りが良い。少しでも警戒を緩めればたった一言で身動きを封じられてしまいそうだった。
 リドルに愛されながら育てられ、メルヴィッドやユーリアンとの関わり合いを持っていなければ、きっと愚鈍な私はこの子の優しい言葉を真に受けて今頃いいように転がされていたに違いない。別にそれが嫌という訳ではないが、彼には未だユーリアンと同じ種の不安があるので、そこはせめてメルヴィッド並の心強さを得てから達したい心境であった。
「失礼かもしれないけれど、君がダンブルドアを憎んでいる理由を聞いても?」
『面白くも何ともない、何処にでも転がっている動機ですよ。家族が傷付けられ、親しい者は人質に取られ、皆の人生を狂わされた挙句あの陣営の人間に養父と恋人、それに恩人が殺された。言葉にしてしまえば、ただそれだけです』
「相当だね。あのダンブルドアにそこまでされるのは」
『おや、ダンブルドアの性根と人格は利己主義的な癖に情はあるという最悪の組み合わせで成り立っていますよ。演じ分けが上手いですし、才能を有し権力との結び付きが強い分、他の者より悪質になっていますがね』
「俄には信じられないけれど、そういうものなのかな」
 心底という訳ではないようだが、私の話すダンブルドアと自身の知るダンブルドアが重なり合わないのか素で驚いている。どうやら私が想像していたよりもロケットの子は純粋なようだ。人を見る目がないとも、言い換える事が出来る。
 ダンブルドアの本性、それを今迄見破る事の出来なかった目の前の彼に興が冷め、絡め取られまいと警戒していた心が別方向へ流れ出していった。
 全くこの子はあの男に一体何を夢見ているのか、偉大な魔法使いと称される故に正攻法ばかりが際立たされるが搦め手や裏工作をしないとでも思っているのだろうか。あの男は私の世界でも、この世界でも、魔法省に単独で圧力を加える事が出来る力を持つ故に好き勝手し放題だと言うのに。
 エメリーン・バンスの件からしてもそうだ。常識を持った人間ならば、正当防衛でもないのに部下が人を殺し、非魔法界の裁判で不利になる証拠を魔法という手段で消却したと知ればそれ相応の行動を起こすだろう。しかしあの女は何にも怯える事なく平穏に過ごし、安眠を貪っていた。あの男もあの男で、始終弁護の姿勢を取っている。
 何故そんな事を知っているのか? この体で実際に見て、聞いて来たからに決っている。
 叩けば埃が出ると世間ではいうが、叩かなければ埃すら出ないのだ。ダンブルドアは誰がどの角度からどう叩かれれば埃が出るかを理解しており、叩く側の武器を投げ捨てるよう権力という力を以って強要する。
 私は、その単純で強大な力に手も足も出なかった。今でも、表立っては抵抗出来ず静かに恨みを募らせながら忍従している。
『貴方も気を付けて下さいね、大切なものを壊されてからでは遅いんです』
「ありがとう。でも、今の私には、大切なものなどありはしないんだ」
 ロケットの子は微かに俯いて口許に笑みを含ませたそれは儚く美しい仕草であったが、底まで冷えてしまった私の心にはどうにも届かなかった。
 元々心が冷えていた以外にも、リドルの浮かべる悲しい笑みを骨の髄まで知っていたという事もある。メルヴィッドの、ともいえるが。
 初めて共に過ごしたあの子の誕生日に感じた、胸を締め付けられるようなどうしようもない切なさを、この子には感じない。
 けれども、馬鹿正直にそれを表に出す必要もないだろう。メルヴィッドが彼をどうするか決めかねている以上、見せかけだろうと親しい風に装っていた方が得策だ。
『そんな悲しい事を言わずに、せめてご自身の命は大切になさって下さい』
「その理屈で行くのなら、私の存在を支えてくれているこそが至上だよ」
『こんな爺に気を遣ってくれるとは口上手な子ですね』
「酷いな、本心なんだけど」
 傷付いたような、困ったような笑みの動作も綺麗に板に付いている。
 演技力だけでいえば、ロケットの子が最も秀でているかもしれない。無論メルヴィッドも相当上手いのだが、彼の演技は基本他人との距離を計る為の手段や社交辞令が主なので、逆に距離を縮める為の演技をするこの子とは受ける印象が大分違う。
 ただ、印象が違うからといって双方共、演技である事に変わりはないのだが。
 返答に困る台詞を言われたので次の会話に繋ぐ為の言葉を探している途中、ハリーの体が眠っている枕元で単調な電子音が響いた。そろそろ朝食と昼食の為の弁当を用意しなければならない時間らしい。
「まさか、もう起きるのかい。一睡もしていないじゃないか」
『肉体はきちんと休息を取っているので平気ですよ』
 アラームを止め慣習的に行なっているハリーの簡易身体検査を始める。専用のモニターを展開し魔法で調べた結果、血圧、呼吸、脈拍、体温はいずれも正常、魂という名の意識は死んでいるが肉体自体は今日も健康でいてくれているらしい。
 数値を記録し保存し終えると、その画面の向こうにロケットの子が苦しそうな表情をしているのが見えた。貴方を心配していますと言いたげな、実に良く出来た演技である。
「本当に、君はそれでいいのか? もっと報われるべきだとは思わないのか?」
『現状以上に望むものは特に思い付きませんね。いえ、あるにはあるのですが、身の丈以上の欲を吐き出しても切りがありませんし、私にはこれで十二分に過ぎます』
「足りてなんかいない、は自分の力や忠義を過小評価しているよ。私がメルヴィッドの立場だったら、もっと君を大切にするのに」
 水面に一欠片の餌を投げ入れると、存外獲物は簡単に喰い付いた。目の色を変え、柔らかそうな唇から甘い言葉を吐き、私の心を自分の方へと寄せようとしているのがよく判る、矢張り彼はメルヴィッドの孤立化と情報取得を狙っているらしい。
 白く透明な腕が伸びて来て、私の頬を素通りする。君の隣にいたいと、まるで恋人に紡ぐ睦言のような事を言われて思わず笑ってしまいそうになったが、そこはぐっと堪え、努めて穏やかに冷静になれと諭した。
『そういうのは、もっと若くて可愛らしいお嬢さんに言って差し上げなさい』
「君がいいんだ。私を存在させてくれる、君が」
 何年か前にメルヴィッドへ贈った言葉とよく似ていると感じたが、残念ながら本日はエイプリルフールではない。いっそ本気に受け取った演技をしてこういう爺が好みなのかと思い切り揶揄したくなったが、そこから発展する会話を想像すると可哀想になって来たので止めておこう。ロケットの子には、そういう関係で色々トラウマがあるだろうから。
 さて、それではそろそろ彼との無駄な会話を打ち切って食事を作りに行こう。ロケットの子と楽しく遊んでいて朝食も弁当も作れませんでしたでは、やっと落ち着いたメルヴィッドの怒りが再点火しかねない。彼は感情的になると全方向に癇癪を撒き散らすので被害が私だけに留まらず家具やユーリアンにまで及ぶのだ、それは困る。
「私を選んでくれ、
「おい、余りそれに接近するな。異常性が感染して最悪死ぬぞ」
 どうやら、タイミングを測り間違えたようだ。中々上手く行かないものである。
 既に起床していたのか、ノックどころか音もなく部屋へ乗り込んで来たメルヴィッドの姿を確認して、ロケットの子は舌打ちしながら私から離れた。何故距離を置くのか判らなかったが、そういえばこの子には本体が何処にあるか、また誰が隠したかを全く告げていない事を思い出す。私の扱いがどうこう言っていたので真逆そんな重要な事を任されているとは思いもせず、メルヴィッドが一元管理をしているとでも勘違いしているのだろう。
 しかしメルヴィッドの言葉には私を心配する要素が皆無なのだが、それでも離れたという事はロケットの子はもしかしてこれを照れ隠しとでも思ったのだろうか。もしもそうならば彼は一度、メルヴィッドが自分の未来なのだと指差し確認をさせて思考と記憶と心の不具合や欠陥を検出して修復させた方がいい。
「残念、嫉妬深い騎士様の登場だ」
 矢張り復旧作業が必要なようだ。しかも出来るだけ早急に、念入りな。
 物凄く苦々しい表情をしているメルヴィッドは、ロケットの子が消えたと同時に深い溜息を吐いて接触は予想していたが一番嫌な手で来たと呟いた。黒歴史というか、目的の為ならば色仕掛けすら選ぶという思い出したくない過去の記憶を刺激する故なのだろう。
『おはようございます』
「……ああ」
『あの、メルヴィッド……何というか、ご愁傷様です』
「なあ、
『はい』
「何故私の周囲には、馬鹿か、阿呆か、低能しか集まらないんだ?」
『ボンクラ筆頭の私に問われても』
「ああ成程、同じ種類の鳥は群がるものだからな」
 私以外の2人はメルヴィッドの過去だから寧ろ彼の例えだと私が仲間外れになるのだが、それを正直に指摘出来る雰囲気ではないので曖昧に笑い返しておいた。寝起き頭で納得したらしいメルヴィッドはというと、若干疲れたような様子で踵を返す。
 私も私でキッチンに用があるので同じ様に部屋を出ると、メルヴィッドの向かう先が寝室ではなく階段である事に気付いた。どうやら二度寝はしないらしい、まだ起床するには大分早い時間だが今日はそんな気分ではないのだろう。
「ユーリアンの時に比べると、余り気に入った素振りはしていなかったな」
『おや、録音した情報はまだお渡ししていなかったはずですが』
「抜け目の多いお前を信用出来るはずがないだろう。お前の録音は感知されて改竄されている可能性だってあるんだ」
『それもそうですね』
 リチャードと魔法界との接触を懸念していたにも関わらず一切の予防措置を行わなかった前科があるので、メルヴィッドの不安も判るつもりだ。盗聴という手段を選んだ彼の判断は正解なのだろう、私としても別に聞かれて困るような事もないのだし。
 しかしそのまま捨てるというのも勿体ないので、一応比較用としてデータを渡し、ついでに今回訳した分の古典のデータも同時に送る。微かに輝く小さなモニターを白い手の平が握り潰し、赤い瞳が窓ガラス越しに私を見た。
「アレに、優しく扱われる事に不満を感じているように見えるが」
『演技であろうとその事に不満はありませんよ。ただ、あの子はどうにも人を見る目がないようなので、そこに若干失望しているだけです』
「ダンブルドアの評価の件か」
『流石に、貴方には判りますかね』
「私はお前がどんな目に遭わされたか詳細を知っているからな」
『……そういえば、彼には未だそういった類の話は一切していませんでしたね』
 私の半生は既にメルヴィッドとユーリアンが知っているのでロケットの子も知っていて当然だろうと考えていたが、よく思い出してみなくても彼が復活したのは昨日の夕方で、私と話したのは先程が初めてなのだから知っているはずがない。名前と現在の立ち位置程度しか知らないはずだと念頭に置いていたにも関わらず。
 流石にこれで失望と決め付けてしまうのは可哀想だろうと考えた矢先、隣を歩いていたメルヴィッドから必要ないとの冷めたお達しが届く。
「しばらく黙っていろ」
『メルヴィッドがそう仰るのなら』
 ロケットの子をはかりかねている故に余計な情報を渡したくないのだろう。否、彼の事だからもっと先まで見通しての判断かもしれないが、だからといって仔細まで尋ねる必要もない。要らぬ事まで聞いてしまうと、後に私の口から失言として漏れ出す可能性が高い。
 矢張り、協力関係であっても秘密の保持は不可欠なのだ。彼とは違い、私の秘密というと実に下らないものの集合体なのだが、それでもである。
 冬の空気を魔法で暖めながらキッチンへ辿り着くと、取り敢えず新しく購入した電子レンジで簡易スープでも作ろうかと早速マグカップに色々と放り込む。その間に煮込みハンバーグを再加熱しながら先程の会話をテキスト化したモニターを並べメルヴィッドと共に見比べたが、懸念していた改竄の形跡は欠片もない。幾らメルヴィッドの過去であっても、流石に初見では録音や盗聴に気付かないようである。
『しかし、改めて見てみると本当にあれですね』
「何だ」
『元は同一人物なだけあってこの子の口説き方、貴方とよく似ていますよ』
 終了音が鳴った電子レンジの扉を開けてスープの入ったマグカップとスプーンを渡しながらそう言うと、事実故に否定しようにも出来ない複雑な心境からかメルヴィッドは反論こそしなかったが、それはもう心の底から嫌そうな顔をした。
『まあ、似ているだけで、メルヴィッドの方が魅力的ですけれど』
 それでも素直にスープを受け取って飲む彼が可愛らしかったのでそう続けると、今更繕っても遅いとばかりに外を向いてリビングまで行ってしまう。
 そう言う所が一々可愛らしいのだと正直に告げてもいいのだが、以降その可愛らしさが鳴りを潜めてしまうのも勿体ないのでこの事についてはもう少し黙っておこうと、私の中の実に下らない秘密がこうしてまた一つ増えるのであった。