曖昧トルマリン

graytourmaline

Shiny New

 焙煎された珈琲豆の芳香が冷風に乗ってダークブラウンを基調とした店内を巡る。客同士の会話を妨げないようボリュームを絞りながらも隣席の雑談が耳に入りづらい大きさで流れるモダンジャズと、暖色で統一された照明が店の空気を柔らかく包んでいた。
 デカフェを専門に扱う純喫茶風の店内で新規の客として腰を落ち着かせていたは人為的に負荷をかけ発達させた胸筋の前で腕を組み、スマートフォン片手に分かりやすく頭を抱え呻いている金色を眺めながら、さながら忙しないコールダックの雛だとふと湧き上がった笑みを噛み殺していた。
 悩める若人に水を差すのも気が引けるので星空のような輝きを帯びた外の風景に目を向けると手前のガラスにウェイターの姿が映り居住まいを直す。陶器と金属の微かに触れ合う音がカウンターから近付き湯気を燻らすコーヒーカップが小さなテーブルに置かれると、二言三言飲食店の定型フレーズを口にした制服姿のウェイターは最後にごゆっくりとうぞと言い添えてから丁寧に一礼して去って行った。
 伝票を引き寄せた手元の時計の針は相変わらず夜のはじめと言い換えても差し支えない時間帯を指しており、獅子神を引き連れたがカジノバーへ足を踏み入れてから30分も経過していない。だというのに、ギャンブルに縁もなければアルコールどころかカフェインの提供すら行っていない店で深く腰掛けコーヒーを喫しているのは偏にカジノ側からゲームの続行を断られたからである。
 がベット額の36倍、そして獅子神も3倍のチップを手にし、彼らが参加を始めて3回目のゲームが開始されたところで流れが完全に変わった。
 とはいっても変えたのは彼等ではない。
 と獅子神は各々の経験と法則を頼りにチップを置いただけで、アクションを起こしたのは他の女性客達であった。
 彼女達はがチップを置いた数字と同じ場所へ手持ちを全て賭けた。言葉にすればたったそれだけの事だが、ゲームの行方を楽しむのではなくただただチップを増やすだけの作業と化したルーレットはその後、回を重ねる毎に異性間で温度差が顕著になり、一方的に遂に損ばかりが増えて行く状況にディーラーがゲームの中止を宣言しテーブルにいた客全員に退店を促した次第である。
 他の客を参考にする行為はルールに違反しておらずチップだって現金に変えられないのだから何が問題なのかと食い下がる女性達と、カジノは一定の水準を満たした者が集う社交場でありレストランやバーと同じように暗黙のマナーが存在すると噛み砕いて丁寧に説明する店側の主張を背中で聞きながら店を出たの感想は、接客業は大変な職だ、に尽きた。数や立場の差はあれどあのような輩は何処にでも存在する、他のプレイヤーへの気遣いも不要で頭や技術を使わず楽に勝ちたいだけなら態々カジノに足を運ばずとも画面に触れさえすればクリア可能なゲームで十分だろうに、とまでは流石に口に出さなかったが。
 予測通りの幕引きに不完全燃焼だろうと少し遠いが懇意にしている店での仕切り直しを提案したのだが獅子神からはギャンブルは十分だと返され、ならば少し話さないかと自然体を装いながら誘い今に至る。情欲に支配された本能と羞恥に塗れた感情とは別に、目の前の青年に伝えなければならない事が今の彼にはあった。
 スマートフォンを注視して踏ん切りがつかない獅子神にいつ声を掛けるべきか伺う面の皮を、少しでも長く、半歩でも近くに居たいから動こうとしないだけだろうと理性と良識が嘲る。ああそうだと自棄になりたい衝動と、違うと声を大にして否定する気持ちの板挟みに陥りながらも、は若い頃に培った技術と老いて尚山に生きる野生動物を欺きながら命を奪う日々を過ごしている経験から穏やかな表情を保ち続けていた。
 を知り、且つ余程敏い人間でも気付けないものに、当然知り合ったばかりの獅子神は反応出来ない。そうでなくとも彼は画面の向こうで流れる動画に意識を向けている。だが、その集中力もコーヒーの香りで途切れたのか大袈裟に思えるくらいの溜め息と共に喉の奥から唸るような声を絞り出した。
「0.5倍速でも全然分かんねえ、どういう動体視力してんだ」
 カジノの撮影は大抵の国で禁止されている為、初心者への解説用にアップロードされた動画を参考に眺めていたのだろう。獅子神は液晶越しにボールと文字盤を目で追う事をようやく諦めたのか顔を上げ、やや乱暴に頭を掻いてからスマートフォンを伏せた。その長い指先がカップのハンドルに触れる前にの肘付近に寄せられた伝票へと伸びる。
「オレが負けたんだから寄越せよ。コーヒー代で済むもんじゃねぇけど」
 賭博に負けた方が支払うのは当然であるように語る獅子神には思わず吹き出すようにして笑うが、流石に礼を欠いた失笑には当たらないだろうと取り繕う事はせず諭すように言葉を返した。
「面白い事を言うね。ルーレットはカジノとプレイヤーとの間で勝敗を決めるゲームだから金額に差はあれどボクも君も勝者だ」
「だからその差でオレの負けなんだよ。勝ちを施されて喜べるような浅ましい生き方してるように見えんのか?」
「憐れんでなどいないよ。けれど、より多くのチップを得た人が勝ち、なんて条件はなかった。君が主張するルールでやり合いたかったのなら最初に提示して同意を得るべきだ」
 一般的なルールに則って解釈しているだけで施しなどしていないと言い切るの理屈は受け入れ難いのか不服そうな顔をする獅子神を前にして、意外と他者の言葉に惑わされやすく上下関係にも拘るタイプかと判断を改める。
 がアプローチを変えるために意地の悪さを含ませた態度を表に出せば、そこまで意思表示をされれば流石に違和感に気付けたのか、いやそうじゃねえと獅子神は若干声を張り上げるようにして抗議する。
「その理屈ならオレが払っても問題ねえだろうが!」
「ふふ、そうだね」
「テメー馬鹿にしてやがんな?」
「君の理屈に乗って逆に勝者こそがそのように振る舞うべきだろうと説いてもよかったんだけどね」
 話を逸らす事で獅子神からの指摘を暗に肯定しながら、そちらは平行線になりそうだからと相手に聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで続け、は伏せられた紙に視線を向けた後に顰め面を晒す正面の青い瞳にそれを合わせた。
「おじさんの下手な冗談は兎も角、獅子神君にはお礼を言いたかったんだ。だからここはボクに持たせてくれないか」
「なんで礼なんて言われなきゃならねぇんだ」
「公園で危険を察知して連れて逃げようとしてくれただろう。心ばかりだけど、そのお礼をさせて欲しい」
 疑問ではなく断定の形で言うと獅子神は照れ隠しにしても分かりやすく視線を逸らし、すぐに別の考えに思い至ったのかテーブルへ肘を付くようにして身を乗り出す。
 今の私はとても不機嫌ですと伝えたいらしく大袈裟に表情を変えている所が逆に微笑ましいが、は何度も年若い青年を茶化すような真似はしなかった。
「気付いてたのになんで煽って来やがった」
「逃げるよりも自主的に退散して貰った方が安全性が高かったからね」
 人権を担保に分不相応な額を借り、刻一刻と迫るタイムリミットから逃げられず絶望した元ギャンブラー達。自棄を起こして強盗を働こうとした愚か者は、が気付いただけでも片手の指の数より多かった。
 襲撃側はお互いが顔見知りでもない有象無象に対し、逃走側は年中山を駆け回っていると服の上からでも分かる程に鍛えている獅子神。反撃は勿論、ただ走るだけで撒ける可能性も十分あったが、可能な限りリスクを回避してより安全な対策を選ぶに越した事はない。
 頭に元が付くとはいえギャンブラーとしては弱気で不適切な判断だったかなと困惑を織り交ぜた呟きを添えて首を傾げれば獅子神はそういう理由ならが正しいと言い、でもだったらと続けようとする。しかし地下の賭博に出入りする現役ギャンブラーらしからぬ彼の思考を先読みしたは、続く言葉が出る前に口を開いた。
「安全が確保された直後に今の説明とお礼をしなかったのは、そうだね、君がさっきの店でブラックジャックを拒否した理由と同じだ」
 白熱し始めた場に水を差す言動は同じテーブルに着く者として決して褒められた行いではない。知識として所有しその手の気遣いをする事があっても、される側としての経験は少なかったのか、虚を突かれた表情を隠しもしない獅子神を正面に置いたままはコーヒーと共に笑みを口に含み過去を見るような目をする。
「カラスさんは寧ろその手のマナー違反を推奨している節があるからねえ」
「推し進めてはねぇよ、咎めないだけだ。つーか、今の言い方聞いてるとさんは違う場所に出入りしてたのか」
「そうだね。参加していたのは何処のカジノにでもあるスタンダードなゲームばかりで、自分の納得出来る場所が主戦場だった。ただ、さっきの彼女みたいなお客さん達が何処にでも出没してね」
 しかも、が出入りしていたのはチップを現金化する違法賭博で、得意なゲームはルーレットだ。そのような場所に出目を予言者の如く当てる客など来た日には何が起こるか、獅子神のようなギャンブラーでなくとも簡単に想像出来る。
「イカサマすらしてねえのにな」
「こればかりは仕方がない、出禁はお互い納得ずくだ。ボクがお店を選ぶ権利を持っているように、お店にはお客を選ぶ権利がある」
 運に振り回されるマナー違反の大量のカモを追い出すよりも、必中のギャンブラー1人を追い出した方が手間がかからず、しかも店の利益に繋がる。何より、は多少名の通りが良いが今も昔も社会的地位は決して高くない、対して葱と土鍋と燃料が十分な携帯コンロを丁寧に風呂敷に包んだ鴨達の中にはサラリーマンが一生かけて稼ぐ額を1回のゲームで失いながら笑顔で次のゲームに興じる資産と地位の人間が存在する。
 その2つを天秤に掛けてどちらを追い出す方が得か、なんて問いの答えなど商売人でなくとも分かり切っていた。
「提示されたルールが気に入らないのなら別の場所を探せばいいだけだからね……そうして悠長に構えていたら色々なお店に断られるようになって、次第に足が遠ざかったんだ。華のない引退理由だろう」
「想像以上に地味だったわ。そりゃあんな一種即発みたいな雰囲気では言えねえだろうよ」
 獅子神がどのような想像をしていたのか聞いてみたいとは思ったが、呆れていたはずの目が一転鋭くなり、それにしたって強過ぎだろうと力強く指を突き付けられ尋ねる機会を失った。
「何やったらあんなに強くなるんだ」
「地道な努力の賜物。でも、この技術を君に教える必要はないね」
「あ?」
「こら、早とちりで威嚇をしない。年寄りの意地悪で言っているんじゃないよ。きっと今もカラスさんの所にはルーレットがないだろうからね、鍛えるつもりならもっと別の部分に注力すべきだ。たとえば、ルールに対する先入観の自覚や、イカサマの洗浄を怠るミスを極力減らすとか」
 動体視力を鍛えるよりも先にいずれ大怪我に繋がりかねないものを無くすようにと釘を刺された獅子神は、表情筋こそ不貞腐れたように形作ったが雰囲気では素直に忠告を受け取る様子を見せる。上辺だけは慇懃に、内心の苛立ちを隠し通せていると自惚れながら老いぼれの小言と無視する若者が多い中、中々面白い方向に成長しそうな子だと感心したは同時にこのままでいいものかと密かに問い掛ける。
 問いの対象は自分自身ではなく獅子神で、カラス銀行に所属し続ける場合このまま解放すればそう遠くない未来に足元を掬われるのではという懸念からだった。
 ごく一部を除いたギャンブラーがそうであるように彼もまた独学で様々なものを身に着けて来たのだろう、ルーレットでの賭け方を思い出しても最低限のゲーム理論、統計学、心理学辺りは既に目を通しているに違いない。
 ただ、獅子神は学び得たものを上手く活用出来ていないようだった。周囲を騙す、自身を隠す力が弱く、ある程度場数を踏んだギャンブラーならばイカサマなど看破して圧勝出来てしまう。ほぼ初対面と言っていいを助ける為に咄嗟の行動を起こす善性に支えられた性根は、残念ながらギャンブルの場に於いて不利になる。
 公園での礼と、カジノバーまで付き合った理由の説明。本来なこの2点を話したらは身の振り方を検討する為に一旦距離を置くつもりだった。だが獅子神が違法賭博という危険地帯に好んで留まり、且つ十分な防衛手段を持ち合わせていないとなると話は違ってくる。
 相手の未来が保証されているとは言い難い状況でも年若い少女のように恋に現を抜かしていられるほど盲いてはいなかった彼の選択は、限られたものでも与えられるのならばとスマートフォンを手にする事だった。
「獅子神君が迷惑でなければ都合のいい時に会いにおいで。ボクは対人戦が不得手だけど、それでも足場を固める程度の技術なら教えられるだろうから」
「え? そりゃ有り難いけど、いいのかよ」
「今日こうして会えたのもきっと何かの縁だろうから、なにより、ボクは暇を持て余しているお節介な年寄りだ」
「いや、そうじゃなくて、引退したけどさん有名な芸能人だろ。初対面の人間に連絡先とか教えちまって大丈夫かなって、別に言い触らしたりするつもりはねえけどさ」
 言いながらも学ぶ行為そのものについては前向きなようで獅子神はの連絡先を若干躊躇しながらもスマートフォンに入力する。英数字の羅列を追う視線が帯びた灰色がかった靄のような感情を今はまだその時ではないと見なかった事にして、は一先ず表面上の言葉から返事をする。
「街中でフィルムカメラに付け回される芸能人でいたのは何十年も前の話だ、今は日がな一日銃を片手に山の中で鹿を追い回しているしがない猟師さ」
「りょうし……は? 猟師!?」
「あとは一応不動産投資家と、うん、フィジーカーとしてならそこそこ名前が通っているかな。地方レベルに留まっているけど。獅子神君は何処に所属してる? そろそろ色々な大会が開催される時期だから観戦に行ってもいいかい」
「い、いや。オレは筋トレ好きなだけで大会とか出てねーから……ええ、猟師?」
 獅子神にとって余程重要な要素だったのか確認するように猟師と何度も口にしては過去の肩書の名残を色濃く保っているを眺め、やがて何かに納得したように長く息を吐き視線を逸らした。
 遠くを見たようでその実対象を意図的に視界から外した碧い目が眩さに眇められたように見えては傾げられる寸前の首を固定する為に己の顎をつまむ。
 獅子神が見せた感情は華やかな表舞台に背を向けた者への失望ではなく真の納得だ、そもそも、彼がに向ける感情は燦然としていたがファンに向けられるものとは色合いが大きく異なっていた。熱っぽくはあるが羨望や好奇心は少なく志向の要素が多くを占めるそれにもしや芸能関係者かと勘繰ったが、彼は演技の世界に身を置くものではないと今までの会話と経験則から瞬時に否定する。そもそも芸能関係者ならばプライベートの内容に触れたタイミングという点で選択肢から除外すべきだった。
 似たような感情ならば何年か前に顔を出した同窓会で級友達から向けられたが、それはという個人が大きな変化を遂げていないと判断された上での懐古の念だ。獅子神の場合は懐かしいという感情を持つ事自体は否定しないがモデルとしてのしか知らないはずの人間が持つ感情として妥当とは言い難い。
 モデルと同程度に猟師にも憧れを持っていたとなれば話は別だが先程の反応から見るにその気配もない、と観察していたの前で獅子神がまるで真昼の光が目に差し込んでいるかのような反応をした。無論、嗜むと呼ぶ範囲を逸脱したギャンブルをしている獅子神がそこまであからさまな反応をした訳ではなく、実際の表情の上ではごく僅かな変化に過ぎない。ただ、変化を見せないよう気を張り過ぎた違和感からが獅子神の内面を逆算しただけだった。
 返却されたスマートフォンを受け取り獅子神から届いた空のメッセージを登録し終えたは、公園で出会う少し前にふと過った持論を思い出しながら、氷が溶け始めた水で口内を湿らせる獅子神に穏やかな声で告げる。
「君は、とても眩しそうにボクを見るんだね」
「ヴっ。ま、まあそういう風に見てなくもねーかな」
 気管支に入り込む寸前で水を塞き止めた獅子神は顔ごと視線を背け、見ていなくとも分かるくらい次の言葉を求めている気配に押し負けて、数秒躊躇してから叱られた子供のような仕草でおずおずと顔を上げて続きの言葉を口にした。
さんて、いつだってピカピカしてるからさ。今も、昔も、職業とか関係なしに一人の人間として」
「その評価は、とても光栄だ。ボクが自由を謳歌しているように見えたから?」
「いや、どっちかっつーと、幸福を掴み取ってるから、だと思う。オレ投資が本職の割に幸せの換金方法が未だに分かんなくてさ。目標が漠然としてるってのは自覚してるから、取り敢えず欲しいモノを手当たり次第手に入れてみたけど全然ダメで」
「……満たさせない事が苦しい? それとも、腹立たしい?」
「怒ってはいる。オレの事を一番分かってんのはオレなのに、なんで出来ねぇんだよって」
 一度話を始めてしまえば腹が括れたのか淀みなく会話をする獅子神を観察し、嘘はないとは判断を下す。こんなタイミングで嘘を吐く理由もないが、何よりもまず、獅子神敬一という青年の言葉を彼は信じた。
 獅子神は自分自身が何を欲しがっているのかまで見据える手段を持たず、結果の出せない現状に怒りを抱いている。自力では得られず誰かに与えられることで満たされる幸福を実は求めている線も考えられるが、今までの発言を総合的に考えると成長できない事により強い感情をぶつけているようだった。
 上昇志向は素晴らしい。だが、体であろうと心であろうと人には休息も必要だ。視野を広げる為には一度、足を止めるべきだろうとは判断を下す。ただ前を見据えて走っている時には気にも留めていないのに一息ついている間に見たふとした景色が糧となる事もあるのだから、そう誰にでもなく言い訳をしながら。
「なら、力不足だろうけど君のロールモデルになろう。ギャンブルにしろ、幸福の模索にしろ、盗み見るより堂々と観察して質問出来る環境の方が得られるものが多いからね」
「役不足の間違いだろ、それって」
「合っているよ、獅子神君とボクのライフデザインは大きく異なっているだろうからロールモデルとはいっても参考程度だ。稼げるだけ稼いだら第一線から早々に退いて趣味に没頭する人生は望んでいないだろう?」
「そりゃそうだけどよ」
 投資家として生きる今の自分が苦ではない事、そして趣味に没頭するだけでは獅子神の幸福にならない事を確認したは溶けかけた氷がガラスの中で踊る音を合図にそろそろ出ようと声をかけながら会計を済ませ、隣を歩こうとして半歩後ろに下がってしまった美しい青年を眺める。夜の街の光がより眩く映えて、真昼の空の下で彼を見たら自分の目はどうなってしまうのだろうと馬鹿げた考えに苦笑した。少なくとも、ピカピカなんて可愛らしい表現では済みそうもない。
「お別れをする前に、ボクの持論を伝えておこう。まあ、長く生きた人間の戯言だけどね」
 獅子神の言うピカピカという表現と、それが同一であるのかは分からない。けれどもまた、獅子神は常に眩しい輝きを放っていると伝えたくなり自分の欲望に従った。
「ボクの輝きはボクを見ている人々の光が反照したものだ。誰かに光を与えられて初めて、ボクは輝ける」
「お綺麗な話風に終わらせようとしてるところ悪いけどよ、言い回しが違うだけで要はよく聞く太陽と月の例えだろ。共感出来ねえ」
「何も悪くないよ。受け流してくれていいんだ、これはボクが自分で決めた価値観で謂わばただの偏見だから。その偏見を前提として」
「ちょい待ち、すげー嫌な予感がする」
「君を見るボクが目がずっと眇められている事に、君は気付いているかい」
「待てっつっただろうが! 野郎同士の癖に公共の場使ってプロポーズ紛いの事してんじゃねぇよ歳の差考えろアホ!」
「二周りは離れているだろうねえ。ボクは五十路だけど獅子神君は?」
「丁度テメーがダブルスコアだよ喜べクソジジイ!」
 あまりにも分かりやすく狼狽え、感情を誤魔化す為に吠える獅子神を見てはよく通る声で笑いながら、微かに滲んだ涙の膜越しに映る美しい金の光から目を逸らす。
 良識に嵌った反論に割れ砕けた彼の恋心は長年培った役者の仮面の奥へ隠されたが、失恋など早いに越した事はないとして彼は己の選択を後悔しなかった。