クラゲとセロリの中華仕立て
「お帰りなさい、そしておめでとう御座います。遂に恋人が出来たんですね、今夜は白身魚の甘酢餡かけをメインに干貝の炒飯を作ったのですが、お赤飯を追加しましょう。小豆もササゲも手元にないのでレッドキドニーの缶詰で宜しいですか?」
「よし、そこで大人しくしていろ。優しい私が今すぐ殺してやる」
優しい口調のまま青筋を浮かべ、死んだ目で笑っているメルヴィッドを見る限り、どうやら恋人が出来た云々は私の早とちりだったようだ。
しかし帰宅した彼の鞄を持とうとしたら第一声がこれである、過多な私の爺心が刺激されて赤飯モドキを炊いてしまいたい気にもなるだろうと言い訳してみる。
どうにもメルヴィッドの言動は魔法界掌握の方向に少しばかり傾き過ぎていて、色恋沙汰等の浮いた話が全くないのだ。外見は欲目なく綺麗で整っていて、性格も欠点らしい欠点が見受けられない。本体が過去にちょっとだけ人を殺した経験がある事以外は、真面目でとても優しい好青年だというのに。
大学時代に余りにも女性に興味を示さない事が災いして、未だに学内でメルヴィッドのゲイ説が実しやかに流れている事を彼は知っているのだろうか。否、知らないのだろう。知っていたら噂を流布した人間を残らず消しているだろうから。
何故私が知っているかというと、この間お会いした件の老教授にこっそり教えて貰ったからである。メルヴィッドの名誉の為ヘテロだと訂正しておいたが、どうにも私を引き取った事でペドフィリア属性も取得されそうになっているらしい。しかし、こういう事は本人が必死に否定する程怪しまれるものだから全く性質が悪い。その事についても私の方で毅然と否定しておいたので大丈夫だとは思う。
リビングへ逃走しつつ高速で飛んで来る魔法を避けながらそんな事を考えていると、遂にメルヴィッドが怒りに任せて叫び出した。恋人が出来た事を祝われるのは不名誉でも何でもないと思うのだが、彼の怒りの沸点は時折訳の判らない箇所に設定されていたりする。
まあ、彼からして見れば私もどっこいどっこいであるようだが。
「ソファの影に隠れるな、出て来い!」
「だって今のは明らかに誤解を受けるような言い方でしたよ」
「お前は本当に頭が悪いな!」
「否定はしません」
「否定しないんだ、本当に頭が悪いんだね」
突然頭上から降って来た声に顔を上げると、メルヴィッドに引けを取らない美しい顔が冷たい表情で笑っていた。黒い髪に黒い瞳の、少年から青年に移り変わろうとしている曖昧さを保持した綺麗な男の子、いっそ可愛らしいとも表現出来るようなその体の向こうは見慣れたリビングの景色が透けて見える。
尤も、外見はメルヴィッド引けを取らないというか、彼を数年若くしただけなのだが。そしてその姿から考えられる事はただ一つ。この子もメルヴィッドと同じ分霊箱、姿形から察するに恐らくゴーント家に埋もれていた指輪の子であろう。
「メルヴィッド、財産を譲り渡した私はお払い箱という事でしょうか?」
「違う、逆だ。お前が馬鹿な事をしない為の目付役にする」
「何だいそれ。この僕の事を見張りなんて下らない事の為に使う気? 僕よりも後に作られて、しかも誰かも知れないマグルの魂を使って作られた君が?」
「ああ、メルヴィッドは実務研修も残り2週間という所で忙しいですからね」
「研修自体はもう忙しくない、問題は店を構える場所についてだ」
「そちらでしたか。資金はあるのに場所がないというのも、中々世知辛い悩みですね」
「ねえちょっと、僕の話聞いてる?」
「こうなったら以前言ったように適当な所有者を殺すか。、今夜中に空き店舗の所有者と相続人をリストアップ出来るか?」
「既に作ってありますよ。ご覧になりますか」
「雑務の手回しは流石に速いな、食事の後にでもゆっくり見る事にしよう。先にシャワーを浴びて来るから、それまでそこの煩い餓鬼の相手でもしていろ。自分が置かれている状況が把握出来ず喚くしか能がないようだからな」
「はあ!?」
態々指輪の彼の体を射抜くように黒い石の嵌められた非常にゴツい外観の指輪を私に投げて寄越し、メルヴィッドは何処か上機嫌でバスルームへと消えて行った。さて、では今の内に彼の着替えの用意をしてスープを温め直さないと。
それにしてもメルヴィッドと目の前にいる過去の彼はどうにも相性が宜しくないらしい。しかしよく考えると私もきっと過去の私とは相性が最悪だろうから、むやみにメルヴィッドを責める事は出来そうにない。
ひとまず色々な事に立腹中のこの子を落ち着かせよう。話を聞いた限り、メルヴィッドは碌な情報を与えずに連れて来たらしいのだから。
「取り敢えず、初めまして指輪の分霊箱君。私はと申します。日本人で異世界人で未来人です」
「何この脳味噌が狂った生意気な餓鬼。これの見張りとか巫山戯てるの?」
随分懐かしい反応である、初めて会った時のメルヴィッドもこんなような反応をしてくれた事を今更ながらに思い出した。あの時はメルヴィッドのふてぶてしさが可愛いと思ったものだが、更に幾つか若いこの子ともなると愛らしさも一入である。
メルヴィッドを復活させた時は他の分霊箱は扱い辛いだとか思ってしまった事もあるが、実際こうして会ってみると、決してそんな事はないと判った。兎に角、反応の1つ1つが初々しく可愛らしいのだ。
「今は別の器に入っているだけで、元はちゃんと日本人ですよ。何でしたら見ますか?」
「こんな頭の螺子が緩み切った狂人と組むなんてアレの頭の構造も疑うよ。言葉が通じるようだから伝えておくけど、僕は君に付き合うつもりはない、以上だ」
それだけ言うと、指輪の子は分霊箱の中に引き篭ってしまった。メルヴィッドは私の事を見下しながらも会話をしてくれたのだが、この子は呆れて腹を立ててしまったらしい。出会いの仕方も外見も違うのだから、こういう事も起こり得るだろう。
自分の意志で引っ込んでしまった子を無理矢理引き摺り出すのも気が引けるので、先に着替えと食事の用意を済ませてしまおう。話をするのはその後で十分だ。
当時のメルヴィッドは疑り深くどうにかして私を操ってやろうという考えが透けて見えたが、そう考えると今の関係は格段の進歩であると言えよう。進歩と言うか、メルヴィッドが私に歩み寄ってくれただけなのだが。
そんな良い子のメルヴィッドの過去がこの子である。きっと今は警戒しているだけで、根は優しい良い子なのだろう。少々荒い口調に幼さが残るのも新鮮でいい。就職を切欠に口調も切り替えたのだろうか。
下らない事を考えながら必要な用意を済ましてメルヴィッドを待っていると、意外と早く彼は姿を現して御機嫌そうに笑った。些細な事で拗ねた弟を前にした兄のような、妙に具体的な事を連想させる笑みだった。
「あれは籠城したか」
「多感な時期なんでしょうね。可愛い反応をするからと苛め過ぎてはいけませんよ」
「純粋に可愛がっているだけだ」
「寧ろ純粋に面白がっている、の方が適当な雰囲気でしたが」
「否定はしないがお前の可愛がり方もどうかと思うぞ、あれはきっと馬鹿にされたと思ったに違いない。ああ、適当なアルコールも出してくれ」
「アルコールですか……今夜は少し暑いですし、夕食は中華風に纏めていますから、そうですね、軽いラガーか、黄酒の炭酸割り、ハイボール辺りがお薦めです」
「お前に任せる」
「ではハイネケンにしましょう。青島ビールは切らしているので」
指輪の子の手前、飲み慣れていない黄酒や度数の高いウイスキーで酔っ払ってしまっては今後色々な場面で威厳が保てなくなってしまうという気遣いだったが、よく考えると、外面を繕っていないメルヴィッドも客観的に見て随分親しみ易い好青年なので既に威厳が抜け落ちていると見られているような気がしないでもない。
私としては、そしてメルヴィッド本人としても、妙に、或いは必要以上に偉ぶる必要もないという考えに至っているので他のアルコールでもよかったかと思うが、しかし矢張り後に影響する印象操作は大切なのでビールにしておこうと決定する。
色々と考えながら食卓の用意を完了させ、向い合って夕食を摂り始めるが、メルヴィッドは特に指輪をどうこうするつもりはないのか、レタスの湯引きに箸を伸ばしていた。
「後でゆっくりと見ると言ったが、その前にお前の意見を聞きたい」
「物件リストの事ですか? そうですね、ぱっと目に付いたのは、ブラック家が所有する物件でしょうか。店内設備がそのまま放置されている居抜き物件ですが、それでもあそこだけは他が霞む別格です」
「ブラック家が管理する物件があるのか?」
「かなりの優良物件なので恐らく税金対策ではなく本当に店を開く気だったんでしょうね。実際に確認にも行きましたが立地も理想的ですし、間取りを見た感じでもアンティーク系の雑貨屋か紅茶専門店のような落ち着いた雰囲気の、本当に丁度良い場所ですよ」
切り出した話にしても分霊箱の事ではなく物件の方であったので、メルヴィッドは本当に、今ここで指輪の子の事に関して何か言う気はないらしい。あちらの方がアクションを起こさない限りは。
何故か天岩戸という言葉が過ぎったが、多分違うだろう。今の所は8割方どうでもいいと思っているのだ、彼は。あの子にしても指輪本体にしてもあの扱いを見るに、私に躾を任せたと言っているようにしか思えない。
しろと言われれば、ある程度は躾けてもいいとは思っているが。指輪の子はメルヴィッドより幼い分、可愛らしさの含有量が多いので。
「名義人はシリウス・ブラックか?」
「ええ、そうです。元々は弟のレギュラス・ブラックの名義でしたが、失踪から7年以上経過したので死亡扱いになり、自動的に実兄のシリウス・ブラックに変更されていました」
「シリウス・ブラックが死んだ場合、その後はどう辿る」
「彼より上の世代は今の所、相続する気はないようで、まずは従姉のナルシッサ・ブラックが婚姻したマルフォイ家に。その後は何処も遠縁なので上手くやった一族でしょうね。ナルシッサ・ブラックと同じく従姉のベラトリックス・ブラックが婚姻したレストレンジ家は夫妻共アズカバンで実子も居ませんし、トンクス家に嫁いだアンドロメダ・ブラックとは絶縁状態ですから」
「そうか……」
澄んだチキンスープをぐるぐると掻き混ぜながらメルヴィッドが何やら思案を巡らせる。器の中で刻んだトマトと溶き卵が渦を作っていたが、やがて考えが纏まったのか流れは自然消滅した。
「は確か、符を使用した中国の魔法にも造詣が深かったな」
「メルヴィッドと比較すれば多少は程度ですが、言う程知識も技術もありませんよ。一応尋ねますが、何が必要なんですか?」
「キョンシー」
その一単語に今度は私の箸が止まる。その一言で彼のやりたい事の大筋が理解出来たような気がするが、それに僵尸は使うべきではないし、使えない。
「僵尸は此方でいう亡者と同じです。元々あれは出稼ぎ先で亡くなった方のご遺体を故郷まで運ぶ手段として開発された魔法で、明らかに死体が動いていますという風にしか見えませんよ。それに年代物の膨張した水死体を使った日にはどんな悲惨な状況になるのか見当が付きません、運良く死蝋になっていても矢張り悲惨な事しか予想出来ません。何よりも、私が僵尸の符呪を知りません」
「役立たずが」
「だから言う程知識も技術もないと言ったじゃありませんか」
私の意見を一刀両断したメルヴィッドは今までの機嫌を一転させ、不満全開で私を睨む。そんな表情をしながらも食事だけはしっかりと摂る所が色眼鏡を外しどう控え目に見ても可愛らしいので、勿体振らず代案を提出する事にした。
「死体に生前の魂と意思が宿ってもいいのなら、もっと綺麗な形で使い勝手のいい魔法がありますよ。反魂の術といって、少しばかり手間はかかりますが」
「反魂? まさか死者を生き返らせるのか?」
「そのまさかですよ。完全な甦りなのでこの指輪の上位互換と思って下さって結構です」
「死者を、元の姿に甦らせるんだぞ? の世界ではそんな倫理を超越した魔法が抹消されずに存在しているのか?」
「……まさか貴方の口から倫理を語られる日が来るとは思いませんでした」
「黙れ、倫理という単語の意味しか知らない化物が」
「綴りも知っていますよ?」
「黙れと言っているだろう。あらぬ方向に話が逸れる」
久し振りにメルヴィッドの口から化物と呼ばれ懐かしがっていると、私の言葉が信じられないのか食卓を挟んで向こう側から箸で指される。指し箸は行儀が悪いと指摘すると、お前は本当によく判らない男だと嘆かれた。しかし嘆きながらも指す事を止めるのは、矢張り好感が持てる。
さて、反魂の術について説明しようと思ったが、その前に共有しなければならないものがあるようだ。手順を省略しては伝わるものも伝わらない、そちらを先に片付けよう。
「きっと、この世界にだって反魂の術は存在していますよ。大体倫理なんてものは人間が勝手に作っているだけで、実在しないものなんですから」
さて、彼は私の言葉を理解はしてくれるだろうが、果たして納得してくれるだろうか。