曖昧トルマリン

graytourmaline

冷やしなめこおろし蕎麦

 久々に和を強調させた夕飯を作り終えてダイニングへ持って行くと、それまで騒がしかったユーリアンの喧騒が何故かぴたりと止んでしまった。蛙の中に閉じ込められいた時に感じた諸々の不満をメルヴィッドへぶち撒けていたのだろうが、私と目が合うと人間を警戒する野良猫のような表情で距離を測り始める。
 先程まで適当にあしらっていたらしいメルヴィッドは高みの見物を決め込むような余裕溢れる笑い方をしていて、ギモーヴさんはギモーヴさんで人間同士の喧嘩など我関せずといった決断力溢れる表情のままスノーウィ君と一緒にリビングのソファの上で寛いでいた。因みに先程確認してみた所、ギモーヴさんは間違いなく雌であった。
 ユーリアンの相手よりも補給の優先順位が高いらしいメルヴィッドは早々にソファから立ち上がると手元を覗き込み、随分可愛らしい仕草で首を傾げた。
「華やかさのない料理だな。明日から1週間絶食するのに最後の食事がこんな粗末な物でいいのか? 折角私が気を遣って、お前の食べたい物を作れと言ったのに」
「食べたい料理と作りたい料理は違いますからね。それに懐石でもあるまいし、素人に毛が生えただけの私が作る和食は大体こんな彩りでしょう?」
「言われてみれば、偶にお前が作る母国料理は全体的に茶色がかっていたな」
「味噌と醤油を多用しますから。何でしたらユーリアンも召し上がりますか、人間の肉体は用意出来ないのでギモーヴさんの中にでも入り直して」
「必要ない!」
 人馴れしていない子猫のように威嚇するユーリアンは、しかし、いつもの様に引き篭もったりはせず澄んだ黒い瞳で私を睨み付けて来る。若干腰が引けているような気がしないでもないが、そこがまた大層可愛らしい。
 正面から向き合えうようになれる程立派に進歩したと感動するべきなのか、単に蛙に封じ込めてからの拷問がそこまで嫌なのかは判らないが、兎も角、話を全く聞こうとしない彼の態度も少しは改善されたようであった。
 これで彼の生存率も少しは上がるだろうと安心し、早々に席に着いたメルヴィッドの前に本日のメニューを並べて行く。こうして食卓へ上がった料理を見ると、確かに主菜も副菜も色合いは地味だが、もうすぐ終わる夏の物を使った和の食事に僅かな懐かしさを感じた。
「それで、ユーリアンはまた何に不満を感じていたんですか」
 私が手を合わせる前から早々に食事を始めていたメルヴィッドに問いかけると、ピーマンの煮浸しをゆっくりと咀嚼していた最中だったからなのか返事は来ず、代わりに別方向から解答が飛んで来る。
「爺、今すぐソレを殺せ!」
「おやまあ、私ならば兎も角、メルヴィッドをご指名とは中々穏やかな台詞ではありませんね。本当にどうしたんですか?」
「僕の本体をあの蛙の腹の中に入れたと言われたんだ!」
 ユーリアンの指先の向こうに、だからどうしたと言わんばかりのギモーヴさんが鎮座していた。幾らギモーヴさんが並の蛙より大きいといっても、あの馬鹿でかい指輪を仕込むにはスペースがないので考えられる事は今の所2つ、指輪を入れたというのは嘘で他の何処かに隠しているか、指輪を魔法で小さくして本当に仕込んだか。冴えない私のただの勘だが、恐らくは後者だろうか。
 天高盛にした麦飯を平らげているメルヴィッドは平然と無視を決め込み、茄子と秋葵のすまし汁を大きな匙で掬って飲み始めた。湯気の向こうの赤い瞳が面倒臭いから適当にあしらっておけと言っている。
「それは大変ですね、ギモーヴさんの体に悪い影響がなければいいのですが」
「僕の心配をしてくれないかな!?」
 ヒステリックな怒号と共に飛んで来たスノーウィ君を受け止め、食卓への投下を防ぐ。かなり怒りは浸透しているようだが生物であるギモーヴさんでなく無機物のスノーウィ君を投げる辺り、まだ理性は働いているらしい。
「勿論ユーリアンの事も心配ですよ。本体を取り出される時にギモーヴさんの血や内臓に塗れた指輪の姿を想像するだけで胸が苦しくなります」
「その言葉のどの辺が僕を心配しているって!?」
「と言うよりも、嫌ならば自分で取り出して別の場所に隠しては如何ですか?」
 スノーウィ君と共に首を傾げて尋ねてみると、返事は彼からではなく鹿肉と胡桃の味噌漬けを摘んでいたメルヴィッドからやって来た。
「その蛙を傷付ければ加害した側にも同じ被害が行くよう呪っておいた。腕を千切ればそいつの腕も千切れるし、腹を裂けばそいつの腹も裂ける。指輪を取り出せば内臓のどれかがランダムに飛び出すだろう。厳密に言うとこれには未だ腕も腹もないから、まあ普通に考えれば指輪本体が壊れるだろうな」
 何時の間にか分霊箱ホークラックスを破壊出来る程の強力な呪いを使用していたにも関わらず、メルヴィッドは疲れた様子も見せずご飯のお代りを要求する。普段よりも食べる速度が速いのはその所為なのかもしれない。
「しかしメルヴィッドは先程ギモーヴさんの事を縛り上げていましたよね。もしかしなくても、その後で呪ったんですか?」
「だからこれが怒っているんだろう。お前も、余り文句ばかり垂れていると、蛙と同期化させてから蛇をけしかけるぞ」
「蛇に丸呑みされたら共倒れしませんか?」
「死ぬ前には回収してやる」
 私が目を離した隙に心理的守備力を分霊箱ホークラックス並にまで上げられていたギモーヴさんはというと、物騒な会話を理解しているがどうでもいいといった風で静かに座り込んだまま微動だにしていない。よく動きよく叫ぶユーリアンとは対照的であると思いつつ、ひとまずスノーウィ君を彼女の隣に戻して食事を進める。
 冷たい餡掛け茶碗蒸しをよそいながらユーリアンの方に視線をやると、本体の中に戻るのも嫌だが私達の会話にも入りたくないと背中で語り、ダイニングとリビングの間の部屋の隅で不貞腐れていた。何やら独り言を呟いているので聞いてみると、何時かメルヴィッドの本体を見つけて破壊してやるだとか空恐ろしいことを言っている。
「ユーリアン、そういう物騒な事を真面目な顔で言うものではありませんよ。次から貴方が何か探している素振りをしていたら破壊するしかないと思ってしまうではありませんか」
「返り討ちにして拷問してやる」
「拷問は構いませんが、私はメルヴィッドの本体が何処にあるのか知りませんよ」
 ウナギとキュウリの三杯酢で口の中をさっぱりさせながら答えると、ユーリアンは意外な物を見るような目で私を見て来た。
 どうやら協力関係を結んでいる故にその手の情報も遣り取りしていると思われていたようであるが、生憎私は3年半程前に亡くなったメアリー・ガードナーの葬儀後にピーター君の中から取り出された彼の本体が何処にあるのか欠片も知らない。
 メルヴィッドは緑茶の入っていたティーボウルから口を離し、危険だからなと先に結論を告げた。
は小突き回された程度で口を割るような男ではないが、服従の呪文や真実薬という方法も存在する。この異常者ならばそれらにすら反抗出来そうだが、念を入れるに越したことはない」
「秘密の共有もせず、それでよく協力関係を保っていられるな」
「寧ろ協力者に対する秘密の複数保持は当たり前ですよ。他人に言いたくない事や知られたくない事なんて、それこそ10や20では収まらないでしょうし」
「最初に秘密の存在を否定するから隠し続けなければならない羽目になるんだ。秘密は存在すると言ってしまえばそこで終わる、この男はその手の類の追求はしない」
「だって知られたくないから秘密なんでしょう?」
「こういう男だ、いい加減学習しろ」
 そう言いながらメルヴィッドは金属音のする何かを私に投げて寄越す。食卓を挟んで飛んで来たそれを受け取ると、手の中でその何かが照明の光を受けて煌めいた。
 さして苦労もせず取り替えた、本物のサラザール・スリザリンのロケット。それをどうすればいいのかと視線で尋ねると、まだ復活はさせないがお前が隠しておけと告げられる。
「私でいいのですか?」
「1人が複数の隠し場所を知っているというのも問題だろう。嫌な予感しかしないお前になど頼みたくはないが、これに隠させるのも不安が残る」
「これより僕が劣るって言うのかい?」
「私とお前とが同じ物を隠したとして、老害共が思いも付かない場所に隠すのは恐らくこの男だけだ。私とお前はあの男達に知られている分、思考が読まれ易い」
「蛙の腹の中だって十分思い付かない場所だけど?」
「あれは元々この男が私の本体を妙な場所に隠した経験からだ」
 今この場に居ないピーター君の中に一時的に避難させていた時の事を言っているのだろうが、ユーリアンはその場所が何処だったかよりももっと気になる事があったようだ。
「お前は僕の未来の癖に、こんな男の思考を使うのか?」
「使える物は使う、それが今の私のやり方だ。文句があるのなら、せめてより使える男になってから言うんだな。これは大概間抜けだが、異世界の本体に手解きを受けただけあって魔法を扱う頭の質自体は優秀だ」
 低評価なのが気に入らないユーリアンが苛々しているのが判ったのかメルヴィッドは溜息を吐きながら杖を振り、食卓の上へ何の変哲もない2つの硝子玉を出現させる。片方は緑、片方は赤い色をした、どこから見てもただの硝子玉2つと、次いでユーリアン、最後に私を指さして今夜中にこれを隠しておけと告げた。
「明日中に私が発見出来なければ、そのロケットの隠し場所はお前に譲る」
「馬鹿にしてる訳?」
「今更気付くな、お前の事を馬鹿にしているのは以前からだ。いいからやっておけ」
 赤い硝子玉が食卓の上を転がり、私の前でぴたりと静止する。面倒臭い事と、何よりも今はレギュラス・ブラックの件で夜は色々と忙しいので庭にある鼠捕り用の毒餌に包んで隠しておこう。見付かった所で特にお咎めもないのだろうし。
 むっつりと、まるでギモーヴさんのような不満顔をしたユーリアンは、それでも勝負事に負けるのは癪なのか緑の硝子玉を宙に浮かせて私を睨んだ。
 端から勝負する気のない私はというと、食卓の空き皿とデザートの皿を交換するので忙しかったので、あまり相手にする事が出来なかったが。
 けれどもその表情もデザートの姿を見るまでのもので、硝子の器にあるそれを確認すると黒い瞳が驚愕で見開かれる。
「……何これ、蛙の卵?」
 清涼感のある器に張られた水、その中にぷっかりと浮かぶ氷と水饅頭を見た感想は以前食卓に出現させた時のメルヴィッドと全く同じ物で、こうしてみるとこの子達は同一人物なのだなとしみじみ感じた。
 これは蛙の卵ではないと説明しようとした矢先、何故かメルヴィッドの表情が楽しそうなものに変化する。嫌な、或いは面白そうな事が起こりそうな予感に私も口を噤んだ。
「そうだ。これはヤマトオオツノガエルという種の蛙の卵で、この男の故郷ではそれを生のままシロップに漬けて食べるのが習わしだ」
 常にユーリアンをからかい続けてはいるものの、食事系は生命線だからなのかこういった類の冗談はあまり言わなかったメルヴィッドの言葉を鵜呑みしてしまったのだろう。
 信じられない物を見るようなユーリアンの視線に、私は微笑んで肯定した。ここで否定しては協力者の名が廃るだとか、どうでもいい考えが脳裏に過る。ユーリアンにしてみれば迷惑極まりない矜持であろうが。
「通の方は孵化したオタマジャクシを生きたまま丸呑みするんですよ」
 オタマジャクシは魚ではないが、魚介類の生食文化に触れた事のない戦中世代のユーリアンは気分が優れなくなったのか胸元を抑えて血の気を引かせる。夕食前の脅迫をまた思い出してしまったのだろうか、肉体が存在していたならばトイレに駆け込んで吐いていたのではと思いたくなる程、顔色が悪い。
 まだまだ素直で可愛い盛りだなと和んでいる所に笑いを堪えていたメルヴィッドがネタばらしをして、ダイニングは一気に混沌と化す。こんなあからさまな嘘に引っかかるユーリアンが悪いのだと言うメルヴィッドの表情はとても楽しそうであった、矢張り彼の態度は弟に接する兄のようにか見えない。
 そんな馬鹿で騒がしい人間達の遣り取りを、リビングのギモーヴさんは相変わらずの表情のまま呆れたような目で眺めている。今日も我が家は平和であった。
 そして、余談だが、ユーリアンの隠した緑色の硝子玉はメルヴィッドが翌日の出勤前に5分で探し当てた事をここに追記しておく。