曖昧トルマリン

graytourmaline

メレンゲとマロンのチョコレートケーキ

 退屈な表情を浮かべたメルヴィッドが、エメリーン・バンスに関しての情報を魔法界の当該機関へ匿名で送った旨を告げたのは丁度今から4週間前、絶食を終えた9月の第4土曜日の事である。何でも偶々入ったパブで偶々耳にした話題が偶々エメリーン・バンスが非魔法界で起こした殺人鬼についての騒動だったから、という事らしい。
 そんな正義の人みたいな行動をすると要らない敵が増えると感謝混じりに心配すると、ただエメリーン・バンスを不当に弁護しているダンブルドアの評判を一時的にでも下げたいだけだと鼻で笑われた。全く、彼の優しさには感謝し尽くせない。
 今朝届いた魔法界の新聞の片隅にようやくその事が載り、関係機関が動き出した事を知った。とはいっても、正直に述べると私は魔法界の司法に期待はしていない。
 彼等の価値観は中世で止まっており、専門知識を有し現行法と照らし合わせ正当且つ適当な刑罰を下す検察や弁護士という組織形態はまともに存在していない。疑問の余地が残る状況証拠だけで無実の人間に今尚終身刑を食らわせていたり、被告だけを席に立たせ弁護人を呼ばず一方的に、また不当に重い刑罰を与えようとする害悪な機関で、その是正すらも出来ない無能だと私自身は思っている。
 リチャードの件もあり、メルヴィッドも此方と彼方の司法の違いはある程度判っているに違いない。結果が既に判り切っているからこその、退屈な表情であったのだ。
 今はまだ魔法省とダンブルドアの繋がりは強い、あの男が証人に回れば十中八九不当に軽い刑罰、もしくは無罪で済むであろうエメリーン・バンスを、私は、私だけはきっと許す事が出来ない。人殺しである私が許すとか許さないとか何を戯言をと言われそうだが、人間なんて大体そんなものだ。まして私は化物だ、たとえ誰からも理不尽に見えても化物は化物の理でのみ動くと自分勝手な開き直りを見せてもいいではないか。
 しかし、前述したメルヴィッドの言動を冷静な目で見てみると、彼は意図的に私を暴走させたがっているように思えて仕方がない。試していると受け取るには煽り方が余りにもあからさま過ぎるのだ。
 そうなると考えなければならないのは、私の暴走によって彼が一体どういった得をするのだろうかという事であろう。
 水面下で行われる別行動の目眩ましにするには私という弾幕は薄く狭い。それで十分な程に、静かな行動を取るのだろうか。けれどそれならば寧ろ弾幕など張らない方が逆に目立たないように思える。私が暴れても精々狼煙くらいにしかならないだろう。
 どうにも腑に落ちない。落ちないのだが、私はこういう事を考えるのは元来苦手なのだ。もっと直接的、或いは物理的な力が物をいう場に叩き込まれた方がまだ使い勝手がある。
『いけませんね。独りでいると、どうしても妙な事ばかり考えてしまいます』
 きっと話相手のいない洞窟で何時間も浮遊している所為なのだろう、腹を括って出たとこ勝負でもきっと問題はない。その辺りの手綱はメルヴィッドが上手く捌いてくれると信じている、もしも見捨てられたら、その時はその時だ。
『それにしても、そろそろ起きて欲しいんですがね』
 女性と間違われないよう平たい胸元を見せるように衣装をやや着崩して、目の前で横たわるユーリアンと同い年くらいの少年に話しかけてみるも、未だ彼は穏やかな表情で夢の世界を彷徨っている。
 メルヴィッド程ではないにしろ、この子も美しく整った顔立ちをしているので見ている分には全く飽きないが、早く起きてくれないと彼が風邪を引いてしまいそうで、その点だけが困っている。
 一応10月も半ばを過ぎているという事を考慮して、元の衣服の上に古着屋で手に入れた服を着せ暖かい格好はさせているが、寝ている場所は地底湖の真ん前なので寝心地はさぞ悪いだろう。表情だけは相変わらず安らいでいるのだが、彼の体を気遣う者としては矢張り心配であった。
 何故気遣う必要があるのか、当然この後メルヴィッドが利用するからに他ならない。下手に風邪を引いて寝込まれてしまっては計画が遅延するのだ。
『多分そろそろお昼になりますよ、もう10年も眠りっ放しなんですからいい加減起きて下さい。ねえ、レギュラス・アークタルス・ブラック君』
 魔法で作り出した薄ぼんやりとした光源の下でレギュラス・ブラックに呼び掛けるのはこれで何度目だろうか。呼吸の度に胸が上下しているので反魂自体は成功しているように思えるのだが、如何せん目覚めて貰わないと正確な事は全く判らない。
 と、そんな事を考えていると遂にレギュラス・ブラックの口から呻き声が漏れて眉根が微かに寄った。薄っすらと目が開き、美しい灰色の瞳が私を映す。
 一度死んで甦った為、彼は私を認識すると踏んでいるが、さてどうか。
「貴方は? いや、ここは……ああ、そんな」
 瞳と言葉に宿る知性と記憶、反魂の術は成功と見ていい。
 深い悲哀を宿しながら途方に暮れている少年は、訳が判らないと呟いて私をじっと見上げていた。その様子はまるで迷子になった子犬のような、ユーリアンとはまた別の可愛らしさが宿っている。
『レギュラスさん、寒くはありませんか?』
「あの……いいえ、それよりも貴方は誰ですか? 何故、僕の名前を?」
 長い眠りから醒めたばかりの質問としては及第点で、頭の運転も正常値と見ていい。これならば、今の私とハリーの中の私が同一だと勘付かれないように気を付けさえすれば会話を行っても問題ないだろう。騙りにはある程度、相手の知性というのも必要なのだ。
『私達は一応、と呼ばれている存在だけれど、呼び辛いだろうからね、と呼んでくれて構わないよ。尋ねたい事があって、君をあちらから呼ばせて貰ったんだ』
「僕に、何か?」
 頭がまだはっきりしない内に一気に切り込むのが得策だろう。
 彼にはヴォルデモートに逆らった勇気と家族を守り通した知恵がある、まともに正面からやりあえば諸々が足りていない私の方がボロを出しかねない。
『単刀直入に尋ねようか。ヴォルデモートの分霊箱ホークラックスは一体何処にあるのかな』
「何処で、それを」
『残念ながら、情報の出処は言えないんだ。ああ、でも1つだけ言える事は、あれは私達にとって出来る限り早く見つけ出さなければならない物だという事かな。だから、未だ分霊箱ホークラックスを持ち続けているのならば、どうか私達に渡して欲しい。君が既に破壊しているのならば、それでいいのだけれど』
「破壊という事は……貴方は闇の陣営の人間、ではないのですね」
『そんな怖いものではないよ。急かして悪いのだけれど、存在しているかどうかだけでも教えて欲しいんだ。私達には時間が余り残されていないから』
「……僕には破壊出来なかったので、存在はしています。今この場にはありません」
『そう、か』
 唐突過ぎる展開にやや身構えながらも返答するレギュラス・ブラックに対し、私は表情をやや厳しく繕いながら彼の質問には応えようとせず畳み掛けるような言葉を紡ぐ。余り褒められた会話方法ではないが、私は常に褒められた会話をしていないのだから気にするべき事でもないだろう。
「闇の帝王の分霊箱ホークラックスがあるのは……」
『いや。君が今持っていないのならば私達にとって聞いても無駄な事なんだ。それに、その情報は無闇に共有してはいけないものだよ』
 悲しげな表情をしているように見せ、遠くで放置され汚れ切ったピーター君を無言で呼び寄せた。いきなり現れた薄汚い継ぎ接ぎだらけのぬいぐるみにレギュラス・ブラックは訳が判らないといった表情をしてみせるが、それでいい。寧ろこれだけで今後の展開が判ったら異常者だ。
 1ヶ月以上この洞窟内に放置され、すっかり不気味な出で立ちになってしまったピーター君をレギュラス・ブラックの足元に放置して、あらかじめ用意した方向へ誘導を始める。
『どうか、このぬいぐるみの持ち主を探し出して、会いに行って欲しい。そこに居る者ならば、分霊箱ホークラックスを破壊出来る力を持っているから』
 全く無茶な注文であった。
 しかし、ブラック家の財力や情報網、そして彼に忠実に仕え続けているハウスエルフの力を使用すれば不可能ではない。この為にピーター君の捜索願いの記事をフリーペーパーへ出したのだから、かなり早い段階でレギュラス・ブラックは私達に辿り着くはずだ。
 尤も、冷静に考えると私自身がかなり怪しい人間である為、こんな言葉通りに従うのに躊躇いがあり、情報はかなり早い段階で手に入れるが実際に動くのはもう少し遅いと見た方がいいだろう。躊躇いながらも考えに考えて、今年中に動いてくればそれで十分であるというのが私とメルヴィッド共通の見解であった。
「貴方では、いけないんですか?」
『いけないのではなく、出来ないのだよ』
 僅かに目を伏せてこれ以上は語れないという空気を醸しながら寂しげに笑うと、それを敏感に感じ取ったレギュラス・ブラックは追求を止めて、判りましたと小さく頷く。
 その素直過ぎる様子を見る限り、彼は近年稀に見る良い子だと思うのだがどうだろう。勿論メルヴィッドもユーリアンも別方向に良い子なのだが、人の言葉を信用し過ぎる純粋さを持っているという意味合いでレギュラス・ブラックは非常に良い子であった。
『どうか、頼まれてくれないかな。君に、分霊箱ホークラックスの破壊を見届けて貰いたいんだ』
「判りました。あの、。貴方は一体」
 私に関しての質問をしようとしたのだろうが、それも告げたくないという雰囲気を勝手に悟ったらしいレギュラス・ブラックは口を噤んで首を振る。分霊箱ホークラックスの破壊、ただそれだけを託す人間ならば訳ありに違いないと勘違いしてくれているのだろう。
 訳ありの訳が、大分彼の想像と掛け離れた場所にある事を始め、真実という真実が隠れてしまっているが。
 私は持っていた杖を差し出し、餞別だと受け取らせる。何処にでも売っている量産型の非常に安い杖だが丸腰よりはマシであろうと告げると、律儀な性格と家柄相応の教育を受けて来た彼は礼がしたいと言って来た。全く良い子である、メルヴィッドといいユーリアンといい、どうして私の周囲にはこんな良い子ばかりが集まるのだろうか。私の徳から考えると、もうちょっと性格に難のある子が集まってもいいだろうに。
『それなら、1つだけ。私達の事を流布しないで欲しいんだ』
「それだけですか?」
『それで十二分だよ』
 穏やかに微笑むと、レギュラス・ブラックは少し不満そうな顔をして、それでもちゃんと頷いて約束は守りますと宣言する。この子が狡猾な性質で定着しているスリザリン寮出身者と言われても余り信憑性を得ないような、美しさに溢れた宣言の仕方であった。
 さて、このまま長話をしてもいいが、それでは時間がないという説得力に欠ける。否、真実時間はないのだ、私は早く帰宅して家事をやらなければならないのだから。
 種も撒き終わり、水も与えた事だ。もう用はないかと区切りを付けてレギュラス・ブラックに向き合った。水死体から頭蓋骨まで見たが、矢張り元の姿も綺麗な少年である。
『くれぐれも、宜しくお願いします』
「必ず破壊します」
 水や泥に塗れたピーター君を拾い上げ、美しい光を秘めた瞳が私をまっすぐと見た。英雄であるリチャードとはまた別の色をした、胸を締め付けられるような綺麗な目だった。
 その目から逃れるように音もなく姿くらましをして、見慣れたリビングへ戻るが、家の中は誰の気配もなくしんと静まり返っている。
 メルヴィッドは仕事、ユーリアンは本体の中に潜り眠っているのだろう、ハリーの体は子供部屋で深い眠りについており、キャビネット上のスノーウィ君と布を貼ったバスケットの中にいるギモーヴさんは元々喋らない。
『ああ、なんて可哀想な子』
 窓の向こうに見える曇天に向かって呟いた言葉は誰に聞かれる事もなく消えて行く。
 誇り高きレギュラス・ブラックが行おうとした事実が明るみに出ていない現代に彼が甦ったとしても、魔法界からも闇の陣営からも裏切り者と蔑まれ、臆病者と罵られるだけに違いない。父母も亡くし、兄は牢獄の中。愛するハウスエルフだけが僅かに残るだけの今の世界は彼の心を傷付け、引き裂いてしまうだろう。
 マスメディアは中傷記事を書き立て、事実を知ろうとしない者は後ろ指をさす。大衆は魔法省が作った世論に操作され、本来ならば誰よりも勇敢であるはずの彼は、きっとこの世界で孤立してしまう。まるで、私の英雄であるリチャード・ロウのように。
 彼は、心の中に涙を目一杯溜めて、足掻いて、苦しんで、絶望してしまうだろう。
 そうして尊厳を磨り減らされた後で、メルヴィッドの囁く甘い言葉に、弱った心を絡め取られてしまえばいいのだ。