赤梭子魚の一夜干し
当のメルヴィッドはというと、ピザ風に焼いた薄いトーストを齧りながらどうしたものかと考え込んでいた。少なくとも以前のようにユーリアンが肉体を得るのは論外といった態度を取らない所から見ると希望はあると考えていい。
「肉体を与えてやってもいいが、そうなるとロケットを復活させる必要が出て来るな」
「そうでした、ユーリアンは元々私の監視役になる筈でしたね」
「まあ、それに関しては全く役に立っていないから近々ロケットに押し付けようと思っていたから構わないが。しかし、ユーリアンに肉体か」
マグカップに入ったミルクたっぷりのカフェオレを飲みながら、赤い瞳が色々な事を言いたそうにユーリアンを見つめる。
メルヴィッドが即断出来ない困惑も、一応判るには判るのだ。復活時から考えると思考もある程度成長したとはいえ、まだまだ危なっかしい所が彼にはある。
「何だいその目。まさか僕がそこの雑用するしか能がない薄鈍に劣るとでも?」
「劣るだろう、お前がこの家に来てから具体的に何をしたか言えるものなら言ってみろ」
「難癖ばかり付けて何もさせなかったのによく言うよ」
「真実お前が使えないだけではないか」
ああ、何故か雲行きが怪しい。
折角僅かながらでも乗り気になりつつあるメルヴィッドの機嫌が回復したのを確認して頼んだというのに、当のユーリアンがこんな高圧的な態度では纏まるものも纏まらなくなってしまう。私への態度を改める必要は今後を含めて全くないが、だからといってメルヴィッドまでそうではいけない事にそろそろ気付いて欲しい。
しかし、空気が読めない私が口を挟んだ所で事態が好転するはずがないのだから、ここは大人しくしているべきなのだろう。
目の前で繰り広げられる喧嘩の仲裁を端から諦め、サラダのブロッコリーを突っつきながら幾つかある内の非魔法界の新聞を読んでいると、昨日この近辺というか、この家の真前で起こった性質の悪い悪戯の記事が地方欄の隅の方に小さく載っていた。
手口は至って単純で、車のマフラーを粘土で塞ぐというだけのものだが、単純故に両手の指の数では足りない程の数の車が被害に遭ったらしい。その内の1台に乗車していた3人の男性が軽い一酸化炭素中毒になり病院で手当を受けたとの事。粘土は何処のホームセンターでも売っているもので、目撃者も居ない為に犯人の特定は今の所困難だという。
犯人である私としてはこのまま迷宮入りして貰えると非常に有難い。指紋も残していないし隠蔽も含めて魔法を使用したので捕まる心配はないだろう。
不自然にならぬようメルヴィッドの車も被害に遭わせた為、昨日の夕方に警察関係者が家に来たが、注意喚起やら被害届やらの説明をする様子を見る限りやる気を感じられなかったのが楽観する理由の1つであった。年の瀬も近いので彼等は彼等なりに忙しいのだろう。
非魔法界の新聞を椅子の上に置き、今度は念の為に目眩ましの魔法を何重か掛けた魔法界の新聞を手に取る。写真の被写体が絵画のように他の場所へ行くというのは未だ聞かない話だが、知らないからといって存在しないという訳ではないのだから油断は出来ない。
それはさておき。常々思っていたのだが、魔法界の日刊紙がこの予言者新聞しかないのは相当不味いのではないだろうか。値段やサービスに関しては売り手独占の割にかなり良心的なので今の所は心配はないのだが、新聞の主たる情報の方がそれはもう色々と。
中道なんて言葉を端から投げ捨てて魔法省の意向を強く反映しているのは構わないというか割とどうでもいい事だと言いたいのだが、それは複数のメディアが存在して様々な角度から情報を手に入れられる場合の思考である。イギリスの魔法界で日刊紙の発行をこれ1紙のみが独占している現状は明らかに問題だ。
私の世界では魔法省やリドルがそれに付け込んで情報統制を敷いたが、そこまで行かなくても今の時点で世論操作程度ならば余裕であろう。
実際、私がこの世界に来た時に見たネビル・ロングボトムへの異常な崇拝を煽っていたのはこの新聞であった。前情報なくあの子供を見てもごく普通の子供だとしか思えないが、誇張や、時には虚構すら掲載しても露見し辛いシステム故に魔法界の人間は生き残った男の子を過剰なまでに神格化している。
まあ、現時点のネビル・ロングボトムの事はどうでもいい。
どうでもよくないのはレギュラス・ブラックの件で、こうなると判っていて甦らせた私が言及するのも何だが、相変わらず本当に可哀想になるような事ばかり書かれている。
独断と偏見に満ちた社説という名の妄想を無視して出来るだけ不純物を取り除いた情報だけ抜き出すと、どうやら今月末に裁判が開かれるのだという。
担当するのは今年魔法大臣になったばかりのコーネリウス・ファッジと魔法法執行部部長のアメリア・ボーンズ、ついこの間まで魔法事故惨事部の次官だった前者は兎も角、後者は割とまともな人間なので偏った裁判にはならないだろうと思った直後、被告側証人にルシウス・マルフォイの名を見付けてしまい思わず溜息を吐く。
魔法省と強い繋がりのある彼が出しゃばるのならレギュラス・ブラックの無罪はほぼ確定であろうが、つまりそれは真っ当な裁判が行われない証拠でもあった。もしかして、昨日彼等が私達の後に会う予定だったのは彼だったのかもしれない。そうであるのならば、レギュラス・ブラックは勇敢ではあるが清廉潔白ではないと心に留めておかなければならない。尤も、歴史の古い名家の当主が裏表のない清廉潔白な人では困るのだが。
裁判の過程が大変気になるので傍聴に行きたいが、多分無理だろう。この新聞で大々的に取り上げられている以上どう考えても席が取れるとは思えないし、レギュラス・ブラックは私を認識出来るので体から抜け出して見学に行くという案も採用出来ない。仕方がないが、再びレギュラス・ブラックからの連絡を待って裁判の様子を訊くしか手はないらしい。
それにしてもエメリーン・バンスの件は遅々として進まないというのに、大衆に注目させているレギュラス・ブラックに関しては即行動する辺り、どうしようもなく魔法省は腐っていると思う。元々魔法省は権力分立のない村社会なので腐り易いのは判っていたのだが、矢張り自分が関わってその腐敗具合を目の当たりにすると憤りやら悲しみやらを通り越して笑えて来る。
朝から疲れたので甘いカフェオレで心を落ち着け目の前でじゃれ合っている2人に意識を戻すと、彼等は未だに仲良く喧嘩をしていた。
いつも通りユーリアンが怒りメルヴィッドが適当にあしらっているだけなのだが、心が荒んでいたせいかその遣り取りを見ていると妙にほっこりとする。その視線に、メルヴィッドが気付いたようだ。
「、お前はよくユーリアンの肉体を作ろうと提案する気になったな」
「駄目でしたか?」
「ほらこの爺もこう言ってる事だし、さっさと作らせなよ」
「お前は黙っていろ。いいか、、こいつの言葉をきちんと聞いて意味を理解しろ。少なくとも、私がお前の立場だったらそんな気は起きない」
「私は別にこの子に見下されて傷付くような矜持を持ち合わせておりませんし、口が悪くとも素直な子は好きですよ。私なんかの意見よりも、貴方自身の立場では如何ですか」
「あれ、もしかして爺、今迄ずっと僕の事馬鹿にしてた?」
「黙れと言っただろう」
杖を振って今朝届いた朝刊の束をユーリアンに投げ付けたメルヴィッドは、それはもう深い深い溜息を吐いてから、今夜だと呟く。
「まずロケットを復活させて、そいつがの監視に適しているようならお前の肉体を作る目処を立ててやる」
「目処だけじゃなくて、すぐに欲しいんだけど」
「作れるか」
「その辺に生息しているマグルを見繕えば済む話だろう? 本当なら魔法使いの生気がいいけど妥協してあげるよ」
「……ユーリアン、お前は私の話を一切聞いていなかったようだな?」
「あの、メルヴィッド。貴方の地道な計画をここに来て粉砕しそうなユーリアンに色々と言いたい気持ちはよく判りますが、時間的にお仕事を終えた後の方が宜しいかと」
出勤前に長い説教を始めようとするメルヴィッドを制してそう言うと、爛々と燃える赤い瞳が帰ったら覚えているようにと無言の圧力を放った。
私の言葉ならば兎も角、本当にメルヴィッドの話まで聞いていなかったのか、自分の行動が何故メルヴィッドの不利益になるのか理解していないらしいユーリアンに力なく笑いかけておく。どうしてこの子は周囲の状況を確認せずに我が道を行きたがるのだろうか、本来ならば私よりも遥かに合理的で損得勘定が得意な性質のはずなのに。もしかしてこの4年の間にメルヴィッドの性質が大分変化したように、私が余計な事をしたばかりにユーリアンの性質も変化してしまったのだろうか。
だとしたら申し訳ないが、しかし今更どうにもならない事なので嘆いても仕方ない。ひとまず怒れるメルヴィッドだけでも落ち着かせたいのでキッチンへ向かうとしよう。今夜の夕食に出すはずであったスイートポテトとチョコレートのケーキはきっと空になってしまうだろうが、背に腹は代えられないのだ。