曖昧トルマリン

graytourmaline

サワーチェリーのライスサラダ

 白雲が所々にゆったりと流れる快晴の下、なだらかな緑の丘がどこまでも続くような田舎道のど真ん中で、ブリティッシュグリーンの小さな国産車が休息を兼ねて停車している。運転席側にメルヴィッド、助手席側に私が佇み、互いに白いルーフに寄りかかりながら目の前の光景を眺めていた。
 視線のすぐ先にある道を横断するのは沢山の白と黒。同じ田舎でも私の住む故郷では見られない、非常にのんびりとした光景を微笑ましく感じる。
「轢き殺して突っ切りたい」
「飼い主さんとトラブルになるのは御免ですよ。いいじゃないですか、長閑な風景で」
「お前もあの中に混ざって来い。一緒に轢殺してやる」
「あ、あの子達まだ小さい。きっと今年生まれたんですね、なんて愛らしい」
「人の話を聞け」
 途中途中入ってくる甲高かったり野太かったりする鳴き声に会話を阻まれながら、それでもメルヴィッドは自分が如何に不機嫌かを主張する。ルーフを軽く叩き眉間に皺を寄せて怒りの表情を作っているが、視界の端に入る羊の群れの所為で色々と台無しになっている事に彼は気付いているのだろうか。
 リチャードの墓所に向かう時は判らなかったが、どうやらこの季節、この道、この時間は付近の牧場で飼育されている羊達の通り道になるらしい。唯一車が通過出来そうな道が現在羊の横断によって通行止めとなっている事がメルヴィッドの苛々の原因である。
 私は非常に心洗われる風景だと思うのだが、この辺りは爺と若者の感性の違いなのかもしれない。会話の内容を省みるに、根本的な性格の問題、という事も有り得るが。
「お前の頼みを聞いてこんな田舎にまで来るんじゃなかった。マグルの車に私の運転、お前は助手席でナビをするだけというのは不公平だろう」
「今日は貴方の好きな料理を作って差し上げますから、それでチャラにして下さい」
「デザートと夜食も一切手抜きせずに付けろ、それで不問にしてやる」
 随分可愛らしい条件で許してくれるらしいメルヴィッドに微笑みながら頷き、車の遥か後方に視線を投げる。彼の眠る森は、この距離からでは捉える事は出来なかった。
「けれど、どれだけ不公平でも、墓参りは毎月の決まり事みたいなものですから定期的な報告も兼ねて必ず行わないと。特に、死人の周囲に屯する屍肉喰らいへ言い聞かせる為に」
「3年間もこんな田舎で待ち構えては偽の情報を掴まされて毎月上へ報告する騎士団員も、考えようによっては哀れなものだな。根気よく偽情報を流すお前の地味な活動それ自体は見上げたものだが」
「爺ですからね。勝敗は兎も角、地味な根気勝負は得意ですよ」
「今回は勝っているだろう」
「先行しているだけでまだ勝敗までは判りません。今頃、騎士団員はメルヴィッドの情報を掻き集めているでしょうから」
「私とお前の手で本物らしく作り上げられた紛い物をな」
「紛い物と事実と真実が入り混じって嘘や虚構がない所為で分析する側から見ると割と大惨事になってますがね。料理にしても何にしても、下準備は大切だと改めて実感しました。綻びがない事を祈りましょう」
「全くだ」
 甲羅干しをする亀よろしくルーフの上に顎を乗せて日光浴をしながら目を細めると、メルヴィッドは一度だけ何処か遠くを眺め、諦めたように肩を竦めてから後部座席の荷物を漁り始めた。羊の行列が終わるまで軽食を取る事にしたようだ。
 正確に表現すると軽食の名を借りた何本ものバケットサンドなのだが、彼にとっては軽食の部類に入るのだろう。肉体を得て3年以上経過しても、メルヴィッドは相変わらず高機能で高燃費なのだ。
 保温ポットの紅茶を紙コップに注いでメルヴィッドに手渡し、抜けるような夏の青空を見上げる。イギリスの天気は変化が激しいが、今の所はまだ穏やかな空だった。ただ、風が出てきているので、もう少ししたら雲が群れ出し、雨を連れて来るかもしれない。
 行列に紛れていた子羊が立ち止まり、私達に向かって高く可愛らしい鳴き声を放った。メルヴィッドは早く行けとばかりに眉を顰めるが、彼の思いが通じたのか何なのか、子羊は白と黒の流れに巻き込まれ何処かへ消えてしまう。その一部始終を見た後に、勝ち誇ったような表情をしたメルヴィッドが可愛らしくて声を殺して笑った。彼は、今も変わらない。きっと私も。
 やっと、彼の里子になる事が出来た。今になって思うと、ただただ時間だけが経過した3年であったような気がする。それでも、もう3年だ。墓前で報告したように、リチャードの死からもう3年も経ってしまった。
 過ぎ行く時間の中で、私は情報改竄等の裏工作をしつつ騎士団員の尋問を躱しながら6回も居場所を転々とし、その間にメルヴィッドは大学の薬学部を2年で卒業するという凡人には不可能な荒技をやってのけ、実務研修もあと1ヶ月で終えるという所まで来ている。
 リチャードの墓前には薬剤師として紹介したが、正確にいうとあれは間違っていた。薬剤師として正式に登録されるのはもう少し先だったりするのだが、まあ、実務研修も完全に終盤なので別にそう紹介しても差し支えないだろう。姿を消して彼の墓の周囲をうろついていた魔法使い達にしても、そんな些細な違いが判るとは思えない。
「そういえば、店を開く場所は決めたんですか」
「お前が挙げた候補の下見はしたが、これだという場所がな」
「確かに何と言うか、これじゃない感はありますよね。しかし、ダイアゴン横丁には他に空き物件もありませんし」
「ポッター家の財産があっても場所がないのでは話にならないな。売りに出されていない空き物件も幾つかあったが、金持ち共が税金対策に陣取っていて動かせそうにない」
「非魔法界でもそれ系の管理は案外杜撰で、実質経営していなくても看板だけ出せば免除される項目がありますから。そしてその辺りを裏返して考えると、魔法界にも税が色々と課せられているという事実に突き当たるんですよね、どうでもいいですけど」
「本当にどうでもいいな」
 沢山の野菜と七面鳥の胸肉が詰まったバケットを頬張りながら、いっそ適当な所有者を殺すかとメルヴィッドが呟く。
「事故死か心不全に偽装してもいいのなら殺人自体は構いませんが、その方法だと相続人まで皆殺しにしなければいけませんよね。よしんば殺したとしても、メルヴィッドが狙うような人気の場所だと当たり前のように他者も目を付けていますから、最終的に入札制になりませんか?」
「そこが面倒だな。お前に予定価格をスパイさせてもいいが、あまりにも上手く行き過ぎるとダンブルドアに目を付けられるだろう」
「ですよね。勘で動く相手はこういう時に厄介です」
「それが下手に権力を持っていると尚更だな。いや、逆か。常に勘が働くから今のような権力を持てたのだろう」
「あとは才能と時の運ですね」
 私が見るにメルヴィッドもその3種を持っているような気がするが、ステータスを比べると才能は同程度。それ以外の2種はやや劣っているような感じがしないでもない。
 矢張り長く生きた分だけ経験があるのかダンブルドアの勘は鋭く、時の運はメルヴィッドの事が嫌いなのか大抵相手の肩を持つ。常に自信に満ちているので自覚はないようだが、傍から見るとこの子は割と、不運体質であった。
 そんな中でメルヴィッドが優っているとすれば、矢張り柔軟になった思考だろう。
 今もこうしているように、彼は最早非魔法界製の道具を使用する事に躊躇いはない。この手の妥協は時として大きなマイナスとなるが、意識的だろうが無意識だろうが魔法を使えない人間を下に見る傾向がある魔法使い達が思い付けない手を打つ事が出来るのは大きい。ダンブルドアも柔軟さでは他よりマシだが、それでも今のメルヴィッド程ではないだろう。
 無論、メルヴィッドにしても魔法に重きを置く路線を変更した訳ではない。ただ、使い勝手のいい道具が手に入ったから試しに使ってみるという、そんな感覚なのだろう。
 これはあくまで私の考えだが、メルヴィッドは別に高度に機械化された現代の道具が嫌いな訳でも、魔法を使えない人間を滅ぼしたい訳ではなく、ただ魔法界に魔法を使えない人間が必要以上に流入して来る事、或いは非魔法界の存在が使えもしない魔法の存在を知覚する事が極端に嫌なだけではないのだろうか。
 彼は純血主義を掲げる割には、血よりも能力を重視している。たとえ両親が魔法使いでなくとも、その魔法使い自体が優秀であれば正当な評価をする、逆に純血の出身でも魔法が使えなければ容赦はしない。出身寮が何処だからというあからさまな差別も行わない、それよりも多くの結果を出せという実力主義者だ。
 判り易いと言えば、まあ、判り易い。
 血統主義を突き詰めると、彼自身の半分程が真っ先に槍玉に上がるので、看板に偽りありとなるのは仕方がない事だ。
 客観的に見ていると、純血主義と呼ぶよりは寧ろ彼は魔法主義と呼んだ方がいいのかもしれない。将来的に魔法を扱える分類を考えると魔法使い同士の純血者が確率的に最も高くなるので、それを扱える人間の保護を優先した結果そう見えてしまうだけで。
 魔法という特殊な力をある程度純度の高いまま維持したいという思想に、自分の気に入ったものは手元に置いて管理しなければ気が済まないという性分が追加されただけだろう。あくまで、私の考えでは、だが。
 そんなものは臨機応変になあなあで済ませてしまえばいいのにと私などは思うのだが、流石にそれを口に出して意見するのは違うのだと理解している。
 彼には彼の貫くべきものがある。色々な事が割と適当である私でさえ、相容れないからといって思想を否定され、相手の思想を押し付けられるのは苦痛だと感じるのだ。大体が妥協で構成されている私が嫌なのだから、メルヴィッドに思想の押し付けは不快を通り越して殺意が沸くに違いない。
「間抜け面を晒して、何を考えているんだ」
「今夜のメニューですよ」
「嘘だな。食事に関する思考をするお前は、もっと真剣な表情をしている」
「流石に3年も付き合っているとバレますね。別に大した事じゃありませんよ、ただ貴方の主義や思想は間違っていないのだなと、何度目かの確認していただけです」
「お前は馬鹿だから難しい事を考えると脳味噌が溶けるぞ。程々にしておけ」
 優しいのか馬鹿にしているのか判断に困る事を言いながら空の紙コップを差し出し出されたので受け取って注ぐと、紅茶の湯気が眼鏡を少し曇らせた。
 こうして液体が温度を保ったままでいられる保温ポットは偉大だ、特に、必須の能力がなく液体を注ぐだけでいいという点が最高だ。矢張り非魔法界の製品だからという理由だけで排斥する思想は間違っている。
 今こうしてメルヴィッドが食べているバケットサンドだって、生産に加工、管理や保存方法に至るまで、魔法を持たない人間達が懸命に努力して様々な技術を開発し今日の安定供給を実現させた結晶の一つだ。この車にしても、彼が手にしている紙コップにしても、作り出したのも生産しているのも魔法使いではない。そうした事を考えると、魔法とは最早文化の一片に過ぎないような気がしないでもない。文化のガラパゴスと呼ぶには少々元の社会と交わり過ぎているので適当ではないが。
「それにしても、はよく3年も、しかも毎月同じ日に、この道を魔法も車もなしで来る気になったな」
「バスが停留する最寄りの村から大した距離もありませんよ、平坦ではありませんが峠越えをしなければならないような険しい道もありませんし。村に行くにしても電車とバスを乗り継げば済みます」
「村から墓地まででも十分遠い距離だとは思うが。あの体からよくそこまで鍛えたものだ」
「いいですよね、この体。身長も手足も理想的に伸びて、綺麗に育ちました」
「あの小汚さが嘘のようだな、体力も同年代の餓鬼の中では飛び抜けているんだろう?」
「まあ、これを扱わないといけませんからね」
 左手に嵌めた革のブレスレットを撫で、棒状の留め具に刻まれた繊細過ぎる模様を確かめる。元は樫と金属で出来た1m程もあるセレモニアルメイスだが、こうして縮小してしまうとただのアクセサリーにしか見えない。
 幸いと呼ぶべきか不幸にもと表現すべきか、誰かに向かって振り回すという経験は未だないが、メルヴィッドに引き取られ魔法界との接触が増えれば、いずれ私と共に返り血で染まるだろう。
「そんな所に嵌めて、いざという時に使えるのか?」
「柄頭を着磁して留め具に使っていますから着脱は楽ですよ」
 ブレスレットを外しメルヴィッドに差し出すと、赤い目が一通りその小さな武器を眺めて形状の確認をした。
「石突きも柄頭と似たデザインだと思ったが、違うのか」
「ええ、そちらは革を留める為のただのストラップ代わりです。流石に両端が柄頭というのは扱い辛いですから」
「ふん。まあその内、元のサイズも見せて貰おう」
 検分を終えたブレスレットを投げて寄越し、メルヴィッドの視線が再び遠くを見る。丘を越えた遥か遠くに雨雲が見えた。
「さて、店舗については帰宅して再検討だな。羊の行列もこれで終わりだ。助手席に戻れ、そろそろ出るぞ」
「判りました、お願いします」
 車外に出した物を後部座席に戻し、私とメルヴィッドはそれぞれの座席に着く。開け放たれた窓から窓へと夏の風が流れた。
 エンジンの掛かる音で車は休息から目覚め、車内のライトが点灯する。同時に脳裏にも記憶が点灯し、随分前に言い忘れていた言葉を思い出した。
「所で、メルヴィッド」
「何だ」
「出来ればもう少し、車と老人に優しい運転をして欲しいのですが」
「酔ったのか、軟弱な男だな」
「道が無人だからといって体がシートに減り込む程の加速をしないで下さいと言っているんです。車は構造上、戦闘機と張り合えないんですよ」
「張り合うつもりはない。ただ私は、私なりの速さを求めたくなる時があるだけだ」
「そういうのは道交法と相談して私が同乗していない時にして下さい」
「努力しよう」
 完全否定としか受け取る事が出来ない言葉を放ちながらメルヴィッドはギアを叩き込みアクセルを一切の遠慮なく、力強く踏み込む。大方の予想通り、ブリティッシュグリーンの小さな車は舗装なんてあってないような田舎道を信じ難い速度で爆走した。
 車窓の外からのんびりと歩く羊の群れが見え、少しだけ彼等が羨ましくなった。