感傷的な苹果
自分の部屋と向かい合った和室で荷物を整理しているリドルに、箒やら雑巾やらを手渡しているは、黒目がちな瞳を真っすぐと向け矢張り不思議な人だと首を傾げる。
昨日は遊びに付き合って貰ったが、恥ずかしながら遊びに夢中でこの人間の男性がどういったものであるとか、そういう事は考えもしなかった。否、別に祖母に会いに来た経緯を知りたいとかそういうものではなく、どちらかというと生物学的な意味合いが強い。
この年になっても屋敷の外へは滅多な事では出向かず、仮に出向いたとしても保護者を兼ねた妖怪が同伴して人間は立ち寄らない所ばかりだったので、こうして生きている人間の成人男性を間近で見るのは初めてだった。
肌は残雪のような明るい白で、瞳は熟れた林檎のように紅く目許は涼しげだ。髪は乾いた黒色で、痩身だが肩幅が広く体格自体は鍛え上げれば相当良い事が判る。
外見上はあまり妖怪と大差ない、と失礼なのかそうでないのか判断の付かない感想を持った。人間という生き物は男だろうと女だろうと、ヒヨコやオタマジャクシのように劇的な変化はせずそのまま縦や横に伸び、年老いても精々皺が増え髪が白くなったりする程度なのだと、人に対しての知識を一つ増やす。
林檎色の目が何か言いたそうに見下ろしている事に気付いたは屑篭を差し出し荷物を包んでいた英字の新聞が捨てられる様子を眺める。無言の空間が慣れないのか、リドルは表面にこそ出しては居ないが落ち着かない様子だった。意識や思考、意思の塊である魂がそわそわしている。
しかし、その魂こそがリドルを不思議な存在だと認識するに至った理由だった。どうも、リドルの魂は祖母や妖怪達とは微妙に違うのだ。
例えば彼の目のような林檎で魂を表現すると、祖母や大抵の妖怪は形や色、大きさや艶に虫食いや傷の有無は違えどちゃんとした一つの林檎なのだ。対して、リドルの林檎は何分の一かが切り取られて無くなっているように見える。
林檎の一部が欠けている、しかも自主的に切り離したようで、その部分だけは抉られたような傷ではなく刃物で切り取ったような傷に似ていた。余程強靭な精神力を持っていなければ魂を切り離す瞬間に発狂するのだが、リドルの精神は相当強いらしい。
一体何が原因で林檎の欠片はどうなったのかは気になったが、自身の林檎も実は色々と不備があったりするのであまり強くは尋ねられない。自分自身の具体的な不備は表現し辛いのだが、リドルとはまた違う林檎だった。
そもそも魂に関する重要な秘密を昨日の今日でそんな事を訊くのは失礼だろうと思い改める。人間、隠し事の数は10や20では済まないものなのだと妖怪達からも教えられたし、事実その通りだと思っていた。
くしゃり、と最後の新聞紙が丸められる音に意識を引き戻したは、相変わらず困ったような色をしている甘酸っぱそうな林檎色の瞳に見下ろされ、首を傾げる。
「何か、考え事をしている風だったな」
「りんご」
「林檎?」
「ちがう、ええと……」
林檎の事ばかり考えていた所為で、一言目に林檎と告げてしまったの視線が慣れない言語で思考を纏める為に宙を漂う。
おまけに急に頭の回転数を上げるという滅多にやらない事をしたので顔が真っ赤になった。けれど、それを見ていたリドルが今日初めて笑ったのは妙に嬉しい。
腕を差し出され、夏だというのにひやりとした、氷のように冷たい手が火照った頬に触れられる。相変わらず赤黒い匂いのする、硬くて骨ばった男の人の手だった。
思わず泣いてしまいそうになるが流石にみっともないので溢れそうな涙を堪える。それを感じ取ったのか、リドルは熱を持った頬を指先で何度か突くとの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「の頬は、林檎によく似ているな」
貴方の瞳の方が余程林檎に似ているのに、という言葉は押し殺した涙に邪魔をされ、最後まで出てくる事は無かった。