曖昧トルマリン

graytourmaline

茘枝紅茶のティーポンチ

 自己が他者と関わり合い易くする為に人工的に作られる記号が、倫理である。それは環境に左右されるような曖昧な物で、作り上げた本人が認識出来る範囲内の世界にしか存在出来ない。それが私なりの倫理の規定だ。
 今回の件では死者の甦りがそれに抵触しているらしいが、では個々に存在する倫理の中で死者を甦らせる事が反していると定義しているのは何か。大多数は死者蘇生を否定する思想を持つ宗教であろう。或いは周囲の空気だとか個人の良心であろうが、その良心という定義の大元は矢張り宗教、もしくはもっと大元の存在である慣習である、と思う。宗教や民俗学的な事に関して私は並の日本人程度に無知なので断定出来ないのが悲しい所だが。
 しかし、少なくとも科学や魔法に倫理はない、これは断言出来る。
 無理にでもあるとしたいのならば、使用する人間の心にこそあるのだろう。倫理とは人間が定めた人間の為の規律や約束事であり、心や情が存在しない自然界が定めた物理現象とそれに反する魔法には倫理もまた存在しない、というのが私なりの考えである。
 さて、では人の心が作り出した場の空気、または宗教は宗教でも、死者を甦らせる事に関して肯定的なものならば、その倫理観はどうなるのであろうか。
 まあ、考えるまでもない。甦らせて何が悪い、寧ろ善行をした、である。
 実際、何も悪くないのだ。
 自然や物理科学、魔法そのものに倫理はないのだし、信じている宗教が死者の復活を特別なものではなく普通に肯定しているのだから心情的なマイナス要素は何処にもない。死者本人が甦りを頑なに拒否してそれでも甦らせたらそれは悪い事だが、そうでないのなら別に何でもない、貴方に再び会えてよかったと互いに抱き合ってハッピーエンド、めでたしめでたしである。
 倫理なんてものは、精々そんな程度の存在だ。存在しないものを存在させているように見せる為の単なる記号で、しかも個々の意思やその時の環境に応じて変化する不確かなものに過ぎない。不変でない事は疾うの昔から明らかだが、その内容も共通しているようで全く共通していない、名前だけの記号である。
「つまりお前や反魂の術が属する環境の倫理では、死者の蘇生を肯定しているという事か」
「ですね。まあ、メルヴィッドの倫理に反するのなら無理には薦めませんが」
「……私も大元は分霊箱ホークラックスという存在だ、今更その程度で怖気付いて堪るか。その反魂の術はどうやるんだ?」
「お教えしますが、手間がかかると申し上げた通りやる事は雑務ばかりですよ。私は今丁度夏季休暇中で暇ですから、ある程度指示さえいただければ処理しますが」
 そうやって自らを奮い立たせる言動をしている時点で既にメルヴィッドの倫理観に抵触しているのに彼自身は気付いているのだろうか。一応彼の心情を気遣って別方面からアプローチをかけたが、私の下手な考えなど見透かされていそうな気がする。そのくらい平気だ、馬鹿にするなと憤慨されるだろうか。
 否、別方面で一つ良案があった。もう一押ししてみよう。
「因みに、反魂の術を使用する術者は1週間の絶食が条件になります」
「判った、この件はお前に任せる事にしよう。甦らせた後の詳しい指示は追って出す」
 予想通り、清々しいまでの反応だった。
 高燃費な肉体を維持しなければならないメルヴィッドにとって食事制限は死活問題なのだから、このような反応にもなるだろう。若干、私の手に乗ってくれたような感じではあったが、これでこの件はメルヴィッドの精神に負担をかける事もなく私の方で処理出来る。両者共にどちらも納得した形で落ち着いた。
「では今夜から早速出かけてきますね。骨やら何やら、色々と用意しなければならない物が沢山ありますから。朝食はあらかじめ用意しておきますのでご心配なさらず」
「お前のそれは肉体からではなく骨から作るのか? 手間がかかりそうなら苛性ソーダでも手に入れてやろうか、研修先の薬局で簡単に購入出来る」
「ご厚意だけいただきます。人間1人分だと量が量ですし、何より甦らせる方の骨を少しでも傷めると使えなくなってしまうので、もっと原始的な方法でやりますよ。幸い加工するのは10年物の水死体ですからそれ程時間もかからないでしょう。ああ、けれど、他に手に入れていただきたい薬剤が」
「何だ?」
「砒素をお願いします」
「今度は誰を毒殺するつもりだ」
「違いますよ、反魂の術で必要なんです」
 数年前のパラコートの件もあるので薬剤購入が毒殺実施と直結させてしまうのも判らないでもないが、生憎反魂の術ではそのような使い方をしない。具体的にどうだったかは詳細を思い出せないので、後で例のモニターで内容を確認しなければならないだろう。
「口頭説明は面倒なので後日データとして整えますよ。モニターに転送しておきますから確認して下さい」
「情報自体はあるのだろう、物件リストと一緒で構わないが」
「だって、メルヴィッド日本語読めないでしょう」
 しかもデータは達筆で書かれた紙面を画像として取り込んだものなので自動翻訳も不可能である、となれば英訳は私が自力で付けるしかない。幸い該当箇所はそれ程ページ数がある訳でもないのですぐに終わるだろう。
 それでも気になるのか、見せてみろとメルヴィッドが言うので箸を止め、卓上にモニターを表示させる。当たり前だが、一瞬奇妙な表情をしただけでもういいと手を振ってみせた。日本人でも一般人では解読が難しいのだから、日本語を全く知らないイギリス人が見てもただ黒い線が上から下へうねりながら流れているようにしか見えないに違いない。
「時間はどの程度必要だ?」
「ちょっと待って下さい……術中に27日の放置は必要ですから、術自体で既に最低1ヶ月はかかりますね。加えて、材料の確保と死体から綺麗な骨を取り出すのにも時間が必要になるので、2ヶ月か3ヶ月程度でしょうか。そうなると本格的に始動する前に仮の物件を他に手に入れた方が」
「いや、それまでは適当なマグルの薬局にでも勤めよう。老害共に待ち構えていたと思わせるような行動は極力避けたい」
「慎重な行動を取るようになりましたねえ」
 しみじみと頷いてからお茶を飲み、会話に一区切りを付ける。
 お茶という名のハーブティーを飲みながら一度視線を落として指輪の反応を伺うが、特に何か行動を起こす様子は未だない。メルヴィッドの方にも視線を投げてどうするのかと問うが、放っておけと視線で返された。彼にとっては食卓の魚の方が大事らしい。一応この子は過去の彼なのだが、だからこその扱いなのかもしれない。
 しかし指輪の子の扱いを見ると、どうにも疑問が湧いて出る。
「何故、数ある分霊箱ホークラックスの中で指輪を選んだのですか? 本来の使い方をする訳でもないでしょう、放置しておけばその内ダンブルドアの死因にもなりますよ」
が居るのだから必要ない、お前の邪悪さはこれ以上だからな。指輪を持って来たのは単に所用で向こうに行ったついでだ。分霊箱ホークラックスならば別に何でもよかったが、目と鼻の先にコレが居たから程度の選択に過ぎない」
 何故だが知らないが、指輪の中であの子が怒っている姿が目に浮かんだ。どうでもいい、何でもいいという扱いは、基本的に矜持高い彼等にとっては受け入れ難い行為なのだと私の脳が学習したからであろう。
「てっきりこの子目当てで行ったものだと。それ以外であちらの方への用だと、何かありましたか?」
「血の繋がっているというだけの愚かな男の骨を盗み、代わりにその辺の墓穴にあった適当な人骨を入れて来ただけだ」
「それはそれは。歴史通りに進めば5年後に悲劇が起こりますね、喜劇かもしれませんが」
 敵対する者の血と、仕えている者の肉、そして父親の骨。最後の一欠片が擦り替えられていたことにヴォルデモートが気付かなかった場合、一体どんな事が起こるのだろうか。不謹慎かもしれないが、その結果に学術的興味が湧く。
 選ばれなかったハリー・ポッターの肉体を持つ私は、恐らくその現場には居合わせる事は出来ないであろうが。
「私にとっては喜劇に他ならないな。それと雑用だ、そこに置いてある骨を処分しろ」
「承知しました。あの術に必要な量は判りかねますが、欠片でも残ると厄介ですよね。灰にしたり融解させるのは手間ですし、挽いて鳥葬しましょうか」
「勝手にしろ」
 本当に勝手にしていいらしく、本体の実父の行く末になど興味がないと言動が告げる。私としても仲の悪い親族がどうなろうと知ったことではないので、その気持ちと一緒なのだろう。険悪が過ぎると逆に色々と仕出かす性質の悪い性格でもあるが。
 サラダ代わりの棒々鶏をつまみながら、何時の間にか粗方食べ終えていたメルヴィッドが赤い視線を私の手元に投げる。何か言いたそうな表情をしているが、やきもきしている訳ではなく相手の出方を余裕を持って見守っている風であった。
 デザート以外を綺麗に食べ終え何本目かのビールを煽った後で、アルコールにより少し色付いた唇がやっと口を開く。
「何時までも黙りを決め込むのもいいが、その分お前の意見は無視されるぞ」
「……別に無視すればいい」
 同じ分霊箱ホークラックスの呼びかけならば嫌々ながらも応じる気があるのか、指輪の子が食卓の中間、私とメルヴィッドの間に立ち、不満そうな表情を一切隠そうとしないまま視線を背けた。
 私の感覚では相変わらず可愛らしいくらいにしか思えないのだが、自分の過去の子供っぽい言動が気に入らないのか、メルヴィッドの視線は先程よりも鋭くなる。ただ、苛々しているというよりは呆れの成分が高いように思えた。
「僕は僕の好きにする」
「私かに生気を与えられなければ姿を保つ事さえ出来ない、自分自身が宿るそれが何かも未だ見当を付けられない無能で間抜けなお前がか?」
「うるさい、黙れ」
「誰に向かって命令しているつもりだ」
 会話の内容だけを捉えると挑発のようにも聞こえるが、声色に鋭さはなく心底残念だと嘆くようなものであった。とはいえ、まだ感性の若い指輪の子には煽られているようにしか聞こえないだろうが。
 透き通った黒い瞳に殺意が滲み、剥き出しの感情がメルヴィッドに向けられる。私としても彼の身に多少の危険を感じ、今与えている力を何時でも奪えるよう心の準備をした。準備だけで、心の底では可愛い子が威嚇してじゃれ合っている微笑ましい光景を眺めていたいという欲望が渦巻いているのだが。
 出会ってまだ間もない指輪の子は兎も角、3年以上の付き合いがあるメルヴィッドはきっと私の考えなど読み通しているだろう。絶対的な上位を保った者の気構えで警戒している様子が一切見受けられない、だからこそ指輪の子の怒りなのだ。
「その怒り様は、まさか本当に何も疑問に思っていないのか? どうせ私達の会話を盗み聞きしていたのだろう?」
「聞きたくて聞いた訳じゃない。勝手に聞こえて来ただけだ」
「なのに意味の理解を拒み、把握すらせず、こうして突っかかっている訳か。思っていた以上に仕方がない奴だ」
 現状を完全に把握し、張り詰めていない者が持つ余裕を見せながら、メルヴィッドが私に向き直った。赤の瞳には深い悲哀がある。
「過去の私がよりも使えないとは思わなかった。これでは監視にもならない、残念だが骨と一緒に処分されろ」
「なっ!?」
「随分飛んだ結論に辿り着きましたね。一応確認しますが、宜しいのですか」
「無能な働き者は害悪だ。何時だったかそう言っただろう」
「そういえば、そんな事も仰っていましたね」
 指輪のこの子が無能な働き者か否かは私には判断が付かないが、幾つか重要な単語が飛び交ったにも関わらずその事に触れようとしないのでメルヴィッドの価値観では不要の項目に分類されてしまったらしい。私に対しては際限なく甘いというか、多分半ば以上諦めているメルヴィッドにしては中々厳しい判断だが、過去の自分であるだけに厳しくなってしまうのだろうか。
 彼が不必要と言うのならば、こちらとしても仕方がない。言動が逐一可愛らしいから少々勿体ない気もするが処分しよう。私はメルヴィッドの協力者であって指輪の子の協力者ではないのだし、この子が消滅しても困るのはヴォルデモートとこの子自身くらいなのだから特に今の所は損もない。寧ろ、非協力的な態度を貫くのならば消滅させないと後々困る。
「どうしてそうなるんだ!?」
「だって貴方、私達の秘密を色々聞いてしまったんでしょう?」
「魔法使いならば忘却術でも何でも使え! 第一秘密も何も、お前達が僕を無視して勝手に喋っただけだろう!」
「忘却術は私の倫理に抵触するので殺人の方が心理的に楽です。秘密の漏洩も、故意であろうが過失であろうが聞いてしまったという事実がある以上同じ事ですね、私は法に携わるような人間ではないので過程や動機の是非はこの際問題にすらなりませんし」
「マフィアより性質が悪い!」
「そうでしょうか? まあ、アウトローではありますが」
 可哀想な話だが、こうして素のメルヴィッドと私を見てしまった以上は協力か消失の2択しかないのだ。見てしまったというか、この子の言う通り盗み聞きを承知で勝手に見せただけなのだが。
 しかしマフィアとは酷い言い草である、無法者である事は否定しないものの、凶器をちらつかせながら声を荒げて恫喝しないだけ優しい対応だと思っているのだが。
「言い忘れていたが、この男は口調や外見に見合わない精神異常の化物だから会話には気を付けろ。他人の命に価値など見出さない奴だからな、上手く立ち回らないと後悔するぞ」
「忠告が遅過ぎるだろう!?」
「メルヴィッド、同じ消滅するならば後悔させたら可哀想じゃありませんか。したって助からないのなら悔い改めさせるのは逆に非情ですよ、ねえ?」
「本当に思考が最悪だな! 何故僕に同意を求めるんだ!?」
「だからこれはこういう男なんだ、他者への共感性が著しく低い。諦めて受け入れて死ね」
「私とは方向性が違うだけでメルヴィッドも大概だと思うんですけれどねえ。あ、破壊方法は悪霊の火で宜しいですか? これなら苦しむ事もなく、楽に死ねますよ」
 杖先に灯した炎が意思を持つ存在のようにうねり、指輪の表面を舐めた。しかしそこで考えが過る。このままでは、いけないと。
 未だ笑顔でいるメルヴィッドが私の思考を読んだのか態とらしくどうしたのかと尋ねた。判っているのならば訊く必要もないだろうにと思うが、きっと彼は遠回しに指輪の子に圧力を加えたいのだろう。
 しかし威圧して時間を稼ぎたいという事は、裏を返せばまだ協力者として受け入れるつもりでもあるという事だ。顔面蒼白の指輪の子は追い詰められて気付いていないようだが、気付かれては困るだろうから私の方も素知らぬふりをする。
 中々彼も、素直ではない。そこが大層可愛いのだが。
 否、勿論余計な事を宣った私に感情を高ぶらせて暴言を吐く素直な彼も、それはそれで非情に可愛い事は十分に承知している。というか、メルヴィッドの言動はどれも可愛い。
 まあ、そこは私の胸の内に置いておこう。
「食卓で悪霊の火を使用しては後始末に困る事もあるでしょう? けれど裏の庭もご近所から怪しまれますから、ちょっとバスルームに行って来ます」
「塵芥は下水道にでも流しておけ」
「砕いた欠片でパイプが詰まらない事を祈らないといけませんね」
 揺らめく炎を一時的に消して席を立ち食卓に背を向けると、肩の辺りに透明度の高い白い手が生えた。間近で見るとまだ少し幼さの残る柔らかそうな、とても綺麗な手だ。
 背後でメルヴィッドが笑いを押し殺す声が聞こえる。振り向きたい気持ちが頭を擡げるが、無視して行った方が面白そうなので更に足を進めるとようやく若い声が静止するよう命令を下した。しかし振り返った途端に投げられたのは違う青年の声。
「口の利き方も知らない餓鬼の言葉に従う必要はないだろう。さっさと片付けて来い」
 それはそれは物凄く楽しそうな笑みで余興を楽しんでいるメルヴィッドの言葉に、憤怒やら焦燥やらでそろそろ処理能力を超えそうな指輪の子の瞳に何度目かの殺気が孕んだ。しかし追い詰められてからも思考は停止しなかったのか、今度は優先順位を間違えなかった。
「待って欲しい、気が変わった」
「殺気を孕んだまま気が変わったと言われてもな」
「……!」
「全く、メルヴィッドもそろそろ止めて上げましょう、そう長々と虐めるものではありませんよ。腹の中を隠さず殺気を振りまくだけだなんて、可愛いものじゃありませんか」
「まあ確かに、お前よりは可愛気があるな。馬鹿な子ほど可愛いという言葉もある、は可愛気のない馬鹿だが」
「こんな枯れた爺に可愛気を求められましてもねえ」
 誰が馬鹿だと叫びたそうな指輪の子を赤い瞳がじっと観察する。殺気塗れの黒い視線と、それを平然と受け流す赤い視線が絡み合って数十秒、やがて納得したのか妥協したのか理解したのか面倒臭くなったのか、メルヴィッドは私の方を向いて食後のデザートを所望した。
 睨み合いを放棄され面を食らって動けずに居る指輪の子に笑いかけ、認めて貰えたんですよと彼の意図を言葉にするが、途端に阿呆な事を仕出かしたら矢張り殺すととてもいい笑顔で横合いから忠告が入る。構い続けるという事は、この子の事を気に入ったのだろう。
 食卓を片付けてデザートの杏仁豆腐と烏龍茶を用意して2人で食べ始めた頃、ようやく我に返った指輪の子は緊張が解けたのか膝から崩れ落ちて両肘を床に付き、随分と聞き取り辛い声量でお前達何なんだどういう関係なんだと呟いた。
 質問の意図が読めずメルヴィッドと口を合わせて協力者だと言ったが、何故か信じて貰えなかった。何故だろう、阿吽の呼吸だと思ったのに。