曖昧トルマリン

graytourmaline

牛肉の他人丼

 地底湖の底に広がるそれを見て真っ先に脳裏に浮かんだのは、何時だったかに本で見た中国の陵墓の写真だった。まあ、あそこまで整然と並んではいない上、寝転んでいる個体が見受けられるが、よくよく考えてみると兵馬俑が本物の水死体になっただけなので、帝が居ない事を除けば強ち間違いではないような気になってくる。
 現在、この中からレギュラス・ブラックの遺体を探しているのだが、これが中々思うように進まない。ハリーの肉体から離れているので水の中を息継ぎも抵抗もなく移動出来るのは非常に快適なのだが、如何せん光源を確保しながらの作業なので遺体確認作業の能率が良好とは言い難かった。
 地底湖中の死体を全て一度、陸に引き上げる案もあったのだが、それもそれで私の能力値を考えると効率が悪いので止める事にした。捜索範囲が広過ぎる為、杖を持つ事の出来ないこの状態の私では火力が心許ない。最悪の場合、操作に失敗して引き上げ最中に死体が空中分解する可能性も考えれられる。そもそも、この地底湖周辺にはこの数の死体を配置するスペースも存在しなかった事も挙げられる。
 結局、あれこれ悩んで無駄に時間を浪費するよりは兎に角動けるだけ動いて、何時もの如く地道な作業で成果を上げるしかないのだ。メルヴィッドの本体を探した時と然程大きな違いはない。此処にある死体も有限なのだ、気長に探していればその内発見出来るだろう。
 さて、その死体だが、一体一体丁寧に検分していくとある共通点がある事に気が付いた。髪が抜け落ちておらず、水死体特有の膨張や肌の色の変化も見られない、地底湖の生物に肉が喰まれた形跡すらも認められないのだ。
 というか、そもそも地底湖の中に生物が棲んでいる様子が感じられない。防腐抗菌処理と平行して生物が棲めないようこの水に何らかの薬液が混ぜ込まれているのか、それともここで死んだ者は決められたプロセスで発動する魔法により白骨化しないよう仕組まれているのか、亡者を作り出す魔法それ自体にそういった要素が添加されていたのか、調査した訳ではないので詳細は不明だが、罠として彼等を利用するのならば白骨化は不味いと判断して何らの処置が施されているのは明らかであった。
 メルヴィッドにでも尋ねれば死体の状況から見て彼等が死後何日経過した時点で防腐処理を施されたのか判りそうなものだが、生憎この場には私しか居ない。
 帰宅したら九相図でも眺めてみようか、あれは陸上での経過観察なので当てにならないかもしれないが。そう考えながら次の水死体へと移ると、他と比べて随分と綺麗な男性がアザラシのように直立不動のまま水中で眠っている姿が視界に入った。途端、脳内の優先順位が入れ替わる。
『おや、見付かりましたね』
 今回は運がいい。
 もう少し時間がかかると思っていたのだが、以外と簡単に発見する事が出来た。状態が良好なのも手伝ってか、一目見てそれが彼だと確信する。
 10年もの年月、水に浸かっていたにも関わらず服が完全に原型を留めているのは、使用された布と縫製に関わった職人の技術が共に高い証拠だろう。靴や装飾品にしても、その辺で売られているような既成品ではなく彼の為だけに作られた一点物だと判った。
 また、死体そのものにしても大きな外傷は見当たらず、手や顔の一部に引き摺られたような跡があるだけでそれ以外は整っており、生前から脈々と受け継がれて来た美しさが未だ面影を残しているのも大きい。そして、土左衛門状態になっていないという事は、矢張り水に何らかの仕掛けがあるのだろう。
『それでは、目覚めの準備をしましょうか』
 死体1体分ならば引き上げるのにも労力を要しないが、それでも肉体の劣化具合が不明な為、慎重に浮上させる。腕や脚程度ならば圧の変化に耐え切れず取れても然程問題にはならないが、上半身と下半身で真っ二つになり背骨が湖底に散乱、といった状態になると余計な仕事が増えるのだ。
 ジグソーパズルは嫌いではないのだが、人骨を正しい位置に並べ替えよというミルクパズルへの挑戦権は流石に得たくない。
「爺、遅いよ」
『これでも今回の捜索は随分早く終わったんですが、退屈してしまいましたか』
「当たり前じゃないか。誘うなら誘うで、もう少し気を紛らわせる何かを用意するべきだと思うけどね」
『では、今からはピーター君と遊んでみては如何でしょう』
「お前には僕が不気味な人形遊びに興じるような年齢に見える訳?」
『ならば、今後の為に医学的な視点から検死ごっこをするのが大変有意義かと。此処なら選り取りみどりですよ、全部防腐処理されたご遺体ですが』
「ちょっと言ってる事が理解出来ないから正常な次元の人語を丁寧に喋ってくれないかな。それか、余興として面白く死ね」
『残念ながら以前説明した通り私はこの世界では死ぬ事が出来ませんし、面白く場を盛り上げるのは苦手なので無理ですね。しかし来ても退屈するだろうからと忠告した上で、それでも此方に来ると決めたのはユーリアン、貴方ではありませんか』
 持て余した時間をどうにも消費出来なかった苛立ちからか、先程名付けたばかりの指輪の子こと、ユーリアンが子猫のような愛らしい鳴き声を上げる。
「じゃあ、お前は僕にアレの小間使いになれって言うのかい? 下賎なマグルの学校なんか出て、今もマグルの社会に居ついているアレに?」
『イギリスの薬学部を飛び級で首席卒業は偉業としか言えませんよ。それに雑用は私の仕事なので、正しい意味でも小間使いは寧ろ私のような気がしますがね。最後に個人的な感想ですが、メルヴィッドの接し方は弟に対する兄のようにしか見えませんでしたが』
「アレが兄だって? 普通は先に作られた僕の方が兄だろう」
『そう来ますか』
 このくらいの年頃の子は私のような爺相手だと何を言われても気に喰わないのだろうが、それで無視を選択するのではなく頑張って噛み付こうとしているのだから全く可愛らしいと頬を緩めた。
 反応が望んだものではなかったのか黒い瞳が殺気を帯びたが、私に続いて水中から現れた死体を見ると口を噤み、代わりに盛大に眉を顰める。
「それがレギュラス・ブラック?」
『ええ。どうでしょうか、矢張りご尊父様か、ご母堂様に似ていらっしゃいますか』
「そういう事を平然と尋ねてくるお前の脳って何処まで腐れば気が済むのかな」
『だって彼、随分な美人さんじゃありませんか。少しあどけなさが残っているので、可愛らしいでも通じるような子ですが』
「……いや、僕はもう何も言わない。何も突っ込まない。こいつは異次元生物なんだ、気遣いや共感能力が異常値に振り切れてる事が寧ろ正常だと思って耐えろ。こいつはそういう類の生き物というか存在なんだ」
『異次元と言うか、説明通り正しくは異世界人ですよね。私の場合』
 ごく普通の事を言ったつもりだったが何かが気に入らなかったらしく、ユーリアンがピーター君を投げ付けて来た。
 どうにもこの投げ付け癖はメルヴィッドから感染したらしい。最近事ある毎にユーリアンに投げられっ放しのピーター君に同情すると、無機質相手に何をやっているんだと馬鹿にされる。
『可愛い物に語りかけて精神の安定を図っているんですよ』
「このヴォーパルバニーが可愛く見える爺は可怪しい。目が壊れてるのか? 脳がイカれているのか? ああ、両方か。大体僕の名前だって手の施しようがないくらいどうしようもない。ユーリアン・ソーンズ・コレットって何を思ってこんな名前にしたんだい。両方っていうかもう爺の存在全部が意味不明だ」
 文句を垂れながらユーリアンが出現させた緑色に光るUrien Sorns Coretteの文字が空中を滑る。これもユーリアンの本体である蘇りの石、Resurrection Stoneからのアナグラムなのだが、メルヴィッドの時と同様、センスが感じられない、意味不明等の意見が飛び出て大変不評であった。
 不満ならば改名でも何でも好きにすればいいと数年前と同じような事を言った所、勝手に改名したら本体を壊すとのお達しが上機嫌のメルヴィッドから出され、兄は自分だと文句を垂れつつ決して彼の上位を取れないユーリアンは渋々従っている状況である。
 メルヴィッドとしてはユーリアンを弟のように可愛がっているつもりなのだろうが、どうにもこの子を観察してみるに、その心は伝わっていないようであった。弟扱いなので、やや意地の悪い成分が含まれていたり、偶に雑な扱いをするからなのだろうか。一人っ子の私にはこの辺りがよく判らないが、考えて見れば彼等も皆一人っ子である。
 まあ、そんな事はどうでもいい。
 どうでもよくないのは弟扱いされているユーリアンで、曰く、私達其々の可愛がり方に問題があるし、そもそも可愛がって欲しくないのだと言う。確かに彼は身分こそ学生だが最終学年であるので、魔法界の法律上では成人済みという事になる。
 しかし爺の私にとっては10代の少年はまだまだ甘やかしたい年頃なのだ、親にとって子は何時までも子なように、爺にとって子供は何時までも子供だし、兄にとって弟は何時までも弟なのである。
「大体爺の父親からして意味不明なんだよ。何で並行世界に干渉できるんだよ。君の世界の歴史を聞いたけど、まだそのレベルには達してないよね?」
『それはあの親だから、としか。さて、骨を取り出す作業に移りますが、後学の為に』
「誰が見るか」
 不機嫌そうに拒否したユーリアンは視線でだけ私に黙るよう指示をした気がするので、笑いながらそれを流してレギュラス・ブラックの遺体から服を剥ぎ、全裸の死体をあらかじめ用意していた長尺コンテナへ投入した。
 膨張している場合も考えてかなり大きめを注文しておいてよかったと安堵しつつ、持参した麻袋を浮遊させ縛り口を下にして丁度いい高さに持って行く。
 ユーリアンの視線を背後に感じながら口を解き、豆粒位の大きさをした生物を大量にぶち撒けると、やや引き攣った声でそれは何だと尋ねられた。気持ちは判らなくもない。気分としては養殖場の鰻が餌を食べている光景を見た物に近いのだろう。
『魔法薬の調合でも見かけたでしょう、こちら側では何処にでも生息している肉食型の蠕虫です。こうすれば骨を傷付ける事なく肉だけが綺麗になくなりますから土に埋めて微生物に任せるよりも簡単で手早く綺麗な骨が手に入るんですよ』
「いや、そっちじゃなくて、その量を捕まえたんだ? それとも交配して増やした?」
『幾ら地道な作業が得意な私でも流石にそこまでやりませんよ。これだけの量を生きたまま下さいとお店に注文して、普通に受け取りました。こういった小さな虫は量り売りをやっている店も多いので』
 無論、受け取り場所は現住所ではなく、時間指定をしてホグワーツの人気のない塔に運ばせた。麻袋目一杯という量的な意味では確かにユーリアンのように店員も不審がったかもしれないが、M.O.M分類でXが大量に付くような危険生物でもないので偽名を使用し、ごく普通に料金さえ払えば彼等も仕事としてちゃんと処理してくれる。別に学生にこの虫を売ってはならないという法律はないのだから心理的負担も存在せず、時間と場所指定にしても、朝食の席でこんなのが飛来して万が一縛り口が解けたら軽いテロになるので先方も納得しての事に違いない。
 店側もまさかこんな事の為に蠕虫を注文する人間が居るとは思いもしないだろう。虫に頼らなくとも、死体を処理するだけならば魔法使いは手段に困らない集団なのだから。
『さて、では此処でのお仕事はひとまず終了です。あとは数日放置して、コンテナの中が綺麗な骨だけになったら続きをしましょう』
「骨だけって……ああ、いや、何も言わなくていい理解した」
『人間のお肉がなくなったら共食いを始めるので虫の処理に心配は要りませんよ? 残っていても精々数十匹程度でしょう。まあ、糞の処理は必要になりますが』
「僕の話を聞いてなかったのか? それとも聞いた上で理解していないのか?」
『そういえばこの状態は中国や日本の蠱毒という呪法に似ていますが、あれは複数種のデスマッチなので表面が似ているだけですかね』
「お前とお前の住んでた世界は本当に碌でもないな!?」
『そうでしょうか。ああ、しかし、よく考えてみると確かに此方は生け贄を必要とする魔法が少ないですよね。分霊箱ホークラックスにしても殺人をするだけで別に手段や日時を問いませんし。ただ、作成に当たり差し出さなければならない対価が大分辛いですが』
「爺の価値観と倫理観が本気で判らない。分霊箱ホークラックス作成の対価なんて、あってないようなものだろう」
『そうでしょうかねえ』
 コピーやダビングなら怖くないのだが、魂の分割はちょっと遠慮願いたい。寧ろユーリアンの倫理観がどうなっているのか非常に気になるが、説明された所で私がどうこうする訳でもないので色々と黙った方が得策だろう。
 私が恐れるのはオリジナルが劣化するか否か、という程度なのだが、そういえばゴーストダビングはオリジナル個体も破壊されるのだったか。最初からお前はコピーで魂が劣化していると告げられるのは構わないのだが、その行為をした結果劣化するというのは少し怖い。魂というよりも、記憶の強制劣化に恐怖している。
 そんな事をつらつらと考えながら、洗濯をする為にレギュラス・ブラックから剥いだ衣類を麻袋の中に入れていると、黙っているのは嫌なのか元気の有り余るユーリアンが何か話題を提供しろとせっついて来た。この子は口では色々言っているがこんな爺を構ってくれる、本当に可愛らしい子だ。
『今日の夕飯は鰯の炊き込みご飯と、ゴーヤのカレーフリット、鰯と茄子の揚浸し、胡瓜とオイルサーディンのサラダに中華風コーンスープとなりますが、デザートはどうしましょうか。未だ暑さが続いているのでさっぱりとした冷たいもの辺りが良いのでしょうか、ユーリアンだったら何が食べたいですか?』
「そうやって異次元から日常会話を平然と持ち掛けてくるの止めてくれない? 何でお前は死体と虫が大量に湧いてる場所で食事の話題を振るかな?」
 食欲を刺激する話題は、何故か異次元の会話として片付けられてしまった。メルヴィッドならばと考え反応を予想してみたものの、ユーリアンとそう変わらないような気がする。もうちょっと気の利いた事くらいは、言ってくれるだろうか。
「仕方がないから僕から振ってやるけど、何でレギュラス・ブラックを甦らせないといけないのか説明してくれない?」
『シリウス・ブラックに死なれてはまだ困るんですよ』
「何でアレがお前と会話出来るのかが判らない。僕が言いたいのは何故そこまでブラック家の所有する物件に拘るか、という事だよ。別の物件だってあるんだろう?」
 コンテナに収まらなかった蠕虫が湖面に触れ、水の揺らぎに反応して亡者が岸までやって来る。そのまま、亡者達は私達に見向きもせず小さな肉の塊を水中へと引き摺り込んだ。
 相変わらず今の私は特殊な位置付けに居る存在にしか認識されない。魂の存在しない彼等は私を認識する事が出来ず、少しの間だけ右往左往してやがて再び湖の中に沈んで行く。それを観察し終えてから、私は求められた説明を暈して伝えた。
『ブラック家が現状で考えられる最短ルートでしょうから。メルヴィッドの能力を駆使した一石二鳥狙いとも言いますが』
「何が最短で一石二鳥なんだ」
『……ここでお教えしても構いませんが、自分で考える事も大切ですよ?』
「煩い、さっさと言え!」
 ピーター君を態々呼び寄せてから再び投げるという不毛に過ぎるリアクションをてユーリアンが怒る。失言の多い私なりに今後のユーリアンについて考えて正論を言ったつもりだったのだが、矢張り失言だったのだろうか。
 彼は元々非常に頭が良い子なのだから、少し考えれば今後の私達の動きも十分予想出来る事だと思うのだが、見下している相手、メルヴィッドや私の話をちゃんと聞こうとしない事が災いしているように思える。私が語った私の世界の話もどちらかといえばメルヴィッドが聞いておけと本体を人質にして脅したので渋々聞いたという風であった、メルヴィッドの時のように不明な点を逐一指摘したりもしていない。
 勿体ない、実に勿体ない話である。まあ、私の老婆心等若く才能豊かな彼には余計なお節介だろうが、それでも心底勿体ないと思う。
 メルヴィッドにしても、彼なりにユーリアンを心配しているのだろう。
 このままでは何時かダンブルドアかヴォルデモートに勘付かれて殺されてしまう事を危惧しているようにしか思えない、だから彼は、私にユーリアンの体を作る環境を整えろと仄めかすことすらしないのだ。自由を手に入れてしまったら最後、ユーリアンは手にした自由故に真っ先に破壊される。傲慢さは前進する為の大きな力だが、出し所を間違えると死に直結する痛手となるのだから。
 矢張り直接言うのではなく、少し考えさせた方がいいだろう。将来、独立して自らの道を歩くはずのこの子の為にも。
『ユーリアンは、メルヴィッドが出した指示を覚えていますよね?』
「聞く必要がなかったから覚えていない。第一雑務はお前の役目だろう」
『実行するのは勿論私ですが、内容くらいは知っておいた方がいいですよ。罠を発動させる前の地道な雑務の積み重ねこそが一番大切ですから』
「お前は何様のつもりで僕に意見をしているんだ」
「お前こそ何様のつもりでにそんな口を利いているんだ?」
 声の出現と同時に夏の夜の洞窟内にしては随分冷えた空気が辺りに広がった。
 今日も仕事があるというのに、こんな時間に起きて大丈夫なのだろうかと心配しなってしまう。それとどうでもいい事だが、寝間着にスリッパのままで威厳を醸せる事に関心もしてしまった。
『どうしたんですか、態々こんな場所まで』
「出勤前に様子だけ見に来ただけだ」
『もうそんな時間ですか?』
 思った以上に時間は進んでいたらしい。そろそろ人が動き始める時間ならば、念の為の防御呪文を洞窟の入口まで追加しに行かなければならない。
「行って来い。コンテナの様子は見ておいてやろう」
『いえ、コンテナはもう終わりました。それよりユーリアンの方が心配なんですが』
「安心しろ、殺しはしない。いいからさっさと行け」
 全く安心出来ない台詞だが、流石に殺しはしないだろうと腹を括り洞窟入り口まで漂って行く。背後で何か聞こえたが内容を脳に認識させないようにしながら近付いて行くと、確かに海の向こうの東の空が既に明るさを帯びていた。どこか遠くで古ぼけた重い車が走る音がする、牛乳か新聞の配達車だろうか。
 一応周囲を警戒しながら防御呪文を追加し、他に変わった様子がないか感熱用のモニターを展開して確認する。幸い人も船も動物も近付いた様子は全くなく、洞窟入り口周辺は普段通りという言葉がよく似合った。
 さて、それでは奥はどうなっているだろうと踵を返して行ってみると、既に何かしでかしたのか人影が1人分減っている。虐めたのか口撃したのか、未だ寝間着のメルヴィッドは呆れた顔をして手の中の指輪を眺めていた。
『ユーリアンは如何しましたか?』
「少し厳しく叱ったらまた逃亡という名の引き篭もりを起こした。お前もあまり甘やかしてばかりいるんじゃない、それだからあの馬鹿も付け上がるんだ」
『どれもこれも、目くじら立てる必要もない可愛い威嚇じゃありませんか。まだ自分の居る状況に戸惑っているのでしょう、その内落ち着いてくれますよ』
「自主的に反省出来る奴ならばそれでいいが、今のあれは傲慢に過ぎる。致命傷になる前に一度強力な矯正が必要だ、最近めっきり見せなくなった狂気を見せて力の違いを思い知らせてやれ、すぐに大人しくなる」
『見せろと言われて見せられる類のものではありませんよ。最近は穏やかそのものですし』
 何だか反抗期直前の息子に対する父母の意見交換会みたいになっているが、それはそれで別にいいだろう。私もメルヴィッドも、自分なりにユーリアンの事を心配しているのだ。それが伝わっていないのが、問題といえば問題であるが。
 私が叱る事の出来ない人間だと薄々気付いていたらしいメルヴィッドは、地底湖内に反響する程大きな溜息を吐いて最初から持っていたらしい丸めた新聞で肩を叩く。その仕草は目の前の彼がヴォルデモートの過去だとか言われても頭からは信じられないくらいの一般人振りであった、とはいっても、相変わらず飛び抜けて美しい外見なのでそこらの一般人とは見た目からして別格なのだが。
 赤い瞳が気怠げに私を見据え、仕方がないとばかりにもう一度溜息を吐いた。
「まあいい。躾は一度にやった方が効率がいいからな」
『はい?』
 何かしらをしでかしてユーリアンと私を同時に躾けるつもりなのだろうか、しかしその疑問を口にする前にメルヴィッドは確認事項だと言ってこの後の予定を口にさせる。
『レギュラス・ブラックの服の洗濯と帳簿整理、ピーター君を洞窟に放置して捜索願の記事をフリーペーパーに提出、名義で量産型の杖を1本、アンティーク市で適当なロケットをそれぞれ購入、それと反魂の術の翻訳でひとまずは宜しかったですよね』
「ここまで言って、これが何をしようとしているか理解しないのは本当に馬鹿の一言に尽きるな。お前はこの場の証拠隠滅でもしていろ、私は仕事に行って来る」
『行ってらっしゃい。今日は職場の方と一緒に夕食を取るから遅くなるんでしたよね』
「全く気が滅入る。何故好き好んで頭が空洞の連中と美味くもない物を食べなければいけないんだ。いいか、絶対に夜食は用意しておけ」
『判っていますよ。日が長いからといって夜には代わりないのですからあまり飲み過ぎないように、気を付けて行って来て下さいね』
 蠕虫が這いずる音が僅かに聞こえるコンテナの前で手を振ると、メルヴィッドも気怠そうに返事をして音もなく姿くらましをして消えた。
 すると天敵が居なくなった後の小動物のようにユーリアンが再び姿を現し、何とも表現し難い目付きで私を睨んで来る。何か気に食わない事でもあったのだろうか。
「爺、今のってさ」
『はい?』
「傍から聞いていると夫婦の会話なんだけど」
『そうでしたか?』
「そうだよ! っていうか、それ以外の何物にも聞こえなかったんだけど!?」
『そうでしょうかねえ。どう思いますか、ピーター君?』
「不気味な無機物に解答を求めるな!」
 お前達が協力者同士なんて絶対に嘘だと叫ぶユーリアンの声が洞窟内で反響し、薄暗い空間の中に虚しく消えて行った。入り口で展開しておいた防御呪文の中に防音も仕込ませていてよかったと、今更ながら安堵する。
 魔法で諸々の痕跡を消しながら首を傾げると、ユーリアンは若干涙目になりながらも一通り悪態を吐いてから再び姿を消してしまった。普段は気を張っているだけで、自分の心情を隠す事なく絶叫するこれが、もしかしたら彼の本性なのかもしれない。
 しかし私とメルヴィッドの間で交わされた単なる業務連絡が夫婦に思えるとは。思春期の鋭敏な感性は愚鈍な爺にはよく判らないものである。