「 お前の 真と理 」
「 しかと 」
「 受け取った 」
化猫〈大詰め〉中
濡れた頬をどうにかする事も出来ず。ゆるりゆるりと目を開いてみれば。そこは既に記憶の中でも。過去の世界でも。何でもない。あのお屋敷の中でした。顔を上げれば。そこには傷だらけのシロウサギが背中を向けて立っていて。
「 真と 」
見上げてみれば。『ハナ』は唯。泣いていて。
「 理によって 」
どうしようもない感情が。あっしの胸の中からその姿を現して。
けれど。これでやっと。ハナが自由になると。少しばかり安堵していて。
「 剣を 解き 放つ! 」
ハナはまるで『ソレ』を待ち望んでいたかのように。勢いよく天井から降って。何時の間にやら入れ替わったクロウサギ……平時あっしはこの御方をそう呼んでいるのです……に向かって牙を剥きました。
しかしそれも金色をした札に遮られ。クロウサギはというと。落ち着き払った様子で剣を取り。そして。舞うようにして宙を駆けて行きます。
牙と剣の交わるその様子は。まるで……そう。まるで……このネコを同じように。
モノノケとなった……弟の時と同じで。
難無く壁を蹴り。天地を感じさせない戦いは見惚れる程優雅で。けれど。それは……
『お前の動きは十分見せてもらった、もう効かぬ』
……それは。
『この地、この縁に囚われるな』
『ハナ』のように散って逝った弟の最期を。どうやっても思い出させてしまう光景で。
『清め祓うぞ、赦せ!』
嗚呼。この感情を何と呼べばいいのか。あっしには判らず仕舞いで。
どうしようもなく頬を伝う水滴は止められずにいました。 この姿の所為か。それとも。今流しているものの所為なのか判断の付かない視界の悪さ。
耳だけが音を拾い。それがあっしの中にあるモノに直接触れてくる。
断末魔に似た。けれどそれは決してそうではない。ネコの最期の叫び声。
『滅!』
膨らんで。膨らんで。膨らんで。
やがてそれに耐え切れなくなった内臓色のそれが。弾ける。
「……」
「 …… 」
幕引きを告げるかのように降ってきたのは……これは。紙吹雪でしょうか。
きらり。きらり。と。陽の中で降る金色の雪のような。
恐る恐るシロウサギの傍に近寄れば。足元には黒い。あの。過去の中で見た小さなネコが息絶えていて。
あっしは。自分の顔を見せることも。薬売り様の表情を見ることも出来ずに……ただ。その傍らに出来るだけ音を立てないようにして座り込みました。
呼吸すらも潜め。永遠に目を覚まさないネコを見下ろして。あっしはまた。はたりと。涙を流しました。
どの位経ったのでしょうか。やがて。薬売り様が衣擦れをさせながら立ち上がり。何処かへ行ってしまいました。
頭の後ろの方で。オダジマ様とカヨ様の声をどこかぼんやりと聞いていると。やがてそのお二方はどこか遠慮がちな仕草で。そのネコを抱えて。行ってしまわれました。
「 」
『……ハイ』
「 終わりました よ 」
『……ハイ』
力なく顔を上げて。シロウサギを見ようとしても。この姿の視力では何も見えません。
適切な言葉も見当たらず。どうする事も出来なくなったあっしは。シロウサギの足元に擦り寄って。高い……甘えるような声に聞こえるかもしれない鳴き声を上げました。
真っ白な。傷一つない指先で咽喉や頭を撫でられると。意図せずにそのような声ばかり上げてしまって。これではまるで。薬売り様に気を使わせているのではと。
「 」
それでも。優しい声でその名を呼ばれると。どうしようもなくなってしまうのです。
『しろうさぎ……有難ウ御座イマシタ』
「 いいえ 」
ちらり。ちらりと未だ降る金色の中で。薬売り様はそう仰ると。ご自分の商売道具に。あっしの商売道具まで持って。すっくと立ち上がりました。
部屋を出る前に。低い声が……あっしらを呼び止めるように。発せられました。
「もう、この家は終わりじゃ」
「 …… 」
「わしが護って来たもの、何もかも全て……」
「……」
「わしは謀ってなどおらん。あれは……真の話だ」
何と。返せばいいのか判断の付かなくなったあっしは。薬売り様のお顔を見上げ。その言葉を待ちます。
青い目が。少しばかり。細められたように。見えました。
「 そうさ……これがあんたの真 あんたの護ってきたものだ よおく見るがいいさ 」
それだけ言うと。薬売り様はあっしの方をちらりとだけ見て。無言で赤い階段を上っていきました。
少し遅れてあっしはその後に従い。そうして。日の光に目を細めた後で。やっと。詰めていた息を吐き出しました。
嗚呼。もう。これでまた……薬売り様とはしばらく会えませんね。
そう呟こうとした言葉は。あっしの胸の内に。留めて置く事に致しました。