曖昧トルマリン

graytourmaline

柔提燈

 8月の間に降ろうとしなかった雨が、ここに来て思い出したように活動を始めた。強風を味方に付け突如として大量に降ってくる水滴は秋のそれとはとても言い難く、またイギリスに降るものとも違い非常に激しい。
 今日もこれからそれが降るようで、暗く湿った風に気付いた屋敷の妖怪が乾いた衣服を慌てて取り込み、うず高く山となった洗濯物を女性の形をした妖怪達が手際よく畳んでいく。畳まれた衣服を、隣に置いてあった籠から伸びた人のような腕が自分の中に収めていた。観察するまでも無く、憑き物系統の妖怪だった。
 そんな中、も白いタオルを前に妖怪達の中に混ざり、小さな手を懸命に動かして四つ折りにしている。心なしか、この子供の隣にある籠の動きもどこかぎこちなく見えた。
 それに目を留めたのがいけなかったのかもしれない。女の形をした何かは雨戸を閉め終えたリドルを引き止めて、畳み終えた衣服を仕舞うように言ってきた。嫌な顔をしたつもりも無ければ文句を言った訳でもないのに、を一緒にやるからそんな顔はするなと諭される。
 この顔は元からだと反論すると口を持った妖怪達が口元を隠し、鈍い男だと笑われた。また目を持った妖怪達はほぼ畳み終えている衣類に視線を移して、それから首を傾げているを愛おしそうに見つめる。
 つまり、やる事がなくなったのでに付き合い遊び相手をしろ、そういう事らしい。流石恩師からを任された存在だけあって、幼子を重視しリドルの意思や用事など一切配慮した様子が見受けられない。
 とはいうものの、事実リドルにはこれといった用事も無かったので二つ返事で引き受けることにした。元々の傍に居る事に苦痛を感じる事はない、寧ろ意味もなく寄るなと威嚇される方が余程辛かっただろう。
 そんなやり取りを他所にタオルを畳み終えたが立ち上がると、今までは手だけが生えていた籠から四本の獣のような脚も生えてきた。人間の腕に獣の四足、そして胴体は衣服の詰まった籠。便利だがシュールな光景だとぼんやり考えていると、その中で二つほど、まるで死に際の虫のような動きをしている籠がある。はそれを積んで一人で運ぼうと短い腕で籠を持ち上げた。
、それは私に運ばせてくれないか?」
「リドーさんが?」
 重量は軽いがかさ張るものが入った大きめの籠を抱え、今にも倒れそうなくらい後ろに重心を置いているに声をかけると意外にもこちらも二つ返事で了承された。聞けば、無理に運ぼうとしたはいいが、前が見えず落とした経験があり、それが原因でこの籠が一時拗ねてしまった事があるらしい。
 に付いて部屋を出ると、待っていたかのように複数の青白い玉が宙に浮きやってきて幼子や籠の傍に寄り、縁側の雨戸が閉められたせいで闇に包まれた道を明るく照らす。その中でも幼子に寄ったそれは一際大きく、好奇心から観察しているとすぐそれに気付いたは鳥に貰った火だと言った。
「鳥? 不死鳥の類か?」
「ふしちょう?」
「火の属性を持った……東洋的に言うと鳳凰のような鳥だ」
「ううん、ちがうよ」
 光の届かない箇所で闇が這う気配がするが、リドルもも籠の妖怪も全く驚きもせず暗い縁側を歩く。この屋敷ではそんな事はよくある事象だった。
 一応、通り縋るときに確認してみると、夜色をした猫がしきりに顔を洗うような仕種をしている。二本の尾がゆるゆると揺れていた。が挨拶をすると猫も日本語で挨拶を返し、そのまま毛繕いに戻る。
 少し間は空いたが、は言葉を続けた。
「これはね、青さぎ火さんが、みんなに一つずつくれたの」
「ああ、青鷺火か」
「リドーさん、しってるの?」
「先生に翻訳して貰った妖怪画集で見た事はある」
「んー。青さぎ火さんなら、こんじゃくがずぞくひゃっきかな?」
 呪文のように長たらしい本の題名を言うに適当に相槌を打つと、目が輝いて偶にだけれど家に来るのだと言った。敷地内に住み着いている訳ではないらしい。
 雨に打たれても青白く光る体を持った鷺で、それ以上でもそれ以下でもない妖怪だったか、と学生時代の記憶を探っていると、はしゃいでいたが静かになりすっと目を細め雨戸の向こうの景色を見るように顔を逸らした。いよいよ強い雨が降ってきたのか、ばらばらと板を打つ雨粒の音が大きくなる。
のは、もっと小さかったんだよ」
「小さかった? その火は育つのか?」
「ううん、が大きくなったからって、あたらしいのくれたの」
 前に持っていた小さい火は偶に家に出入りする妖怪に譲り、その妖怪から礼として貰った物を別の妖怪に譲り、と何十回か繰り返しているうちに薄皮で出来た玉のような物を沢山貰えたので今は提灯代わりに火をその中に入れて使っているという。
 藁しべ長者の素質を持っているなと褒めるべきか、何十回と繰り返しても貰えるのは精々そんな物なのかと大人の感想を告げるべきか一瞬悩んだリドルは、当然前者だけを口にすることにした。リドルにとってはただの不思議な丸い玉でも、にとっては大切な宝物なのだろう。誰から何を貰い、誰に渡したかを事細かく説明するその表情を見れば、これがどれだけ大切な物なのかはよく判った。
「そうだ、あとでリドーさんにも、一つあげるね!」
「そんなに沢山貰ったのか?」
「うん!」
 名案が浮かんだと嬉しそうにしている子供を前に、魔法があるから必要ないとは言えなかったリドルは、ようやく辿り付いた脱衣所に籠を下ろし所定の場所へ移動するそれらを確認し終えてからに視線を向けて念の為に尋ねる。
「他にも浴室があるが、ここだけでいいのか?」
「うん。ここが、おうちで一ばん大きいの、それで、一ばん大きいおふろには、白のタオルってきまってるの」
「そういえば、ここ以外の浴室は別の色のタオルを使っていたな」
 今まで全く気に留めては居なかったが、改めて記憶を再生させてみると確かにの言う通りだと気付き、そして先程の洗濯物の山を思い出して確認した。あの中には、明らかに見覚えのない色や柄のタオルが存在していた。
 リドルの知る限り、この屋敷には既に片手の指が埋まる数の浴室が存在しているはずだったが、どうやらそれ以上のものがあったらしい。
「……この家には随分多くの浴室があるんだな」
「うん。おじいちゃんがね、おふろ、すきだったから」
「そう言えば、そうだったな。ではの風呂好きも、その影響かな」
「うん!」
 再びを先頭にして歩き出すと、ほどなくして見覚えのある部屋の前にやってきたリドルが首を傾げる。この屋敷には外観に見合う立派な蔵があり宝物庫の役割をしているが、そこへ行く通路はもっと奥にあった。そして今目の前にあるこの部屋はリドルの向かいの部屋、もっと簡単に言ってしまえばの私室だった。
「お前の部屋にあるのか」
「うん」
 それ、とリドルが指差した青白い玉をは見上げ、にっこりと笑いながら肯定する。
 リドル専用になりつつあるふかふかの座布団を勧め、小さな箪笥の中から取り出した手回しオルゴールのようなものを背の低いテーブルに置く姿は何故か誇らしげで嬉しそうだった。それだけ、大切な宝物なのだろう。
「これをね、まわすの」
 前振りもなくいきなりそう言って、オルゴールのようなもののに付いていた取っ手を回すと、そこから磨りガラスの表面によく似た玉がシャボン玉のように現れた。てっきり玉そのものを貰ったと思っていたリドルは、確かにこれならば幾らでも玉は作れると感心する。
 しかし、現れたのは玉だけで、肝心の火はどこにも見当たらない。一体どうするのかと黙って見ていると、の持っていた玉の中で炎が二つに別れ、その片方が新しく出来た玉に入り込んだ。そして、新しく出来た光る玉を目の前の幼子は笑顔で差し出す。
「……いいのか?」
「いいよ?」
「お前が成長した祝いの、大切な物なんだろう?」
「だいじだよ。だからリドーさんと、はんぶんこするの」
 光量が半分になり、他の妖怪達と大して変わらないような明るさになった玉が二つ。リドルはそれ以上何かを尋ねるようなことはせず、素直にそれを受け取った。ただそれだけなのに、は心から嬉しそうに笑う。
 初めて触れたその玉は想像以上に柔らかく、孵化前の蛇の卵に似ているとまず感じた。しかし、触れていくうちにそれよりももっと近い、柔らかいものに触れた経験が薄ぼんやりと蘇り一体なんだったかと記憶を検索する。
 指先で触れ、その丸みを確かめている途中、唐突に何に似ているのかが判りリドルは口元を押さえ、次いで意味不明な声を漏らした。
「リドーさん、どうしたの?」
「いや、なんでもないよ。それより、私の為にありがとう、大切にする」
「うん!」
 手の中で転がる光の玉は、目の前で笑う幼子の頬の感触と瓜二つだった。