小さなパスタのコンソメスープ
手紙を受け取った日から毎日のように胸を弾ませたものだが、実はいうとメルヴィッドに引き取られる以前は誰かを待っている状態が長く続く事は老体にとって酷く苦痛であった。というのも、大抵訪問して来るのは里親の碌でもない知り合いか、監視役気取りの騎士団員だったからなのだが。
一緒に遊ぼうと足を運んでくれる親しい友人はいない。私は直接関わり合いのない大人達からの評判はよかったが、大体常にこんな感じなので接触のある人間には気味悪がられて友人らしきものが全く出来なかったし、今回転校した先でも未だに出来ない。
爺の私に10歳前後の可愛らしい友人が出来てもそれはそれで困るので、作ろうとしないといった表現が適当だろうか。下手に親しい人間をこれ以上作ってリチャードと同じ目に遭わせるのも忍びない、私を通じて非魔法界のモラルや常識という物が欠如した人でなし達と関わり合いになっては可哀想である。
監視といえば、メルヴィッドに引き取られて以降、この家に騎士団員が近付いた気配が未だない。周囲にいたらいたで迷惑なのだが、消えたら消えたで何を企んでいるのだろうと心配になり、全く面倒臭い連中である。月に一度の墓前報告は相変わらず盗み聞きをされているが、それ以外の行動はかれこれ4ヶ月程音沙汰がない。向こうにはメルヴィッドに関しての偽情報が一通り揃っているに違いないのだが。
一応家の周囲にはメルヴィッドが強力な防御呪文を施しているので盗撮や盗聴の類はないと思われる。私にしても、監視カメラ代わりに魔法で温度を可視化させた、所謂サーモグラフィーで姿を隠した人間や生物が付近を徘徊していないか観察しているが、あからさまに怪しい影は今の所は存在していない。
あの男が出方を考えあぐねているとも思えない、何か非常に嫌な予感がする。罠が張られていると、そう予想した方が寧ろ自然なくらいに不気味だ。
薬缶を火にかけながら悶々と考え事をしていると、サイレンに似た音と共に目の前で緊急事態を告げる画面が突如現れる。邸宅周辺で魔法が使用されると反応する警戒警報で、反応は複数、識別色は未確認を意味するイエロー。
「爺、何かあった?」
「近隣区域で私達以外の誰かが魔法を使ったようですね。今確認しています」
「レギュラス・ブラックじゃなくて、別の誰かかい?」
丁度いいタイミングでキッチンに顔を出したユーリアンは私の手元で多重展開しているモニターを覗き込んだ。眉根が寄った不機嫌そうな表情をする理由は、大方諸々の最終確認中であるメルヴィッドに相手して貰えなくて拗ねているのだろう。先日の脅しが効いているのか、ここ最近彼は非常に大人しい。
「発信源は3つ、両方です。レギュラス・ブラックの従者であるハウスエルフが透明化の呪文、残り2つは彼を尾行しているツーマンセルの闇祓い、これはドーリッシュとサベッジですね。彼等が警戒用の呪文を複数唱えています」
主人想いのクリーチャーは当然として、闇祓い2名は尾行の為に多くの魔法を操っているのが災いして引っかかったらしい。
魔法の使い過ぎというのも、こういった場合を考えるとマイナスになると覚えておかなければならない。私が思い付くという事は、他の誰でも思い付くという事なのだから。
「ブラック家の人間なら兎も角、こんな無能そうな魔法使いの事までよく知っているね」
「その手の情報を集めるのも、私の役割ですから」
「どうやって?」
「勿論、魔法省に侵入して。おやメルヴィッド、キッチンに何か用でしたか?」
ユーリアンの質問に答えながらモニターを操作していると、普段着よりも少しだけお洒落をしているメルヴィッドが酷く面倒くさそうな顔でやって来た。
しつこいくらいに何度でもいうが、最早彼に闇の魔法使いとしての面影は全くない。どう見ても普通の魔法使いである、物凄く顔立ちの整った事以外は。
「警戒網に引っかかった間抜けの詳細を見に来ただけだ。前方は判ったから後方に居る闇祓い2人の説明をしろ、簡潔にな」
「此方の白髪混じりの方がドーリッシュ、専門は警護。若い方がサベッジ、専門は護衛。共に防御が主体で、尾行や襲撃、制圧は不得手の組ですね」
「ダンブルドア側の魔法使いか?」
「いいえ、騎士団員ではありません」
「単なる闇祓いだが、腐っても闇祓いか。ある程度予想はしていたが面倒な奴らを引き連れて来たな。攻撃専門で騎士団に所属しているような輩ではないだけマシだろうが」
念の為に此方の防御も増やすかと呟き、赤い瞳がユーリアンを捉えた。元々が同じ存在であったので双方に言葉は不要なのか、アイコンタクトをするだけで互いの言いたい事を理解したらしい。4つの視線が一斉に私に向く。
「、ユーリアンに杖と生気を渡せ」
「判りました。では後の守備は息の合うお2人にお任せしますね、私はお茶とお茶菓子を用意してここで待機していますから」
「楽な仕事だね」
「適材適所と言って下さい」
「無駄話は後にしろ、時間がないんだ。さっさと済ませるぞ」
「僕に命令しないでくれるかな」
「たよりにしている」
「元々皆無のやる気がマイナスに振り切れるから棒読みで台詞言うのも止めてくれる?」
「我儘な奴だ」
戯れに仲のいい会話をしながらキッチンから出て行った2人を見送り、冷ましておいた洋梨のフランを切り分ける。
今回の客人は件の老教授のように親しい訳でもなく、また身分が身分なので、本来ならばお茶菓子はきちんとした店でそれなりの物を買うのが筋なのだが、生憎私もメルヴィッドもレギュラス・ブラックが何者なのか知らないという設定になっているのでそうも行かないのが困った所だ。
ただ、そんな些事を気にしているのは私だけらしく、メルヴィッド曰くそんな格式張ってばかりいたら疲れるし菓子も不味くなる上、そもそもそんな大層な茶会ではないからもっと別の事に集中しろ、との事である。全く以て尤もな言い分であった。
紅茶を淹れる為の湯もそろそろ沸くだろう、画面を確認するとレギュラス・ブラックが玄関前まで来ていた。不安そうな表情でクリーチャーを見下ろし、通りから死角となる場所で姿を現したクリーチャーは主人のズボンの裾を握りしめて勇気付けるように力強く頷いている。美しい主従愛である。
その背後をドーリッシュとサベッジはゆっくりとした歩調で通り過ぎ、視線を走らせた。口元を解析させると防御呪文の解除と張り込みの為に車を用意させる魂胆らしい、応援者の名前はプラウドフット、これも闇祓いだ。
残念な事にイギリスは路駐天国であるから、警察に通報して不審な車があると言った所で取り合ってはくれないだろう。張り込みする側としてはさぞ楽に違いない。
玄関を確認すると特大の猫を被ったメルヴィッドがレギュラス・ブラックとクリーチャーを迎え入れようとしている所だった、こうなっては追加情報を直接告げるのは無理である。
取り敢えず、余計な独り言を聞かれない為に防音魔法をキッチン内に施すと、ユーリアンが暇を持て余した表情で現れて画面を覗き込んで来た。
「面白い事が起こってそうな顔だね。爺、どうかしたのかい?」
「ツーマンセルからスリーマンセルへ変更になりました。3人がかりでこの家を丸裸にする魂胆のようです」
「3対1か。幾ら老い腐っても向こうの世界で僕等に教育された身だろう、ボケ防止の為に雑用以外の事も頑張ってみればいいと思うよ」
「面倒ですね。この2人、私がお茶を出しに行っている間に全身の毛穴から蛍光緑の触手が這い出て体中粘液塗れになる奇病に罹って窒息死すればいいのに」
「そんな珍妙な死因を思い付くお前の脳が既に奇病に罹ってるよ」
「キノコと菌糸に全身の肉を食い破られて溶解死の方が多少ファンタジーからアカデミックな雰囲気に持っていけますかね」
「偶には僕の言葉を理解する努力をしてくれないかな?」
「これでも一応、爺なりに頑張って居るんですがねえ」
ユーリアンと下らない遣り取りをしながら紅茶を蒸らし、切り分けたフランを皿に盛り付けてからモニターを開く。お茶だけ出したらすぐキッチンに戻って来るつもりなのだが、万が一呼び止められた場合の事を考えておいた方がいい。
とはいっても、今は時間もないので大雑把な足止めくらいしか出来そうにないのも確か。多少博打にはなるが今が11月初旬である事を考えれば十分勝算はあった、車の到着後3人全員が車内に入ると想定して、ひとまずこれでいいだろう。
「それではお茶を出しに行って来ますから、少しの間だけ良い子にしていて下さいね」
「そういう小馬鹿にした言い方も止めて欲しいんだけど」
別段馬鹿にしていたつもりはなかったのだがユーリアンにとっては屈辱を感じる対応だったらしい、しかし、彼が10代の少年である事は確かな上に不機嫌そうな膨れっ面が酷く愛らしいので止めろと釘を刺されても中々止められそうにない。
可愛らしいと感じたものを心行くまで愛でる、これはもう爺の本能であろう。生憎それを静止する為の理性は完全に破壊されているので、文字通り本能の赴くままであった。
ユーリアンには曖昧な笑顔と共に善処しますとだけ伝え、トレイを持ってキッチンを後にする。その合間に見たのはティースプーンに映った彼の顔で、善処ではなく止めろと言っているんだと告げていたが、今の所はどう考えても無理なので期待しないようにと微笑みを追加した。背後で舌打ちを聞いたような気がしたが、気の所為だということにしておこう。
困ったような笑みを正し、客人を迎える為に子供の笑みを顔へ貼り付けてダイニングの角を曲がりリビングにお茶を持って行くと、しかしそこには誰の姿もないという事態が待っていた。頃合いを見てやって来たつもりが早かっただろうか、否、あれから大分時間は経過しているはずである。気配は未だ玄関の方からするので相手方が消失したとかそういった物ではないらしいのだが、では一体何があったのだろうか。
ひとまずトレイを背の低いテーブルの上に置き、部屋の隅に設置されたクッションの上で置物よろしく鎮座しているギモーヴさんに一体どういうことなのだろうかと目線だけで語りかけてみるも、人間同士のいざこざなど知ったことではないとばかりに無視をされる。尤も、彼女はこれが標準仕様なので寧ろ何かしらアクションを取られる方が驚くが。
「闇祓いが動いたとも思えませんし」
リビングの窓からは見えないが、屋外の音を聞き分けてみても慌ただしさは一切感じない。車のエンジン音ですら聞こえないのだから、応援すら未だ来ていないのだろう。
ここで待ちぼうけをしていても始まらないので仕方なくリビングを出て玄関に足を向けると、先程画面で見た状態のまま3者が固まったまま見つめ合っていた。
否、表情は違うのかもしれない。
レギュラス・ブラックはメルヴィッドの顔を凝視したまま何かを言いたそうな顔をしている。肝心のメルヴィッドの表情は死角となっていて見えないが、雰囲気から察するに困惑しているのではないだろうか。クリーチャーは2人を何度も見比べて困惑している。
「メルヴィッド?」
私の声がきっかけとなったのか、レギュラス・ブラックはようやく現実に帰還して辺りの状況を確認し直した。しかしこうして間近で見てみると彼の顔色は優れているようには見えず、甦らせた時よりも随分窶れている。矢張り周囲からの圧力に耐え忍んでいるだけで精神的には相当参っているのだろう、本来ならば置いて来ても問題ないはずであるクリーチャーを連れて来たのも家に残すのが不安だったからに違いない。
全てを知らない振りをしているメルヴィッドは会話が続かない所に来てくれて助かったと表情で判りやすく語った後、柔らかい笑みを浮かべながら一体どうしたのかと話しかけた。傍から見ると物腰柔らかな好青年にしか見えないそれに、しかしレギュラス・ブラックとクリーチャーは異常な程、警戒している。
ふと、嫌な予想が脳裏を掠めた。
私の世界のリドルは魂を多重に裂い所為であの美しい容貌を失ってしまったが、後期に制作されたはずの分霊箱であるメルヴィッドを見る限り、もしかしてこの世界ではそうではないのかもしれないと。或いは、ヴォルデモートと同じ目の色をしたメルヴィッドに何らかの警戒心が刺激されただけかもしれないが、反応から考えるに前者の色合いが強いような気がした。
あくまでも、今の状態からの推測ではあるが。
「申し訳ありません……お客様をお迎えしたきり戻って来られないので、何かあったのではと心配になってしまって」
「大丈夫だよ、何も心配いらないから。ミスター・ブラック、この子がお手紙で書いた家族の・です。、此方はミスター・ブラックとクリーチャー。君が失くしたピーターを見付けてくれた方だよ」
「初めまして、レギュラス・ブラックと申します。此方はクリーチャー」
「ああ、貴方が! こちらこそ初めまして、・と申します。ピーター君の事はメルヴィッドから伺いました、本当にありがとうございます」
感極まったような多少大袈裟な演技をしてみせたが、ピーター君はハリーへの初めての誕生日プレゼントという設定になっているのでこの位はやり過ぎにはならないだろう。何よりも、簡易な挨拶しか出来ない程度にはレギュラス・ブラックの脳内は混乱しているはずだ。
「君は……・という名前なのかい?」
「え? ええ、そうですけれど」
それが何かと続けて首を傾げてみせると、レギュラス・ブラックは何とも形容し難い複雑な表情を見せて歯切れ悪く何事か呟く。
僅かに漏れる音と唇の動きから単語を拾い上げると、どうしてその名前がだとか、彼ではないだとか、ジェームズ・ポッターに似ているだとか言っているので、様々な疑問や予測が脳内を飛び交っているらしい。
会話らしい会話もせず微妙な空気を作り出している私と彼の遣り取りに飽きたのか、メルヴィッドは私の肩に手を置いてレギュラス・ブラックのクリーチャーの2人を見ながら、もし時間があるのならば是非お茶でもと誘いをかけた。
「どうやら、共通の知人を持っているようなので」
傾げていたままの首を戻しメルヴィッドを見上げると、穏やかながらどこか必死さを感じさせるような、けれども安心したようにも見える複雑な笑みを浮かべている。相変わらず彼は演技が上手く、何も知らなければ私も疑うことなく彼に心を許していたに違いない。
現時点においてその何も知らない代表格であるレギュラス・ブラックは、多少の躊躇いを見せたものの、やがて首を縦に振って一歩を踏み出し、此方側にやって来る。クリーチャーも、主人のそれに倣った。
「ようこそ我が家へ。歓迎します、ミスター・ブラックと、クリーチャー」
ようやく蛇の巣に入り込んで来た駒を見下ろし、メルヴィッドが艶やかに微笑む。
未だ不安を拭えない2人を案ずるように淡い輝きを放つ赤い瞳はしかし、全てを知る私には森に迷い込んだ旅人を沼底に誘う鬼火のように見えた。