曖昧トルマリン

graytourmaline

サーモンとズッキーニのケーク・サレ

 学校からの帰宅直後に発見したリビングの天井中央から紐で吊るされたサンキャッチャーのような球状の物体を見て、最初に浮かんだ感想は、随分変わったインテリアを購入したのだな、であった。
 サンキャッチャーは文字通り太陽光を透過や屈折させる事で光を楽しむプリズムで、普通設置場所は光源の取り易い窓際が定番となっている。光が入ってこない訳ではないが、しかしリビング中央の空間に放置するようなものでもない。そも、メルヴィッドが所謂このような無駄に属する物を買うとも、貰って飾るとも思えなかった。
 ということは、これはサンキャッチャーとは似て非なるものと考える方が自然なのだろうと結論付け、改めて天井からぶら下がる未知の物体をまじまじと見ると、成程これは違うと納得出来る。それはサンキャッチャー特有の輝き等一切存在しない、寧ろ球状のモビールと表現した方がいいのかもしれないが、厳密に言うとこれも不適切であろう。
 ぶら下がっていたのはスイカのように紐で縛られた、蛙であった。
 蛙とはいっても、アマガエルのようなぺったりとした可愛らしいフォルムでもなければ、ヒキガエルのようなずんぐりむっくりでもない。近しいものはフクラガエルであろうか、この柔らかそうな丸みといい、俊敏とは程遠い動きをする短い手足といい、世の中で起こる全ての事象に不満を持っていそうな表情といい、実によく似ていて可愛らしい生き物である。
 本当によく似ているのだ。やや非常識がかった大きさと、後ろ脚の数が1本足りない事以外は。
、帰っていたのか」
「はい只今帰宅しました。メルヴィッド、これは一体どうしたんですか?」
 ミルクティーの入ったマグカップを手に現れたメルヴィッドに声を掛けられ、鞄も降ろさないまま目の前で吊るされている直径15cm程の蛙を指差すと、赤い瞳が疲労とも不愉快とも取れる歪み方をしながらダイニングテーブルの方を示した。
 連られて私も視線をやると、そこには何者かによって破壊されたとある物体の残骸が鎮座していて、一抱え程ある白い鉄の箱の扉が外れ、固まった粘土のような白と黄色の斑に塗れている。
 見覚えのあり過ぎるその物体の、その壊れ方で大体何があったのかは察しが付いた。
「という事は、もしかしなくてもこの子はユーリアンですか」
「そうだ。この事について全く反省をしていないようだがな」
 破壊された白い鉄の箱、キッチンの神器である電子レンジの残骸に纏わりついている白と黄色は恐らく卵であった物だ。内側に満遍無くこびり付いている量、そして扉を破壊している威力からして考えると爆発したのは1つや2つではない。
 メルヴィッドの白い指が紐を弾くと蛙が振り子のように揺れ、小さな口が無意味に開閉した。声が全く漏れないのは声帯まで蛙と同化させてしまったからなのだろうか、緩慢に動く3本の手足だけが今の彼の感情を語っている。
「まあ、程々にしてあげて下さいね。貴方も昔やらかした事なんですから」
「私は扉を破壊するまではしていない、そもそもこれには絶対にやるなと注意もした」
「注意だけではなく理由や原理を説明しないと。この子は貴方に対して反発気味なんですから、駄目だときつく言われれば言われる程、やってはいけない事をしでかしますよ」
「丸っきり餓鬼の行動だな」
 更に指は宙をなぞり紐が独りでに動き出し蛙に空中旋回運動をさせ始めた、何ともシュールな光景である。ユーリアンにはまだ実体が存在しないので、きっと蛙に変身させた訳ではなく態々この蛙をメルヴィッドが捕まえたか買ってきたかしたと考えると余計にシュールだと思えて来た。
 部屋の中を玩具のようにぐるんぐるんと回る蛙を眺めていると隣のメルヴィッドが貴重な休日がとか、不必要な出費がだとか、折角の卵がだとか、随分と庶民的な心労を呟く。普段はあんなに輝いている紅の瞳が、今日は泥のように沈んでいた。
「大体だ、偉そうに意見してくれるが、お前に対してはどうなんだ」
「見下されているので端から言う事を聞く気はないようです」
「自分の評価を改善出来ない男が説教を垂れるな」
 説得力のあり過ぎる意見を述べたメルヴィッドは私を見下ろし、ありったけの幸せが逃げていきそうな溜息を吐いてソファに深く座り込む。頭上で旋回している蛙など、もうどうでもいいと言いたげな背中であった。
 それでも本体の指輪を破壊しようとしないのは彼の優しさであると理解しているつもりなので、私もそれ以上何か言う事はせずひとまず卵爆弾で破壊された電子レンジをゴミとして処分する為にダイニングテーブルから持ち去る事にする。
 レパロ辺りで直せないかと問われそうだが、生憎修復魔法と電化製品は相性が悪いのだ。以前何度も破壊された電動タイプライターは電子レンジに比べて構造が単純なのである程度は修復可能であったが、それでも完全に直すには専門家の手が必要であった。そもそもだ、杖を一振りして呪文を唱える程度で直るのならば高位の魔法使いであるメルヴィッドが既に直しているに決まっている。彼が直せないのなら私に直せる訳がない。
 専用のゴミ箱に鉄屑になった電子レンジを捨て、身の回りを一通り整えた後でキッチンに赴く。先日早生の洋梨を件の老夫婦からいただいたのだが、メルヴィッドの口に合わなかったらしいので今日はオーブン焼きを作ろうと思っていたのだ。本来ならば電子レンジを使用する箇所もあるのだが省略しても大丈夫だろう。
 さほど時間をかけず完成した洋梨と檸檬のオーブン焼きにバニラアイスを添え、自分用の紅茶を持ってリビングまで行くと未だ蛙が空中で旋回を続けていた。中に居るはずのユーリアンがそろそろ心配になって来たが、破壊された物が物なのでどうにも積極的に助ける気にはなれない。調理時間の大幅短縮を可能とする電子レンジは、ないと色々困るのだ。
 大切な調理器具を壊されて若干負の感情に染まっている私の内心など見透かしているだろう。メルヴィッドはいつもの様にしつこくユーリアンの解放の懇願をしない私を鼻で笑い、耐熱皿の上で湯気を立てている洋梨のスライスにフォークを突き刺して他愛のない話を振って来た。
「そろそろ2週間になるが、新しい学校はもう慣れたのか」
「公立の学校など何処も同じようなものですよ。違う事と言えば年齢問わず周囲の女性が貴方の情報を欲しがるくらいでしょうか」
「不必要な報告をするな」
 心底嫌そうな表情をする美しい青年は、何故自分の周囲には使える人間がコレしかないのだと私をフォークで指す。私のような愚鈍な男が使える部類に入ってしまうような彼の対人運のなさに、今更ながら同情してしまった。
 気晴らしになるかどうかわからないが、一応慰めておこうか。
「もう少しでレギュラス・ブラックが復活しますから。それまでの辛抱ですよ」
「あれはただの捨て駒だ、1度裏切った奴は2度3度裏切るに決まっている」
「私も養父を見捨てた口ですよ」
「見限ったと見捨てたは違う。あんな老害としか言えない無能男は離反されて当然だ、寧ろその事を後悔し続けているお前の方が可怪しい。今まで何度となく問いかけたが、お前は私を裏切らない。そうだろう?」
「確かにメルヴィッドを裏切る事なんて出来ませんが、並行世界であろうと過去が過去だけに色々と余計な事を考えてしまうんですよ。では、ロケットはどうでしょうか」
「これと同じ轍を踏むのだけは避けたい」
 未だ頭上で旋回を続ける蛙をちらりとだけ見て、すぐにメルヴィッドに視線を戻す。若干体色が悪くなってきているようだが、まだ大丈夫だろう。この辺りの匙加減は私よりも寧ろメルヴィッドの得意分野であるだろうし。
、矢張りお前がこれを躾けろ。今なら出来るだろう」
「まあ、出来るでしょうねえ」
 電子レンジを破壊されてユーリアンに甘い顔を出来なくなっている今ならば、確かに彼を叱る事も出来るであろう。
 尤も、よく考えて行くと、メルヴィッドがユーリアンの性格を把握していない訳がないのだから、幾ら注意をしても電子レンジで卵を爆発させるのは目に見えていた事だろう。そうなれば料理に関しては寛容ではいられない私が彼の擁護を止める事まで予想して、敢えてそのような行動を取っていたようにも思える。
 もしかして、あの愚痴のような呟きも同情を誘う為の演技だったのだろうか、しかし、別にそれならそれでも構わない。
 何より、偶にはメルヴィッドの手の平の上で踊るというのも楽しそうである。
「相変わらずは素知らぬ顔が出来ない男だな」
「私は嘘が苦手なので」
 私が策に乗った事をすぐに見抜いたらしいメルヴィッドの言葉に笑顔で返すと、若干機嫌が直ったのか瞳に光が戻る。頭上の旋回スピードも上がったような気がした。
「やり方はお前に任せる」
「宜しいのですか。手加減が苦手なので拷問紛いの物になるかもしれませんが」
「構わない、但し殺しはするなよ」
「努力します」
 徐々に白っぽい色になっている蛙を眺めながら私も洋梨を咀嚼する、手順を省いたにしては味は上々であった。生食に向かないだけで、元々が良い洋梨であったのだろう。
 因みに蛙はというと大分グロッキーな状態に陥っているのか、ふっくらとしたお腹から生えている2本の前脚は辛うじて動いているが、1本しかない後ろ脚は既に動かす事も出来なくなっているのか、だらんと垂れ下がったままだ。
 ユーリアンは兎も角、この生き物を余り痛め付けるのは得策ではないだろう。そろそろ下ろした方がいいと提案する前に、先にメルヴィッドが口を開いた。
「それと、後で鶏の有精卵を買って来い。これが全部駄目にしたからな」
「有精卵……ああ、成程。でもこの子で孵化させる事が出来るんですか?」
「ヒキガエルは別に購入してある、それは元々お前にやるつもりのペットだ。好きだと言っていただろう、そういう生き物が」
「ええそれはもう大好きです。ほらスノーウィ君、可愛い友達が出来ますよ」
 隣に座らせていたスノーウィ君に話しかけると、メルヴィッドが呆れたように笑う。
 年寄りという生き物は小さいものや可愛いものを甘やかすのが大好きだと告げたのは随分前の事だったが、それを覚えていたらしいメルヴィッドは態々魔法界のペットショップで私の為にこの子を購入してくれたらしい。
 メルヴィッド曰く、ヒキガエルを買いに出向いた店の隅に居たのだが微動だにしないので最初は置物かと思ったそうだ。外見からしてただの蛙ではない事は明らかなのだが、生態が不明過ぎる上に滅多に餌を食べようとしなかったので店の主人も若干不気味がり安く購入出来たという。その低燃費で微動だにせず静かなのが購入の決め手となったらしい。
「低燃費といえる程の子ではないと思いますが」
「その口振りはこの奇形蛙に心当たりがあるのか?」
「多分、青蛙神ですね。実物を見るのは私も初めてですが」
「セーアジン? 何処かで聞いたな」
「中国で生息している縁起物の魔法生物ですよ。普通はヒキガエルに似た姿なんですが、この子はきっとこういう種類なんでしょうね。後ろ足が1本なのが大きな特徴で、聊斎志異や去年辺りにお渡しした和漢三才図会にも記述があったはずです。覚えがあるのはきっとそれでしょう」
「魔法生物系のページは流し読んだだけだ、よく思い出せない」
「亀に3本足がいるのだから蛙にも3本足がいたって不思議じゃない気にするな、みたいな事が書いてあったかと思いますが」
「ああ、あれか。判った」
「和漢三才図会に記載されている薬草や医療系は真面目なんですが、魔法生物系の説明は想像力とユーモアに溢れていますよね。ちょっと下ろしていただいても宜しいですか」
 手っ取り早く青蛙神だと証明する為に旋回しっぱなしだった蛙を下ろして貰い、今まで見た事がないくらいに目が死んでいるユーリアンに笑い掛けた。蛙の表情が引き攣ったように見えたが幻覚ではなく現実だろう。
 もっちりとしつつも意外にも乾いてさらりとした柔らかい感触を楽しみながらポケットの中を探り、目当ての物を摘む。
「青蛙神は餌が特殊なんですよ」
「何だ、蛇でも食べるのか?」
「それ、余り特殊な事例ではありません。体の大きな蛙は割と何でも食べますよ。この子はちょっと違う方向です」
「冗談で言ったんだが、また性質の悪い冗談返しなのか? それとも魔法界の話か?」
「非魔法界で普通に起こる事ですよ。ほらユーリアン、逃げようとしないで下さい。余り手を煩わせるのなら風船蛙にした後に尻の穴に爆竹を突っ込んで爆殺しますよ」
 父親が幼い頃よく暇潰しにしていたらしい遊びと言う名の処刑方法を口にするとユーリアンとメルヴィッド双方の動きが止まり、恐る恐るといった様子で何とも名状し難い存在を見るような目で私を見つめて来た。メルヴィッドは兎も角、直接被害に遭うユーリアンは色々と想像してしまったのか白っぽくなっていた体色を更に脱色させて硬直している。
、拷問はいいが殺すなと言っているだろう」
「そうでした。ではユーリアン、第一段階として貴方と雄のヒキガエルを交尾させて、第二段階で孕んだ卵を胎内で孵化させましょう。生まれたオタマジャクシを捨てるのは勿体ないので、最終段階は活きのいい個体から1匹ずつ強制咀嚼させる方向に持って行きたいのですが、何でしたら口の中で卵を潰して胃袋に流し込む方向でも全く構いませんよ」
「……殺された方がまだマシだな」
「拷問とは普通、死んだ方がマシだと思えるような物ばかりでしょう?」
「お前の不気味な想像力は常軌を逸している。おい、いいか。判っているとは思うがこの男はやると言ったらやる男だ、精神崩壊したくなければ大人しくしていろ」
 私の言葉を理解して脱走を試みようとしたり固まったりしているという事は、この子の体は現時点でユーリアンに支配されていると見て間違いない。
「メルヴィッド、少しの間だけでいいので体の主導権を戻して貰えませんか。ユーリアンのままだと食べてくれそうにないので」
「間違いなく剥がした瞬間に逃亡して1ヶ月は引き篭もるぞ」
「逆に意識だけを繋げたまま内側に沈める事は出来ませんか? 短時間ならば人間としての尊厳もそう崩壊しないでしょうし」
 とは言ったものの、正直これは建前で別に崩壊しても一向に構わない、寧ろ全てを崩壊させてゼロから躾を行えるのでそちらの方が楽だと内心では思っている。崩壊させ過ぎて人間として機能しなくなったらその時はその時で考えればいい、メルヴィッドにしてもユーリアンは然程重要な存在ではないようなので、要は死ななければいいのだ。
 私の脅しが本気だと察する事が出来る程度には賢明であったユーリアンは未だ動けずにいて、その隙にメルヴィッドは杖を振り彼の意識を蛙の内側に沈めてしまう。自分には全く関係がないと言いたげな表情で杖を撫で、崩れたら崩れた時だとメルヴィッドも言っているので責められる事もないだろう。
 再び洋梨の甘い味を楽しみ始めたメルヴィッドの隣で、私も青蛙神と思われる蛙に餌をチラつかせた。赤い瞳がそんな物を食べるのかと尋ねて来るが、文献によれば青蛙神の好物は硬貨、特に今私が持っているような金貨といわれているので大丈夫だろう。
 ガリオン金貨1枚というのは餌代として考えるとやや割高ではあるが、逆にペットショップの店主が不思議がっていたように全く食べなくても生きてはいけるので、均せば低燃費という表現も間違いではない。
 リビングの照明に反射して輝く金貨を丸い瞳がじっと見つめ、今までの緩慢な動きからは予想が出来ないような素早さで小さな口から舌を伸ばし、金貨を丸呑みする。心なしか嬉しそうな表情を浮かべているような気がするが、それは私の気の所為なのかもしれない。
「食べたな。どうやら本物のようだ」
「種族が青蛙神と判ったのならば、後でギモーヴさんの飼い方を調べないといけませんね」
「ギモーヴ? その蛙の名前か?」
「マシュマロみたいで可愛らしいじゃありませんか。ダイフクやワラビモチやクズモチでもよかったんですが、思い切り和名ですから」
 両手でギモーヴさんの腹部を優しく掴むと、出来立てのマシュマロのような肌触りの感触が楽しめて口元が緩む。今はユーリアンの意識が意志として伝わらない為、全く抵抗せず大人しいのがまたいい。中身のユーリアンは多分嫌がっているだろうが。
 指の間までしっとりと馴染むふにふにとした柔らかい球体を愛でていると、洋梨を食べ終えたメルヴィッドが乱雑にフォークを皿に戻し、懐かしささえ感じるあの蔑みの視線をやって寄越した。演技であってもなくても、あの疲れようから考えると大分回復したらしい。
「その可愛らしいと評しているペットをヒキガエルと交尾させようとしていたのは何処の誰だ。いや、そもそもこれの雄雌も判らないのにお前の拷問は成り立つのか?」
「メルヴィッドともあろう人が何を呆けているんですか、出来るかどうかではなく、強制的に成り立たせるんですよ。雄同士であろうと魔法を駆使して改造すれば交尾を繰り返す内に産卵出来るようになるでしょうから」
「……久々にお前の異常性に触れた気がするが、全く懐かしさを感じないな」
 私の言葉で疲労がぶり返したのかソファに深く凭れて天井を見上げたメルヴィッドに、ふと今まで隠していた、というよりは語る必要のなかった真実の言葉を告げるべきかどうか一瞬迷った。どうにも彼が勘違いしているらしいギモーヴさんやスノーウィ君、そして今この場に居ないピーター君への素直な感情を彼に語るべきだろうか。
 する、べきなのだろう。メルヴィッドは兎も角、今この場にはユーリアンがいる。付き合いの長いメルヴィッドが未だ勘違いしているという事は、この感情はきっと異常なのだろうからユーリアンの躾にも使えるはずだ。
 その程度の打算ならば、私にだって存在する。
「メルヴィッド、私はこの子達の事を本心から、嘘偽りなく可愛いと思っていますよ。しかし、情を持っているかどうかは別の話です」
 私の言っている言葉の意味が理解出来たのかメルヴィッドはソファの上で更に脱力して綺麗な手で目元を隠すと、指の隙間から私を見下ろしながら諦めたような声でそうだお前はそういう男だったなと、小さく呟いた。