曖昧トルマリン

graytourmaline

スパゲッティ・ミートボール

 見苦しい姿を見せてしまい申し訳ないと謝るハウスエルフマニアことレギュラス・ブラックに、メルヴィッドは然程困った様子も見せず声を立てずに笑った。私にしても、可愛らしい彼が持つ少年の面影を見る事が出来たので特にこれといった文句もない。第一、ハウスエルフが可愛らしいのは本当であるのだし。
 因みにクリーチャーはというと、私とレギュラス・ブラックに散々褒められたのが堪えたのか、顔どころか全身を真っ赤にしてもう勘弁して欲しいとソファの隅で泣いていた。その姿は何とも愛らしいが、可哀想な事をしたかなとも反省する。
 次からはレギュラス・ブラックを余り煽り過ぎなように気を付けよう、気を付けるだけで出来ない可能性の方が高いが。
 紅茶を一口飲んで姿勢を正したレギュラス・ブラックに、メルヴィッドは年長者としての優しい笑みを浮かべながら君の所の彼はどんな風だったのかと問いかける。そういえば、そんな話をしていたのだった。矢張り私が会話に入ると進行速度が急激に遅くなるらしい。
「私……いえ、僕がという青年に出会ったのは、ほんの2週間程前の事です。地底湖の畔の薄暗い場所で目を覚ました僕が初めて見たのが、彼でした」
「地底湖? 記憶喪失の私が言うのもおかしな話だけれど、随分不思議な場所だね」
「いいえ。僕の場合は不思議では、ありません。僕は10年前に、一度そこで溺れ死んだはずなんです」
 悲壮さを漂わせるレギュラス・ブラックに今まで背を向けて泣いていたクリーチャーの瞳に別の種類の涙が浮かぶ。重苦しい空気が漂うかと思われたが、メルヴィッドが呼吸をするような自然さでそれを破壊した。
「では君の出会った彼が生き返らせたのかな。魔法とか、そういう不思議な力を使って」
「ま、魔法で人間は生き返りませんよ!? そんな都合のいい魔法は存在しません!」
 するのだけど知らないだけだ、と正直に言えず、私とメルヴィッドは顔を合わせて互いに首を傾げる。きょとんとした表情をしているメルヴィッドは演技だとしてもとても可愛らしかった。
「そうなのか。魔法界とマグル界の両方で働く身としては反魂香やゾンビパウダーのような存在を期待していたけれど、道理で魔法薬の本にも記述がない訳だ。魔法の薬も万能ではないのは残念だね、もそう思うだろう?」
「そうですね。でも、メルヴィッドはブードゥー教徒でもないのにゾンビパウダーの作り方なんて調べて、何をどうする気だったんですか? もしかして仮死状態の人間を……」
「何でそうなるかな、単なる学術的興味だよ。にはないのかな」
「あまりそういうものは。どちらかというと、医薬よりも司法に興味があります」
「……そう言えばそうだったね。すまない、ミスター・ブラック。何度も話の腰を折って」
「いいえ、質問をして欲しいと言ったのは僕ですから。しかし、本当にお二人共、マグル界で生きて来たんですね」
 視線だけで、姿形はヴォルデモートとジェームズ・ポッターにまるで瓜二つなのにと続けたレギュラス・ブラックは、口を開いて彼の言葉に従ったのは正解だったと漏らす。
「彼は、は僕の持っていたある物を破壊したいようでした。したいけれど、出来ないとも言っていましたが……それが、これです」
 彼が杖を一振りすると、テーブルの上に黒いベルベットに包まれた例のロケットが出現する。光沢のある黒い布地をクッションに人工的な照明を浴びて金色に輝く偽物のロケットは美しかったが、メルヴィッドの魔法の所為でよくない物を纏っている事が本能で判る代物でもあった。
 レギュラス・ブラックの隣でクリーチャーが口を開き、主人も自分も破壊どころか傷一つ付ける事が出来なかったと悔しげに言う。
「彼は、そのぬいぐるみの持ち主の居場所に行けば、きっとこのロケットを破壊出来る力を持つ人物に会えるだろうと言っていました」
「そうか、成程。だからふくろう便ではなく、態々自宅まで来てくれたんだね。さっきまで私達を警戒していたのも、信用に足るか判らなかったのなら合点が行く」
「僕もクリーチャーも、本当に失礼な態度を取ってしまった事をお詫びします」
「いや、物事に対して疑り深い人は、私は好きだよ。余り疑り深過ぎて信用しない人は苦手だけどね。、ちょっと物置に行って金槌を持って来て欲しいんだけど」
 穏やかな言葉の後、如何にも魔法を知らない人間が言いそうな言葉に客人達が聞き間違いかと目を剥いた。今まで散々魔法とは余り縁がないと言ったにも関わらず、ヴォルデモートと同じ姿をしたメルヴィッドならば取り敢えずレダクト辺りでも唱えるのかと思ったに違いない。この辺り、レギュラス・ブラックはまだ魔法族の考えが強い事が伺える。
 しかしそう簡単にメルヴィッドがボロを出すはずもない、ここで素直に金槌を取りに行ってもいいが、ついでなので私の方でも惚けてみよう。
「構いませんが、この大きさならば金槌よりもくるみ割り器の方が宜しいかと」
「どうだろう、そっちの方が早いかな?」
「両方持って来ましょうか」
「そうだね。そうしてくれると助かるよ」
「すまない、ちょっと待ってくれないか」
 びっ、と勢い良く右手を前方に突き出したレギュラス・ブラックは、物理的に破壊するのは不可能で魔法でないと無理だと力強く言い切った。彼も一応ありとあらゆる手段を講じて破壊しようとした為、この2週間で実効出来る限りの物理攻撃も加えたらしいのだが一向に歯が立たなかったと言う。
 物理的に破壊しようとせず魔法だけを試して無理でした、ならば金槌とくるみ割り器の出番であったが、そういう事ならば仕方がない。次のステップに進んだ方がいいだろう。
「何か、彼からの手紙で攻撃魔法の事は書いてありませんでしたか?」
「物騒な物は教えて貰ってないと思うけれど、自分で買った呪文書は幾つか揃っているよ。ああ、確か悪霊の火とかいう名前の、呪いを伴った強力な炎を出す呪文があったかな。試してみようか」
「ミスター・ガードナーは、悪霊の火が使えるんですか?」
 さらっと流れた単語にレギュラス・ブラックが慄くが、それ程驚く事なのだろうか。確かにあの呪文の制御は他に較べて難しいが、否、レギュラス・ブラックがそれを制御出来る力を持っていれば分霊箱ホークラックスは既に破壊されていただろうから、彼は扱えないのだろう。
 私も問題なく扱える為に一般レベルが判らなかったが、どうにも10代後半の少年では扱い辛い物らしかった。
「僕には扱う事が出来ませんが……確かにそれなら、このロケットを壊す事が出来るかもしれません。けれど、記憶喪失なのによく独学でこの呪文を取得出来ましたね」
「不思議なんだけど、呪文や魔法の薬の扱いは本さえ読めば全く困らなかったんだ。大学に通っていた時も、勉強という点に関してはそれ程苦労しなかったから」
「騙されてはいけませんよ、お二人共。苦労しない訳ではなくて頭が良くてセンスがあるので勉強を全く苦に思わないタイプの人なんです、メルヴィッドは。こう言っていますが、倉庫には本が山のように積んであるんですよ」
「そうは言うけれど、も勉強は嫌いじゃないだろう?」
「必要と感じれば自主的に行いますが、好きだと感じるのは興味のある事に関してです」
 それ以外は平均以下であると胸を張ると、世の中を生きていく為に不要な知識はないから色々な事に興味を持ちなさいと酷く優しい声で諭される。勿論嫌味であろうが、正論でもある。斜向かいのレギュラス・ブラックにしても、いい事を言うその通りだと笑っていた。
 和んだ空気の中でメルヴィッドが杖を持つと、途端に客人達の纏う空気が引き締まる。それに引き換えメルヴィッドはというと、相変わらず柔らかい笑顔のままロケットを宙に浮かせて杖先に悪霊の火を灯した。蛇のように揺らめき宙に踊る炎を美しいと感じたが、どうやらそれは私だけであったらしい。
 これで壊れてくれとばかりに、祈りにも似た表情でロケットを見つめていたレギュラス・ブラックとクリーチャーに、メルヴィッドが声を掛けた。同時にロケットの鎖に蛇の形をした炎が巻き付き、緑の宝石が散りばめられた本体を飲み込む。
 破壊は、一瞬で終わった。
 燃え滓すら残さず、炎の蛇は文字通りロケットを丸呑みしてこの世から消失させる。その蛇も消失すると詰めていた息を吐き出す、2つの音が聞こえた。
「レギュラス様、やっと、やっとで御座います」
「……そうだ、やっとだ」
 全身の力を抜き、涙さえ滲ませた2人に私とメルヴィッドは視線を交差させ沈黙する。沈黙を要約すると、空気が重いお前が適当な話を切り出せ、いえボロが出るので貴方にお任せします、という押し付け合いである。
 流石にこれ以上の沈黙が続くと不審に思われると判断したのか、阿呆な私に根負けしてくれたメルヴィッドが杖をしまいながら2人に話を切り出した。
「これが一体何だったのか気になるけれど、訊かない方がいい代物みたいだね」
「そう、ですね。そうしていただけると、有難いです」
「じゃあこの話はここで終わろう。紅茶のおかわりを淹れてこようか」
「あの……いいえ。申し訳ありません、実はこの後にも予定が」
「そうなのかい? 残念だな、君とは仲良くなれそうだからもっと話をしていたかったんだけれど。も彼と気が合うようだから」
「僕達としても有難いお話です。是非また時間を見付けて、お会い出来れば」
 気軽に握手をするメルヴィッドを見習い私もクリーチャーに手を差し出すと、枯れ枝のように細い腕がおずおずと差し出される。仕草が余りにも可愛らしいので抱き締めたくなる衝動が湧き上がったが何とか耐えて笑顔を向けるに留めた。
 ふと視線を上げてみるとレギュラス・ブラックが私達を見て物凄く明るい笑顔をしていたが、指摘するのは止しておこう。多分そこを刺激すると、やっと片付いたハウスエルフに関する一連の会話が再燃するだろうから。
「今度お会いする時は魔法界に関しての資料もお持ちします。丁度このお家には暖炉もありますから、煙突飛行ネットワークに登録さえすれば色々と便利になりますよ」
「フルーパウダーだったよね。暖炉にその粉を入れて移動魔法に使用すると本に書いてあったけれど、怖くて未だに作った事も試した事もないんだ。助かるよ」
「楽しみにして下さい」
 ごく自然な仕草で腕を引いたレギュラス・ブラックは従臣を見下ろし、主人の無言の命令に気付いたクリーチャーも私から手を離して深々とお辞儀をして姿を消した。否、気配は未だに存在するので姿を見えなくさせたと表現した方が適当だろうか。
 そんな2人を玄関まで見送り、もう一度型通りの挨拶を済ませる。通りを挟んだ斜向かいに見慣れない車が駐車しているのが見えたが、件の連中が乗っているものだろうか。
 足早に去って行くレギュラス・ブラックの背中が見えなくなるまで待ってみたが車が動き出す様子はない。レギュラス・ブラックは予想よりも大分早く帰ったので中毒になるまでにはまだ時間があるような気がするのだが、何か不測の事態でも起こったのだろうか。
 メルヴィッドの優しく繕った声に促されるまま家の中に戻り玄関に鍵を掛けると、それまで姿を隠していたユーリアンが現れて開口一番暇だと言って来た。暇だと思うのなら本体の中に篭ればいいのにと思うが口に出さないで居ると、隣で赤い瞳が不愉快そうに歪む。
「お前が暇に殺されようが私の知った事か。、残りのケーキを持って来い」
「では紅茶も一緒に淹れましょうか。リビングで宜しいですか?」
「ああ、それとあのヴォーパルバニーに魔法が仕込まれていないかも調べておけ」
「判りました。あ、件の車、中で煙草を吸っていたので動けなかったようですね」
 展開した通常の画面で張り込み用の車を見てみると、たった今車から出て来た3人が随分ぐったりとした様子で路上に座り込んだ。扉を開けた瞬間に白い煙がもわりと立ち上ったので、どうやら車内で喫煙をしていたらしい。
 マフラーを塞ぎ換気を断ったとはいえ、排ガスだけではこの短時間で一酸化炭素中毒にはならないだろうと思っていたが、煙草を吸っていたならば話は別である。ただ症状事態は軽いように見えるし、偶々通りかかった近所の人間が心配そうに話し掛けに行ったのでこのまま放置しても大丈夫だろう。
「話が見えないんだけど。車の中で煙草を吸っただけで、どうしてこうなった訳?」
に訊け。私は疲れた」
「本当にお疲れ様でした。ユーリアン、私で良ければ説明しますからキッチンへどうぞ」
 ピーター君を抱えながらキッチンへ向かおうとすると、珍しく素直にユーリアンが付いて来た。自らが持っていない知識に対する欲求は、矢張り彼にもあるのだろう。
 まだ多少危うい所はあるが、そろそろ彼の体を何処かから調達する目処を立てても良い頃合いではないだろうか。流石に私だけの判断で勝手に作っては死ぬまで拷問されて死後更に殺されそうなので、今度それとなくメルヴィッドに話題を振ってみよう。
「楽しそうだね爺、知識で僕の上に立てた事がそんなに嬉しいのかい」
「違いますよ。全く別の事について考えていました」
「ふん、どうだか」
 不満気な表情を隠そうともせず、私もメルヴィッドも嫌いだと呟くユーリアンに苦笑で返答する。自分が一番で無ければ気が済まず、言動も捻くれて乱暴で、けれど自分の感情にはとても素直に従うこの子は、相も変わらず酷く可愛らしかった。