曖昧トルマリン

graytourmaline

「……おい。花売り」
「はあ。何か御用で」
「薬売りは、何処に行った?」
「存じ上げませんが」
「……」
「……まだ。何か?」
「く、薬売りを探せーっ!」
「……やれやれ。全く」
 どうしたものでしょうか

化猫〈序の幕〉中

 しばらくした後。クスリウリ様は顎の割れた男に縛られて現れました。
 表情一つ変えてはいらっしゃいませんが。何やら不満そうな雰囲気を見ると。どうも奥に結界は……無理だったようです。
「 がもう少し 時間を稼いでくれればよかったのですが 」
「シロウサギは中々。無茶を仰います」
「 結界が無くて困るのは 何もおれだけじゃないんですがね 」
「だからあっしは役に立たないと。先に申し上げたのですが」
「 想像以上の 役立たず振り ですね 」
「何も判らぬあっしが下手に動いたら。それこそお怒りになられるでしょうに……」
「 まあ 後で 働いてもらいますよ 」
「出来る限り。お手伝いはする所存に御座います」
 互いにだけが聞き取れるような声量で会話をしていると。あっし等の前に座っていた顎の割れた男が向こうを見たまま話しました。
「動くなよ。さっきみたいに逃げ出したりしたら……」
「 せめて 奥に札を貼らせてもらえませんか 」
「札!?」
「 今ならまだ 結界を張っておけば防げるかもしれない 」
「黙れ黙れ! そんなこと言って逃げるつもりだろ!」
 静かに。顎が割れオナゴに縁の無さそうな男を説得しようとしていらっしゃるシロウサギ。それを横目に。あっしは部屋の周囲の匂いを探りましたが。どうも今のところ。バケネコは近くに居ない様子。
 天秤も。今の所は大人しいので……大丈夫だとは思いますが。
 いや。しかし……ネコの匂いをまとったヒトが幾人か。この場にいらっしゃるので。あっしからは確かな事は申し上げられません。
「もっときつく縛ったらどうだ。その薬売りはおかしな体術を使うぜ?」
「 …… 腕が折れちまう 」
「そりゃあいい。ざまあみろだ!」
 あの。シロウサギ……そこで何故あっしを見るのですか。貴方様の中では全ての原因はあっしなんですか。あっしが悪いのですか。
 どう考えても違うと思うのはあっしだけですか。
 確かにあっしはシロウサギとは違って腕を後ろ手に縛られているだけですが。恨むならそこの顎の割れた髭の濃いオナゴに縁の無さそうな冴えない男ではないのですか。
「荷物は調べたか。真央様は毒にやられたのかもしれん」
「おいおい。さっき斬られてるって言ってたぜ」
 眉の繋がった狸のような男の言葉に。酒を飲みながらシロウサギを縛れと言った大層柄の悪い男が的確な事を呟きました。
 間違いようがない毒殺と刺殺。どうもこの狸。シロウサギを下手人に仕立て上げたいらしいようで……ええ。ですからシロウサギ。静かにあっしを見るのは勘弁して下さいませ。
 あっしは役立たずの木偶の坊ですが。貴方様の味方ではあるんですよ。味方など要らないとは存じ上げておりますが。
「おい、こいつ等の荷物は」
「こちらでございます」
 ああ。あっしの商売道具。そこにあったのですか。
 いえ。大したものじゃあ御座いません。花を入れるためのただの籠です。
 長年使っているので愛着はありますが。こちらは特にこれといった能力などは。一切御座いません。
 はい。確かに花籠以外には。特殊な力を持つ物を持っております。一応これでも天狗の端くれで御座いますから。不思議な道具の一つや二つは。
「ん? なんだこの籠は」
「あっしの商売道具で御座います」
「商売道具? ただの空の籠じゃないか!」
「丁度。花を切らせていまして」
「……もういい。それよりこちらの箱だ」
 そうして乱暴に放り投げられたあっしの籠は。とんとん。と畳みの上を転がって。部屋の隅で横倒れになったまま動かなくなってしまいました。
 ああ。何故そんな扱いをするのでしょうか。そう尋ねてもきっと無駄なのでしょうが。
 男達はシロウサギの商売道具を取り囲み。どの抽斗から開けようか相談しているようでした。全部開けるつもりならば何処から開けても一緒でしょうに。
「開けろ」
「へいっ」
 そう言って……例のヤヘイとか言うカヨ様に恋慕している爺はシロウサギの商売道具の。最も混沌とした最下段の抽斗に手をかけました。
 ……あの。何か。随分と。クスリウリらしい中身に変わっていやしませんか。
 多少変な物は相変らず入っているものの。あの怪しい玩具箱のような混沌とした抽斗は。一体何処に消えてしまったのですか。
「なんの薬だ……?」
「 色々です 毒じゃありませんよ 」
「色々か」
 そこで納得するとは……いえ。何でも御座いません。
 はあ。しかし。毒と薬は何とやらと申しますし。
 何よりも。その赤い懐紙に包まれた丸薬ですが……いえ。多分毒ではないのですが。体に害をもたらしそうと申しましょうか。
 正直申し上げますと。あっしの嗅覚がそれを飲むなと警告するのですが。ええ。もう嗅覚云々ではなく野生の本能でも何でも構いは致しません。
 兎にも角にも絶対に。ヒトであろうとアヤカシであろうと。あれは飲むべき薬の色では御座いません。
 あの青い丸薬など。一体何で色付けしたのかすら。恐ろしくて聞けやしません。
 だって。あの色……自然界では余りお目にかからない色。ですよ。
「 やはりは あれが普通の薬でないことくらいは 理解できますか 」
「はあ。まあ。本能的に……しかし。シロウサギはあっしの心が読めるので」
 また。互いにしか聞こえないように会話をすると。今度はかなり判りやすく。薬売りの唇の端が上へと吊り上りました。
 何か嫌な予感がするのは。あっしの気のせいでしょうか。
 気のせいだといいのですが。いえ。恐らく気のせいです。
「 まさか 貴方が判りやすいだけで …… 顔に大きく書いてありますから 」
「あっしの顔の大半は。髪に隠れているのですが」
「 髪に隠れていても よおく判りますよ …… それがどんなに微かなものでも ならば 例えどんな事があろうと 」
「はあ。左様で」
「 …… まともな返事一つも出来ないのか 」
「え」
 ……今。何故か。おぞましい寒気が走ったの……ですが。
 真夏に背筋を流れるこの冷や汗は。一体何を意味しているのでしょうか。いや。やはり結構です。あまり難しい事は考えたくない性分なので。
 それよりもあっしとしては。今脳内で煩く鳴り響いている半鐘の音に素直に従って。今すぐこの場から逃げ出したくて仕方ありません。
 もう本能の赴くまま。縄を引き千切って。一目散に逃げでも構いはしませんでしょうか。
 相手はバケネコ。本気を出せば。ヤマイヌのあっしなら逃げ切れる気がするのです。
 何故逃げるのかは。逃げ切った後で考えればいいことでしょう。
「なんだこれは?」
「 子供の玩具ですよ 」
「っへ」
 いつの間にやら下から二段目の。あの天秤の抽斗が開けられておりましたが。流石に今日はあっし目掛けて飛んできたりは致しません。
 どうやら天秤も。普段はお勤めをしっかりとこなす性分のようで。
「 おや どうしました 」
「いえ。何も」
 シロウサギとの距離が。先程より近くなっているような……気のせいではありません。
 動いた気配はないというのに。気付けばそこにいらっしゃる。
 もう慣れましたが。しかし。今でもこれはよくよく考えてみれば。非常に恐ろしい事で御座いますよって。
「 何もと言う割には …… 」
「本当に。何でも御座いません故。お気になさらず」
「 そう ですか 」
 神経を研ぎ澄ませ視界に入れないようにしている。にも関わらず。あっしにはシロウサギが笑ったのがよおくと判りました。
 本当に。意地の悪い笑い方が上手いのですよ。この方は。
「 もし 薬が入用ならば すぐに申し出てください 」
「……また。 そちらの言い値ですか」
「 いいえ まさか 」
 艶本が引き出されたところで顔色一つ変えずにいるシロウサギは。何かを含んだような。怪しい目つきで。じっと。こちらを見ているようでした。
 しかし。あっしがようやくシロウサギを向いてみても。視線は既に箱の方。
 ……一体。何の気に障ってしまったというのでしょうか。
「これが最後か……」
「この箱は何だ?」
「退け……ずいぶんと重いな」
 さて。一番上の箱には一体何が入っていたのか。実はあっしもそこまでは存じ上げておりません。一寸だけですが気になります。
 恐らくは『ハナ』を『摘む』ための道具でしょうが。今までそのような場面には決して出会うまいと避けて通ってきた道ですので。
 ええ。はい。本当にモノノケ退治には向かないのですよ。あっしというアヤカシは。
「あぁぁあっ!」
 頭の上から響いた声に顔を上げると。そこには何やら妙な形をした剣が。
 札で巻かれている所を見ると。矢張りシロウサギの仕事道具なのでしょう。
 普通のモノとはまた。また違った感じが致しますし。その程度ならば辛うじて。あっしにも判りますよ。
「おい! この刀はなんだ! なんで薬売りが刀なんぞ持っている!」
 そう。問い詰められれば。隣のシロウサギは目を伏せたまま悠然とした口調で仰いました。
「 斬るため ですよ 」
「……」
 驚く三人の男達を前にして。あっしは誰にも判らぬよう項垂れました。決して。シロウサギ……否。クスリウリ様の言葉を肯定するためにそうした訳では御座いません。
 表門から流れてきた赤色の微風。汚い断末魔の叫び声。そして。ネコの匂い。
 胸が押し潰されて。吐きそうになる。ああ。これだから。血肉の。匂いは嫌いなのです。おまけに。汚らしい音を聞いてしまい耳まで痛い。
 ええ。表門の近くで酒宴をしていた連中は。どうやら。ネコにやられてしまったようで。
 ヤマイヌの癖に血や肉が苦手と馬鹿にされるでしょう。しかし。駄目なものは駄目なのです……ほら。誰にだってあるでしょう。一つや二つや三つや四つは。体が受け付けてくれぬものというのが。
「 モノノ怪をね …… 」
 ああ。クスリウリ様。そのモノノケは。この屋敷のヒトすべてを殺さないと。気が。収まらないようで。
 全く以って『ハナ』とは厄介なもので。いくらあっしらアヤカシと。ヒトが創り出したとはいえ。ね……だって。そうでしょう。
 あっしらが存在する限り。また。『ハナ』も何処かで存在し続けるのですから。
 さて。目に見えぬ惨状をお伝えするべきか。舌でゆっくりと唇を濡らし顔を上げると。そこには大層驚いた顔をしているヒトが三人ほど。
 ニイ。と脂汗を誤魔化すためか。あっしの口端が自然と上がり。クスリウリ様も何処か笑みを含んだ表情で。自分の為すべき事を声に出して仰いました。
「 …… 斬るんです 」