小かぶらのイタリア風ふくめ煮
特別な用でもない限り、この作業は夕食を作り終えてメルヴィッドが帰宅するまでの間にやるのだが、本日はその特別な用がある為に彼が帰宅した後に行なっている。
現在、キッチンには夕食の匂いに混じって甘いアルコールの香りが広がっていた。洋酒は嗜む程度にしか飲んだことがないので得意ではないのだが、薬酒の仕込みやフランベで使用するブランデーやウイスキーの甘い香りはいつ嗅いでも好ましい。
因みにこれを作った理由は、去年のクリスマスに作ったケーキが苺のホールケーキと、パネットーネと、シュトレンと、ブッシュ・ド・ノエルだったので今年は更に1種増やしてこれにしただとか別にそのような理由ではなく、まあ、何と言うか、非常に言い辛いのだが、中の1つにガレット・デ・ロワやクリスマス・プディングによくある指輪やコインの代わりに、サラザール・スリザリンのロケットを混ぜ込んでいるのだ。
何年も熟成させる用のケーキに混ぜ込んだので間違って食べるという事はないだろうが、今から呼び出すロケットの子は多分怒るに違いない。否、このロケットは彼等の先祖縁の品なので全員に激怒される可能性もある、本体の在り処は本人に聞かれるまで黙っていた方が賢明なのかもしれない。どちらにしても何時かは怒られるのだが。
そんな未来の説教役の子達は何をしているのだろうと耳を澄ませると、リビングからは朝の延長戦らしいメルヴィッドとユーリアンの口論が聞こえてくる。普段は適当に受け流しているメルヴィッドが随分怒っているようなので、折角切り出した肉体獲得の件もこのままだと却下を食らいそうな勢いであった。
メルヴィッドはこんな空気の中で、余計な事を言わずロケットの子を連れて来るようにと私に言ったのだった。が、本当に案内してしまっていいものなのだろうか。彼がよしと言うのなら、多分いいのだろうが。
下らない心配ばかりしていたらブランデーも染み込ませ終わってしまったので、小さく溜息を吐いて覚悟を決め、プディングの1つに生気を込める。傍から見るとやや異様な光景に見えるかもしれないといった雑念が入りまくっているが、生気と雑念は一切関係がないのでこれで彼等に似ても似つかない変な子が出てくるという事はない。ただ、いい加減にして魔法を使用出来る程の力を与えてはいざという時メルヴィッドも私も困るので、この辺りの調節だけはちゃんとやらなければならないが。
そうしてメルヴィッドの時と同様に呆気ないくらい簡単にロケットから出て来た青年の第一印象は、他の子達に比べると少し窶れているだった。あの時のハリーのように酷く痩せている訳ではないので姿自体は他の子と比べても遜色は全くないのだが、溌剌さを感じず何処か陰鬱な色を帯びているように思える。
瞳の色はユーリアンと同じ黒、年齢は丁度2人の中間くらいだろうか。3人共、年齢自体は近しいのだが、こうも纏う空気が違っていれば間違える事はまずありえないだろう。しかし彼の生きた時代が時代とはいえ、同一人物でもここまで違うものなのかと感心してしまう。ユーリアンの時には全くそう思わなかったのだが。
「こんばんは」
無駄な思考ばかりして放置する訳にも行かないので取り敢えず話し掛けてみるが、ロケットの子は生気が十分にあるにも関わらず眠たげな目をしたまま小首を傾げ、私の方を見て静かに笑うだけだった。
何やら姿形から仕草に至るまで私の爺心が物凄く擽られる子なのだが、しかし冷静に考えて行くとこの子もリドルなのである。まず間違いなく下心があると見ていいと思い至ってしまう辺り、私の警戒心は全く空気を読んでくれない。
「あちらへどうぞ」
言われた通り要らない事は言わずキッチンの手前、リビングの方を指して微笑み返すと、ロケットの子は少し困った顔をした後、私がこれ以上何も言わないと悟ったのか礼を言ってリビングの方へ漂って行った。相変わらず喧嘩している声が聞こえているのだがしばらくするとそれがぴたりと止んだのが面白い、ロケットの子は自身と重なり合わない過去と未来の記憶を見て何を思うのだろうか。
さて、彼等の会話は非常に気になるが、私には他にもやるべき事があるので、そろそろ思考を切り替えよう。
案内を終えたら夕飯を用意しておけとメルヴィッドが言っていたので、言いつけ通り食卓の準備に向かう。勿論クリスマス・プディングを冷暗所で保存する事は忘れない、私は大分間の抜けた爺だが、料理に関してだけは割とミスのない行動が出来るのだ。それがロケットをここに隠した理由の1つでもある。
メインの豚ひき肉のチーズ入り煮込みハンバーグをよそってダイニングまで行くと、先程まで怒鳴り合っていた2人とロケットの子が大人しく会話をしていた。
ただ、大人しいからといって仲がいい訳ではなく、表情は違えど全員が全員苛立ちながら互いを見下しているようにしか見えないが。まあ、声を荒げて物が飛び交うような喧嘩をするよりはいいだろう。
他の料理も運び、最後にデザートの為にリンゴをオーブンにセットするまで3人は表面上は穏やかに会話をしていたが、キッチンから帰ってくる度リビングの空気が悪くなっていたような気がしないでもない。尤も、私にしてみれば子猫が3匹威嚇しながらじゃれ合っているようなものなのでそれすらも可愛らしいの一言に尽きる。
「メルヴィッド、食事の支度が出来ましたよ」
「今行く」
ロケットの子が何を言ったのか判らないが、メルヴィッドは頻りに彼の事を警戒しながらダイニングまでやって来た。交渉が上手く行かなかったのだろうか。ユーリアンは話の途中だと言って怒りを顕にしながらメルヴィッドをすぐに追いかけてきたが、ロケットの子は対照的に柔らかい笑顔のままリビングの空気に溶けていってしまった。
先に食卓に着いて夕食を摂り始めたメルヴィッドはしばらく黙々と咀嚼していたが、やがて隣のユーリアンの囀りを無視出来る限界を越えたのか確固とした口調で駄目だと言う。
「話が違うじゃないか。何故僕がこの爺の傍に居なくちゃいけないんだい」
「アレよりは、お前の方がまだ信用が置けるからだ」
「信用だって? 面白くもない戯言を口にしてくれるね。お前は誰も信じていないだろ、僕が何時までもお前の都合のいいように動くと思うな」
「だったらお前もアレも本体を破壊するまでだ」
「やれるものならやってみなよ、平和呆けしたお前が僕に勝てるとでも?」
「そうか。そんなに命が惜しくないのなら、望み通り今すぐ消滅させてやろう」
「何だか私の知らない内に物騒な方向に転がっているようですね」
「お前は口を挟むな」
「ロケットの分霊箱君はそんなにメルヴィッドと相性が宜しくないんですか」
「黙れと言ったのが聞こえないのか」
怒りが浸透しているらしくメルヴィッドは手近にあったドリンクピッチャーを掴み、何時ものように投げ付けて来た。ここで避けてもいいのだが、その場合、次かその次辺りに出来上がったばかりの煮込みハンバーグが皿ごと飛んで来そうなので、被害を比較した結果、甘んじて初球を顔面で受け取る事にする。
眼鏡が歪み、左目付近に圧迫感が加わった。中身のハーブティーが私や私が摂っていた食卓の料理にぶち撒けられ、床に落ちたドリンクピッチャーが音を立てて砕け散る。
うわあ、とユーリアンが間抜けた声を上げるのを聞く限り、彼の怒気はひとまず削がれたらしい。全く、この程度で気を緩めてくれるとは本当に素直で可愛らしい子である。
後は、これでは到底怒りが収まりそうもないメルヴィッドを宥めるだけだ。普段よりも導火線が短くなっているので、いつもの調子で無駄口を叩きながらだらだらと余計な事を並べるより簡潔に告げた方が良手に違いない。
「私はメルヴィッド以外の方に乗り換える気はありませんよ」
眼鏡とドリンクピッチャーをレパロで修復し薄茶色に染まってしまった食卓を綺麗に修復しながら宣言すると、メルヴィッドは目を丸くした後、食卓に肘を着いてゆっくりと溜息を吐く。どうやら、この言葉で正解だったらしい。
「……判るのか」
「幾ら私が馬鹿者でも、貴方とユーリアンの会話からその程度は推測出来ますよ」
メルヴィッドはロケットの子が信用出来ないと言ったが、それだけが理由ならば別に私の監視にしてもいいはずである。否、寧ろ信用出来ない者ほど私の監視役にしたいはずだ。監視として常に私と共にいるという事は、言い換えれば、常に私に監視されているという事でもあるのだから、双方の行動に制限がかかりメルヴィッドの損にはならない。
では他の理由はと考えると、ロケットの子がメルヴィッドの孤立化、弱体化を考えている辺りが最有力である。
孤立した所でメルヴィッドは然程困らないだろうが、彼についての情報を多く持っている私が彼に見切りを付けて他の誰かに付くのは結構な痛手となるはずだ。ロケットの子は作られた時期も相俟ってユーリアンと比べると要領が良さそうな印象を受けたので、もしかしたらメルヴィッドは、今の自身の立場を取って代わられる事まで考えたのかもしれない。
そう考えると、ロケットの子を私の傍に置くのは寧ろ危険だと判断するのも納得が行く。私が彼に誑かされると思われているのは甚だ遺憾だが、私がメルヴィッドの内心が全く判らないように、メルヴィッドも私の内心が判らないのだからこれはもう仕方がない事だ。
慰めるように笑いかけ、落ち着いたかと問いかければ必要以上に反省させてしまったようで力ない言葉が返って来る。可哀想に、テンションがだだ下がりしているが、これならもう感情に任せて彼が短慮を起こす事もない。
「メルヴィッド。ユーリアンの本体を破壊する事に関しては、貴方の非を認めて先ほどの発言を取り下げていただけますね」
「そうだな。流石に私も、感情的になり過ぎた」
「という事なので、ユーリアンも矛を収めていただけると私が嬉しいのですが」
「……仕方がないな、偶には顔を立ててやるよ。でも、その件に関してだけだ」
監視については話は別だと言うユーリアンに、勿論それはそれ、これはこれと頷くと、黒い瞳が少し意外そうなものを見る目で瞬いた。
「は、僕が思っていた程、頭が悪い訳じゃないみたいだね」
「いえ、頭も要領も悪い馬鹿ですよ。爺なので気が長いだけです」
「僕の評価が正当でないって言われてるみたいだから、謙遜は嫌いなんだけど?」
「謙遜ではありません、単なる事実ですから」
言いながら新しい食事と目の治療の為に席を立つと、メルヴィッドが後で薬を調合してやると視線を合わせないようにしながら言う。私が態と避けなかった事を判っているというのに、感情任せに怪我をさせてしまった事を悔いているらしい。彼の心遣いを無碍にする訳にも行かず素直に礼を言ってその場を離れると、ダイニングの空気はむず痒くて居辛いからと理由を付けてユーリアンが付いて来た。
キッチンの鍋を覗くとメルヴィッドの為に多めに作っておいた事が功を成し、1人分減った所で問題ないくらいに料理は余っていた。気兼ねなくよそう事が出来そうである。
背後でユーリアンが鼻で笑ったので振り返ると、先程から妙に嬉しそうだと指摘された。
「僕に名前で呼ばれたから浮かれてるんだ?」
「その通りですが何か?」
「そう素直に肯定されると弄り甲斐がなくなるね」
どうせさっきのが最初で最後だけどと、また随分可愛らしい事を言ってくれながら続けざまに今日はもう飽きたと一方的な宣言だけして静かに消えてしまう。使い所によっては大きなマイナスになるがしかし、自分の意志にのみ従って生きる年若いユーリアンの持つ奔放さは見ていて本当に清々しい。
キッチンに来たついでにオーブンを見てみると、焼きリンゴから徐々に甘い香りが染み出し始め、洋酒の残り香と共に芳香を放っていた。今日のデザートはシンプルにこれだけを予定していたが、シンプル過ぎて未だ私が怒っているとメルヴィッドに勘違いされるのは嫌なので、冷凍していたパンケーキを解凍してバニラアイスでも上に乗せよう。後はスライスアーモンドを散らし、ミントでも飾れば上々である。
碌に話もせず別れてしまったロケットの子の事は気になるが、今はメルヴィッドとの関係を明確に示す必要があったのでひとまず棚上げしておこう。私の心は既に決まっているので彼方からアプローチがあった場合、その時はその時で対応すればいい。
別に、趣味と精神安定を兼ねている料理という行動が私にとって一番大事だとか、決してそう言う事ではない。ないったら、ないのだ。